ゴールデンカップスの栄光


 ちょっと前だったけど、GS (グループサウンズ) のタイガース復活コンサートのニュースが話題になっていた。
 最終公演には、13,000人のファンが日本武道館に詰めかけたという。
 観客の大半は、熟年オバサンだったらしいが、感極まって泣き出した人も大勢いたらしい。
 
 GS ……。
 私なんかは、まさに、そのGSブームの世代だけど、あまり “入れ込んだ” という記憶がない。
 
 個々のバンドには、それぞれの演奏能力の違いや、志向する楽曲の違いがあったのだろうが、早い話、みな似た感じに聞こえたのだ。
 ブルーコメッツの 『ブルー・シャトウ』 も、タイガースの 『モナリザの微笑』 も、ゴールデンカップスの 『長い髪の少女』 も、みな同じ曲に思えた。
 
 基本的には、歌謡曲。
 それの、 「少しビートがはっきりしたもの」 。 
 比較するのはおかしいけれど、ビートルズやアニマルズ、クリームやジミ・ヘンドリックスを聞いた後には聞けないと思った。

 ただ、ザ・ゴールデンカップスというバンドだけは、今でも気になるグループのひとつなのだ。
 それも、そうとう後になってのことである。

 カップスというバンドは、当時からGSの中では、かなり洋楽志向のグループといわれていた。
 横浜の米軍たちが、そのライブを熱狂的に支持したという伝説も伝わっていたし、実際、アルバムの中にも、ロックやR&Bのカバーを数多く取り入れていた。

 しかし、レコードを聞いたかぎりでは、オリジナルより到底まさっているとも思わなかった。
 GS全盛期においては、テレビの歌番組に登場するザ・ゴールデンカップスは、特別に好きというほどでもなかった。

▼ 若い頃のカップス 

 が、かなり後になって、彼らのライブを生取りしたというテープを聞いて、ちょっとぶっ飛んだ。
 それを聞いたのは、東京・新宿にあったロックバーだったが、そこの店主がカップスの “おっかけ” をやっていて、いろいろなコンサートに出向いては、その演奏を直撮りしてきたというのである。

 録音状態はあまりよくなかったが、それでも、スタジオ録音では伝わって来なかった 「スピリット」 のようなものが感じられた。
 ようやくカップスというバンドが、一貫して何を目指していたのかということを、遅まきながら知った。 
 
 そこで流れていたのは、全曲カバー。
 クリームやポールバターフィールド経由の黒人系スタンダードブルースもやっていたし、60年代当時の白人系ヒットポップスもやっていた。 

 これが凄いのである。
 オリジナルへの熱い想いが、オリジナルをしのぐような迫力をともなって吐き出されているのだ。
 実際、デイブ平尾は、 「自分たちのステージでは、GSのヒット曲はやらない」 と豪語していたという。
 それはそうだろう。
 洋楽のカバーでも、これほどオリジナルに迫るような演奏をしてしまえば、GS時代の日本語のヒット曲は、本人たちにとっても、むなしく聞こえてきてしまうに違いない。
 あらためて、彼らのライブを見逃していたことが悔やまれた。

▼ 再結成した後の2003年本牧ライブ

 デイブ平尾のヴォーカルは、声質としては、少しも黒っぽくない。
 しかし、ブルースやR&Bをやらせると、すっごくうまく、その雰囲気をとらえる。
 これは、デイブ平尾のテクニックというよりも、バンドアンサンブルとしての計算のうまさから醸し出されてきたもののように思える。

 カップスというのは、リードヴォーカルの個性だけを “売り” にするバンドではなく、ギター、ベース、ドラムス、キーボード、ヴォーカルなどの総合力によって、あの高みにまで登りつめていったバンドだと思う。    

 だから、ライブでは人を “ノセる” 。
 実力のあるメンバーが、客席のレスポンスを受けて、さらに気分を高揚させ、それが沸点に到達したときに爆発する。
 そこには、スタジオ録音には収まり切らないエモーショナルなグルーブ感が生まれている。

 YOUTUBEで、彼らの 『WALKING BLUSE』 を見た時、本当にいいなぁ … と思った。
 デイブ平尾が亡くなる 5年ぐらい前の、2003年のライブである。

▼ The Golden Cups 「Walking Bluse」 from YOUTUBE

 このときのデイブがカッコいい。
 エディ藩の短いイントロに続き、ベースとリズムギターが小気味良いビートを刻み始めると、おもむろにデイブが、膝でリズムを取りながらステージ中央に進み出てくる。

 ステージ前方に出るまでは、ライトが逆光となり、顔がはっきりと見えない。
 足の運びが、ちょっと昔のゴジラ映画で、ゴジラが海を背にして上陸してくるときの雰囲気なのだ。
 それが神々しいくらいに輝いて見える。
 
 そして、あの歌い慣れた自信に裏打ちされた 『ウォーキン・ブルース』 の最初のフレーズが、憎いくらい “さりげなく” 口からほとばしり出る。
 会場全体が、一気にブルースの波動に包まれる。

▼ 歌うデイブ。後ろはマモル・マヌー

 デイブの歌は、けっしてブルース的なアクの強さを強調する唱法ではないのだけれど、
 「このカバーは、俺じゃなきゃこなせないぜ!」
 というくらいの不敵な自信がみなぎっていて、それがどっしりとした安定感をかもし出している。

 すっかり “おっちゃん” になったエディ藩 (上・左) の貫禄。
 白ひげがサマになるルイズルイス加部 (下) の渋さ。

 芸というのか、年季というのか、熟成というのか。
 「腰の座った音楽」 というのは、こういうものを言うのか … と思えるくらい円熟した演奏になっている。
 
▼ 加部 (左) とミッキー吉野
 
  
 カップスのことを思うとき、やっぱり 「横浜のバンド」 なのかなぁ … とか感じることがある。
 中華街から元町、あるいは本牧。
 昔のあの辺りは、異文化の混じり合う、一種の無国籍的な匂いの濃いエリアが続いていた。
 今風の言葉でいえば 「ボーダレス」 の匂いのする街。

 ちょっと前、テレビでジャッキー・ウーという役者さんが、自分の育った中華街のことを語っていたけれど、幼い頃には、ドイツ人の友だちがいて、日本人の友だちもいて、もちろん中国人がいて、アメリカ人もいて、… そんな異民族が寄り集う環境が当たり前のように存在していたという。
 
 ジャッキー・ウーは、そこに、「たまらなく安らぎを感じた」 とか。
 逆に、日本人なら日本人、中国人なら中国人という単一民族の集団の中に混じっていた方が緊張したとも。

 初期のカップスは、メンバー全員が 「ハーフ」 だという “触れ込み” で登場した。
 
 デイブ平尾なんかは生粋の日本人であったけれど、 「俺たちはハーフだ」 と名乗りたかったのも、まさに、「ボーダレスの環境から生まれた音楽」 というものを主張したかったんだろうと思う。
 
 彼らがデビューした時代、ハーフであるということは、まだ全面的に市民権を得ていたわけではなかった。
 一部のエキゾチックな顔立ちの芸能人を除けば、ハーフはまだヨソ者と疎んじられ、差別やイジメの対象とされたこともあった。
 「村八分」 のギタリスト山口冨士夫は、ハーフであったためにイジメに遭い、それが音楽へ逃げ込む理由になったと語っている。

 ゴールデンカップスのメンバーに、そのような悲壮感は感じられないけれど、やはり、
 「アイデンティティのないことを、逆にアイデンティティの拠り所とする」
 という心意気は伝わってくる。

 「若者の粋がり」 とばかりに片付けるわけにはいかない。
 当時は、 “バタ臭い” といった表現を使ったけれど、彼らの結束から生まれた演奏には、確かに、ボーダレスを志向する国境を超えた音色があるような気がする。
  
 

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ゴールデンカップスの栄光 への13件のコメント

  1. 旅人 より:

    ブログの下書きを少し書いたところで、町田さんのコレを読んで笑ってしまいました。
    ちょうど私も、ヨコハマの昔のことを書いていたからです。当然、本牧のことも書きましたし、
    あのお店、ゴールデンカップのこともね。
    あと、ケンタウロスや当時のディスコの想い出なんかも書いておりまして、ホント笑ってしまいました。シンクロニィシティ!
    ちなみに、先日のジュリー&タイガースの武道館ファイナルコンサートへは、うちの奥さんが行っておりました。ここも笑えます。
    うちはいまでも家族でカラオケに行きますが、私の〆の歌は、やはりカップスの「愛する君に」です。
    今度、ご一緒にどうです?

    • 町田 より:

      >旅人さん、ようこそ
      なるほど。期せずして、同じタイミングで似たようなテーマのブログを書いていたというわけですね。
      確かに、偶然とはいえ、何かテレパシーのようなものが飛び交ったのかもしれません。
      私は 「ゴールデカップ」 という店が伝説のライブハウスであった時代を知らないんですけど、そのあとは、確かにレストランになっていたように思います。
      一度だけ、そのへんの路上にクルマを止めて、中でピザを食べたことがあります。
      とてもおいしかったように記憶しています。
      私が自分のキャンピングカーを買ったお店のオーナーが、かつて横浜の遊び人だったらしく、よく 「ルイズルイス加部がどうした …」 とか、「ナポレオン党がどうした …」 とか語っていましたね。
      そんな話から、昔の横浜の雰囲気を教えてもらいました。
      はじめて自分のクルマで遊びにいったとき、まだ 「BUND HOTEL」 がありました。
      改装前の 「ニューグランドホテル」 に泊まって、あのバー… 「シーガーディアン」 だったかな … なんかで飲んでから、中華街の 「ウィンドジャマー」 なんかに遊びにいっていたけど、もうカップスのメンバーが遊んだ時代とは雰囲気が違っていたらしいですね。
      横浜 … なつかしいです。
       

  2. 通りすがりのカップス より:

    町田さま、はじめまして
    いつもたのしく読まさせていただいています。
    勢いがあって洞察力のある文章にただただ羨望してます。

    書かれている内容から少しだけ自分より年配の方と感じました。
    とてもキャンピングカーを持てる身ではありませんが、
    自動車業界の隅のほうの生業で暮らしています。

    好きなバンドのことを取り上げていただき、自然と指がコメントし始めました。
    ほんのお目汚しにお付き合いください。

    中学に入学したころGSに遭遇しました。
    GSブームの特異性は男女問わずにファンがついたことでしょう。
    今でも恥じ傾げなく声を大にして歌えたりする。
    (聞いているほうは恥ずかしいかも)

    とりわけ個性豊かなゴールデンカップスはワルの集まりみたいで熱中した。
    取り上げる曲もすばらしく他の追随を許さなかった。
    当時のステージではグループの持ち歌をやらずにカバー曲ばかりをやっていたので
    今、持ち歌を歌うことが新鮮だとデイブは語っていました。
    時を経て丸くなった不良少年たちが歌う「銀色のグラス」がかっこいい。
    そうしたファンの楽しみもデイブの逝去により適わなくなってしまったのが残念で
    す。

    ちょっと前にファンである若い映画監督が彼らのドキュメント「ONE MORE TIME」を撮っています。
    機会があれば是非見ていただきたい。損はないはずです。

    初めてなのに長々と失礼しました。

    • 町田 より:

      >通りすがりのカップスさん、ようこそ
      やはり、GSの中でも、ゴールデンカップスというグループは、ひときわインパクトの強い存在だったわけですね。「通りすがりのカップス」 さんのコメントからもそれが伝わってきます。
      何なんでしょう、それって … 。
       
      たぶん、彼らが現役時代から、「上を見ていた」 ということなのではないかと思っているんです。
      「上」 というのは、海外のアーティストたちの仕事ですよね。

      私の周りには、年齢を問わず、実は “カップス” ファンというのが、いまだに大勢います。もちろん、みんな個々にはつながりがなくて、それぞれお互いに会ったこともない人たちですが、共通しているのは、みな洋楽ファンだということなんですね。
      で、それぞれ、レッド・ツェッペリンの音とか、ポール・バターフィールドの音とかと比べて語っています。
      そういう音を出す海外の連中と遜色がない … 少なくとも、そのスピリットにおいては対等だということを口々に言っています。
      たぶん、そこがツボなんだろうな … とか思っています。

      だから、この 「Waking Bluse」 なんかも、グループ結成から30年も経っているというのに、少しも衰えが感じられない。それは、結成当時から、“こういう音を目指していた” という骨の部分が固まっているからだという気もします。

      「ONE MORE TIME」 という映画のことも、そういう人たちの話題によくのぼります。
      だから、ほんとうに観てみたいんですよ!
      「通りすがりのカップス」 さんも薦めていらっしゃるようで。これはぜひとも逃せないな … と思いました。

      「銀色のグラス」 … いいですね!
      私も好きな曲です。
      あと、「にがい涙」 とか、「過ぎ去りし恋」 なんていう曲も大好きでした。
      ともに、エディ藩が作曲していて、けっこうソウル・ミュージックっぽいノリがあるんですよね。
      ああいう雰囲気は、当時GSの中でも、カップスだけが持っていたもののように思います。

      コメントありがとうございました。また、お立ち寄りください。
       

  3. 以前北海道でキャンプご一緒した夫婦 より:

    キャンカーショウでは、ご挨拶だけで失礼しました

    ちょっと遅くなったコメントで申し訳ございません

    グループサウンズ、私の青春そのものでした
    先日のタイガースコンサートも必死にチケットを取り、主人やお友達と行ってきました
    もちろん涙もこぼし、大声で名前をさけび、曲にあわせて踊りまくりました(さすがに足腰が痛くなりましたが…)
    でも実はあの時代は、あまりタイガースのファンではなかったのです
    次から次へといろんなグループが出て来てましたから
    学校に始末書を書かされたり、親が呼び出しをうけたりといろいろありましたが、
    それでも必死に追っかけをしていたものです

    主人はあの頃はメンバーと同年代という立場で聞いていたそうです

    近年はワイルドワンズが武道館コンサートをしたりして、同じ曲を楽しめるという共通点?!が出来て夫婦でコンサートへ行く機会が増えました

    コメントになっていないですが、町田さんの知らない?私達夫婦の一面をお話してみました(笑)

    • 町田 より:

      >以前北海道でキャンプをご一緒した夫婦 さんへ、ようこそ

      コメントへの返信が遅くなりまして、申し訳ございませんでした。
      ご無沙汰しております。お元気そうでなによりです。

      タイガースのコンサートは、あちこちで反響を呼んだようですね。知人からも 「感激ひとしお」 という話をいくつか聞きました。

      私も昔、タイガースをテレビではじめて見たとき、「カッコいいバンドが日本にも現れたな!」 としみじみ感じたことがあります。
      まだ、デビューシングルの 『僕のマリー』 が出る前で、彼らはローリング・ストーンズの 『タイムイズ・オン・マイ・サイド』 を歌っておりました。膝にシンバルを打ち付けてリズムをとるジュリーが素敵でした。

      あれから、40年以上経つわけですが、GSが日本の音楽シーンを変えたことは確かですね。
      熟年が集まるカラオケの場では、僕らと同じぐらいの年の男女が、やはりみな楽しそうにGSの歌を唄っています。
      僕らの世代から、小学唱歌の代わりをGSが務めたのかな … と思うこともあります。
      コメントありがとうございました。
       

  4. frictionreck より:

     ここ毎日こちらを拝見させてもらい、気分もリフレッシュしております。ありがとうございます。
     日本語にこだわり、ほとんど洋楽をきかない私ですが、洋楽をメインでニューウェイブ以前にウェイトがある町田様に 共感することが多く、びっくりしています。
     「カップス」のGS曲は大好きです。GSも本物と言われたバンドのみ興味があり、情報だけはもっています。亡き黒澤進GS研究家のご尽力による世代(私のようなタイプがすこしだけいるかもしれません)で「カルトGS」も私の範疇です(おそらく町田様は聞かれていないですよね 、例えば 「ザ・ガリバーズ」♪赤毛のマリー 「ムスタングス」♪ケルビンロック 「ザレンジャーズ」♪赤く赤くハートが ぜひ聞かれた感想お聞きしたいです)
     http://www.youtube.com/watch?v=8Kv-QVGC1Zg
     http://www.youtube.com/watch?v=YBokT3WnG8A
     http://www.youtube.com/watch?v=m2D-KALaosY
     やけくそ具合、歌いたくないけど、真剣にアレンジをして演奏している気持ちが伝わってきます。きっと「ビートルズ」をめざしたはずです。このパッションは ロック と思います(笑) なんか変(違和感でなく変としか言いようがない )だけど、(私には)病みつきになる。

     http://www.youtube.com/watch?v=2l7wWcttcqg&feature=related
     これは、脱線。まったく話題ならなかったらしい 「はっぴえんど」以前に日本語がロックに泳ぐ!! 日本のパンクバンド「ブルーハ―ツ」も活動から20年前にこの方にすでに負けていた と思いました。
     http://www.youtube.com/watch?v=9RkdcgqF-00&feature=related
     「ザ・ダイナマイツ」 みたいですよね かっこよくきこえるんですけど…。
     埋もれたまま、取り上げられるだけ凄いと思います、この方々も。
      
     「カップス」のカバーの完成度の高さについては知りませんでした、こちらで詳しくわかりました。
     
      「カップス」については、以下にブログをご覧ください!!
      http://blogs.yahoo.co.jp/frictionreck/9989629.html
      元「BOOWY」の氷室京介曰く「歌謡曲やらないと日本では売れないんだよ」と。

     では、では。

     

     

    • 町田 より:

      >frictionreck さん、ようこそ
      ザ・ガリバーズの 『赤毛のマリー』、ムスタングスの『ケルビン・ロック』、ザ・レンジャーズ 『赤く赤くハートが』 など、みなはじめて聞きました。
      いずれも、1960年代の末期の頃の曲ですよね。
      自分には時間もたっぷりあって、四六時中ラジオの前にかじりついていた時代なんですが、不思議だなぁ …。聞いていない。何をしていたんでしょうね (笑)。

      でも、面白いですねぇ! しばしの間、過去とも “近未来” もいえないような不思議な時間をトリップしました。
      『赤毛のマリー』 など、橋本淳と筒美京平の “黄金コンビ” なんですね!
      だから、楽曲としては、とにかくこの時代のGSの “王道” を行ってますね。
      なぜヒットしなかったのかなぁ …。

      『ゲルピン・ロック』 は初期のスパイダースを思い出しました。これは、『フリフリ』 ですね。この感じ、当時はとっても 「だっせぇ~」 とバカにしていたのですが、ある日突然気がついた。『フリフリ』は、ザ・ローリング・ストーンズのデビューアルバムに横溢していたアメリカ経由のブリティッシュR&Bだったんですよね。
      そっちの方は、好感持って聞いていたのに、そのテイストを忠実に再現していたスパイダースの方はバカにしていたなんて…。自分の中に隠れていた無意識の “差別意識” みたいなものに気がついて、愕然とした記憶があります。
      『ゲルピン・ロック』、これは初期ストーンズですね。

      『赤く赤くハートが』 も、60年代末期のB級リバプールサウンズの味わいがありますね。歌詞が日本語だから気づきにくいけれど、目指していたものがなんであったのか、ということは明瞭に伝わってきます。
      でも、確かに >> 「なんか変」 という奇妙なパッションは感じますね。そこに >> 「病みつきになる」 というfrictionreck さんの気持ちもよく分かります。

      『ハートを狙い撃ち』 の有馬竜之介さん、まったく存じ上げませんでした。
      なんだろうね、この “やけっぱち” 的なパッション。
      なるほど。>>「ブルーハーツも20年前のこの方に負けていた」 か。そんな感じもしますね。だって、「有馬竜之介」 なんて、昔の剣豪漫画の主人公みたいな名前で平気で出てきちゃう人。大真面目にギャグをやっていたしか思えない。すごい人ですね。

      『ドッキング・ダンス』 のサトー・ノトさんも、私は “初体験” です。
      確かに、音は 「ザ・ダイナマイツ」 みたい。
      本気でダンス・ナンバーを目指していたのでしょうね。だって、歌詞にはほとんど気を払っていない。ドッキンドッキンと叫んでいるだけ。
      その分、ブルースコードの展開を忠実に守って、音にけっこう気を使っている。
      オルガンをリズム・セクションとして使っているところなんか、昔のディスコ (当時ゴーゴークラブなんて言い方をしていましたけれど) …のフィリッピンバンドみたいなノリを大事している感じです。

      いやぁ、楽しめました。
      面白い世界です。

      で、カップスの記事拝読。
      >>「洋楽テイストに、隠し味としての歌謡曲。多少の湿り気が (当時の) 売れる条件」。
      鋭い分析だと拝聴しました。筒美京平なんかもこの路線ですね。
      でも、自分の好みでいうと、筒美京平の失敗作 (つまりあまりにも洋楽寄りになってしまったもの … たとえば平山三紀の 『愛の戯れ』 みたいな曲) がやっぱり好きですね。あれは日本の “フィラデルフィア・ソウル” だと思っています。

      いろいろな音楽情報、ありがとうございました。

    • frictionreck より:

       実は、以前 自分に疑問があり、私が感じる「変さ(♫赤く赤くハートが♫)」は私特有のものなのか知りたくて、ブログを通じて知り合ったある方に、この辺のバンドをリアルタイムで聞いた方に感想を求めてみました。それが下のブログです。
       今聞くから、また、私のような感覚の人間がきくから紹介した曲を「変」と感じるのか知りたくて(笑)

       http://blogs.yahoo.co.jp/frictionreck/5481301.html

       時代の中にいると気付かず、そこから時間の経過の中で、(我々の)感覚が無自覚レベルで変わってしまうために「変」としか言い様がない、「変」に変化する。磨きがかかってしまい「変」になるとゆうことなのでしょうか ? 

       今回の町田さんの感想・意見はありがたいものです。客観的な意見がききたかったもので。
       合わせて早川義夫の「ザ・ジャックス」はどうでした?
       一応代表曲をUPしてみます。ご存知で(リアルタイムで)聞いておられたらいいのですが。 
       http://www.youtube.com/watch?v=C1bV5Tch2bI
       http://www.youtube.com/watch?v=K-jEx_stolU&feature=related
        鳥肌が立つ 「ロック」の体現 あらゆる意味で。ロックの可能性、表現の自由度
      未完の可能性、このバンドはどこにたどりつくのかとゆう不安が残る。
       http://www.youtube.com/watch?v=5NorSloo0sw&feature=related
        1960年代の若者の苦悩を代弁しているようで切なくなる。
       http://www.youtube.com/watch?v=Qj-yjylmmCc&feature=related
        ヤング720の音源とのこと。見たことないですか?
        ♫ロールオーバー由良の助♫ は 浜口くらのすけをキーにメジャー対するイロニー的な表現とのこと。「はっぴえんど」このバンドをムダを削ぎ落としたイメージがあります。
       ここまで書きながら、ご存知だったらご無礼ですが、お許し下さい。
       
       前回のバンドについてこぼれ話。
       「ザ・レンジャーズ」のギターはかなり本物。25年前GS研究家黒沢さんのインタビューを受け、ボーカルについて、あの唱法は本人のオリジナルで、プロデューサーの指導によるものではないそうです。もしかしたら、その頃(25年前)はどこかで歌を続けていたかもしれません。 今もどこかで、生でみたい。きっと感動するだろう。 初めて聞いた時の驚きは忘れられない。
       映画から
        http://www.youtube.com/watch?v=hPEiYAeyRE0&feature=related
        残念 ♫赤く赤く♫の映像がななくなってました。 

       「ムスタングス」は3年前にどこかのライブハウスで再結成してオリジナルメンバーの3名で♫ケルピン・ロック♫をプレイしたとのこと。テレビで見たいけど、誰も知らないので。取り上げてもらえない、悲しいかぎり。
       
       「ザガリバーズ」はマネージャー時代の宇崎竜童さんの関わったバンド。とにかく生き方がパンクで「したたかに生きる」と云う意味でも宇崎さん自身も大変勉強になったとのこと(具体的には生活の苦しいいバンドマンの生きる道とは?をイメージして頂ければ)。

       いろいろと的確にご返答いただきありがとうございます。
       

  5. frictionreck より:

     カルトgs から 「里美洋と一番星」を触れるのを忘れていました。
     演歌とプログレロックの融合した新しいサウンドを クリエイトしていたのだけれど、あまり知られていないみたいで、一応ナベプロの演歌プログレバンド。 メンバーはいたって真剣。昨年なんとCD化(奇跡の再発!!)。関係メンバーは、喜んでいたとのこと。
     「里美洋と一番星」から発展的に より演歌とロックの融合した新しいサウンド を目指したバンドを結成したが(「ブルー・ジャッカス」)、活動はナベプロが引いてしまいそのまま自然消滅したとのこと。恐らくあの「キャロル」などが出た頃だそうです? 
     古賀義弥さんは音楽活動は 今も作曲演奏などされる。
     自分はこのバンドの曲をきいても洋楽を知らないので、自分にはわからないけれど もしや 町田様にはわかるかと思い、紹介します。音がよくないかも。
     
     http://www.youtube.com/watch?v=Mv2OZ7u3Aac&feature=relmfu
     http://www.youtube.com/watch?v=r5C5PEbMzQg&feature=relmfu

     もし知らなければ、このバンド情報はこちらをご覧ください。
     
     http://blogs.yahoo.co.jp/frictionreck/8276893.html

     ではでは。

    • 町田 より:

      >frictionreck さん、ようこそ
      びっくりしました。
      こういうバンド、こういう曲があったなんて。
      これ、今なら “キワモノ路線” という感じでしっかりとファンをつかむのでしょうけれど、当時の一般大衆からはあまり理解されなかったでしょうね。
      でも、面白かったです。
      おっしゃるように演奏もしっかりしていますね。

      >> 「スペンサー・ディヴィス・グループの 『ギミ・サム・ラヴィン』 のようなアップテンポのアレンジで…」
      というのは、かなりマニアックな洋楽ファンの感じ方かもしれませんね。
      『ギミ・サム・ラヴィン』 は、後にトラフィックを率いて、クラプトンらと 「ブランドフェイス」 を組んだスティーブ・ウィンウッドが作った曲です。白人によるR&B。
      そういう嗜好を持った人たちが歌謡曲をやると、どうなるか。
      これはとても意欲的な試みで、かつ高度な出来栄えといったらいいのかもしれません。
       

  6. frictionreck より:

     次回は、今も 現役、演歌ロックグループ「ニックニューサ」を紹介したいです。
     ではでは。

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