「絶望世代」 って何?

 
 2010年から2011年にかけて 『週刊朝日』 に連載されていた、おちまさと氏 (1965年生まれ) の 『逆転満塁サラリーマン』 という連載は面白かった。
 新しい発想というものが、案外ベーシックな基礎学習に支えられていることを教えたり、逆にルーティンな思考の中に眠っている可能性みたいなものを引き出したりという視点の設定がユニークだったのだ。
 
 そして、それらの発想が、おち氏の身体を通じて、つまり経験則に裏打ちされたものばかりだったということが、説得力を添える力となっていた。
 
 記憶に残るものとして、
 「企画は、記憶の複合に過ぎない。ある記憶と別の記憶がある日突然二つに合体したときに、(ひとつの) 企画が生まれる」
 … なんていうのは、「そのとおりだなぁ!」 と感心して、読みながらメモをとったことがある。

 以下、そのときメモったおち氏の文章を、ちょっとだけアレンジして引用してみる。

 「企画を立てるということは 『予言する』 ことに近い作業だ。そもそも 『企画』 とは何なのだろうか。私は、企画とは 『記憶の複合に過ぎない』 と思っている。見たことも聞いたこともないことを、神が降りたように語りだすことはできない。
 数年前に気になったこと、 一年前に面白いと思ったこと、一昨日覚えておこうと思ったこと、そして今思いついたこと、それらの記憶がひとつになったものが 『企画』 なのである。
 人間は、自分の記憶が二つ以上複合したときに 『ハッと』 し、『閃いた!』 と思うのだ。
 重要なのは、『二つ以上の記憶』 であるということ。一つの記憶だと、それはひらめきとはいえず、単なる思い出に過ぎない。
 また、企画とはパズルのようなもので、その記憶のピースを日常どれだけ集めることができるかが重要。そのピースが人とは違う場所や視点で集められれば、当然、他人とは違うパズルができあがる。
 企画とは生理現象に近いもので、出そうとしたから出るものではない。ふとしたきっかけで記憶は複合する。
 (だから) ペンを捨てて街に出た方がいい。好きなスポーツやドライブなどに集中することによって、脳の片隅で企画の宿題は密かに進行している」
 『逆転満塁サラリーマン 11 』 (週刊朝日 2010 9/24号)

 この文章は、なかなか面白いと思ったので、その後自分の文章を書くときのヒントにさせてもらった。
 
 ところが、この連載をまとめたという本ができあがり、おち氏自身が、 『週刊朝日』 に 「逆転満塁サラリーマン特別延長線」 という原稿を書いて自著のPRに務めている記事を読んで、う~ん … と考えこんでしまった。
 
 タイトルは、
 『絶望世代に告ぐ』
 だという。


 
 絶望世代?
 何だよ? それ。
 
 作者の造語らしい。
 いわく、
 「 (現代の日本には) 少子高齢化、年金問題、一千兆円を突破する見通しの国の借金、経済危機、長引く円高、金融不安、東日本大震災、福島原発による放射能物質汚染 (などの問題が山積し) 、これから未来を切り開こうとしている若者たちにとって、何一つ光明が見えない。私は、そんな現代に生きる (若い) 日本人を 『絶望世代』 と名付けた」
 
 … のだそうだけど、若者たちは本当に絶望しているのか?
 
 絶望とは、かつて持っていた希望が絶たれることをいう。
 生まれ落ちた頃から様々な苦境にさらされていた若い世代にとっては、「希望」 も 「絶望」 もなく、これが “当たり前の世界である” というところから出発している。
 そこから逆に、上の世代とは異なる、彼ら独自の世界観を見つけようとしている。
 
 「絶望」 を味わっているのは、むしろその上の世代なのだ。
 高度成長期を生きた団塊の世代、そしてバブル景気を謳歌したバブル世代。
 それらの人たちが 「希望が絶たれた」 という認識をベースにしているから、今は 「絶望」 の時代だという嘆息がこぼれ出る。そして、現代の若者たちが 「絶望世代」 に見えてくる。

 しかし、一言に 「若者」 といっても、それぞれ趣味嗜好も、思想も、経済感覚もさまざまだ。
 いわば、世代論の中で、もっとも型にはめにくいのが 「若者」 なのだ。
 
 逆に、「団塊世代」 や 「バブル世代」 というのは、個々のキャラクターにはそれぞれ大きな違いがあったにせよ、ある程度共通してくくれる “何か” ができあがっている。
 一定の年齢に達し、彼らが生きてきた軌跡というものがだいたいつかめるようになったので、およその 「傾向」 も割り出せる。
 
 それに対して、思春期から二十歳ぐらいの若者というのは、世代論では語れない。
 彼らが今後どういう色に染まっていくかは、誰にも決めつけることができない。
 そもそも、「世代論」 という分析方法が、基本的に結果論にすぎないのだ。
 
 「絶望世代」 というネーミングは、まずそこのところで失敗している。
 
 しかし、おち氏は、今回出版する自著のターゲットとなるその 「絶望世代」 に向けて、こういう。
 
 「絶望を嘆いているだけでは仕方がない。ここからはサバイバル力をつけ、とにかく生き抜いていかなければならない。
 どんな荒波が押し寄せる時代でも、必ず 『抜け道』 はあるものだ。本書を駆使し、混沌とした世界からぜひ抜け駆けしていただきたい。
 抜け駆け上等。
 もはや個人個人が生き抜いていくしかない。いち早くパラダイムシフトに気づき、変化を恐れず、一人ひとりが進化していけ。躊躇している場合ではない。それしか、絶望世代からは抜けられない」
 
 なんと懐かしい … 昔、俺たちの世代がさんざん発していたメッセージ。
 そして、勝間和代的な “勝ち組必勝法” として受け継がれ、多くの自己啓発書にもつながっていくメッセージ。
 
 つぅーか、ペリーの黒船がやってきて、
 「さぁ大変だ、日本も急いで近代化を遂げなけれれば!」 とあわてふためいた時代から少しも変わっていないメッセージ。
 
 こういう形で競争を煽る。
 当然、「勝ち組」 と 「負け組」 に分かれる。
 当たり前である。
 「負け組」 が存在するから、「勝ち組」 が成立するのだから。
 
 そして、負け組はさまざまな形で現代資本主義のシステムから排除されるから、そのケアだけでも国家的にものすごいコストがかかる。
 そして、そのケアのコストがついに負担しきれなくなり、破綻しかかっているところに、現代日本を覆う様々な危機が口を開けたのだ。
 
 この本は要するに、そのような “危機を煽る” 形で 「若者よ、やる気を出せ」 というモチベーションを高めようとする本なんだろうけれど、現状の産業構造に依拠した形のモチベーションそのものをもう一度疑ってもよかったんではないか?
 
 少なくとも、『週刊朝日』 に連載されていた 『逆転満塁ホームラン』 には、世の常識をあっけらかんと覆す新鮮な視点がいっぱい提示されていたのである。
 その内容が、ある程度そのままの形で収録されているとしたら、これは名著である。
 
 ただし、書籍化したときに、タイトルの付け方と、読者ターゲットを間違えた。
 
 だって、この本の母胎となった 『逆転満塁ホームラン』 は、それこそ今の若者たちをうっかり 「絶望世代」 と名づけてしまうような (笑) 、われわれ熟年の思考停止をぶち破ってくれるような連載コラムだったのだから。
 
 これから買って読んでみて、以上の想像が無責任な誹謗中傷にすぎないことが分かったときには、改めてこのブログに訂正して報告する。
  
 
 参考記事 「ニッポンのジレンマ」
 
 参考記事 「絶望の国の幸福な若者たち」
   

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「絶望世代」 って何? への2件のコメント

  1. スパンキー より:

    企画の話は、的を射ているような気がします。私も、とりあえずそんな仕事をしているので、
    経験上そんな気がします。

    で、町田さんの話は、この本のタイトルが気にいらないね、ということで世代論に移ってくる。ここが町田さんの話の面白いところです。
    (最近は、この辺の怒りが結構暴走していて、面白く読ませて頂いております!)

    確かに、つまんない自己啓発書はズラリとあって、おちさんもその仲間かい?という突っ込みは入れたくなりますね?私も同感。

    いまの若者は絶望世代ではない、というのは、私も何かのアンケートのレポートで読みまして、例えば、満足はしているが幸せはあまり感じない、というような意識結果が書かれておりました。そうかもね。

    確かに、絶望しているのはまさにバブル世代なのかも知れません。私もそんな世代ですが、何故かその頃、私だけ不思議に貧乏でしたので、いまでも絶望はしていませんが(笑)

    強いて挙げれば、絶望世代ではなく、いま、ゼツボー的な時代、なんだとは思いますが、その辺り、町田さんの意見をお聞かせ頂きたい。

    そのように思っております。

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      そうですね。
      この本で、「… 世代」 といっているのは、今の若者たちに限定しているわけではなく、広く、 “絶望している人たち“ という意味で 「時代」 という言葉と同じように使われているような気がします。
       
      まぁ、「みんな絶望するのはまだ早いぜ」 ということを訴える本なんでしょうけれど、やっぱり、「自分だけ抜け駆けすればいい」 という発想が根底にあるかぎり、今までの “サクセス本” とあまり変わらないように考えたわけです。

      やはり、みんなが同じように幸せにならなければいけない … と思うのですけど、その幸福の形はみんな違うわけで、同じ形の 「幸せ」 しかイメージできないのであれば、それは発想が貧困なのかな … と。

      いずれにせよ、未読の本をあれこれ想像しても、作者に対して失礼ですよね。
      それも分かりつつ、週刊誌に書かれていた著者の言葉尻を捉えてしまったわけですけど、真摯な感想文は、また日を改めてと思っている次第です。

      確かに、スパンキーさんのおっしゃるように、つまんない自己啓発書がズラリと並んでいる書店の本棚を見るのは苦痛ですね。

      そういう時代であるということが、なんだか 「絶望的」 という気がしないでもありません。
       

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