ちあきなおみ 『喝采』

 
 ちあきなおみという人が、人の前から姿を消して、もうどのくらい経つのだろう。
 『喝采』 という大ヒット曲を飛ばしながら、それを最後に沈黙を守った不思議な歌手。
 
 あの歌の印象が強烈なので、私は、今もまだ彼女が現役で活躍しているという錯覚をずっと抱き続けていた。
 だから、週刊誌の 「あの人は今?」 みたいな記事を読むまで、『喝采』 以降、彼女が芸能活動を辞めていたことを知らなかった。


 
 『喝采』 は、自伝的な歌だという。
 歌のテーマは、別れた男が死んだ知らせを胸に収めながら、プロの歌手として平然とステージをこなす女性歌手の心境を歌ったものだ。
 
 もちろん虚構の話だが、夫との死別を経験した直後の彼女にとって、その歌の主人公は “自分” 以外の何者でもありえなかった。
 
 この歌は、今でもときどき頭の中で鳴り響く。
 突然、何の前触れなしに鳴る。
 
 おそらく、そのときに、何げなく見たもの、聞いたもの、あるいは頭の中に漂っていた雑念などがトリガーとなって、ひとつの情景をたぐり寄せるからだろう。
 
 情景
 
 学生時代のことだ。
 大晦日だったか、その前日ぐらいか。
 
 場所は、吉祥寺のやきとり屋。
 長いカウンターに並んで、立ち食いする人々が、立ち込める煙に目を細めながら、ビールを飲み、熱燗をあおり、串に貫かれたやきとりを歯で食いちぎっていた。
 
 私はそこで一人で飲んでいた。
 誰かを誘い出そうとしても、地方から来ていた仲間の多くは、みな帰省してしまっている。
 
 でも、それほど寂しくはない。
 都会の子だ。
 街の中での一人遊びには慣れている。
 
 視線を感じた。
 
 煙で霞んだ遠くのカウンターから、こちらをじっと見つめる目がある。
 それに気づいて、目を合わせると、長身の男が、うれしそうに手を振った。
 
 「やっぱりお前か」
 
 男は、ビールの入ったジョッキだけを手に持ち、つかつかと歩み寄ってきたかと思うと、私の隣の客を強引に押しのけて、横に並んだ。
 
 「こんな日に、お前に会うとは思わなかったよ」
 と、男はいう。
 
 仲間がみなふるさとに帰ってしまった年末に、話し相手に会えるとは思わなかった、という意味である。
 
 「お前、帰らなかったの?」
 と、私は聞いた。
 「ああ、今年はやめにした。早い話、帰る金がなかったんだよ」
 
 学部は違うが、学園近くのマージャン屋に入り浸っていた頃に知り合った男だ。
 きっかけは何だったのか覚えていないが、一度、家に遊びに来たこともある。
 
 部屋に置かれたステレオを見て、並んだレコードを眺め、書棚に乱雑に積まれた本の束を見て、
 「ふぅ~ん …」
 と、彼はため息をついた。
 
 「何か?」
 「いや、都会のお坊ちゃんの部屋というものを、はじめて見たんでね」
 
 その語調に、羨望がこもっていたのか、皮肉が隠されていたのか。
 私にはよく分からない。
 
 ただ、彼が、早朝新聞配達をしているという話は、そのとき聞いた。
 それを学費の足しにしているという。
 経済的に恵まれた子弟の多かった私の学園では、珍しい部類に入る。
 
 どこで気があったのか、それをきっかけに、キャンパスで顔を合わせると、話し込むことが多くなった。
 
 学生運動は、退潮期に入っていた。
 なのに、彼は運動のことを話したがる。
 「この学校にはトロッキストが多いが、やつらはスターリンの政治的怖さというものに無頓着だ。だから、運動が観念的になる」
 
 そういう難しそうなことを話す。
 しかし、自分から運動に入ろうとする様子はない。
 “学問” としての政治思想に興味があったのかもしれない。
 
 やきとり屋で横に並ばれたとき、私は、 「今日はそういう話、ちょっと面倒だなぁ…」 という鬱陶しさも感じた。
 だが、彼は珍しく、故郷のことをしゃべった。
 
 「田舎の生活は嫌だった、自由が欲しかった、だから東京の学校を選んだのだ」
 
 そのような話をしながら、故郷の雑煮と関東の雑煮の違い、はじめて口にした関東の味噌の味に面食らった話などを、頼みもしないのに、楽しそうに語った。
 
 そのとき、ちあきなおみの歌が、テレビから流れたのである。
 カウンターの奥、やや上の方に吊るされたテレビでは、年末の歌謡番組がずっと流れていたが、ちあきなおみが歌い出したとたん、私たちはしゃべることも忘れ、上方のテレビを見入った。
 
 もしかしたら、店の客全員が、一瞬その画面を見つめたかもしれない。


 
 それほど、彼女の歌は、喧騒に満ちた店の空気を引き裂き、人々の耳をわしづかみするような “力” を秘めていた。
 
 聞き惚れる彼の、ジョッキを持った手が空中で止まったままだった。
 
 愛した男が死んだ知らせを、そっと胸に伏せたまま、笑顔を客席に振り向ける女性歌手を描いた歌。
 
 それが、なぜゆえに、彼の心をとらえたのか。
 
 テレビ画面から、ちあきなおみが退場した後も、彼はビールを飲むのを忘れ、静かに虚空を眺めていた。
 
 「すごい歌だよな」
 不意に訪れた沈黙の重みに耐えかねて、私はさしたる意味もない言葉を口に浮かべた。
 
 「ああ ……」
 
 うつろに答えた彼の目頭がキラリと光ったような気がした。
 
 「どうでもいいことなんだけど、今日が、死んだオフクロの一周忌だったんだ。
 オヤジには、必ず帰るから … って言ったんだけどね」
 
 「そうなのかぁ」
 と答えた私にも、次の言葉が見当たらない。
 
 「まぁ、飲むか」
 お互いにそう言い合って、なんとか次の話題を探し、あげくの果てに酔って、二人で夜の公園を散歩しながら、歌い、別れた。
 
 たった、それだけの話である。
 
 なのに、ちあきなおみの 『喝采』 を聞くと、必ずこの日の情景が浮かび上がる。
 
 それは、ぼんやりと暮らしていた私が、それまで見落としていたような何かを発見した、大切な記憶なのかもしれない。
 

 
 
 
 

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ちあきなおみ 『喝采』 への4件のコメント

  1. スパンキー より:

    見落としていたもの。
    これは私の推測ですが、たとえば「哀」なんじゃないかと思います。
    喝采を聴いていたら、もう悲しい訳で「悲」なんじゃないかと思ってしまうんですが、
    私たちはあの歌から、人生はままならないことを初めて知らされる。
    で、ちあきなおみさんの歌う姿を見ていて、どうも他人事のようには思えない迫力というか、胸に迫るものがある。で、誰もが我が身を重ね合わせてしまう。
    聴き流すことができないんですね? 
    それだけ歌詞が素晴らしいというか彼女の才能なのか、私には分かりません。
    が、いつかは訪れる肉親とのわかれとか死とかが、身近に思えてくる。経験済みの方には、そのことを思い出させる。
    で、人生はままならない事に気がつく。そして、ああと溜め息を吐いたときに
    「哀」という感情が生み出されるのだろうと思いますが…
    とまあ、私なりの解釈ですが、「哀」っていう感情は自身、大人になって知りました。

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ。
      いいご指摘だと感じ入りました。
       
      たまたまかもしれませんが、最近、ようやく自分の書く文章でも、 「悲しい」 と 「哀しい」 を使い分けるようになりました。それまでは 「かなしい」 は 「悲しい」 一辺倒だったのです。
       
      「哀しい」 には、おっしゃるとおり、 > 「人生はままならない」 という嘆息が底に潜んでいますよね。
       
       このエピソードを体験した頃、まだ私の両親も健在でしたし、親戚縁者や友人もほとんど元気だったので、「身近な存在に死が訪れる」 という実感は遠かったのです。
       
       それが、ちあきなおみさんの歌を聞いた夜に、にわかに、それが身近に迫ってきたということなのかもしれませんね。
       
       「悲」ではなく 「哀」 に触れた記憶というわけですね。
       そういう意識もなく書いたものでしたけれど、ご指摘を受けて、にわかに、「そうだったのか!」 と気づいたような気もします。
        

  2. Take より:

    町田さんの方が僕より少し上だからか、そうでなくても僕は少し成長が遅かったからか、この歌のリアルタイムの時期、たしかにTVから醸しだされるオーラと言うかパワーを感じながら、片手を上げながら歌うポーズを真似しながら歌っていた気がしますが、歌詞をしっかり読んだのはだいぶあとになってからだと思います。
    齢五十になると、類似(相似)の経験はいくつかでてきました。そしてその経験を味わったあと、この歌を聞くと「すごい歌だよな」と言う言葉とともに、その苦しみ悲しみを誰かに語りたくなるのかもしれません。

    • 町田 より:

      >Ta k e さん、ようこそ。
      ああ、分かります! 
      齢50を過ぎた頃に、じわじわっと身に沁みてくる歌というわけですね。
      そうかもしれないですね。歌詞の内容に近い体験をいくつか重ねると、ようやく、この歌のコアの部分に触れられるということなんでしょうね。
       
      それと、この歌で関心するのは、歌詞の中に仕組まれたドラマ性です。
       
      >「ひなびた町の昼下がり、教会の前にたたずみ、喪服のわたしは…」
       
      ものすごいイメージ喚起力だと思うのです。
       
       ひなびた町の昼下がり ……。
       地方巡業なんかで訪れた、少しさびれた町の人気のない気配が伝わってきますよね。
       
       教会の前に、喪服の……
       
       この歌詞からも、小さな教会のひんやりした床の感触とか、礼拝堂を貫く静寂みたいなものが伝わってくるように思います。
       
       さらに、
       「暗い待合室、話す人もいない私の耳に、私の歌が通り過ぎていく……」
       このリアル感には、鳥肌が立ちそうです。

       これだけの歌を歌ってしまうと、ちなきなおみさんが、もう歌手人生の中で、すべてを歌い切ったと思ったとしても、おかしくはないかもしれませんね。
       

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