チャットモンチー 「満月に吠えろ」

 
 おじさんには、もう最近の音楽がよ~わからん!
 たとえば、この 「チャットモンチー」 っていうガールズバンドをどう捉えたらいいのか。
 私の杓子定規な定義で凝り固まった音楽観の中に、彼女たちの 「音楽」 を受け入れるスペースがないのだ。

 だけど、彼女たちの音がすごいことだけは分かるのだ。
 私が昔聞いていた、いわゆる 「ROCK」 といわれる音楽のもっともオーソドックスな後継者であると思うし、ひょっとしてそれ以上刺激的な音なのかもわからん。

 もし、私が彼女たちの映像を見ることなく、そしてヴォーカルパートを聞くことなく、ただギターと、ベースと、ドラムスだけのインストルメンタル曲を聞いたとしたら、たぶん、そこに、Z.Z.トップとか、グランドファンク・レイルロードとか、あるいはクリームのような、スリーピースで超ド級のヘビーサウンドを奏でる洋楽バンドのようなものを想像したかもしれない。

 ところが、歌が始まると、「いきものがかり」 とか、昔の 「リンドバーグ」 みたいな女の子をリードヴォーカルに据えたJ ポップの雰囲気も立ちのぼってくるし、音を消して、演奏しているシーンだけ眺めていると、中学生ぐらいの女の子たちが、仲間の誕生会に臨時のロックバンドを編成して余興で歌い、大人たちを驚かせているといったような現場を想像してしまう。

 要するに、サウンドと絵柄の乖離、バンドアンサンブルとヴォーカルパートの乖離が激しくて、アタマが混乱する。
 
 たぶん、彼女たちと同世代の若者たちは、そういう違和感を持たないのだろう。
 この私が感じる違和感こそが、自分の感性が古くなっている証拠だと、自分で思う。
 
 しかし、「違和感」 というのは、「新しさ」 の同義語でもある。
 すべての新しいものは、体験者には 「違和感」 として入ってくるのだから。
 少なくとも、私は彼女たちの音を、何も感じないまま受け流してしまったのではなく、脳ミソのヒダを切り裂く “引っかき傷” として受け止めた。
 そういう “傷” は、痛みが癒えると、「快感」 に変わる。

 チャットモンチーの演奏にはじめて接したのは 2年ぐらい前のことだ。
 テレビでガールズバンドの特集をやっていて、その何組目くらいかに登場していたような気がする。
 曲は、『染まるよ』 だった。


  
 もちろん、そのとき曲名まで気にしていなかった。
 けだるいビート感を維持するドラムスと、ヘビが鎌首を揺らすような、ゆらぎを持ったベース。
 そこに、不協和音風に跳ね飛ぶギターが絡む。
 「あ、カッコいい音!」
 即座に、私の音楽脳が眠りから醒めて、活発に動き始めた。

 見ると、まだ “あどけなさ” を残した少女たちではないか。
 なのに、その女の子たちには、聞き手にまったくコビている感じがない。
 つまり、見てくれなんかリスナーにどう思われようとかまわないという、突っぱねたような、あどけないけれど、どこかふてぶてしさがあったのだ。

 J ポップの他のガールズバンドが、「女の子の意義」 … つまり、可愛らしさを訴求したり、 “女のくせしてやるなぁ!” という意外性を訴えたりしていたのに比べ、彼女たちには、そういう 「女の子の意義」 にこだわる気配がなかった。
 それよりも、
 「キャラクターなんかを詮索される前に、まず音を聞いてもらおう」
 というロックが誕生した頃のアーチストたちが見せていた “ひたむきさ” があったのだ。
 
 たぶん、彼女たちはごくシンプルなことをやろうとしていたのだと思う。
 すなわち、「ROCK」 をやろうとしていたのだ。 
 「ROCK」 の原点に忠実に回帰しようとしていたのだ。

 では、ROCKの原点とは何か?
 
 電気で増幅した音の効果を最大限生かすこと (つまり、でっかいアンプを通じて大音量で音を流すことによって聞き手に快感をうながすこと) 。
 そして、その音がカッコよく響くこと。
 それこそが、フォークソングでもなく、クラシックでもなく、ROCKという1960年代に確立された新しい音楽スタイルの原点なのだ。
 
 つまり、そこには、戦後の大衆音楽が収斂していった 「テレビ」 というもののフレームを飛び出すという衝動が潜んでいる。
 多くのROCKミュージシャンが、テレビよりもライブを重要視してきたというのは、テレビ的なものに象徴される 「商業主義」 に対する反発だけではなかっただろう。
 テレビでは、大音量の音を、観客と気持ちよく共有するというROCKの 「快楽」 が制限されてしまうからだ。

 60年代のROCKというのは、まさに 「テレビ的な世界」 への決別としてスタートした。
 チャットモンチーにも、それを感じる。
 彼女たちの画像を見ていると、そのほとんどが、素っ気ないジーンズにTシャツという、およそ映像に訴えるものから限りなく遠ざかろうとしているのが分かる。
 代わりに、サウンドがある。
 
 洋楽とか、J ポップとかのジャンルを超え、和製ポップスとか、ニューミュージックなどという日本のポップスの歴史をも一気に飛び越え、ひたすら、ROCKが生まれた現場に飛び込んで、そのエッセンスだけをがっちりつかんだ女の子たち。
 彼女たちは、時空を超えて、ロックが誕生した現場からやってきた女神のようだ。

 ドラムスの子が抜け、それまでベースを弾いていた女性がドラムスを務めたといわれる最新作の 『満月に吠えろ』 なんて、もうドラムスとギターだけという、バンドを構成する最小単位になってしまっているというのに、ものすごく豊饒なサウンドを極めている。
 

 これぞ、まさに純度100%の “ピュアROCK” 。
 「何も足さない、何も引かない」
 ROCKのシングルモルトだ。
 
 フォーク・ロックとか、ブルース・ロックとか、サザン・ロックとか、グラム・ロックとか、ラテン・ロックとか、カントリー・ロックとか、パンク・ロックとか、プログレッシブ・ロックとか、… 要するに、「ロック」 という言葉の前に、何かの名前 (= 不純物) がつくことを拒否するロック。
 彼女たちがやろうとしているのは、そんなROCKなんだと思う。  

 それは、歌詞からも伝わってくる。
 情緒性が独り歩きするのを、かたくなに拒否している。
 それでいて、みずみずしい爽やかさが溢れている。
 
 メッセージは、ただひとつ。
 「この歌を止めるな」
 「転がる石になれ」
 考えてみれば、ROCKのメッセージというのは、それが伝われば、それだけでいいのだ。
 
  
 関連記事 「ロックって何よ?」
  
 参考記事 「ラフィンノーズという生き方」
 
  

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