身体を通して触れた音楽

 
 身体を通して、自分の中にたくわえた音楽。
 
 墓場まで一緒に携えていく音楽というのは、結局そういうものなんだろうな、と思う。
 
 死んだオフクロは、生前から、 「自分の葬式には、シューベルトの 『アヴェ・マリア』 と、ビートルズの 『レット・イット・ビー』 を流してくれ」 とよく言っていた。
 
 2つとも、ことあるごとに、よくレコードで聞き、かつ自分でも口ずさみ、身体の中に沈潜させるようにたくわえていった音楽だった。
 
 それは実行してやった。
 
 弔慰客を待たせる間に流すBGM として、葬儀社が定番のレクイエムを用意してくれたが、それを断って、自分で作った 『アヴェ・マリア』 と 『レット・イット・ビー』 が繰り返し流れるテープを流した。
 
 
 
 死んだオフクロに、それが届いたかどうかは分からないが、自分としては、母親らしい葬儀になったと思った。
 
 自分にとって、墓場まで携えて行ける音楽があるのかどうか、いろいろ考えてみたけれど、いっぱいあるようにも思えるし、2~3曲しかないようにも思える。
 
 ただ、いずれにせよ、それは、自分が15~16歳ぐらいから23~24歳ぐらいまでに聞いた音楽のどれかになりそうだ。
 「身体を通して、自分の中にたくわえた音楽」 だからだ。
 
 キャンピングカーで独り旅をしているとき、夜は必ずキャビンの中にじっとこもって、酒を飲みながら音楽を聞いている。
 最初は、いろんな時代のいろんなジャンルの音を聞く。
 
 しかし、夜がふけて、酔いも回る頃になると、たいてい “お定まり” の音に落ち着く。
 それは1960~70年代のソウル・ミュージックやブルース、R&B。


 
 『アヴェ・マリア』 のような敬虔さも、 『レット・イット・ビー』 の静謐感もないけれど、それが自分の 「身体を通過した音」 なのだ。
 
 友達のアパートで、安ウィスキーを飲みながら聞いた音。
 下品なミラーボールの回るディスコで、 「どの女の子に声をかけようか」 と物色しながら聞いた音。
 深夜の冷気とともに、FEN から流れてきた音。
 基地近くの黒人バーで、話し相手もなく、一人でジュークボックスにコインを入れて聞いた音。
 
 安っぽいけど、それが自分の 「身体で聞いた音」 だ。
 
 人は、若い頃に聞いた音に、一生を支配されやすい。
 
 それは、感受性が鋭敏だった時代に聞いた音だからかもしれないが、それ以上に、いちばん 「身体が動いていた時代」 に聞いた音だからだろう。
 
 その時代に、別の音楽に触れていれば、自分にももっと別の生き方があったかもしれない。
 そう思うと、音楽との出遭いは、ひとつの運命でもある。
 
     

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