ラフィンノーズという生き方

 
 音楽というものに関して、案外、人間の好みは保守的なものかもしれない。
 流行の最先端を行くとされるポピュラーミュージックでさえ、人は、自分が最も愛した音楽から一生離れようとしない。

 自分も、多少は音楽を好きだと自負するところがあるけれど、結局は15~16歳から25~26歳ぐらいまでの、たった10年間に聞いた音しか受け入れようとしない。
 そして、それをいまだに「サイコーの音」として信じている。
 だから、その10年ほど前の流行音楽は泥くさく、10年あとの音は理解できない。

 理解できない音楽のひとつに、パンクロックがある。
 あるいは、それも含めた「ニュウーウェーブ」全般がそうかもしれない。 
 これは理屈ではない。
 感覚。
 
 基本的に、 “縦ノリのリズム” が合わないのだ。
 バスドラの単純な踏み込みでリズムの軸を作り、そのリズムに合わせて観客がぴょんぴょん真上に飛び跳ねるような音楽には、いつまで経っても体がなじまないのだ。 

 パンク以降のロックに馴染んだ人は、その縦ノリのリズムにこそ、「ロックンロール」を強く感じるのだろう。
 そして、そこからテンションの高まりを受けるのだろう。

 しかし、1960年代にビートルズの洗礼を受け、イギリスのブルースロックに傾倒していった自分は、その前後の時代も含め、「ロック … もしくはロックンロール」というものは、横ノリ (揺れ) のリズムだという “思い込み” がある。
 そして、それが「心地よい」という刷り込みがある。
 そういう音に、無条件に身体が反応する。

 その根底には、黒人ブルースの持つグルーブ感があり、その波動に身を任せていくことが快感だと思っている。
 ブルースのグルーブ感には、レイジーなダルさもあって、そのルーズな音色が心地よいのだ。

 だから、セックスピストルズをはじめてラジオで聞いた時、
 「こりゃ、だめだ。ブルースがない」
 と思った。
 しばらく経ってから、ライブ映像を見て、「あ、もしかしたらいいかも … 」とも思い直したが、音だけを聞いていると耐えられなかった。

 しかし、テレビで、ラフィンノーズ (LAUGHIN’ NOSE)という日本のパンクバンドのドキュメンタリー番組( 『ラフィンノーズという生き方』)を観たとき、何かいいようのない衝撃を受けた。
 もちろん 「感動」ではない。
 「驚愕」でもない。
 「違和感」とも違う。
 うまく表現できない何かが心に残った。
 その正体がうまくつかめない。

 自分は、
 「パンクとは産業化されたロックに異議を唱え、失われた “ロックの精神” を取り戻すムーヴメント」
 などという神話を信じない。
 また、「反抗」「攻撃性」などという修辞でパンクを語る言動も信じない。
 なぜなら、そんな神話の中に「音楽」はないからだ。

 演奏スタイルやファッションも含め、パンクが “メッセージ” だということは認める。
 しかし、メッセージだけなら、「音」は要らないのだ。

 ラフィンノーズのドキュメントが伝えてきたのは、「メッセージ」でも「音」でもなかった。
 強いていえば、まさに「生き方」だった。

 放映されたドキュメントを見ると、ラフィンノーズは結成30周年だという。
 そのリードヴォーカルを取るチャーミーは、2011年に50歳を迎えたとも。

 50歳。
 「円熟」「熟成」、いや「貫禄」という言葉さえ似合う年だ。
 どこかのライブハウスの奥のテーブルに陣取って、後輩バンドに「頑張れや」と声かけたり、インタビューを受けて、「昔は無茶したけどね」と余裕をかましたって、過去のファンは許してくれる年齢だろう。

 なのに、チャーミーは、いまだにライブの前には、着火したばかりの小さな火種を活火山のように爆発させるために、楽屋の椅子に静かにうずくまって精神を集中させる。
 そこには、獲物に気付かれないように、じっと時を待つ肉食獣の気配が漂う。

 そして、ひとたびステージに上がるやいなや、自分の肉体そのものを楽器に変えて、目をむき、拳を振り上げ、聴衆を挑発しまくる。

 「煽る (あおる)」
 
 それしか目的がないというほど割り切ったステージパフォーマンス。
 飛び散る汗すら、重量級のナパーム弾が炸裂するような熱い飛沫に変わる。

 “横ノリ至上主義” の自分には、まったくノレない音。
 なのに、頭蓋骨をカチ割って、「エネルギーの塊」を脳天に差し込まれたような衝撃が伝わってくる。

 見ていて、いったい彼らはいつまで、このライブを続けることができるのだろうと、思った。
 まるで、自分たちを、ひとつのロウソクのように燃やしていると感じられたからだ。
 火が消えるときは、ロウソクそのものがなくなる。
 「命」 と引き替えのロック。
 もし、それがパンクロックの本質だったとしたら、自分は何か大事なものを見落としていたのかもしれない。

 実際に、「彼らはライブに命をかけている」というナレーションが、そのドキュメンタリーでは何度も繰り返される。
 そして、楽屋に戻った本人たちが、
 「今日はいいライブだったね」
 「今日はノリきれなかったね」
 と、正直につぶやく姿を、カメラは丹念に追う。

 見ている自分には、その区別がつかない。
 もちろんドキュメンタリーを制作したスタッフにも、それが分からない。
 だから、
 「ノリきれないライブだったと言われても、私たちには、いつもと同じようなステージだとしか思えなかった」
 という正直なナレーションが入る。

 でも、そこにパンクバンドの本質があるように思えた。
 ジャズのインプロビゼーションとは違った意味だが、彼らもまた音楽の “一回性” というものにこだわっているのだ。

 レコードやCDのような再生装置では手に入れることのできない、観客とバンドだけが共有する 「たった一夜の連帯」。
 それって、「人生そのものじゃないか」と思った。

 ラフィンノーズは、おそらく、今の50歳~60歳ぐらいの人たちが懐かしむ「青春の思い出ソングベスト100」みたいな企画モノCDに曲を残すことはないだろう。
 そして、それは、彼らのプライドでもあるだろう。

 だから、彼らのライブに接した人たちは、その貴重な一回かぎりの思い出を尊いものとして、一生胸の引き出しの中にしまっておくことができるのだ。
 そして、その人たちが死んでしまえば、ラフィンノーズの音もこの世に残らない。
 それこそ「ロック」なのかもしれない。
 
  
 参考記事 「シド&ナンシー」
 
 参考記事 「山口冨士夫の精神」
 
 参考記事 「チャットモンチー 『満月に吠えろ』 」
 
 参考記事 「なんで人間は若い頃聞いた歌が好きなのか」
  
 

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ラフィンノーズという生き方 への17件のコメント

  1. とっとこかズビシャス より:

    こんにちは。
    まさにその通りだと思います。
    ほかのグループは年を取るにつれ詩や曲が落ち着いてくるんですが、衰えることを知らない。
    すごいと思いました。

    • 町田 より:

      >とっとこかズビシャス さん、ようこそ。
      もしかして、とっとこかズビシャスさんも、ご覧になったのですか?
      やっぱり、すごかった!
      それしか言いようがありませんね。
      私の好きな音楽とは対極にあるんですけど、でも、なんだか見ていて 「頭が下がる」 ような思いでした。
      少なくとも、あれが 「ロック」 です!
      私がイメージしている “生き様” としてのロックンロールです。
       

  2. 浅井 より:

    初めまして、(ラフィンノーズと言う生き方)に思わず反応し、偶然ののサイトに立ち寄りましたgilles27と申します。

    記事を非常に興味深く読ませて頂きました。

    実は、この(ラフィンノーズの生き方)に出演(インタービューを受けて答えただけですが)した42歳のオヤジです。

    私は、音楽を聴くのも演奏するのも大好きで、若き頃はバンドを組んでロックしていました。
    現在は、自ら演奏する事はないのですが、13歳の頃に聴いたラフィンノーズは衝撃的で、ライブこそ、ラフィン!と思っています。

    ラフィンは、当時から、ハードなライブステージングでして、MCなどはほとんど無く、ひたすら演奏する。そして何かを訴えるかのように叫んでいるチャーミーがいました。

    毎回が、最後のライブになるんじゃ~ないか!?と言うくらい はち切れたライブでした。

    そして30年が経過しました・・・。

    番組中で、インタビューアーが、チャーミーやポンに こう~質問したと思います。

    インタ>ファンの事はどう思いますか?

    チャーミー>何も思っていないね~、ファンの為にバンドやるんじゃない、自分の為。
    (途中~省略しています)

    これなんです。 もし、チャーミーがこのインタビューにファンの事を思うコメントをしたら・・・
    私は、ラフィンから離れました。

    まさにこのチャーミーのコメントそのものがロック(生き方)と思っています。

    色々な柵があるとはいえ、バンドを途中で止めた私は、自分の中途半端な生き様に悔やみつつ、現役でバンドを続けているラフィィンを これが本当の生き方!として敬意を表しています。 数少ないパンクロッカー ラフィィンノーズ、最後はステージで倒れるか、何も言わずにステージから去ると思っています。 

    もし、その日を迎える日が来たら、私も、やっとチャーミーと同じになれると思っています。

    すみません、乱筆で理解しにくい文面で・・・。 それでは失礼します。

    • 町田 より:

      >浅井さん、ようこそ
      びっくりしました!
      よもや 『ラフィンノーズという生き方』 に出演された方から直接コメントをいただくなんて、思ってもみなかったことです。

      門外漢の書いた場違いかもしれない感想に対し、「興味深く」 読んでいただくなど、うれしいと思う反面、多少冷や汗も出ます。
      42歳とおっしゃるのなら、「ひょっとして、あの方かな?」 とおぼろげながら、お顔を思い出せるような気もします。

      お書きになられたコメントからは、さすがに “ラフィン一筋” に生きてこられた方らしい鋭い感性が、文面から立ち昇ってくるようです。
      >「毎回、これが最後のライブか?」 と思えるほどの緊迫感というのは、たった 1回あのドキュメンタリーを観ただけの私にも、しっかり伝わってきました。
      日本にも、すごいバンドがいるんだな、ということがはっきりと分かる番組でした。

      >「最後はステージで倒れるか、何も言わずにステージから去るか …」 というのは、まさに “ロックを生きる人間” のプライドであるように感じます。

      浅井さんのようなファンがいることを思うと、ラフィンノーズというバンドは、つくづく幸せなバンドであるように思います。

      コメントありがとうございました。
       

  3. frictionreck より:

      「ラフィン」を話題にされ、ロックの本質にせまるコラムの展開に「 ドキドキ ズと―ん 」 ときました。今振り返ると 「ラフィン」が打倒「チェッカーズ」と言い、芸能界に殴り込みをかけた80年代中期が懐かしいです。 ミチロウさんが、「ラフィン(ブレイク中 日比谷ライブで事故があった時)」は「アウトサイダー」だからと当時言っていたのが、ここにきて今わかったような。 地道に頑張るヒカゲとは対照的に…。 皆(チャ―ミ―もミチロウも日影もジュネも) 誰も行かない不毛の土地へ死ぬまで目指して行くのだろう。 私も長生きして、彼らの行く末を見守りたい!!

    • 町田 より:

      >frictionreck さん、ようこそ
      自分の “好みの音” として楽しめるかどうかは別として、やはり私にとって、ラフィンノーズというバンドの存在を (テレビにおいてですが) 知ったことは大きな意味がありました。
      「ROCKとは、こういうものだ ! 」 というその “核” となるものを、彼らから教わったように思います。
      >>「誰も行かない不毛の地を目指して」。
      その通りですね。そこにこそ、彼らの栄光があるのでしょうね。
       

  4. 浅井 より:

    町田さん、ご無沙汰しております。以前にコメントさせて頂きました、浅井です。

    ラフィンノーズと言う生き方・・・以前は WOWWOWのみの放送でした、かなりの好評で、WOWWOWへのリクエストも多いようです。

    現在はユーチューブへ ラフィンノーズと言う生き方 がアップされまして、より多くの方々が視聴する機会が出来ました。

    町田さんの事も、ラフィンノーズを支持する奴らも、非常に多くの方が知っています。

    悪い意味ではなく、良い意味で ラフィィンファンは 町田さんのコメントを読んでいます。

    客観的?!と申して良いか 解りませんが、ストレートな記事に感謝します。

    有難う御座いました。 

    先日もライブへ行きましたが・・・やはり!!!でした。私のブログに当日の内容をちらりと触れた記事を記載しましたので、よろしければ・・・。

    それでは失礼致します。

    • 町田 より:

      浅井さん、ようこそ
      多少仕事がバタバタになってしまい、メールを頂いてから返信を送るまでの “間” が開いてしまったことをお詫び申し上げます。
      『ラフィンノーズという生き方』 がYOUTUBEでアップされたとのこと。
      とても喜ばしいことと思います。
      やはり、ラフィンはバンドとしての存在感もあり、かつ、その存在感をしっかり受け止めようとした番組制作者の熱意も、このドキュメントを印象深いものにしたように感じます。

      >> 「町田さんの事も、ラフィンを支持する奴らも、非常に多くの方が知っています」
      ……これはちょっと緊張します。
      音楽の専門家でもなく、パンクに深い関わりを持った人間でもない私ごときが書いた記事を、多くのラフィンファンが読んでいるというのは、ほんとうに緊張しますね。
      でも、そういう方々に評価されているのだとしたら、それなりのうれしさもこみ上げてきます。
       
      浅井さんの書かれた記事も拝読しました。
      熱い熱気が伝わってきます。
      すごいです !
      そういうファンの方からわざわざご連絡をいただくなんて、ほんとうに光栄です。
       

  5. スターリン より:

    はじめまして、私もWOWWOWの放送でラフィンを久しぶりに見ました。
    まさにおっしゃる通りPUNKとは音楽性などではなく生き様なのです。
    だから「こりゃ、だめだ。ブルースがない」と思われるのは当然なのです。
    だから私自身、若いバンドは簡単に信用しません。まあ何度も裏切られましたが、
    それもロックの一要因だと思います。
    別に長くやってりゃ偉い、とか言うつもりはありませんし、若さがもつ儚い爆発力もロック
    の魅力ではあります。
    しかしそんな彼らはえてして、年を取って「俺も若かったから」などと、エクスキューズを
    のたまいます。
    40歳を超えても、PUNKを聞きつ続けるのはそれは私がPUNKSであるのはそれが
    生き方だし変えられないのです(変わっていく人達が大多数でしょうが)
    だから、久しぶりにラフィンを見たときそれでいいんだと勇気をもらいました。
    自分の生き方は自分で決めるだけのことです(それが私にはPUNKと言われた
    、いや勝手に名付けられた立てのりのビートを奏でる者たちの生き方なのです)

    長文失礼しました、ラフィンのことを触れて頂きつい嬉しくてメールさせて頂きました。

    • 町田 より:

      >スターリンさん、ようこそ
      ご訪問ありがとうございます。こちらこそ、はじめまして。

      偶然にも、『ラフィンノーズという生き方』 というドキュメンタリーを観たのは僥倖でした。もし、あの日、その番組にチャンネルを合わせていなければ、(もしかしたら) 私にとってパンクは一生無縁のものだったかもしれません。
      しかし、見終わったときの衝撃は、(文章に書いたとおり) 大きかったのです。
      それは自分にとって 「音楽観」 の転換でもあり、また、ライブというものの意味をもう一回問い直すきっかけとなりました。

      そして、そのことを正直に書いたことで、このコメント欄を通じて、スターリンさんをはじめ、パンクといいう “生きざま” に感応した人たちの貴重な意見を聞くことができました。

      パンクの門外漢であった私が、何も知らずにパンクを評するなどとんでもないことだったかもしれない … と何度も思ったことがあります。
      でも、好意的な感想をいただたことで、正直、少し胸をなでおろしています。
        

  6. より:

     どうもですAこと、frictionreckです。自分もyou tubeで見ました。
     意外な事実は、失礼かもしれませんが、「ラフィン」がバンドで現在飯を食べているという事実です。 すごいですね。 あのテンションを保ちながらということにも驚きです。メジャー界からいなくなり、インディーズで活動しているらしい位しか知らなかったのです。

     「生きる」こと、そして、「自己実現」 おそらく、今を納得しながら生きている。なかなかこんな幸せはつかめない。 ある意味うらやましいです(ミュージシャンの間でもおそらくうらやましいと思っている方々も多いのでは?)

     メンバーの分担がしっかりできている、同じ感覚で目的に向かっている、一人でなくメンバーの集合体が!! 長いですねー。   奇跡だと思います。
     日本でほかにいるのでしょうか?
     「スタークラブ」が浮かぶけれど、「ラフィン」はメンバーだけの自主運営なので他に同じ年代になるとかなり少ないでしょうねー。

    • 町田 より:

      >A (frictionreck) さん、ようこそ
      そのとおりですね。あの年齢で、パンクをやり続けているということは、確かに奇跡のようなものかもしれません。

      たぶん、「行き着くところまで行って燃え尽きる」 という覚悟を決めているんだろうと思いますが、その覚悟を維持するために、彼らはきわめて慎重な、ストイックな生活をしているのではないかという気もします。

      もしそうならば、最後は花火のように 「燃え尽きる」 ために、その日が来るまで、地道な研鑽を重ねているということ自体が凄い。

      若い頃から彼らを追っていたファンは、そのようなバンドが日本に現存するという事実に、また勇気づけられるのではないでしょうか。
       

  7. rankichi より:

    YouTubeで偶然「ラフィンノーズという生き方」を見つけて町田さんのサイトに辿り着きました。現在45歳ですが10代後半から20代前半は自らもライブをしたりパンクをはじめとするいわゆる「ロック」が生活の中心でGet the gloryの衝撃は今でも忘れられずラフィンノーズは当時の自発衝動の着火点でしたが、今ラフィンはどうしているんだろうと思っていました。
    あの動画で45歳にして二度目の衝撃を受けました。誰のためでもなく自分の為にパンクをやっている・・・だから50歳になった今もシャウトし、ギターの轟音の中でファンを魅了出来ているのか!?
    髪を立てているからでもなく、鋲付きの革ジャンを着ているからでもなく、自分達の求める境地を極限のストイックさで追求する孤高の自己中心性がまさに「パンク」
    世間に飼い慣らされてしまった自分には余りに衝撃でしたが、ラフィンのギグでかつての「牙」を取り戻してきます。
    こういう機会を与えてくれたwowwowと町田さんに感謝します。 oi!!

    • 町田 より:

      >rankichi さん、ようこそ
      コメントありがとうございます。
      このラフィンノーズの記事をブログにアップしてから、rankichi さんのように、ラフィンを愛していらっしゃるたくさんの方からコメントをいただくようになりました。
      その多くの方は、たぶんこの記事を書かなければ永遠に交わることのない方々だったように思います。

      しかし、コメントをお寄せいただいた誰もが、自分の生き方をラフィンに重ねあわせ、ともすれば消え失せようとする自分の炎のほとばしりを、再度燃焼させていく決意をされていることに気づきました。

      正直、うらやましい !!
      10代後半から20代前半という、いちばん多感なときにラフィンに出会った方々がうらやましいし、そのような方々の心をいまだに燃焼させる力を持つラフィンというバンドがうらやましい。

      >>「かつての牙」 ……
      素晴らしい表現ですね。
      私もかつては 「牙」 を持っていました。
      それを取り戻すという作業は、私にも必要なことだと思っています。
       

  8. なす より:

    はじめまして。記事を読まさせていただきました。素晴らしい文章でした!ありがとうございます!
    もしよろしければ一度上記のアドレスにメールをいただくことは可能でしょうか?
    怪しい者ではありませんので(笑)。
    今後も良い記事を書いてください。楽しみにしております。

    • 町田 より:

      >なす さん、ようこそ
      せっかくのうれしいコメントをいただきながら、返信が遅くなり、申し訳ございませんでした。
      過分なお褒めの言葉をいただき、恐縮です。
      なす 様のメールアドレスにこちらの連絡先アドレスを書き添えます。
      何卒、よろしくお願い申し上げます。
       

  9. くどう より:

    ラフィンノーズという生き方、なかなか見る暇なかったんですが、最近ようやく見ました。
    率直に、「凄い」という感想です。ラフィンノーズに特に思い入れはありませんが、それ以外の言葉が陳腐に思えるぐらいでした。

    ラフィンノーズに関しては、中学3年生の時に、例のコンサートでの死亡事故が新聞にでかでかと報道されたのは鮮明に覚えています。
    それまではコンサートで人が死ぬなんて話は聞いたことが無かったのでバンドに対しても怖い印象を受けました。
    当時は田舎に住んでいましたが、田舎ではインディーズでの活躍どうこうっていうのは中高生にしてみればさほど影響が無く、
    やはりメジャーデビューしたアーティストが人気を勝ち取っていたように思います。
    そういう意味では、これから全国区のバンドになろうという矢先、「死亡事故を起こしたアーティスト」という事件性の方が先に全国的に有名になってしまったのは、
    その後のこのバンドの在り方を決定づけてしまったと感じます。
    結果的に良かったのか悪かったのかはわかりませんが、今に至るまであの姿勢を続けているのは、あの事故の結果ということは否定できないかと。
    チャーミーも「それ(=死亡事故)も含めて今がある」のようなことを言っていましたし(ポンはそうでもないコメントでしたが)。
    亡くなった方への贖罪とかそういう意味合いでは無く、なんというか、
    「いつまでも尖ったパンクス」としての生き方を続けることを義務付けられて、
    他のアーティストのような歳相応に枯れていく道を絶たれてしまったかのような。
    言葉が適切かどうかわかりませんが、本人の意思と言うよりも、何か外からの啓示を受け取ってしまったかのような。

    彼らがこのまま続けて突然ブツッと終わるのか、あるいはボロボロになって身を引くのか、それは分かりませんけれども、
    見ていて何と言うか、自分に課せられた運命を突き進む預言者を見るかのような、不思議な感覚にとらわれました。
    本人達は「自分がやりたいからやっているだけ」と言うかもしれませんが。

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