ジョン・レノンのバラードに潜むエスニックな響き

 
  
 歳を取ると、洋楽かぶれだった人間もみんな演歌が好きになる、と昔の人はよく言ったけれど、カラオケスナックなどに行くと、最近の老人はみなグループサウンズやビートルズを歌う。

 

 で、ビートルズの歌でも、老人たちはポール・マッカートニーのレパートリーの方が好きなようだ。
 メロディーが歌いやすいということもあって、ポールの歌は、どんな日本人が歌っても、それらしく聞こえるところがある。 
 
 それに対し、ジョン・レノンの作った曲は、ジョン以外の人間が歌っても、その良さが伝わりにくい。
 彼の場合、「曲」と「声」を分離して考えることはできない。
 言葉を変えて言えば、「精神」と「肉体」を分離して考えることはできない。
 
 例を挙げてみれば、そのことは簡単に理解できる。
 たとえば、初期ビートルズを代表する二つのバラードを聞き比べてみようか。
 
 一つは、ポール・マッカートニーの「アンド・アイ・ラブ・ハー」。
 もう一つは、ジョン・レノンの「アイル・ビー・バック」。
 ともに 「ハード・デイズ・ナイト」のアルバムに収録されている曲だ。
 
 まず、「アンド・アイ・ラブ・ハー」
 
▼ And I Love Her from YOUTUBE

 形の整ったメロディラインを持っている曲である。シンプルな構成だが、手の込んだ部分もある。
 最初にCシャープ・マイナーの嬰ハ短調としてスタートし、途中の「You Love Her too」というところで長調に転調するところ。そのあと、すぐに短調に戻るという、そのキレ味が見事だ。
 そのため、馴染みやすいメロディを持っているクセして、けっこう奥行きの深い曲になっている。
 
 ここにポール・マッカートニーという音楽家の “勘の良さ” みたいなものがよく現れている。
 ポール・マッカートニーは、小さいときからアメリカンポップも聞いていたし、ブルースやR&Bも聴いていたし、ジャズのスタンダードナンバーもいっぱい聞いていた。
 当然クラシックも聞いていたと思うが、とにかくいろんな音楽をすばやく理解して、自分のものとしてしまう器用さがある。
 
 だから、正規の音楽理論を勉強したわけではないのに、こういう音楽技法の知識というものを自然に身につけた人だと思う。
 そのためバラードの本質を外さないというか、綿密に計算されたバラードを作り上げるのはお手の物という感じがする。
 
 それに比べて、ジョン・レノンはどうだろうか。
 「アイル・ビー・バック」を聞いてみる。
 
▼ I’ll Be Back from YOUTUBE

     
 ポールの「アンド・アイ・ラブ・ハー」との共通点はある。
 どちらもドラムスを抑えて、リズムアタックを弱くすることで、ヴォーカルによるメロディラインを強調する作りになっている。
 
 しかし、聞き比べてみると、わりとカチっときれいに形を決めたポールに比べ、ジョンの場合はメロディアスだけれど、ちょっと捉え所がない … というか、なんとなく迷路の中に迷い込んでいくような感じがある。かなり複雑なコード展開を持っているため、一回で覚えきれないような不思議な陰影が漂っているのだ。
 音楽的に整理されていない雰囲気もあり、ジョンの声でなければ、そうとう混乱した曲になっていたかもしれない。
 
 ポールのメロディラインが、アメリカの洗練されたポップソングに近いのに比べ、ジョンのメロディというのはどちらかというと、どこか土俗的でエスニックな匂いに満ちている。
 
 このジョンのバラードにときどき現れるエスニックな哀調は、イギリスの土着民族であったケルト民族の旋律だという人がいた。
 彼らの出身地リバプールはイングランドにありながら、アイルランドの移民が多く、そのために伝統的なケルトの音楽風土が残っているという。
 
 そう言われると、そんな気もしてくる。
 確かに、ジョン・レノンのつくるバラードには、西洋人の正規の音楽教育とも異なり、またアメリカ風のポップな洗練とも無縁なエスニックなエキゾチシズムがあるように思う。
 それは、まさに “ケルトの遺伝子” なのかもしれない。
 
 そこがポール・マッカートニーとは違う。
 ポールが、わりと基礎的な西洋音楽のエッセンスを苦もなく身につけて、イギリスにもアメリカにも、日本にも通じる “普遍性” を簡単に獲得してしまうのに比べ、ジョンのバラードには、彼が無意識のうちに受け継いだケルトの血がほとばしる。
 
 この「アイル・ビー・バック」という曲においても、ジョンは、自分の血として流れるエスニティと、西洋音楽の規範が入り交じる混沌の中で呼吸する。
 だから、この曲には、短調から長調へ転調する箇所が非常に多く、それがめまぐるしく変化して、ある種の不安定な情緒を醸し出している。
 
 そこが、ギリシャ建築のような端正な構成美を誇るポールの作曲とは違う。
 ポール・マッカートニーという人は「こういうフレーズが次ぎに展開されれば人がグッと感じるだろうな … 」という計算ができる人である。
 
 それに比べて、ジョン・レノンはそういう計算はあまりしていない。込み上げてくる自分の感情をストレートに露出させることこそ、人の気持ちに訴えることにつながると思っていたフシがある。
 
 ポール・マッカートニーが、計算の行き届いた合理主義の人だとしたら、ジョン・レノンは情緒の人だ。
 
 バラード作りに対する二人の「切なさ」を英語で表現すると、ポール・マッカートニーの場合は「センチメント」 … 「センチメンタリズム」 … 日本語でいうと「感傷」。あるいは 「ノスタルジック」などという言葉にも通じる部分がある。
 
 要するに、ポールは、旅路の果てに遠い故郷を思い出すような、切ないながらも甘さが残る哀しみを表現するのがうまい。「切ない気分をちょっと味わってみたい」という時にぴったりの音だ。
 
 それに比べ、ジョンの場合は「メランコリック(憂鬱)」という表現が適切なような気がする。周りのものと和解しきれない人間の根源的な寂しさというものに触れているという感じがするのだ。
 

 
 ひところ、ポールはコマーシャリズムに生きる商売人で、ジョンは芸術家だと断定するファンが多かった。(特にジョン・レノンファンはそういう傾向が強かった)。
 だけど、そういう問題じゃない。
 これは、それぞれの才能の問題だし、感受性の違いだ。
 
 「ビートルズ」というのは、そういう異なる個性のぶつかり合いから生まれた奇蹟の総合体だ。
 
 この時代の、他のバンドが、ギター + ベース + ドラムス + ヴォーカル … といったように、足し算のバンドシステムによる音作りをしていたとしたら、ビートルズだけは、ギター ×  ベース ×  ドラム ×  ヴォーカル  という掛け算のシステムを創り上げたバンドである。
 そのため、アンサンブルとして生まれる音は、とてつもなく巨大な幹となって大地に根を張る。
 
 だから、ビートルズが好きな僕は、また今日もカラオケスナックに、ビートルズを歌いに行く。
  
 
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ジョン・レノンのバラードに潜むエスニックな響き への4件のコメント

  1. スパンキー より:

    私たちがちいさい頃の老人は、浪曲とか、イマイチ馴染めない唄を歌っていましたが、イマドキの老人のスタンダードがビートルズ。凄い格好いいですね?あと、オレはTレックスだとか、私はビートルじゃなくてやっぱりクリームね!とか、そんなお年寄りが、この先ゾロゾロ出てきますね?

    うーん、日本も新たな時代に突入です。私は中途半端な年代なので、スタンダードは和製ポップス?いやこっちも古いですね?天地真理とか西条秀樹とか(笑)

    で、ビートルズですが、私は何故か後のジョージ・ハリスンのマイスィートロードが好きですね?きっとこの辺りから記憶がしっかりしてきたからなのかも知れません。ローリングストーンズもGOOD!

    その後フォークでしょ。良き想い出の、良い時代でした!

    しかし、町田さんはいろいろと造詣が深い。今度はちょんまげコントをお願いします。

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ。
      ジョージ・ハリスンの 『マイ・スィート・ロード』 いいですねぇ。あと、私が好きなのは 『ヒア・カム・ザ・サン』 とか、『サムシング』。
      でも、いちばん好きなのは、エリック・クラプトンもギタープレイで参加したという 『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』 かな。
       
      要するに、自分が青春時代に聞いた音楽の “心地良さ” みたいなものを、人間は最後まで忘れられないのかもしれません。
       
      結局、いつの時代でもそうだったんでしょうね。
      …… つぅことは、おっしゃるように、“青春の歌” が、天地真理や西城秀樹だったり、サザン・オール・スターズや、ユーミンだったりする人も多いわけで、そのうち、エグザイルやAKB48を “青春の歌” として懐かしむ 「老人」 たちがいっぱい出てくることになるのでしょうね。
       
      「ちょんまげコント」 また書きたいと思います。
      『水戸黄門』 なんて、いいネタなんですが、今年いっぱいで終わるようで、そう思ってみていると、あれはあれで、なかなかよくできたドラマで、あんまり、おちょくる気にならなくて、わりと真剣に観たりしています。
       

  2. マギー鈴木 より:

    ググっていたら、セルテックスFCの監督ってニール・レノンというそうな。
    ポールもケルト人の末裔なのは自覚してるとは思いますが、
    キリスト教に対する発言からして、
    ジョンのほうがストレートに意識していたのかもしれません。
    ジョンが同じ辺境の日本に興味をもったのは東のはずれと西のはずれの
    はずれモノ同士で惹かれるものがあったのでせう。
    年取ると浪曲も聴けるようになりますよ。
    東のはずれの足元に埋まっているものにも気付いて欲しい。

    • 町田 より:

      >マギー鈴木さん、ようこそ。
      意表を突かれたような、すごいコメントでした。
      ありがとうございます。
      >「ジョンの方がストレートに (ケルトを意識していたのは)、東のはずれと、西のはずれという、辺境にいる “はずれモノ同士” として惹かれるものがあったのでは…」 というご指摘には、ハタと、膝を打ちました。
      なるほど。そういうことだったのですか。
       
      私は、ジョンの 『ノルウェーの森』 とか、『悲しみをぶっとばせ』 のような旋律を聴くたびに、「西洋音楽の規範から外れていくような、辺境モノの哀しみ」 みたいなものを感じていたんですけど、もともとそういう要素があったから、日本人のオノ・ヨーコに惹かれていったんでしょうかね。
       
      >「浪曲」 …。確かに、東のはずれの足元に埋まっている文化ですね。
      今度、心して聞いてみるようにします。

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