演歌の時代は終わったのか

 
 1970年代ぐらいまでか。
 演歌は 「人生の現実」 を歌い、ニューミュージックは 「人生の夢と憧れ」 を歌う、という印象が定着していた。
 そのニューミュージックが、いつしか J ポップと呼ばれる音楽群に進化して、 「夢と憧れ」 もなくなり、ただの 「日常」 だけが残った。
 
 「跳ねる言葉」 、 「響きの鮮やかな言葉」 、 「色のついた言葉」 だけが連なる今の J ポップに、 「人生の現実」 があるようには思えない。そこで繰り広げられる世界は、そのまま、我々の前を通りすぎる 「日常」 だけを描いているように思える。
 
 「現実」 と 「日常」 の違いは何か。
 
 それは 「ワークソング」 と 「ラブソング」 の違いである。
 
 かつて、演歌が 「人生の現実」 を描いていると思われたのは、それが 「ワークソング」 であったからだ。
 
 たとえ、身を裂かれるような恋愛をテーマにした演歌があったとしても、その “身が裂かれる” 原因は、社会構造の軋轢 (あつれき) から来るものであったり、身分格差によるものであったり、地域格差のもたらすものであったりした。
 
 分かりやすくいえば、日本の演歌は、日本が近代化を歩む過程に生じた都市への労働力の集中と、農村の過疎化という背景の中から生まれてきたのである。
 
 「農村共同体的な社会の崩壊」
 
 そう言えるかもしれない。
 その崩壊の予感と、崩壊する以前の社会に対する郷愁が、演歌を呼び寄せた。
 それは、否が応でも、日本全体の社会構造が変わっていくという 「現実」 を浮かび上がらせるものとなった。
 
 「現実」 とは、人間が食べていくための労働形態が変わるときに、くっきりと立ち上がってくる。
 だから、そのような現実に対応しようとした歌は、まず 「ワークソング」 の形を取らざるを得なかった。
 
 
 
 演歌の起源が何であったのか、そして、それはいつ頃生まれたのかは、よく分からない。 ( … というか、演歌をどう定義するかによって、説も変わる) 。
 
 しかし、 「いつ、爆発的なヒットが生まれたのか」 という問いなら、すぐに答えることができる。
 それは、昭和30年代に入って、三橋美智也が 『リンゴ村から』 、 『夕焼けとんび』 、 『達者でナ』 などを歌った頃からである。
 
 
▲ 三橋美智也
 
 三橋の歌の中でも、 『夕焼けとんび』 が、いちばんこの時代の流行歌のテーマを分かりやすく伝えている。
 

 
 この歌は 「人を恋うる歌」 ではあるが、恋愛を歌ったものではない。
 「東京に行った兄の安否を気づかう弟の歌」 である。
 
 秀逸な歌詞だ。
 
 主人公の少年は、田舎の上空を舞うとんびに、
 「そこから東京が見えるかい?」
 と問う。そして、
 「兄ちゃんは、どうしているんだい? ちょっぴり教えてくんないか?」
 と尋ねる。
 
 もちろん、とんびが答えるわけがない。
 
 とんびは、少年にとって、田舎に縛られた自分の手の届かない空を飛んでいく、自由な都会生活者の象徴なのである。
 それは 「祭りにゃ必ず帰るって、おいらを騙して置いてった」 兄の仲間なのだ。
 だから、その少年は、 「兄ちゃんも、お前もバカっちょ、ホーイホイ」 と歌うしかないのである。
 
 ここには、引き裂かれた家族の痛みがある。
 「農村共同体」 崩壊への予感が生んだ寂しさが、その根底に沈んでいる。
 
 兄ちゃんはどこに行ったのか?
 
 もちろん東京であるのだが、彼は遊びに行ったのではない。
 
 昭和29年 (1954年) から運行を開始した盛岡~上野間の集団就職列車は、昭和50年に運行が終了するまで、4万6,800人の若者を都会に運んだという。
 それ以外の方法で、地方から都会に集まってきた若者は、おそらく何十万人という数になるだろう。
 
 どうして、そのような事態が生じたのか。
 
 終戦から高度成長が始まる時代になると、日本の 「農耕機具の機械化」 が進み、子供を労働資源とする必要性が薄まってきた。
 それと同時に、高度成長期に入った日本は、大量の工場労働者やオフィス労働者を必要とするようになった。
 
 そのような社会構造の変化が、子供たちを田畑から切り離し、集団就職という形をとって都市に向かわせる理由をつくり出した。
 
 このとき、はじめて日本において、本当の 「田舎」 が発見されたといっていい。
 「望郷」 というテーマが生まれたのだ。
 
 
 
 人口のダイナミックな移動は、地方と都会に引き裂かれる人間の悲しみを歌にするエネルギーをつくる。
 若者たちは、 「望郷ソング」 を欲した。
 
 「望郷ソング」 というのは、 「ワークソング」 である。
 
 アメリカにおいても、都市への人口流入が激しさを増したときは、新しいジャンルの歌が生まれた。
 
 南北戦争以降、奴隷の身から解放された黒人たちは、シカゴやデトロイトのような町に集まり、綿花畑で歌っていたワークソングを、ブルースに昇華させた。
 それが後に、オーティス・レディングの歌う 『ドッグ・オブ・ザ・ベイ』 のような “望郷R&B” につながっていく。
 
 白人たちも同様であった。
 20世紀になって、広大なアメリカ大陸を東西に結ぶ鉄道網が整備され、農家の次男坊・三男坊は新しい仕事を求めて、都市から都市へと放浪を始めた。
 
 そして、そのような、 「若者の放浪」 をテーマにしたホーボーソングが生まれる。
 それが、アーロ・ガスリーやボブ・ディランが歌う都市型フォークソングへと発展する。
 
 大量の人間が、集中的に移動を開始するとき、そこには 「都市への憧れ」 、「地元に残した家族や恋人への思慕」 などをテーマにした 「新しい歌」 が必ず生まれる。
 アメリカの現代フォークソングは、そこにルーツを持つ。
 
 同じようなことが、戦後の日本でも起こった。
 
 
▲ 守屋浩
 
 それを歌として象徴的に表現したのが、三橋美智也の 『夕焼けとんび』 だったが、それに続き、昭和34年 (1959年) には、守屋浩が、 『僕はないちっち』 を歌った。
 

 
 「僕の恋人、東京へ行っちっち、僕の気持ちを知りながら … 」 と、この歌は、恋人に置き去りにされた青年の気持ちを表現する。
 
 この歌においても、 “恋人” は、東京に遊びに行ったのではない。
 なぜなら、彼女は、その 「青年の気持ち」 を知りながら、去ってしまったからである。
 
 しかし、 「東京に働きに出る」 ということは、彼女にとっては、辛いわけでもなさそうだ。彼女にとっては、都会へ出ることは、古い因習に束縛される農村共同体的な社会からの解放でもあっただろう。
 
 だからこそ、置き去りにされた青年は哀しい。
 彼は、 「祭りの太鼓がテンテケテンと鳴る」 場で、浮き浮きした仲間たちに疎外感を抱き、 「お祭りなんかいやだよ」 と歌う。
 
 そして、最後に 「早く行こう、あの娘の住んでいる東京へ」 としめくくる。
 歌詞に出てくる 「祭り」 が、農村共同体の “結束” を意味しており、娘の後を追って青年が東京に出ることは、そのような共同体が崩壊しつつあることを意味している。
 
 昭和35年 (1960年) には、藤島桓夫が 『月の法善寺横丁』 を歌う。
 主人公の青年は、 「包丁一本、さらしに巻いて」 板場の修行に旅立つ。そして、婚約者に向かい、 「待ってて、こいさん。哀しいだろうが … 」 と呼びかける。
 恋の歌でありながら、これも労働人口の移動を表現した一種の 「ワークソング」だ。
 
 こうして、地方から都市部へ流れ込んだ大勢の若者たちは、都会で新しい仕事場を確保し、都会で伴侶を発見し、団地という新しい住まいに入って近代家族を形成した。
 
 このような新しい動きがほぼ定着したのが、1970年代。
 都会には、一様に、サラリーマンの夫と専業主婦。そして子供二人という 「標準世帯」 が誕生することになった。
 
 そのような家庭で生まれ育った子供たちは、もはや 「望郷ソング」 を必要としない。
 親・兄弟や恋人と引き裂かれる悲しみを生むような 「田舎」 を持たない。
 
 すでに60年代に入った頃から、洋楽の浸透や歌謡曲の “和製ポップス化” が進んでいたが、それは、音楽の流行の問題ではなく、単に、農村共同体的な社会を基盤が地盤沈下してきたことを意味しているにすぎない。
 そのような地縁・血縁的な人間関係に、さほど切実さを感じない人々が育ち始めていたのだ。
 
 そのような社会で暮らす子供たちは、最新の家電製品に囲まれた集合住宅の中で、テレビに映るヒーローやアイドルだけを見るようになる。
 
 テレビの歌謡番組に流れる歌は、望郷ソングとは無縁の明るく健康的なアイドルポップスが主流となっていた。
 彼らの憧れのスターは、キャンディーズや山口百恵だったが、彼らが歌う歌は、同じ学園に通う少年と少女の恋物語であり、さらにピンク・レディーともなれば、もはや 「現実」 の男女すら超えて、「UFOに乗る宇宙人」だったり、 「透明人間」 だったりした。
 
 80年代になると、その傾向に、さらに拍車がかかった。
 松任谷由実は、すでに70年代から 「都会」 と 「田舎」 の緊張関係を解体し、日本全国がリゾート地となるような、甘く美しい架空のパラダイスを提出し続けていたが、その彼女から曲をもらうことになった松田聖子になると、もう 「歌の舞台」 そのものが必要でなくなった。
 
 松田聖子の歌う 「入江」 や 「花園」 や 「バルコニー」 は、単に “お洒落” な雰囲気だけを取り出す 「記号」 に過ぎなかった。
 
 そこから今の J ポップには、もうひとっ飛びだ。
 J ポップにも熱愛があり、別離もあり、さらに羨望や嫉妬まで盛りだくさん用意されているけれど、それ自体が、すべて 「記号」 に過ぎないといっていい。
 
 「音」 を気持ちよく消費するための 「記号」 。
 感情の高低差をつけるための 「記号」 。
 友達と同じ気分を共有するための 「記号」 。
 
 意味が無いことが、商品価値となるような歌こそが、現代人の求めているものであるともいえる。
 
 もちろん演歌は、今でも存在する。
 そして、相変わらず、根強いファンに支えられている。
 
 しかし、その演歌においても、今は 「記号化」 が進んでいる。現実にはありえないような不倫を歌ったり、時代錯誤的な人間関係を美化したりして、 「架空の望郷」 を掘り起こすような方向に進んでいる。
 いわば、聞くための音楽ではなく、カラオケで自分が歌うための歌になりつつある。
 
 ただ、80年代に入ったときに、1曲だけ、不思議なパワーを持った演歌が登場した。
 松村和子の歌った 『帰ってこいよ』 である。
 
 
▲ 松村和子
 
 この歌を耳にしたときの衝撃は、いまだに忘れられない。
 
 友人の結婚式の日だった。
 二次会がカラオケ大会になった。
 誰もが、当時の最新の J ポップを歌った。
 自分も 『ワインレッドの心』 か何かを歌ったように記憶している。
 
 そのとき、招待客の一人が、いきなり 『帰ってこいよ』 を歌いだしたのだ。
 
 一瞬、場が凍りついた。
 次の瞬間、割れるような拍手が沸き起こって、場内が一気に盛り上がった。
 
 それは、 「都会」 の中に突然姿を現した 「田舎」 であり、文明の破れ目を抜けて飛び出した 「野性」 であった。
 「望郷ソング」 など、まったく成立するはずのない土壌に突然咲いた、強烈な色と匂いを放つ野生の花だった。
 
 ちなみに、この歌が登場した1980年の他のヒット曲を列記してみる。
 
 寺尾聰 『ルビーの指輪』
 近藤真彦 『スニーカーブルース』 『ギンギラギンにさりげなく』
 沢田研二 『TOKIO』
 松田聖子 『チェリーブラッサム』 『夏の扉』
 西田敏行 『もしもピアノが弾けたなら』
 南佳孝 『スローなブギにしてくれ』
 大滝詠一・アルバム 『ロング・バケーション』
 もんた&ブラザーズ 『ダンシング・オールナイト』
 クリスタルキング 『大都会』

 どこをどう探しても、望郷ソングなどは入り込める余地がない。
 その多くは 「都会賛歌」 であり、 「リゾートとして美化された田舎」 である。
 だから、そこで歌われる歌のほとんどは地名も定かではなく、人間像も、具体性を欠いた抽象的な存在になっている。
 
 『帰ってこいよ』 が、そのような抽象化された世界と違うことはすぐに分かる。
 「お岩木山」 という具体的な地名があり、東京に去った恋人を呼ぶ悲痛な叫びがある。
 さらに、引き裂かれた男女を悲しむ、第三者が生々しく存在している。
 
 二番の歌詞が絶妙だ。
 
 「気立てのやさしい娘だったよ
 お前の嫁に欲しかったねと
 おふくろ今夜もひとりごと」

 
 ここには、三橋美智也の歌った 『夕焼けとんび』 の世界があり、守屋浩の 『僕は泣いちっち』 に描かれた「共同体」の裂け目が顔を出している。
 
 この先祖返りのような歌は、80年代の住民にどう受け取られたのだろうか。
 
 多くの人は、パロディとギャグの精神しか、そこに見なかったかもしれない。
 
 事実、松村和子は、ロックバンドよろしく三味線をギターのように肩から吊るし、ロック演歌という “キワモノ” スタイルを強調した。
 
 しかし、私はそこに、サバンナの草原を駆け抜けて都会に漂着した一匹の豹か、シベリアのタイガをくぐり抜けて民家に顔を出したオオカミの姿を見る。
 たった一匹で都会に殴りこみをかけた肉食獣の壮挙を、痛快にも思うし、その後続がないことの意味を考え、寂しさも感じる。
 
 思えば、この歌が登場した1980年というのは、ひとつの時代が終わり、新しい時代が始まることを表現するさまざまな出来事があった。
 
 山口百恵の引退。
 長嶋茂雄監督の退任。
 王貞治選手の現役引退。
 ジョン・レノンの殺害。
 日本の自動車生産台数が世界一位。
 
 このとき、演歌が日本人の心を歌うと信じられた 「昭和」 が店じまいを始めようとしていたのかもしれない。
 
 いずれにせよ、私たちは、演歌の成立基盤が失われた時代を生きていることだけは確かなのだ。
 
▼ 『帰ってこいよ』 from YOUTUBE

 
 
 参考記事 「どうにかなるさ」
 
 

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