『ラーメンと愛国』

 2011年の秋ごろから、さまざまなメディアの書評欄で取り上げられて評判のよかった 『ラーメンと愛国』 (速水健朗・著 講談社現代新書) 。
 
 買ってからしばらく読むヒマがなかったけれど、ようやく読了した。


 
 評判がいいわけである。
 無類に面白いのだ。

 著者の問題意識は、次のようなものだ。
 
 「ラーメンほど激しく変化する食べ物は珍しい。ナルトやほうれん草が、海苔と煮玉子になったという具材の変化だけではない。しょうゆやみそ、塩が定番だった時代から、現在の主流はとんこつ魚介、しょうゆとんこつ、そしてつけ麺が定番となった。
 ラーメン屋の外装も変わった。
 赤字に白抜きでラーメンと書かれたノレンや、赤の雷紋の入った丼は消えた。現在のラーメンのイメージカラーは、赤ではなく黒や紺だろう。
 看板のメニューの文字は手書きで書き殴った感じ。これと同様に、店主・店員の格好も変わる。白いコックスーツは皆無。作務衣 (さむえ) または、漢字で何やら書かれた紺や黒のTシャツ、頭にはバンダナかタオルを巻いている。
 そして店内の壁には、説教くさい手書きの人生訓が掛けられているようなラーメン屋が主流になった。
 戦後の日本の社会の変化を捉えるのに、ラーメンほどふさわしい材料はない。ラーメンの変化は、時代の変化に沿ったものである。果たして、ラーメンとは日本人にとって何なのか?」
 (※ まえがきより、その一部を抜粋)

 このまえがきの文章に興味を感じた人ならば、まず読んでみてがっかりすることはないはずだ。
 ただし、単なるラーメンの “うんちく本” ではない。
 本書の帯に書かれた説明文によると、
 「ラーメンから現代史を読み解くスリリングな試み!」
 とある。

 そうなのだ。
 これは “現代史 (戦後史) ” の本なのである。
 著者がまえがきでも書いているとおり、この本は、「ラーメンの歴史そのものに何か新しい項目を付け加えたりする性格のものでもないし、美味しいラーメン屋の情報などを書いたものでもない」 。
 
 そうではなく、戦後に生まれたラーメンという “国民食” を通じて、「戦後日本のメディア史、経済史、社会史」 を解析しようとした本なのである。

 鮮やかなのは、その卓越したまとめ方。
 あくまでも 「ラーメンを軸とする」 という “しばり” があったためか、よけいなことが書かれていない。
 いや、ある意味では “よけいな話” ばかりなのだけれど、それが簡潔明瞭に手際よくまとめられていて、日本の現代史をコンパクトにまとめた手引書のようなものになっている。
 と、同時に、簡単ながら現代思想史を概観する試みもなされている。
 
 言ってしまえば、現代史の “あんちょこ” (自習参考書) なのである。
 しかし、あんちょこではあっても、安直ではない。
 現代史のどういう部分が、ラーメンの変遷につながったのか。
 そこに至る考察において、データの取捨選択がうまい。 
 ジャーナリストとしての、センスの良さをそこに感じることができる。

 もちろん、つい筆がすべってしまったのか、無理やりラーメンに結びつけてしまったような情報も多々ある。情報の面白さに引きずられて、強引なこじつけになっているところも散見される。
 それでも、それぞれが独立した情報価値を持っているため、読んでいて 「利口になった」 気分になる。そして、その概略を記憶にとどめるだけで、現代社会の構造がくっきりと浮かび上がってくる。
  
 本書は、まずラーメンが日本人にとってポピュラーな食べ物になった理由を、戦後のアメリカが生産過剰になった小麦の出荷先として日本を選んだというところから解きほぐす。
 それまでの日本人にとって、主食はあくまでも米であって、それが食生活そのものを規定してきただけでなく、日本経済の根幹をなし、日本文化の源流であったことを、著者は柳田国男や折口信夫の民俗学などから説明する。

 しかし、日本に大量の小麦を消費させようというアメリカの国策を受け入れることによって、パン食をはじめとする米以外の食料品が日本に普及し始める。
 それが、「スパゲティーナポリタン」 と 「ラーメン」 を好む文化を形成することにつながった。
 つまり、新しく戦後に生まれた日本文化を、「民主主義の導入」 などという政治の言葉ではなく、「ラーメンの普及」 として捉える視点が、はやくもここに開示される。

 さらに終戦直後、日本の経営者たちが、アメリカ式の大量生産方式を学ぶために、アメリカの統計学の専門家を招いて講演を聞いたときのエピソードも紹介される。
 そのとき、「大量生産」 の本質的な思想を知らなかった日本人経営者たちは、「なぜ日本がアメリカとの戦争で敗れたか」 という理由を、はじめて、まざまざと知ったというのである。

 個々の商品開発においては、日本製品 (特に兵器) に関する技術は、けっしてアメリカに劣ることもなく、むしろ、その巧緻さにおいては優れたものが多かった。
 しかし、そういう製品を大量につくって物流に乗せるという、生産技術に着目する思想が日本には欠けていた。
 戦後の日本は、その生産技術に磨きをかけて、「メイドイン・ジャパン」 のブランドを世界にとどろかすほど成長していくことになるのだが、著者は、その象徴的な例をラーメンに見る。

 ラーメンが日本の食文化にかくも大きな影響力を持つようになったのは、日清食品の創業者である安藤百福 (あんどう・ももふく) の功績である、と著者はいう。
 安藤百福は、戦後、闇市のラーメン屋の屋台に行列を作る日本人たちを眺め、「このラーメンを、工業製品として大量に作れば、膨大な利益を生むのではないか?」 と考えた。
 そのひらめきが、今や世界中のマーケットで旺盛に消費されている日本のインスタントラーメン、カップヌードルという商品の開発につながっていく。

 大量生産システムとラーメンの誕生。
 著者は、「チキンラーメン」 というインスタント食品を考えた安藤百福に、「T型フォード」 をつくりあげたヘンリー・フォードの像を重ね合わせる。

 そして、そのようなアメリカ式生産技術への開眼が、今日かくのごとき 「ラーメン大国」 に日本を押し上げていくわけだが、その展開は、確かに帯で謳うように 「スリリング!」 だ。

 そのほか、昔のアメリカンアニメの人気主人公であるポパイが、なぜホーレン草の缶詰を食べると強くなれるのか、とか、アメリカの 「ハーシー」 というチョコレートが、なぜ昔はまずかったのか、などという 「飲み屋で語れるうんちく話」 がてんこ盛りなのだが、それらの話は、ラーメンというテーマを抜きにしても面白い。

 「札幌ラーメン」 や 「博多とんこつラーメン」、さらに 「喜多方ラーメン」 のように、現在のラーメン文化を支える 「ご当地ラーメン」 の普及を、田中角栄という政治家の存在と結びつけたところは、なかでも本書の圧巻ともいうべき部分であろう。

 田中角栄は、道路行政に関わる政治家として活動を開始し、首相になってからは、全国に道路を通すことで産業を育て、地方に多くの雇用をつくり出し、戦後の地方の発展を目論んだ政治家であった。
 
 この “角栄パラダイム” に乗った新聞などのメディアは、「地方の時代」 というキャッチフレーズをさかんに使い、地方の特色を宣伝するキャンペーンを次々と張った。
 それが 「ラーメンが本格的に日本全国に普及し、ご当地ラーメンを生み出す種をまくことになった」 と著者はいう。

 1970年代に入り、地方の道路整備が進んだ結果、マイカーも普及。
 都市郊外には、自動車を交通手段として選んだ人たちに向けた大型スーパー、自動車メーカーの販売店、ファミリーレストランなどが次々と進出していくようになる。ラーメン屋の郊外進出も、このときから顕著になる。

 だが、商業圏が郊外に拡大していくことは、都市中心部にあった商店街の衰退をうながしただけでなく、郊外型商業圏の画一化、均一化もうながすことにもなった。
 特に、低成長時代に入り、各地方が、地元産業の衰退を 「観光業の振興」 でカバーしようとするようになると、ますます全国に似たような観光施設が林立し、「個性化」 を標榜すればするほど、没個性的な観光施設が蔓延していくことになる。

 「地方の個性化」 というテーマによって偽造された観光資源。
 筆者は、それと同じ構造を 「ご当地ラーメン」 の隆盛に見る。

 著者はいう。
 「ご当地ラーメンとは、実は、戦後の日本において、地方が個性を失い、固有の風土が消え去り、ファースト風土 (フード) 化するなかで、観光資源として新たに捏造 (ねつぞう) されていったものだ」

 多くのご当地ラーメンは、あたかも郷土料理と同じように、「伝統的な食材を使い、地元民の長年の工夫によって熟成し、そのノウハウが秘伝として語り継がれたラーメン」 という意匠を施している。
 しかし、それは、高度成長期を経て、日本の風景や文化風土が画一化されていったことをごまかすための、ニセの伝統フードであることを筆者は喝破する。

 だが、それはフェイク (偽物) としてのラーメン文化を否定することにはつながらない。
 むしろ、そこにラーメン産業に従事する人たちの 「物語の構築」 に対する努力と情熱を見る。

 「フェイクであろうが、捏造された伝統であろうが、そこに魅力的な物語があれば、人々は関心を抱く。
歴史とのつながりが一旦切り離されてしまった現代において、ラーメンが、再び魅力ある日本の歴史や伝統を呼び起こそうという意識の媒介者となっていることは否定できない」

 筆者のいわんとしていることは、そこに尽きる。

▼ 表紙に使われているイラスト

 最終章においては、まえがきで提出された、
 「なぜ、ラーメン店の看板や、食器や、店員たちの衣装は和風化していったのか」
 「なぜ、 “ラーメン道” のような精神的なものが尊重されるようになってきたのか」
 「なぜ、評判のいいラーメン屋の店主たちが、タレントのような人気を獲得することができたのか」

 それらの秘密が、「グローバリゼーション」 、「ナショナリズム」 などをキーワードに解析される。
 ここでは、著者の専門分野であるメディア論や社会学の手法を駆使した明快な分析がなされ、しかも現代ラーメンの誕生秘話が、うんちく話の体裁で展開される。

 自己啓発的なノウハウ本の隆盛とは逆に、「教養書」 と呼ばれる書物が衰退していったことは、さまざまな文化人の口から語られてきたことだが、どっこい、こういう形で、現代の 「教養書」 は、しっかりと生き抜いているのである。
 
 

カテゴリー: 映画&本   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">