ギリシャ危機って、なに?

 
 “ギリシャ危機” を報じるメディアの言いっぷりを見ていると、まるで 「世界経済の崩壊」 が始まったような表現になっていることが多い。
 そして、それは日本も直撃し、地球規模で “世の終わり” が到来するかのような印象を伴う。
 
 いわく、
 「ギリシャの財政破綻がユーロ経済圏をドミノ倒しのようになぎ倒し、ユーロも暴落して、代わりに円が買われて円高がさらに進行し、日本経済も沈没」
 … みたいな。


 
 ま、 「経済危機」 という観点から眺めれば、まさにそのとおりで、EU 諸国をはじめ先進国は、現在のきなみ危機的な状況に直面しているといえるかもしれない。
 
 しかし、この問題の “構造” だけを取り出してみれば、それは昔から大規模な共同体が常に直面していた問題であり、歴史的にも、ごくありふれた事件にすぎない。
 すなわち、共同体の結束を守り、その存続を願う人たちが、自分たちの内部に抱えたひときわ異質なものを採り上げ、その異質性を “危機” という形で訴えることで、共同体全体を活性化させてきたという歴史が、ここでも繰り返されているのである。
 
 EU は、アメリカ、アジア、中南米という産業新興国の経済力に伍していくための欧州経済共同体として、具体的にはヨーロッパ諸国の政策や法制度の違いを超えて、フラットな市場競争の場を作り出していこうというシステムとして発足した。
 
 もちろん、その精神的な拠りどころは、近代になって二つの世界大戦を経験したヨーロッパ人の 「平和と共存」 を目指す理念に置かれている。
 
 しかし、 「平和と共存」 の理念を掲げた共同体構想は、EU が最初ではない。
 古くはローマ帝国がそうであったし、カトリック教会もそれを目指した。ナポレオンの頭の中にあったものも、そのようなものであったろうし、ヒットラーでさえ、それを夢想した。
 
 では、そのような共同体構想は、なぜ、時に、あっけないほどもろく崩れてしまうことがあるのだろう。
 
 それが共同体の宿命であるからだ。
 
 共同体は、常に自分たちだけで充足するような閉鎖状況を志向しながら、一方では、それを打ち破る外部からの衝撃 (交易・交通・交戦) なくしては、存続し得ない。
 家族、村、国家、帝国に限らず、共同体とは、もともとそのような二つのモーメントが交錯する場で、危うい均衡のもとに形成されてきたものである。
 
 だから、内部を結束させるためのスケープゴートを常に必要とし、その “生贄” の儀式が成功したあかつきには、存続が約束されるが、儀式が不首尾に終わると、共同体そのものが瓦解するというリスクを抱える。
 
 今、ギリシャは EU からその “スケープゴート” ととして見なされようとしているのだ。
 
 
 EU のような大規模共同体は、個々に閉じられた小さな国家群を普遍的な理念で統合し、個々の国家を、世界に向けて “開かせる” 力を持っているように錯覚されがちである。

 しかし、実は逆である。
 個々の国家を “狭い” 閉域に閉じ込めてしまう。
 
 共同体は、自分たちの結束をまとめるために、常に 「まとめきれない外部」 を共同体の外に想定するか、内部の中に “異端児” を見出さざるを得ないという宿命を抱えている。
 共同体の本質は、“異質なもの” との間に境界線を設定することによって、内側の結束を図るところにあるからだ。
 
 EU の場合は、 「境界線の外側にあるもの」 として、トルコ問題を抱えている。
 トルコは、国土の一部がヨーロッパにまたがることから、早くから EU への参加を希望していた。
 
 しかし、EU では、トルコ人の多くがイスラム教徒であること、そしてその人口が多いため、EU 圏内に移民が流入することによって、自国の失業率が高まることなどを懸念材料に挙げ、いまだに内部の議論を続けている。
 
 この議論は、長引いた方が EU にとっては都合がいい。
 なぜなら、議論そのものが、
 「EU という共同体の目的が何であるのか」
 「その正しい運営には何が必要なのか」
 ということを確認し合うきっかけを与え続けるからだ。
 
 このように、常に共同体との境界線にその “外部” を想定することは、昔から共同体が存続するための常套手段であった。
 
 共同体の結束を固めるための方法は、もうひとつある。
 それが、内部に異端児を設けて、断罪すること。
 今回の “ギリシャ危機” はまさにこれである。
 
 フランス、ドイツなどを中心とした北ヨーロッパの産業国は、ギリシャに対し、 「EU 参加国としてのモラル」 を強要し、それを守るならば援助を約束するという姿勢を崩そうとしないが、そのためには、ギリシャ人的な経済感覚や倫理、モラルを 「悪」 として断罪しなければならない。
 
 いわく、
 「公務員優遇などの放漫財政」、
 「早期引退や高い給与、高い年金などに慣れっこになったギリシャ人の怠惰な生活感覚」、
 「脱税、闇経済などが横行することによるモラル低下」
 …… 等々。
 
 確かに、EU の優等生組から見れば、このようなギリシャ政府とギリシャ国民の態度は許しがたいほどの 「悪弊」 に染まっているように見えるだろう。
 
 しかし、そのような視点は、北部ヨーロッパで通用するモラルにすぎない。
 そこには、マックス・ウェーバーが指摘したような、禁欲と勤勉によって産業資本主義を支えたプロテスタントの労働倫理が反映されている。
 
 それが間違っているとはいえないが、都合よすぎる。
 北部ヨーロッパの人たちは、普段はコツコツと働いて小銭を貯え、夏のバカンスともなれば、それを持ってみなイタリアへ、スペインへ、ギリシャへ、ポルトガルへと、北ヨーロッパにはないものを求めて、南欧諸国に旅立っていく。


 
 彼らが求めるものは、まばゆいばかりの陽光に照らされた大地に、オレンジとオリーブがたわわに実る “工業化されない” 自然であり、その大地に生きる人々のレイジーでイージーな雰囲気から得られる “だるい心地よさ” である。
 
 だから、EU 優等生の諸国が、ギリシャのような南欧に 「のんびりした観光地」 を求めながら、モラルだけ強迫神経症的な工業国のモラルを押し付けるというのは、自分たちの身勝手なのである。
 
 そのような強迫神経症的な労働倫理観は、たかだが産業革命以降の200年だけヨーロッパを席巻したにすぎない。
 それ以前の数千年は、ヨーロッパ人はみな今のギリシャ人のように生きてきたのだ。
 
 近代的な産業システムを持ち、堅実な金融機関を育て、勤勉な国民に恵まれていることが、 “先進国” の条件であるかのような錯覚。
 その錯覚を土台に、これまでの EU は順調な発展を遂げてきたが、それは “外部” との接触を巧妙に避けるという共同体としての舵取りがうまかっただけにすぎない。
 
 “EU 共同体” は、今ようやくギリシャという 「産業資本主義のモラルの “外部” 」 に存在していた、もうひとつのヨーロッパに出遭ったのだ。
 
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

ギリシャ危機って、なに? への4件のコメント

  1. Sora より:

    >“EU 共同体” は、今ようやくギリシャという 「産業資本主義のモラルの “外部” 」 に存在していた、もうひとつのヨーロッパに出遭ったのだ。

    今日の日経新聞Q&Aによると「ギリシャは、紀元前に世界初のデフォルトを実施した国と伝えられる。また19世紀以降、ギリシャ国債は大規模なデフォルトを少なくとも5回経験しており、金融市場での信用は高くない。」ということです。
    私も知りませんでしたが、いやはや、たいそうな国ですね。スケープゴートとしては適格でした(笑)。

    スケープゴートを用意してでも、神聖ローマ帝国的な地域共同体を作りたがる。大戦の反省、経済的要因、はもちろん動機としてあるのでしょうが、アジア人と違うメンタリティーが別にあるような。アジア共同体?ピンと来ないですから。

    • 町田 より:

      >Sora さん、ようこそ。
      なるほど!
      >「ギリシャは紀元前に世界初のデフォルトを実施した国」 だったのですか。
      まさに “筋金入り” の信用のない国家だったわけですね (笑) 。
       
      ヨーロッパが伝統的に、全体を統括する “地域共同体” 構想を抱きやすいのは、やはり過去にローマ帝国を経験したからでしょうね。
      カール大帝のフランク王国も、神聖ローマ帝国も、さらにヒットラーの“第三帝国”も、みなローマ帝国が規範となっています。
      だから、ヨーロッパ人には “統一ヨーロッパ” に対するノスタルジーがあるのかもしれません。
       
      東洋には、 “中華共同体” がありましたから、今でも中国は覇権国家への夢が捨て切れないのでしょうね。
      それに対して、日本の 「大東亜共栄圏」 は経験のない国の貧しさを反映して、お粗末なかぎりでした。
      アジア共同体 …、ほんとにピンと来ませんね。
       

  2. Sora より:

    それに、ギリシャはなんと言ってもヨーロッパ思想・文化の源流のギリシャ文明を生み出した国、いわば精神的本家です。いくら資本主義の精神にギリシャ人が適合的でないとしても、もっと長い歴史的スパンからは、ヨーロッパ精神の本家本元として統一ヨーロッパでは迎えいれ、それなりに遇したくなる、そんな心情が独・仏主要国にあるまいか。一方、イスラム教国家トルコは、精神的反目はあっても負い目はない。きっちり加入要件を満たすまでは入れてもらえない。

    といいつつも、集団と規範の一般的特質をEU共同体に適用しての町田さんの解説、私は今回も素晴らしいと思いました。社会学者にもなれたのでは。

    • 町田 より:

      >Sora さん、ようこそ。
      おっしゃるとおりですね。
      >「ギリシャ文明はなんといってもヨーロッパ思想・文化の源流」。
      だから、EU 諸国も、できれば 「援助の手を差し伸べたい」 という気持ちに偽りはないかもしれません。
       
      いわば、“飲んだくれのダメ親父” でも、親父は親父。
      「とうさん、しっかりしてくれよ。これ以上飲み過ぎると肝硬変になるよ」 という気持ちなんでしょうね。
       
      一方、トルコには、かつてウィーンまで侵攻されて街を包囲されたという苦々しい歴史がある。
      こっちはかつての “いじめっこ” なわけで、 「仲間に入りたい? お前、昔いばってたよな」 という意地悪のひとつもしたくなる。
       
      グローバル経済が生んだ軋轢のように解釈されがちなこの二つの国に対するEU の対応は、案外、そんな解りやすいヨーロッパ人の心情が反映しているのかもしれませんね。
       

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">