懐かしい (そしてどこにもない) 未来

 
 1972年、映画監督のタルコフスキーは、日本の首都高速を撮影し、それをSF映画 『惑星ソラリス』 の未来都市の映像として使った。
 
 今、その映像を見れば、日本人にとっては “昔の首都高” 以外の何ものでもない。
 しかし、それなりに、彼が目指したイメージは伝わってきた。
 
 複雑に絡み合う立体交差。
 周囲を流れる幾何学的な高層ビル。
 
 当時の日本の都市を見たこともない外国人にとって、それは高度に発達した近未来文明の姿そのものだったかもしれない。
 
 今、タルコフスキーが、未来都市の映像を日本に求めるとしたら、間違いなく新橋から 「ゆりかもめ」 に乗って、臨海副都心の風景を撮っただろう。
 
 
 
 ここにはまぎれもなく、われわれのイメージするSF的な 「近未来都市」 が、時間の裂け目をわずかにこじ開けて、 “現代” に顔を出している。
 
 
 
 しかし、その光景は、どことなく懐かしい。
 「未来の風景」 でありながら、すでに昔からさんざん見尽くしてきた風景のようにも思える。
 
 それは、手塚治虫が1950年代から描いてきた未来都市そのものであり、1970年に、大阪に誕生した日本万国博覧会 (EXPO) のパビリオンを都市に置き換えたものである。
 
▼ 『鉄腕アトム』

 
 「原子力の平和利用の申し子、鉄腕アトム」 の街。
 「人類の進歩と調和を謳う万国博覧会」 の街。
 
 “美しい幾何学図形” のような構造と、デザインの冒険が適度に調和した臨海副都心の映像を眺めていると、人間が都市をつくることを無邪気に賞賛していた 「進歩と調和」 の時代を思い出す。
 
 それがすでに 「懐かしい」 と感じられるのは、もうこのような未来都市の風景を、誰もが信じられなくなってしまったからだ。


 
 未来都市のイメージは変わった。
 

▲ 『ブレードランナー』
 
 われわれはすでに、映画 『ブレードランナー』 に描かれた古代文明の廃墟のような未来都市や、アニメ 『イノセンス』 に登場する荒廃した工場とアジア的混沌に満たされた 「ディストピア」 のような未来社会の映像の方にリアリティを感じ始めている。
 
 なぜか。
 
 われわれの現実の生活が、徐々にそれらに描かれる未来都市の様相に近づきつつあるからだ。
 
 世界中に広がる貧富の格差。
 富裕層が暮らす、リゾート地との見紛うばかりの高級住居エリアと、ますますスラム化が進む低所得者の住居エリア。
 

 
 富裕層は、幾重ものセキュリティで保護された囲いの中で、古代の神殿を思わせる荘厳な建物を築いて暮らし、低所得者は、汚れた大気が垂れ込めるスラムの集合住宅で、けばけばしいネオンに照らされながら、暮らす。
 

 
 それが 『ブレードランナー』 で描かれた未来都市の情景だったが、いま、世界中のあちこちで、そのような光景が現実のものになりつつある。
 
 さらに、中国・インドを筆頭に、21世紀に台頭したアジアパワーもまた、都市の景観を変えることになるだろう。
 
 ガラスと鉄で構成されたモダン建築というのは、いわば “西洋近代” がもたらした都市景観にすぎない。
 
 しかし、建築において 「世界基準」 を確立した西洋近代建築も、アジアパワーの躍進のもとに、次第に相対化されつつある。
 だから、これからの都市像は、西洋型モダン建築に、アジア趣味を採り入れた無国籍デザインに取って代わられることになるだろう。
 
 それを、先駆けて映像化したのが、押井守のアニメ 『イノセンス』 ではなかったか。
 
▼ 『イノセンス』
  
 
 高度成長の時代に 「進歩と調和」 を求めた先には、何があったのか。
 
 原発事故や、各国経済の危機的様相を見てしまったわれわれは、もう 「進歩と調和」 に満ちたプログラムが素直に進行していくことを信じられない状態にいる。
  
 だから、今なお、「20世紀文明」 の延長の果てに築かれた臨海副都心の光景は、もう、どこにもない “失われた未来” の映像として、懐かしい。
 
 
  
 たとえ、それが 「ガラスと鉄」 で構成された “反自然” を象徴する光景であろうとも、ここには、人間が無邪気に 「科学と進歩」 を称揚できた、宴の残滓 (ざんし) が漂っている。
 
 
 ▼ アジア的混沌がめくるめくような妖しい光彩を放つ、アニメ 『イノセンス』 に出てくる未来のカーニバル
 
  
 
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懐かしい (そしてどこにもない) 未来 への2件のコメント

  1. Sora より:

    未来を先取りしてしまったがゆえに、懐かしいか・・。
    逆説的いい着想ですね~。 確かにそんな気がします。
    未来の風景は映像技術の発達もあり、これからも、もっとリアルに刷り込まれていくでしょうね。すると、全部デジャビューか。

    米国のSF映画では未来の荒廃した都市風景のほか、一握りの権力者が全ての情報管理する、といったテーマも多いですよね。話がそれて申し訳ないのですが、例の中国の徹底した情報管理というのは、政治的後進性の表れでなくて、ひょっとすると未来の情報管理社会の先駆けになっているのでは、とも思っています。中国大衆は経済的豊かさとバーターで、情報統制を甘受するところなんか。。嫌だなあ。

    • 町田 より:

      >Sora さん、ようこそ。
      アメリカのSF映画には、確かに、Sora さんがおっしゃるように、>「一握りの権力者が情報管理する未来社会」 がよく描かれますね。『未来世紀ブラジル』などが、まさにそうでした。
      小説では、ジョージ・オーウェルの 『1984年』 なんかもそうだったかな。
       
      そこに、現在の中国政府の情報管理政策を重ねるというのは、まさに Sora さんの卓見であるように思います。
       
      しかし、政府がそのような政策を取らずとも、自分たちでそのような情報管理操作を行なって自分たちを縛っているのが、今の日本の現状かもしれませんね。
      メディアの垂れ流すニュースなどを見ていると、そこに “自己情報管理” を行なって、自分たちで安心している 「我々の姿」 が見えるような気もします。
       
      みんなが同じ情報を得て、みんなが同じ気分になると、なんだか自分も安心しちゃいますものね。
       

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