ニッポンのジレンマ

 やっぱ、NHKって、面白いことやるな。
 Eテレだったけど、 『新世代が解く! ニッポンのジレンマ』 っていう討論番組を見ていて、けっこう刺激を受けた。


 
 20代~30代ぐらいの若い論客たちが 「格差」 や 「グローバリゼーション」 、「震災」 、 「増税」 、 「イノベーション」 、「子育て支援」 など、メディアが “社会問題” として取り上げる様々なタームを軸に、その問題点を語り合うという番組。
 
 一言で 「若い世代」 というけれど、もちろん専門分野も違えば、考えていることも違う。
 それなのに、話がどんどん前に、前に、と進んでいくのね。
 もちろん、何か決定的な結論が出るということではないのだけれど、問題意識を共有しあおうという連帯感みたいなものはヒシヒシと伝わってきた。
 
 表現はネガティブなニュアンスになることが多いのだけれど、気持ちはポジティブ。
 「今の日本をどうしなければならないのか」
 という問題を語るときのルールを共有し合おうという意識の強さにおいて、はっきり言って、上の世代は負けている。

 深夜の討論番組って、田原総一朗なんかが司会をやっているおじさんたちが集まる番組 (朝まで生テレビ) って、ときどき激しい罵り合いになることがある。
 昔、池田信夫と森永卓郎がそれぞれの自説を主張し合って、相手を罵倒する醜さを露呈していたけれど、今の若いディベーターたちってのは、そういうことの虚しさもはっきり分かっているようなのだ。

 「そういうのは、バトルを楽しむ視聴者だけを相手にした、ただの言論ショーだ」
 
 なんだか、言外に彼らがそう言っているように思えた。
 
 やっぱり、すでに “完成された” 自説をそれぞれ持ってしまったおじさん世代は、討論の相手を、「ただ撃破しなければならないライバル」 としか見ないんだね。
 だから、問題の視点が自説と離れてしまうと、それを取り繕うことしか考えない。

 それに対して、今回集まった人たちは、まず相手に 「しっかりと語らせる」 ところからスタートし、その後で、自説を建設的につなげていこうとしているように見えた。
 司会がうまかったのかもしれないけれどね。

 あまりにも、問題が多岐にわたっていたので、ここでその討議内容を具体的に記すのは難しいけれど、ひとつの方向性として打ち出されていたのは、日本がいま陥っている様々な政治・経済上の行き詰まりを、「政治家」 や 「企業」 のせいにしないということ。
 
 それは、ある意味で 「政治不信」 のような形を取るのだけれど、あらゆる問題が先延ばし状態になってしまうことを政治家たちの能力や誠意の問題に還元していない。
 そうではなく、「構造」 の問題として捉える。
 つまり、「今の政治家たちは、立場上ああいう形でしか仕事ができないんだから、自分たちで何とかしよう」 という、自分を行動主体とする地点から討議をスタートさせている。

 ちょっと、そこがおじさんコメンテーターの集まる討論会とは違うような気がした。
 
 おじさんたちは、必ず 「いまの政治家に求められるものは … 」 とか、「いまの企業に欠けているものは … 」 と、第三者的に分析したり、意見したりする。
 そして、物事に批判的なスタンスを保つことが、説得力を発揮することだと勘違いしている。

 若い人たちは、そこが違うんだなぁ、と思った。
 彼らは、ほとんど批判をしない。
 おそらく、「行動を伴わない批判」 など意味がないことを悟っているのだろう。
 
 だから、彼らは、必ず 「いま自分はこういう行動をとっている」 、「こういう活動をしている」 と、行動主体としての自分を軸に議論を展開する。
 そこから、彼らなりの覚悟というものが伝わってくる。
 
 番組の途中で、『武器としての決断思考』 を書いた瀧本哲史氏とか、 『絶望の国の幸福な若者たち』 を書いた古市憲寿氏なども紹介されていた。

 若手の論客といえば、東浩紀氏ぐらいしか知らなかったけれど、いつの間にか、いろんな人たちが新しい言論を展開しているんだなぁ、ということが分かった。
  
 
 参考記事 「絶望の国の幸福な若者たち」
 
 関連記事 「困ったおじさんは、なぜ生まれたのか?」
 

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ニッポンのジレンマ への2件のコメント

  1. よしひこ より:

    おじゃまします。
    「ニッポンのジレンマ」今年はご覧になりましたか。初回から早3年が過ぎて、元日の放送も4回目。討論参加者から、3年前の熱気が冷めた、という声もありました。

    新世代の討論番組として当初は自分も興味深く見ていましたけど、最近は確かに熱気が冷めたというか、いろいろな意見を出しつつもある程度の共通理解の基盤を作ろうという意欲が後退したような印象があります。討論のテーマ的には格差とか社会の「分断」も語られるわけですが、討論者のことでいえば、学者と起業家・実務家の間の「分断」というのもあって、なかなか溝が埋まらないというか。

    起業家が出てくるのは「ジレンマ」の特色でもありますが、とりあえずもう少し討論者の人数を絞った方が良いような気がします。あとやはり自分も学者よりも評論家の方が面白いと感じる人間なので(苦笑)、宇野常寛がまた出てきた方がいいなと。なぜか宇野ちゃん、今日のNHKの空き家問題番組に出ていたんですけどね。

    しかし天下国家を論じるというのは、完全に過去のものとなったという感じです。論じられるのは働き方とかコミュニティのあり方とか。結論的には自分のできることから始めようみたいな。もちろんそれが悪いわけじゃなくて、低成長成熟国の市民のテーマとしてはそうなるのかなと。

    • 町田 より:

      >よしひこ さん、ようこそ
      『ニッポンのジレンマ』は、今年は見逃しました。
      2年目ぐらいまでは欠かさず見ていましたが、よしひこさんがおっしゃるように、初回よりはパワーが落ちているのは確かに感じられました。

      また、ご指摘のとおり、学者系の人たちと、起業家・実務家系の人たちとの気持ちの乖離もはっきりしてきたように思いました。

      宇野常寛さんは、『AKB48白熱論争』などを読むかぎり、自分の主張を正当化するために例証に出す証言や引用があまりにも恣意的すぎて、「姑息なヤツだな」と思ったこともありましたが、センスはなかなかいいです。
      気に入らない人だけど、私もかなり注目しています。

      「天下国家」を論じることが過去のものとなった、というのは、何も『ニッポンのジレンマ』に限らず、今は普通の言論の場がそうなりつつありますね。やっぱり資本が国を越えて流動的になりつつあるグローバル経済の動きに呼応して、一国単位でモノを考えるのは、政治の場だけに限定されてきたからかもしれません。

      それと、若い人たちがコミュニティーの在り方を論じ始めてきたというのは、ネットが完全にコミュニケーションツールとして定着し、今や名前も知らずに会ったこともないような人々とも自在に交流できる時代が来たことを象徴しているのかもしれませんね。
      そういう時代になってくると、逆にリアル社会での人と人とのつながりにも敏感な人が出てくるのでしょう。
      だから若いネット言論人というのは、実際に会ったときは、ものすごく礼節をわきまえていたり、気配りが自然にできていたりと、驚くことがあります。
       

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