童貞文化が時代を動かす

    
 18歳以上・35歳未満の未婚男子のうち、「彼女」 のいない男性は61.4%にのぼるという。
 そして、その年齢層のなかで、セックス経験のない男性は36.2%なのだとか。
 これは、「国立社会保障・人口問題研究所」 が2011年11月25日に発表した調査結果によるものだ。
          
 その調査によると、「現在の独身生活に利点がある」 とする男性は81.0%。さらに 「一生結婚するつもりはない」 と答えた男性は9.4%もいて、1987年の 9回調査のときと比べると、ほぼ倍増なんだとか。
        
 いよいよ男性の 「非婚時代」 がやってきたというべきなのかもしれない。
        
 もちろん、今の若い男性だって、彼女も欲しいし、結婚もしたい。
 先ほどの 「人口問題研究所」 の調査でも、「結婚したい」 と思う男性は86.3%もいて、機会があれば、いずれ結婚することにやぶさかではないらしい。
 しかし、独身でいると “肩身が狭い” という思いは、昔よりもだいぶ薄らいでいるようなのだ。
            
 もちろん、結婚するにはお金が必要だ。
 そして、その前に、恋愛するにもお金がかかる。
 若者たちが、非婚に甘んじているのは、この不況下で、恋愛市場に資本を投下するほどの余裕がなくなってきたというのが、一番の理由に挙げられるだろう。
                   
 だけど、その “悲惨さ?” をものともせず、むしろ、独身でいることを味わい尽くそうという 「文化」 が台頭してきていることも見過ごせない。
          
 実はつい最近、
 「現代は、男たちの 『童貞・片思い』 文化が未曾有の進化を遂げた時代である」
 … ってな特集を、テレビの深夜放送でやっていた。
         
 それによると、若いうちから女性経験が豊かなモテモテ男を主人公にするよりも、童貞でいることのイジイジ感を漂わす 「男の物語」 の方がウケているというのだ。
 
 2004年の 『電車男』 も、2011年の 『モテキ』 も主人公は童貞独身青年。
 その端緒は、オナニーばかり繰り返す気弱な少年を主人公にした 『エヴァンゲリオン』 あたりにあるらしい。
          
▼ 「電車男」 (映画)

      
 AKB48も、そのような 「童貞・片思い」 少年たちの憧れを一方向的に集約したアイドルとして花開いたとも。
      
 彼女たちの歌う 『カチューシャ』 という歌には、こういう歌詞がある。
       
 「心の隣で、同じ景色を見ながら、
 何年間も、僕たちは、友達のままさ」
        
 ここには、見事に片思い (そしてたぶん童貞) であることに積極的な価値を見出す 「思想」 があるという。
 つまり、恋の成就を目的とせず、恋のトキメキだけを胸に秘め、セックスに至らない関係を続けることに意味を見つけようという 「文化」 がある、というわけだ。
 それは 「萌え」 という言葉で表現されるような、童貞的な文化だ。
        
 なるほどね … である。
     
 このような傾向は、日本の景気が大きく後退したこの20年ほどの間に台頭してきたものであるらしい。
    
 日本がバブル景気に浮かれた1980年代。
 平安貴族文化の再来か? と思えるほどの恋愛文化が花開いた。
 
 恋愛には贅沢品が欠かせなかった。
 お金持ちの家に生まれた青年は、親に高級スポーツカーを買ってもらい、お金持ちの家に生まれなかった青年は無理して借金して外車なんかを手に入れ、下校時の女子大の正門前には、モーターショーさながらの高級車がズラリと並ぶ光景が出現した。
 
 そして、クリスマスの街には、給料の 3倍もする宝飾類を携え、高級ホテルのレストランと部屋を予約して女の子をエスコートする男たちが群がりあふれ、女の子はみな一時の 「お姫様」 気分に酔った。
 
 この時代、デートするお金も度量もない “イケてない” 青年は 「男」 としてカウントされなかった。
 当然、 「童貞」 はモテない男の代名詞となり、童貞であることは恥ずべきことという風潮が広まった。
 
 しかし、バブル崩壊後の不況がその認識を変えた。
 
 バブル期までの 「恋愛文化」 というのは、お金で換算できる文化だった。
 高級フレンチのディナー、有名ブランドの宝飾類のプレゼント、リッチなシティホテルのスイートルームの予約。
 イケてる男女であるかどうかは、そのような背伸びを要求される贅沢を、どれだけ自然に、 “カッコよく?” こなせるかというところで計られた。
 そこで、各カップルの見栄競争も始まったが、それは、「自分たちが、どれだけ財力を誇示できるか」 という競い合いであった。
  
 競い合いは、お互いに共通のルールがなければ成立しない。
 その “共通ルール” というのが、誰にでもその価格がはっきり認識できる 「ブランド品」 だったのだ。 
  
 しかし、不況後に群がりあふれた非モテ系若者たちが創り出した 「文化」 は、それまでのブランド消費型のライフスタイルを解体しつつある。
 彼らは、かつて女の子を喜ばせていた高級乗用車や、有名ブランドの宝飾類などには価値を置かない。
 要するに、金銭の多寡でモノの価値を図るような思考から脱却している。
 
 もちろん 「経済的な余裕がないから」 と言ってしまえばそれまでだが、彼らは、たとえ 「彼女」 がいなくても、空いた時間をたっぷり楽しめる文化を創造し始めている。
 いわゆる 「オタク文化」 である。
 
 非モテ系が熱中する遊びこそ、今や時代の寵児となり、オタク文化は独自の進化を遂げて、世界の 「ジャパンクール」 として君臨している。
 
 日本はそっちの方向で世界に打って出るのか。
 それとも、このまま少子化に拍車がかかり、人口減少の悲哀を味わうことになるのか。
 
 なんとも、先行きの分からない時代に突入してきた。
 いずれにせよ、日本の浮沈は、彼ら 「童貞・未婚」 青年たちにかかっている。
 
 

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童貞文化が時代を動かす への6件のコメント

  1. Sora より:

    >日本の浮沈は、彼ら「童貞・未婚」青年たちにかかっている。

    とすれば、お先真っ暗ですね。童貞文化、萌え、オタク、草食系等々、これらに共通するのは、決断力、主導性といったいわゆるオトコらしさを発揮できないまま、自分の領域に閉じこもって充足している状況。この原因として、経済的余裕がなくなり、金に力を借りたオトコらしさを体現できず引き込んでしまった、面は確かにあるでしょう。しかし、じゃあ日本では古来から、金持ちだけが夫婦になったのか。

    この未成熟若者文化は、おそらく日本だけの、あだ花。甘えの文化に連なるもの。不況だといっても、日本が貧乏国になったわけではなく、まだジャパンアズナンバースリーで、電車男も、萌え男も養っていける国力が残っている。日本企業はまだ年次バランスを考えて経験が無くとも若いというだけで新卒を採用する余裕をもっている。団塊のパパ・ママもまだ元気だ(笑)。

    日本ではまだ若者の「格差デモ」が起きてないのが象徴的。

    競争社会が徹底的に進化した米国では、不況になれば経験のない若者は後回し、とにかく即戦力者でのりきろうとする。で、格差デモに連なるのは、若者中心。だからといって、米国の若者がオタクになるか?オタクになっている余裕がない(即ホームレスになる)ので基本的には競争社会にあくまで参列しようとする。「glee/グリー」とか「グッドワイフ」といった評判の米国TVドラマは、依然競争社会を当然のごとく前提にしている。前者のキャッチは「全ての負け犬に贈る痛快コメディー」でパッとしない男女への応援ドラマだ。

    日本は、おそらくもっと徹底的に劣後しなければ、全世界が突入している競争社会の厳しさを分からないだろう。萌え文化なんぞ、もてはやしている間はダメだ。。と思うのですが。いかがでしょう。

    • 町田 より:

      >Sora さん、ようこそ。
      熱いコメント! ありがとうございます。
      おっしゃることは、よく分かります。自分もまたSoraさんと同じように考えることもありますから。
      でも、そうじゃないときもあります。

      >「童貞文化、萌え、オタク、草食系、これらに共通するのは、決断力、主導性といったオトコらしさを発揮できないまま …」
      と書かれておりますが、今の時代というのは、そのような文脈で語られる “男らしさ” が見直されている時期なのではないでしょうか。(今はそれはみな女性の特性になりつつありますけどね (笑) )

      決断力とか主導性というものが、いつのまにか 「我を通す」 という形に変形されてまかり通ってきたのが、今の若者の上の世代の人たち、すなわち私も含めた団塊世代からバブル世代の人たちです。
      そして 「我を通す」 ときの 「我」 の強さと、運に恵まれた人間だけが、莫大な富を集中させてきたという構図になっています。
       
      「童貞・未婚」 文化というのは、それに対する、沈黙を保ったままのアンチテーゼだと解釈しています。

      確かに、競争社会が激化してきた欧米先進国の若者たちは、日本の若者より必死でしょう。
      しかし、アメリカの 「格差反対デモ」 だって、「1%の富裕層に集中する富を99%のわれわれに還元せよ」 という主張だけで終わるなら、物取りデモと変わらない。それではいつまで経っても、競争社会の厳しさから抜け出すことなんかできない。

      >「全世界が突入している競争社会の厳しさ」 を分かって、いったい何になるんでしょう? 
      その厳しさを理解し、競争社会に参加しようと汗水垂らしても、それで個人が救われるような社会はすでに葬り去られています。人を踏み台にして生きていく厚かましさがあれば別でしょうけれど。
      結局は、投機マネーが流れこんできた国だけが、一時的に経済成長するだけで、そのマネーが別のところに還流していけば、さらなる疲弊が待っているだけだと思いますよ。
      要するに、「経済成長」 というお題目を追求すること自体が、すでに思考停止に陥るような時代になってしまったと思います。

      思えば、私たちの世代 (団塊~バブル) は、何か大事なことを、その前の世代から継承しないまま生きてきたように思えてなりません。
      それは、… うまく言葉でいえないのですけれど、たとえば 「弱者へのまなざし」 のようなもの。
      私たちは、厳しい競争社会を “生き抜く” ために、ひたすら己 (おのれ) だけを強くするように自己鍛錬をしてきたように思います。それが、我々の世代の精神をつくった 「成長神話」 という形に結晶化して、いつの間にか、成長できないものを小馬鹿にする心を育ててきてしまいました。

      だけど、「成長できない」 と切り捨てられたものの中に、どれだけ貴重なものがたくさん埋もれたまま流されてしまったのか。
      もう我々は、それを探しだす眼さえ失っている。

      オタク、萌えに身をやつす 「童貞・未婚」 の男の子たちの方にこそ、むしろ、それを探しだす眼があるように思います。
      少なくとも、彼らは、金銭の多寡だけでモノの価値を計るのではなく、「萌え」 というような、微妙に繊細な感性が要求されるものを見据えようとしている。
       
      「萌え」 というのは、欲望する対象への 「執着」 と 「あきらめ」 の淡い中間領域に生まれる感情だと思うのです。
      そのどちらにも属さない宙吊り感覚というのは、ものすごく新しいとともに、日本の古典文学の 「雅」 にも通じている。
      精神文化という意味では、それはすごく高度なこと … だと思うのですが、いかがでしょう (笑)。
       

      • Sora より:

        >彼らは、。。「萌え」というような、微妙な繊細な感性が要求されるものを見据えようとしている。精神文化という意味では、それはすごく高度なこと。。だと思うのですが、いかがでしょうか。

        わかりません。「萌え」って(その評価も)趣味の領域ではないでしょうか。さらに「萌え」が時代を動かすか、ということになると、新しい潮流なるものはそもそも他者へのかかわり、働きかけがないと影響を与えないのでは。オタクカルチャーは本質的に自己慰撫的なもの、仲間とのつながりは無要で完結するもの。ゆえに萌えは一時的で、実を結ばない徒花(あだばな)で終わるものではないかと、考えた次第です。

        私が、経済競争(の)社会の、真にアンチテーゼとなるものは、例えば不況になっても個人を切るのではなく、ワークシェアリングでむしろ衆知を結集して、解決する手法を磨いていくみたいな、(正面から問題を見据えた)主張・方策です。そこから、競争社会も新しい、より良い次元に入るのでは、といった考え方をしたいのですが。。

        もっとも、未来社会では個人の対面的な関係性は無くなり、意思疎通はすべてネットでなされるような人間関係になっている、といったドラスティックな前提にたてば、我々の精神文化は想像もつかない変容をとげるだろう、とは思っています。町田さんも、萌えはともかく、ネット人間社会を想定しておられるのではありませんか。

        いやあ、ここはSoraのブログではないと、中途で相棒からも言われましたのでもうやめます。

        でもしかし最後にやはり、日本の中心でこれを叫びたい。

        「エヴァンゲリオンの戦士たち!! 世界を救うことを夢想する前に、日本を救ってほしい!!」

        • 町田 より:

          >Sora さん、ようこそ。
          このブログを構成する要素として、Soraさんのコメントは重要な位置を占めていると思います。だから、思いの通りにご意見を述べられるのは、まったくかまいません。
          いつもながらの刺激に満ちたコメント、それなりに “困惑?” (笑) しながらも、しっかり楽しませていただいてます。

          後段の >「不況を乗り切るために、衆知を結集し、正面から問題を見据えて解決作を磨いていく」 というご意見にまったく異論はありません。この問題を角度を変えて眺めれば、まったくその通りですから。

          ただ、そのような正論が、(これほどいろいろな人たちから叫ばれているにもかかわらず) なぜ一向に進展する気配を見せないのか。
          たぶん、それこそが、 「萌え」 というような心の在り方を正当に評価できなかった従来の思考法の限界であるかのように思います。

          確かに、「萌え」 というような言葉で表現されるブームは、一過性のものかもしれません。これは流行語の宿命として、やがて消えざるを得ないでしょうね。
          そういった意味では、おっしゃるように 「徒花 (あだばな) 」 で終わるかも知れません。

          しかし、「萌え」 という言葉で表現されようとしたものには、今までの空回りしていた「成長神話」 の中で見失われていたものを彫り出すような、新鮮な輝きがあります。
           
          それは、エロティックではあっても、性的 (肉体的)ではない。
          執着性はあっても、独占的ではない。
           
          まさに、>「時代を動かす」 というようなことへの “あきらめ” から逆に生まれてきた新しい発想です。
          そこには、「自己慰撫」 であると同時に 「他者」 なくしては、その 「自己」 も成り立たないというタイトロープを渡るような緊張感すら漂っています。
          たぶん、他言語に翻訳しようとしても、このニュアンスを生かせる言葉はないほど繊細です。
           
          そこには、Soraさんがおっしゃるのとは逆に、今までの>「他者への働きかけ」 とは異なる形で、新しいヒューマン・コミュニケーションを作る萌芽 (← あ、ここにも萌えがありますね!) …があります。
          それは、強制的に働きかけなくても、互いに共感・共振できる心の波動を意味しているように感じられます。
          だから、>「仲間とのつながりは無用で完結するもの」 ではなく、むしろ 「他者」 との共感を前提とした、ゆるやかな広がりを持つものだと思うのです。
          それこそ、字義的にも、日本の雅 (みやび) を形成してきた 「萌え」 の復活ではないのかと。

          申し訳ありません。
          せっかくの新しい視点の提示に対し、またもや同じことを繰り返すような返信になってしまって。

          それでも、こういう真摯なコメントはとてもいい刺激になります。
          ありがとうございました。
           
           

  2. s-_-s より:

    生きやすい時代だと思います。

    仕事でも恋愛でも無理をする必要は無い。
    お金はなくとも身の丈にあった自分でいられればよい。
    そのようなある種の退廃、爛熟の時代を
    若者達は生きているのではないでしょうか?

    日本人の生活レベルは革命前のフランス貴族に匹敵するものであると
    聞いたことがあります。

    おじいちゃんが焼け野原から歯を食いしばって復興させ、
    パパが企業戦士となり過労死寸前になりながら経済大国に押上げ、
    そして3代目のボンボンが今の我々です。

    いくら深刻な世界経済情勢を報道されても、おそらく
    革命前の貴族達が民衆の窮状に対して行った類の反応しかできない事でしょう。

    第3身分が台頭しつつあります。
    経済大国日本の搾取に喘いできた中国やインドの若者達が
    貴族達の権勢をいよいよ脅かし始めました。

    今の時代を18世紀に投影するならば、
    三部会の招集に国王が応じたあたりかもしれません。

    革命の足音が聞こえます。

    一体我らはどうすればよいのですか?
    どうすればロココの庭園を守れるのでしょうか?

    • 町田 より:

      >s-_-s さん、ようこそ。
      面白いですねぇ! 素晴らしい 「例え」 であるかのように思います。
      なるほど。
      今の日本の若い世代は、フランス革命前夜のロココの貴族たちというわけですね。
      言い得て妙です!

      ただ、フランス革命で露と消えたロココ貴族たちの文化遺産で、結局フランスという国は、今も潤っているんですよね。もちろん観光資源においてもそうですけれど、世界が 「フランス」 という言葉からイメージするときの “ブランド” としても生き続けていて、それが、いまだにフランス人の誇りとなっています。
      皮肉といえば、皮肉ですけど。

      で、“現代ロココ人“ である日本のオタクたちが創り出したコミックやフィギアが、今や本家ロココのフランス人たちに 「ジャパンクール」 といってもてはやされている。
      不思議なものですね。

      滅びたっていいじゃないですか。
      美しく滅びればいいんです。
      そうすれば、 “第3身分“ の中国やインドの若者に永遠に評価される文化が生まれます。
       

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