徳大寺有恒『ダンディー・トーク』

 
 たった一言が、人間の一生の方向を決めることがある。
 
 ただ、それには、タイミングが大事かもしれない。
 人から、示唆的な発言をもらっても、それを受け止めようとする意識がない時は、その言葉は、耳を素通りしていくだけだ。

 だから、一生の方向を決めるような言葉をもらうというのは、受け手が、すでにそれを受け止める心の準備ができていることを前提とする。

 1980年代の末。
 30代の終わりの頃だった。
 編集の仕事を続けていくかどうか、迷っていた。
 
 仕事は好きだったし、会社やクライアントからの評価もそれなりに受けていたから、そのまま大過なく人生を送れる気もした。
 しかし、その頃、逆に自信も失いかけていた。

 仕事の幅が広がって取材先も多岐にわたるようになり、物書きでも、学者でも、タレントでも、世の中で「一流」といわれる人たちと接する機会が増えるにしたがって、自分の境涯と、その人たちの「才能」や「ふところの深さ」を比べ、自分のお粗末さが痛いほど身に沁みるようになったのだ。

 「このままやっていけるのかなぁ … 」
 一人になると、ふとそんなため息を漏らすことが増えた。

 そんなとき、自動車評論家の徳大寺有恒さんと知り合えたことは大きい。
 一緒に仕事をする期間はそれほど長くはなかったが、その徳大寺さんが、ふとしたときに励ましてくれた言葉が、けっきょく今の自分を支えている。

 徳大寺さんに仕事を最初に依頼したのは、1980年代に入ってからだ。
 その頃、私はトヨタ自動車のPR誌を作っていたので、トヨタが開発したある新車のインプレッションを書いてもらうためのアポを取ることになった。

 当時、徳大寺さんは、『間違いだらけのクルマ選び』という大ヒットシリーズを手がけていて、その辛口評論には定評があった。
 そこで、悪い評価を下された自動車は、読者の印象も悪くなり、売り上げにも影響するとあって、どのメーカーの広報も「腫れものに触る」というほど神経質に対応していた。
 その彼に、PR誌の原稿を依頼する。
 それは、かなりハードルの高い仕事であった。
 
 PR誌に原稿を書くということは、いわば “提灯(ちょうちん)記事“ を書くということである。
 それを承知で、仕事の依頼を受けてくれるかどうか。
 
 当然そのことを意識していたであろう徳大寺さんは、原稿ではなく、インタビューならOKという返事をくれた。

 「僕は思ったことを正直に語るから、その中で使えると思ったところだけ記事にしてください」

 確か、そんなような返事だったと思う。

 インタビューの日、彼が指定した東京・九段坂のホテルに行ったときは、やはり緊張した。

 「今度出た新車に関して、すでに試乗をされたと思うんですが、どのような感想を持たれたか、お聞かせください」

 そう切り出すのだが、
 「まぁまぁ … 」
 といって、なかなかそのクルマの話にならない。
 
 口から出るのは、ヨーロッパで開かれた外車の試乗会でサーキットを走った時の印象。
 滞在していたホテルで食べた食事。
 そういう食事会で、海外メーカーのスタッフたちが着ていたファッション。
 そして、彼らがどのようなクルマを創造しようとしていたのか、という開発秘話。
 話題はそんなことばかりで、肝心の “記事にしたい” クルマの話にならない。
 
 しかし、そういう話題が無類に面白かった。
 自動車というアイテムを、まったく別の角度から眺める視点が提示されていたのだ。
 「なるほど。イタ車とか、ドイツ車というのは、そういう風土や文化から生まれてくるのか」
 と、目からウロコが落ちるような気分になった。

 結局そのときのインタビュー記事は、「自動車に表れる各国文化の違い」というような切り口でまとめたものになったが、これがメーカーの広報から面白いという評価を得た。 
 
 それがきっかけで、徳大寺さんの日常生活を描いたエッセイを連載するという企画が生まれることになった。

 これには、徳大寺さんもノッた。
 自動車を離れ、好きなファッション、印象に残った映画、日頃の愛聴盤などを語る企画というのは、彼もいままで手がけたことがないという。

 タイトルは「ダンディー・トーク」と決まり、月に1回、徳大寺さんが定宿としているホテルのカフェラウンジに私とカメラマンで出向き、コーヒーなど飲みながら、彼のお気に入りのファッションや小物類、若い頃の思い出、最近の政治・経済の動向などを話してもらうことになった。

 とにかく面白かった。
 最初は、ぽつりぽつりと、日々の雑感から始まる。
 「今日は暑いね、寒いね」 のたぐい。
 やがて、その日のテーマが絞られてくる。
 だんだん語り口に熱がこもる。
 そうなると、ご本人にも、日頃考えてもいなかったような着想が次々と浮かんでくるらしい。
 予想外の話の展開に、聞いている私たちも驚嘆したし、何よりも、ご本人が興奮するようだった。

 もちろん、記事にするときは、事実関係の “裏” を取ることになる。
 すると、ときどき勘違いや思い違いも発生していることが分かった。
 そして、時には前言をひるがえすようなことを平気でいう。
 しかし、そんなことは問題ではなかった。
 
 勢いに乗っているときの徳大寺さんは、まさに「天馬 空を行く」がごとし。
 「食い物」の話題から突然「映画」の話に飛び、そこから、さまざまな国の「歴史」、「文学」の話題に移っていく。
 アメリカとヨーロッパの「男女の恋愛観」の違いが、そのままアメ車とヨーロッパ車の違いの話となる。
 一見、合理性のかたまりのように見えるメルセデスは、ドイツロマン主義の文脈で解剖され、フェラーリのエンジン音は、音楽用語で語られる。 

 聞いているこちらは、もう頭の中をシャカシャカとシャッフルされ、さらに極彩色に埋め尽くされ、ホテルを出るときには、周りの風景が、入ってきた時とはまったく違うように見えた。

 この「ダンディー・トーク」の連載は、1988年の 3月から、1989年の 2月まで、ほぼ 1年間続いた。
 連載が終わろうとする頃、どちらともなく、それを単行本にしようという話が出た。
 うちの編集部で出す最初の単行本だった。

 それまで単行本など作ったことがないから、装丁そのものから迷った。
 本のサイズをどうするか、表紙の絵には何をもってくるか。

 とにかく、 “洋書” の雰囲気を出そうということになり、サイズも少し天地を長めにして、英文字が目立つようなデザインにした。
 メインは自動車の写真にするか、それともイラストにするか、編集部内でもいろいろな意見が出たが、思い切って、徳大寺さんの顔をアップで使うことにした。

 カラーグラビアを巻頭に置くことが決まっていたが、これはあえてプロのカメラマンを使わず、カメラの心得のある社内の編集者が撮影を担当することになった。
 彼は、徳大寺有恒という人物と、それに絡むクルマをいかに美しく撮るかということに全身全霊を打ち込んだ。
 モノクロ写真の場合は自分で現像し、焼きの強さや弱さを何枚も試してみて、ベストのものを選び出してきた。
 この本がヴィジュアル的に評価されたのは、この写真の力に負うところが大きい。
 
 
  
 本の帯に載せる推薦文は、小説家の北方謙三さんからもらうことができた。
 素晴らしい原稿で、本としての格が一気に上がった。
 帯にはこう書かれている。
 
 「徳大寺有恒のすべてを支えているのは、実は強烈なストイシズムだと私は思っている。
 彼は快楽という名の魔物を手にするために、ほかのすべてを捨てきるだけの強さを持っている。
 この本は、人間の情念には光と影があることを、快楽の裏側にはストイシズムがあることを教えてくれた」
 
 
 
 装丁、帯の推薦文。
 外回りの体裁は徐々に固まっていったが、中身の内容を整理していると、やはり欠けているものを感じた。
 自動車をテーマにした原稿があまりにも少ないのである。
 雑誌の連載では、それでよかったものの、単行本にするとなると、やはり自動車評論家の本であるかぎりは、クルマそのものをテーマにした原稿が欲しい。

 あらためて、書き下ろしの原稿を依頼することにした。
 徳大寺さんは、気持よく応じてくれて、「ジャガー」と、「フェラーリ」と、「トヨタマークⅡ」、そして「GT一般論」の 4つの書き下ろし原稿がもらえることになった。

 ところが、原稿を手にして、はたと困った。
 手書きの原稿だったが、 “達筆” すぎて、読めない箇所がたくさんあるのだ。
 その箇所にすべて印をつけ、失礼なことではあったが、直接本人の前に持って行って、すべて教えを乞うた。

 校正刷りが出て、活字になったものをあらためて読むと、その文章のひらめきと美しさに舌を巻いた。

 特に秀逸だったのは、ジャガーの章。
 「ジャグァーは乗り手のダンディズムを求める」
 というタイトルで始まるこの一篇は、『ダンディー・トーク』という本そのもののコンセプトを集約し、かつ徳大寺さんの生き様そのものを語っているように思えた。

 当時、彼は、12気筒のXJ 5.3と、240サルーンの 2台のジャガーを立て続けに乗り継いでいた。 
 2台とも、そうとう気に入っていたのだろう。
 その思い入れの強さが、次のような文章に表れている。 
   
 「ジャグァーは、乗り手にある種の、生き方のスタイルを要求するところがある。ひと言でいえば『下品』でいることを許さない。『紳士たれ』とささやくのである」
 
 彼は書く。
 「メルツェデスに乗ると、別に尊大にかまえているつもりもないのに、なぜか 『前のクルマは道をあけて当然』 という気分になる。
 ところが、ジャグァーは、『先に行きなさい』と鷹揚(おうよう)な気持ちにさせるものを持っている。走りも、つくりも、徹底的にエレガントかつジェントリーなのだ。
 それでいて、凛(りん)とした姿勢、毅然とした風格を持ち、その奥底に、闇のような深い悦楽を潜ませている。ダンディーなのだ」

 そのように、まずジャガーを「ダンディーなクルマ」として定義し、次に「そのダンディズムはどこから来るのか?」と解き明かす展開がスリリングだ。

 話は、そこから、いきなりイギリスの「ジェントリー階級」の話題に飛ぶ。
 
 ジェントリー階級とは、18世紀から19世紀にかけて、イギリスの田舎で力を蓄えてきた新興地主たちのことをいう。
 彼らは、貴族ではないが、その蓄えた経済力によって、貴族以上の暮らしを楽しめるまでに成長した。
 しかし、人間の階層化が徹底しているイギリスでは、ジェントリーたちがどんなに上流社会に進出することを望んでも、貴族の「称号」はもらえない。

 そこで、彼らは「精神の貴族」を目指した。
 すなわち、
 「実際の貴族以上に趣味がよく、知的で、優雅な振る舞いのこなせる人間として、自己を鍛えあげていった」
 という。  
 
 それが「ジェントルマン(紳士)」の語源となり、かつそのような “自己鍛錬の精神” を「ダンディズム」と呼ぶようになったらしい。

 では、なぜジャガーというクルマが 、「ジェントリー」で「ダンディー」なのか?

 徳大寺さんは次のように書く。
 
 「ジャグァーは、決して今日のように、高級車として認めてもらえるクルマではなかった。いや、『クルマ』ですらなかった。サイドカーだったのである」

 1922年、オートバイ好きの青年であったウィリアム・ライオンズが、オートバイに付けるサイドカーとして売りだしたのが、いわばジャガーの原型。
 その後、ウィリアム・ライオンズは、サイドカーから徐々に自動車製作の方にシフトしていくわけだが、最初の頃は、スタイリッシュなスポーツカーの外観だけ備えた、中身の “お粗末” なクルマにすぎなかった。

 しかし、このジャガーの創始者は、そうとうな夢と情熱の持ち主だったらしい。
 やがて、有能なエンジニアを次々と招聘(しょうへい)し、エンジンも内装も、どんどん洗練されたものに仕上げていく。
 そして最後には、ロールスロイスやベントレーのような名門と肩を並べるようになっていく。

 「もうお分かりだろう。ジャグァーがダンディーである秘密は、ジャグァーもまた “ジェントリー” であったからだ。つまり、貴族に憧れ、貴族以上に貴族たらんとしたジェントリーたちと同じように、ジャグァーは高級車に憧れ、高級車以上に高級車たらんとしたのである」

 そう書く徳大寺さんは、この章の最後を、次のような言葉でしめくくる。
 
 「ダンディズムとは、野暮から粋へ至るまでの、そのプロセスの中にあり、またプロセスの中にしかない。
 常に、いまだ中途半端な状態でしかないという意識が、逆に不断の緊張感を生み、美しい姿勢を保たせるからである」

 すごいことを書く人だなぁ … と思った。
 こういう自動車評論というものに接したのははじめてだった。
 そして、そのような新しいスタイルの本を出す担当者になれたことの幸運を噛みしめた。

 その徳大寺さんが、『ダンディー・トーク』のグラビア撮影からの帰り、助手席に座っていた私に、ふと、こんなことを尋ねてきた。

 「あなた、自動車評論家になる気はありませんか?」

 晴天の霹靂(へきれき)とはこのことだ。
 「評論家になる !?」
 そんなことは考えたこともなかった。

 「無理ですよ、僕はそんな訓練も受けていないし、第一、とても先生みたいな自動車の知識を持っていません」

 「自動車の知識などなんとでもなる。2年ぐらい勉強すれば、型通りのことはすべて覚えられる。
 それよりも、大事なことは、 “自動車以外の知識” をどれだけ持っているかどうかにかかっている。
 自動車評論家にとって大切なことは、自動車の外に広がっている世界を、どれだけ好奇心を持って眺められるかどうかだ。
 あなたは、それを眺める力を持っている。
 自動車の知識なんか、なんなら僕が教えてあげたっていい」

 徳大寺さんが、どういう気持で、私にそう語ってくれたのか、よく分からない。
 「面白い仕事を依頼してくれた」という感謝の気持ちから出た社交辞令だったかもしれない。

 けっきょく、そのときの私は、「この人は無理なことをいう」という気持ちを抑えたまま、黙りこくっただけだった。
 
 しかし、何かの拍子に、必ずこの言葉がよみがえる。
 落ち込んだ時は、それが心を支えてくれる。
 その言葉は、私の迷いを吹っ切り、編集者としての道を歩み続ける力を与えてくれた。

 『ダンディー・トーク』という本が世に出た後、徳大寺さんが、出版記念として、私にプレゼントをくれた。
 本来ならば、出版社の方が著者にプレゼントを用意するものだが、このときは逆だった。

 包装紙を開けてみると、高級そうなモンブランの万年筆が出てきた。
 
 「自分でも記事を書いてごらん」
 というメッセージだったのかもしれない。
   
 

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徳大寺有恒『ダンディー・トーク』 への22件のコメント

  1. solocaravan より:

    かの「間違いだらけのクルマ選び」のオリジナルをはじめて読んだときの衝撃は大変なものでした。それまで信じて疑わなかった自動車雑誌やメーカーの宣伝による評価基準のまやかしをはぎ取られ、当時小学生だった自分の小さなプライドがいたく傷つけられたことを覚えています。

    しかし、今考えてみるとそれはよい意味での貴族主義に裏打ちされた貴重な大衆批判であったのだと思います。そのことがよく理解できる逸話であると感じました。大衆社会中の大衆社会であるこの日本で生まれ、日本で育ってこられた(と思う)徳大寺さんという方が、どのようにしてそのような高貴な精神を身に着けてこられたのかちょっと興味がわいてきました。

    • 町田 より:

      >solocaravan さん、ようこそ。
      確かに、『間違いだらけのクルマ選び』 の衝撃は大変なものでしたね。
      まだ、著者の徳大寺有恒さんの正体が不明だった頃、各自動車雑誌で、「これを書いたのは誰だ?」 ということで、 “犯人探し (?) ” が行われたことを覚えています。
      自動車評論家の三本和彦さんが疑われたりして、 「オレじゃない、オレじゃない」 と懸命に否定していたのを、どこかで読んだ記憶があります。

      小説家の高斎正さんが、この騒動をパロディ小説にして、 「あれを書いたのはオレだ」 と主張する物書きがあちらこちらで登場し、『元祖・間違いだらけのクルマ選び』 、『本家・間違いだらけのクルマ選び』 、『真説・間違いだらけのクルマ選び』 などといった本が乱立し、どさくさにまぎれて、『間違いだらけの車海老』 などという本も出た … なんて話を自動車雑誌に書いていました。

      初期の頃のあの本には、自動車を評価するときの 「新しい視点」 が提示されていたように思います。
      まだ無名の頃の徳大寺さんは、食べるためにいろいろな仕事をされていたようですが、物を運ぶ仕事でVWゴルフを使ったとき、「あの小さいボディで、あれだけの荷物を積み込むことができて、かつ無類の走行安定性を保つというのは、いったいどういうことなんだ? この凄さを正しく評価する評論もなければ、そういうクルマづくりを志すメーカーもない」 …と感じたことが、 『間違いだらけの … 』 を書く動機になったと語っていました。
       
      彼は、そのとき、日本のメーカーと評論家たちが見落としていた 「パッケージング」 という思想を知ったんでしょうね。

      確かに、スタイルに惹かれて無邪気にクルマ選びをしていたような人々にとっては、耳が痛い話が多く、読んでいて辛いと思うこともありました。

      しかし、読み物として読むかぎりは、とにかく面白い本でした。
      徳大寺さんも、 「オレの書くものは、基本的にはエンターティメントだ」 とよくおっしゃっていました。
      「自動車評論というと、みな “辛口” に書けばいいと思い込んでいる人が多いが、それよりも大事なことは、まず面白いかどうか。面白さのない辛口評論は、単なる悪口だ」
      そんなこともおっしゃっていたように思います。

      賛否両論の多い 『間違いだらけ … 』 シリーズですが、私は、日本の自動車評論のひとつのスタイルを創り出した画期的な本であるように思います。

      『ダンディー・トーク』 という本は、徳大寺さんのそのような “ものの見方” が生まれるまでの裏舞台を披露する本で、そのへんを solocaravan さんにご理解いただけたことを、うれしく思います。
       

  2. ブタイチ より:

    町田さんのブログで徳大寺さんを取り上げたは2回目だと思うのですが、臨場感溢れる町田さんの文章、流石ですね~。男の色気、狂気さえ漂う徳大寺さんの息づかいまで聞こえてくるようで…お二人、かっこよすぎです。勉強になります。

    • 町田 より:

      >ブタイチさん、ようこそ
      ありがとうございます。
      徳大寺さんは、私の師匠なんですね。
      もっとも、こっちが勝手にそう思っているだけで、向こうにとっては迷惑かもしれませんが、この方が私の方向性を示唆してくれたと、私自身は感謝しています。

      それにしても、ブタイチさんのコメントも鋭いところを突いていますね。
      >「男の色気、狂気さえ漂う … 」
      そうなんですよねぇ。あの頃の、生の徳大寺さんが持っていらっしゃった “狂気” は本当に人の心をとろかせました。
      それに触れることができたことを、幸せだと思っています。

  3. JACK より:

    私も未だに、何度も読み返していますよ。自分にしてみれば人生のバイブルと言うくらい感銘を受けました。ちなみに本に影響を受けたのは矢沢永吉の成りあがり以来。今の、それも日本でダンディーを気取るのは、大変ッスね。どこかでストイックなとこ持ってないと只のおじさんになっちゃうから。やせ我慢、男はつらいよですか。今年で自分も50歳、友人たちの乗る便利なミニバンには目もくれず、相変わらず50年前のシボレーを意地で持ってます。日本に徳大寺さんが後100人位いたら日本も変わっていく気がしますね。

    • 町田 より:

      >JACK さん、ようこそ
      素晴らしいご評価をいただいて、とてもうれしく思います。
      この本は、実は、編集に携わった私にとっても 「バイブル」 のような本で、この仕事を通じて “生身” の徳大寺さんを知る機会を得て、大いに啓発されました。
       
      「ダンディーに生きる」 ということで、徳大寺さんは、自分のファッションも小道具もすべてひとつのポリシーを貫いていましたし、同時に、精神生活においても、自分の思想を研ぎ澄ませて、ものの見方にユニークな視点を打ち出すような努力をされていました。
      だから、聞かせていただく話、読ませていただく原稿すべてが勉強になりました。一生のなかでは短いけれど、そういう年月を持てたことが幸せでした。

      矢沢永吉さんの 『成り上がり』 も、ひとりの男の生き様を見事に結晶化させた名著ですね。私もJACKさんと同じように、もう何度か読み返しています。あれは、あとがきの中でも書かれているとおり、糸井重里さんとのコラボですけれど、糸井さんが引き出した “矢沢節” が見事で、言葉がはじけ飛ぶような勢いを持つ、ロックそのものの文体になっていましたね。

      >「ミニバンには目もくれず …」 という心意気もいいですね。そういうこだわりのある読者を持てただけでも、『ダンディー・トーク』 という本は幸せな本かもしれません。
       

  4. 水野哲也 より:

    はじめまして。ダンディトークⅡの最後の方に、Ⅲも出版されるような感じの記事が載っていましたが、やはりⅢは、もう出版されないのでしょうか?Ⅲを執筆中に、徳大寺さんが絶筆する・・・・。有ってはならない事ですが、僕なりの徳大寺さんの最期を想像しています。

    • 町田 より:

      >水野哲也さん、ようこそ
      こちらこそ、はじめまして。
      『ダンディートークⅢ』 は、確かに企画は進んでおりました。
      しかし、その頃、徳大寺さんがご病気に罹られたこともあり、いくつかの原稿をいただいていたものの、その続きをまとめる元気がまだ回復せず、しばらく心待ちにしていたのですが、そのまま時間が経ってしまった、という経緯があります。

      その間に、編集担当の私の方も乗用車からキャンピングカーの部署に転属になり、そちらの方の仕事に忙殺されるようになって、今日に至っています。

      しかし、「あれはもうおしまい」 という話が出ているわけではないので、またお会いできる機会があれば、ひょっとして “続行” という可能性がないわけではありません。

      ただ、ずいぶん時間が経ってしまっているので、世界情勢も変化し、自動車を取り巻く環境も変わってしまったので、同じ方向性で本がまとまるのかどうか、微妙なものがありますね。
      私としては、絶筆される前に、老境の域に達した徳大寺さんの新しい 『ダンディートーク』 に接してみたいという気持ちはあるのですが。
      こればかりは、神様がお決めになることかもしれませんね。
       

  5. 小野寺幹史 より:

    昔この本に影響を受けて一字一句逃すまいと再読したものです。特にホテルの話が好きで、ホテルニューグランド、葉山ホテル音羽の森、富士屋ホテル、川奈ホテル、ホテルオークラ等へ背伸びをしながらも探検をしに行った事を憶えています。ホテルのバーで酒を飲む事に至福を感じる中年となった私にとって、今でもバイブルの二冊です。

    • 町田 より:

      >小野寺幹史さん、ようこそ
      このようなコメントをいただくと、編集した人間にとっても、とてもうれしいものです。
      ありがとうございました。

      徳大寺さんは、ホテルが本当にお好きで、ニューグランド、音羽の森、富士屋ホテルなどでグラビア撮影していたときも、本にはならないいろいろな感想を聞かせてもらって、とても楽しいひとときを過ごしました。
      それぞれのホテルに一緒に泊り、夜はバーなどでくつろぐときも同席させていただいて、いろいろなお話をうかがうことができました。
      そんな思い出がよみがえりました。
      そういう談話の蓄積も、私個人にとっては、ひとつの財産であったように思います。
       

  6. 小野寺幹史 より:

    このブログを読んでダンディー・トークが四編を除き、町田さんがインタビューを編集されたものであった事を初めて知りました。現在外国暮らし中で東京の家にある本をしばらく読んでいないにもかかわらず、文中のホテルがスラスラ思い出せます。川奈ホテルへカレーライスを食べにも行きましたし、沢木耕太郎ファンであるのも多分この本が発端です。ところでダンディー・トークの電子書籍化についてはどうお考えになりますか?20数年の歳月を超えてこの本が新しい読者に影響を与えることは可能でしょうか?

    • 町田 より:

      >小野寺幹史さん、ようこそ
      電子書籍のアイデア、とても良いと思います。
      『ダンディートーク』 は、初版が刊行されて、すでに20年が経過してしまいましたが、やはり自動車文明がいちばん輝いていた時代の本だけあって、徳大寺さんの熱い“トーク”が、ひときわ冴え渡っているようにも思います。

      いっとき、その内容が時代にそぐわないものになってしまったようにも感じましたが、逆に古典として読む限りにおいては、貴重な 「時代の証言」 になりうるかもしれません。
      小野寺さんのご指摘をいただき、電子書籍のような形で世に残すのもいいかもしれない、と思いました。

      沢木耕太郎氏の著作は、徳大寺さんもお好きで、よく話題にされていました。
      特に、初期の 『破れざる者たち』 を愛されていらっしゃいました。
      対象をクールに分析しながらも、そこに熱い思いと繊細な愛情を注ぐ語り口。
      お二人とも、どこか似通ったところがあったのかもしれませんね。
       

  7. 佐藤旅宇 より:

    恐らく自分はかなり若い部類の読者だと思いますが、二十代半ばで古本屋で手に入れその面白さに魅了された一人です(いまは34歳になってしましたが)。ジャガーやフェラーリ、オークラ、アルマーニ……自分の生活とはまったく無縁の存在が語られているにも関わらず引き込まれるように読みました。他の自動車記事と大きく違ったのは“知的な興奮”が味わえたことです。それぞれのお話が「論」として成立していたからなんでしょうね。たまたま検索をしましたら、このブログ見つけ、楽しく読まさせていただきました。

    じつは昨年9月に僕もこの本のことをブログに書いたことがあるんです。
    ジャガーをジェントリーとなぞらえた件の秀逸さを書いたんですが、やはり編集の方もそう思っておられたんですね。すばらしい原稿で感動いたしました。
    http://ameblo.jp/feltf75/entry-11016739713.html

    • 町田 より:

      >佐藤旅宇さん、ようこそ
      佐藤様の書評、拝読いたしました。
      とても素晴らしいレビューで、担当編集者としての私も感激いたしました。

      この本が出た当初、新聞や雑誌などで、専門家の方がいろいろと書評を書いてくださいましたが、佐藤様ほど的確に本書の骨子を見ぬかれた方はいらっしゃらなかったように思います。
      唯一、当時の 『NAVI』 編集者であった鈴木正文さんが、とてもいい感想を書いてくださったことが印象に残っています。

      佐藤様のレビューでも触れられていた横浜の 「ポピー」 は、徳大寺さんのグラビア撮影をするときに、同行させていただきました。本当にお洒落な店でした。
      それ以来、徳大寺さんの影響を受けて、一時、個人的にもトラッドなファッションの凝ったものです。

      いい書評を拝読し、グラビア撮影などで (昔の) 「ニューグランドホテル」 などで一緒に投宿し、夜、徳大寺さんの奥様も同行されて、中華街の 「ウィンドジャマー」 などで飲んだりした懐かしい思い出がよみがえりました。

      コメントありがとうございます。
       

      • 佐藤旅宇 より:

        町田様
        丁重なご返信ありがとうございました。

        まさかあの本の編集の方とこうしてコンタクトが取れるとは思ってもいませんでした。感激しております。
        改めて素敵な本を世に送り出して頂いたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。

        今後もこちらのブログを楽しみに拝見させていただきます。機会がありましたらまたぜひ当時のお話などを聞かせてください。

        • 町田 より:

          >佐藤旅宇さん、ようこそ
          こちらこそ、素晴らしい読者を得られた本に携われたことに感激しております。

          発行した当初、せっかくの徳大寺さんの力作原稿をいただいたにもかかわらず、弱小出版社がゆえに、宣伝費にも多くの費用をかけることができず、著者にも申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、何よりも徳大寺さんがまず喜んでくださったことと、また、口コミでじわりと評価が高まっていったことが喜びでした。

          佐藤さんのような方が読者としていらっしゃったことは、本当に幸せな本です。
          徳大寺さんともども、深く感謝いたします。
           

  8. 佐藤旅宇 より:

    町田 様

    こんにちは。以前こちらの記事にコメントをさせていただいたフリーライター&編集の佐藤旅宇と申します。その節は丁重にご対応いただきありがとうございました。

    場違いな書き込みで大変恐縮なのですが、ある自動車専門誌の(徳大寺さんに関連した)企画にて町田さんにご協力いただきたい案件がありご連絡させていただきました。お手数ですがわたくしのメールアドレス宛にご連絡をいただくことはできますでしょうか。

    身近に町田さんのご連絡先を知っているものがおらず、不躾な方法でのお願いになってしまったことをお詫びいたします。ご検討、どうかよろしくお願いします。

    • 町田 より:

      >佐藤旅宇さん、ようこそ
      コメントの返信がたいへん遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。
      お許しください。
      当社のメールアドレスは、佐藤様よりいただいたコメントのパソコンに記録されたアドレスを頼りにお送りしました。

      こちらこそ、コメントの返信がたいへん遅くなったことをお詫びもうしあげます。

      • 佐藤旅宇 より:

        町田様

        お忙しいところご対応ありがとうございました。
        メールを確認いたしましたので、返信させていただきました。ご確認くださいませ。

        よろしくお願い申し上げます。

        • 町田 より:

          >佐藤旅宇さん、ようこそ
          了解いたしました。
          先ほど、個人メールアドレスの方にご連絡させたいただきましたので、こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。
           

  9. susie より:

    ぜひ、電子書籍化をご検討下さい! 車好きに限らず、もっともっと多くの方に読んでいただきたい名書だと思います。

    • 町田 より:

      >susie さん、ようこそ
      返信が遅くなり、恐縮です。
      『ダンディー・トーク』 の電子書籍化のご要望をいただくなど、担当編集者としてとてもうれしく思います。
      復刻版発行の希望などもいただいておりますので、この際、電子書籍化もいいのかも分かりません。
      そういう分野に詳しい専門家にもヒヤリングしておきますので、検討するようにいたしましょう。
      コメント、ありがとうございました。
       

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