バルチック艦隊の悲劇

 
 年末の楽しみは、NHKドラマの 『坂の上の雲』 。
 スタートしてから、いつの間にか、もう3年になる。

 3年前も、このドラマをテーマにブログ記事を書いたことがある。
 それは、ドラマが始まる前だったので、司馬遼太郎のこの原作は、たぶんドラマ化するのは無理だろうという懐疑的な意見を綴ったものだった。

 しかし、見ているかぎり、その心配は消えた。
 極彩色の絵巻物を見るような派手さをもった、なんとも豪華なドラマになっていた。

 ただ、原作にあった “豊かな情報” は、やはりテレビ化するにあたって削られている。
 それはしょうがないのだろうけれど、やはり一言だけ書いておきたい。

 それは、バルチック艦隊が、日本にまでたどり着くまでの話なのだ。
 これなど、「本編には関係ない退屈な話だ」 と語る人もいるらしいが、私などは一番興味深く読んだエピソードだ。

 実は、司馬さんの原作を読んでいて、いちばん印象に残ったのが、このバルチック艦隊の悲劇を、ロシア側から書いた部分であった。

 以下、以前書いたものを、そのままそっくり下記に再現する。
 
……………………………………………………………………
  
 『坂の上の雲』 を単なる戦記モノとして読むならば、バルチック艦隊というのは、日本海軍のただの “かたき役” でしかない。
 しかし、彼らがどのような労苦を払って日本海までたどり着いたか … ということに着目するならば、涙なくしては読めないような話なのだ。たぶん、それだけで独立した小説ができあがるはずだ。
 
 現に、司馬氏はこの艦隊が出航してから海戦に至るまでの叙述で、文庫本 8巻のうちのほぼ 1巻分ぐらいのボリュームを割いている。それ以上かもしれない。
 
 満州の陸戦で苦戦を強いられていたロシア政府は、その難局を打開するために、ヨーロッパ方面の有事に備えて温存していたバルチック艦隊を、ついに極東の戦線に派遣することを決定した。
 


▲ 洋上のバルチック艦隊 粗悪な石炭しか積めなかったので、吐き出す黒煙の量が多い
 
 これが、どのような難事であったかは、その遠大な航路がそれを物語っている。
 バルト海から大西洋に出て、アフリカ西岸を南下し、インド洋をまたぎ、そして東シナ海から日本海へと進む航路を、艦隊としての秩序を保ちながら完遂したというだけで壮挙だ。
 スエズ運河を渡れば、まだいくらかの航路の短縮は図れただろう。
 
 しかし、当時のスエズは日本と同盟していたイギリスが支配していたことと、石炭を満載したために喫水線が下がってしまうことを理由に、彼らはアフリカ南端の喜望峰を越えなければならなかった。
 
 北国で生を受けたロシア人たちは、アフリカの西岸を南下するときに、まず南国の暑さと湿気に悩まされた。
 熱気のこもる船内で寝ることは不可能になり、士官も兵卒も、上半身裸になったまま甲板にごろ寝するのだが、そのようなだらしなさが日常化することによって、士気もどんどん低下していく。
 
 続いて、船を動かすための石炭の確保に苦しむ。
 日本を支援するイギリスは、石炭を供給できるような自国の港をけっしてロシア艦隊に開放することはなかった。
 のみならず、フランスにプレッシャーをかけて、ロシアの同盟国であるフランス領の港においても、ロシア艦隊への石炭供給を断るように働きかけた。
 
 頼みの綱であったロシアの軍事力が、日本軍によって削ぎ落とされていく現状を冷静に分析したフランスは、打算的な政治力を発揮し、イギリスの機嫌を損ねないように、ロシアに冷たく当たるようになる。
 ロシア艦隊が寄港できる港は、フランス領内であっても環境の劣悪な港しかなく、石炭を仕入れる港はさらに限定されていく。
 
 だから、石炭が供給される港に入ったときは、あらんかぎりの石炭を積み込むことになり、そのため船員たちの居住スペースは狭められ、船の重量も重くなり、航行速度はさらに減少する。
 しかも、石炭を詰め込むという重労働が、長旅に疲れた船員たちの疲労度をさらに増すことになる。
 

▲ 喜望峰
 
 彼らは、青息吐息でようやく喜望峰を回るのだが、そこで待っていたのは、大航海時代の船乗りたちを悩ませた、想像を絶するような大暴風。
 船よりも高い大波が艦尾を襲い、その次には、船そのものが波の頂点に押し上げられ、眼下に、今にも波に呑み込まれそうな僚船の姿を見下ろすことになる。
 船員たちは、生きた心地がしなかったろう。
 
 ようやくたどり着いたマダガスカル島で、彼らは、旅順港と旅順の要塞が、日本軍の手に落ちたという悲報を受け取る。
 バルチック艦隊の東征の目的は、旅順港に寄港している旅順艦隊と合流して、圧倒的な海軍力で日本軍にプレッシャーをかけることにあったから、航海の半ばで、その目的も潰える。
 しかも、彼らにとって難攻不落に思えた旅順要塞が陥落したことで、日本の軍事力への過大評価が、幻影となって彼らの神経を蝕み始める。
 
 以降、水平線の彼方に昇る煙を見ただけで、彼らは 「日本の巡洋艦隊の出撃か?」 と恐れおののき、それが無用の緊張となって、兵士たちの睡眠を妨げるようになる。


▲ バルチック艦隊の戦艦
 
 艦隊をワンセットしか持たない日本海軍が、わざわざインド洋まで兵力を割くなどということはありえないのだが、疑心暗鬼に駆られたロシア海軍は、幻の日本海軍に悩まされながら、航海を続けなければならなくなる。
 発狂して海に飛び込む兵士も続出し、軍としての統制力もどんどん弛緩していく。
 
 このような難行苦行の航海を続けたバルチック艦隊を待っていたのが、あの日本海海戦の悲惨な結末なのだから、これはもう涙なくしては読めない話だ。
 
 『坂の上の雲』 という小説は、そのような “敵国” ロシアの兵士たちが立たされた苦境をも公平な視線で描ききった小説である。
 
 この物語を読むと、日露戦争の勝利が、けっして日本軍の “優秀さ” によってもたらされたものでないことが分かる。
 あの戦争は、欧米列強の政治的な思惑の中で繰り広げられた戦いで、戦況を支配するのは、諸外国の駆け引きをどう利用するかというその “読み”の力にかかっていた。
 
 強いていえば、当時の日本政府は、欧米列強の政治的な思惑を “読む” 力があったということでしかないのかもしれない。

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 「日露戦争」 を分析する司馬遼太郎の視線には、当然、自分が戦車兵として、第 2次大戦下の満州で戦ったという実体験が反映されている。
 彼の目には、明治の軍人たちが持っていて、昭和の軍人たちが失ってしまったものが見えている。

 このような視線をもった歴史作家が、現在ほかにいるだろうか。
 塩野七生氏が、もし亡くなってしまえば、日本には 「大人の視線」 で歴史を眺められる人材がいなくなってしまうのではないか。

 土曜日に、やはり塩野七生氏のインタビューをテレビで見たが、彼女を継げるような歴史作家がいないことが、ふとさびしく感じられた。

 

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バルチック艦隊の悲劇 への2件のコメント

  1. s-_-s より:

    勉強になりました。

    記念艦三笠に行ったことがありますが、あれと同規模の艦船が木の葉の様に揉まれるなんて想像しただけで戦慄します。

    バルチック艦隊、カッコイイです。

    戦争だらけで今とは比べ物にならないくらいヒドイ世の中だったのでしょうが、
    何故か魅力的に感じてしまいます。
    軍人や官僚達の死力を尽くした生き様が、列強諸国の盛衰が、キラキラ眩しく見えるのは当事者じゃないからでしょうか。

    • 町田 より:

      >s-_-s さん、ようこそ
      歴史というものは、なかなか面白いですね。「物語」 の宝庫であるように思います。
      バルチック艦隊の話も、たぶんNHKのドラマだけを見ていると、ただの “戦闘シーン” で終わってしまうのでしょうけれど、原作を読みながら見ていると、また違った面白さが加わるように思います。
      この 『坂の上の雲』 を書くにあたって、司馬さんが集められた資料は膨大なもので、バルチック艦隊の苦労話も、参加した海軍の兵士が故郷で暮らす家族に送った手紙などから分かったのだと言っていました。
      ロシア側から書いた本も出ているようですね。

      この戦争が、 「ロシア革命」 を引き出す要因の一つにもなったわけで、日本は革命派にも、だいぶ資金援助をしたらしいですね。
      そして、成立したロシアの社会主義政権が、今度は第二次大戦で日本の領土を侵略するわけで、皮肉といえば皮肉ですね。
      でも、そういう入り組んだところが、また歴史の面白さであるような気もします。
       

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