シャボン玉とんだ

 
 昔、一度だけ、高石ともやのライブを聞いたことがある。
 学園祭の夜のことだった。
 それも、そろそろ終わりの時間が近づこうとしているときだった。
 
 本館前のステージでは、相変わらず大音量を流すロックバンドが演奏を続けていて、その横では、ビールに酔った男女の一団が踊り狂っていた。
 しかし、バンドの演奏にもそろそろ疲れが見え始め、前にたたずんで聞いている学生たちの拍手も散漫になっていた。
 
 そのとき、私は、この同じ時間帯に、別のステージで、高石ともやのライブも行われていることを思い出した。
 それを見ようと思い、ライブ会場を探すために、その場を離れた。
 
 彼のライブは、本館前の喧騒に包まれた大ステージとは別に、そこから少し歩いた小講堂でひっそりと行われていた。
 観客は20人ほど。
 

 
 中央のステージでは、フォークギターを抱えた中年男が、あまり反応のない客を相手に、それでも、にこやかな笑顔を絶やさずに歌い続けていた。
 
 それが、高石ともやだった。
 
 寂しいライブだな … とは思ったが、彼は、中央ステージの派手なロックバンドたちと張り合うよりも、少人数の観客でも、自分のペースでのびのびと歌える環境に満足しているようにも見えた。
 
 そのとき、私が知っていた高石ともやの曲は、 『受験生ブルース』 だけだった。
 大学受験に挑む高校生の日常生活を、ギャグと皮肉と愛情を込めてコミカルに歌った軽妙な 3コードブルース。
 
 最初に聞いたのは、高校生のとき。
 たぶん1968年ぐらいだと思う。
 
 面白い歌だと感心した。
 何度も聞いて、歌詞をそらんじられるぐらいになって、少し飽きた。


 
 今日のステージでも、もうそれは歌われたのだろうか?
 それとも、フィナーレかアンコールの曲としてとってあるのだろうか。
 
 いずれにせよ、私が会場に足を踏み入れた時に歌われていた曲は、ギャグ満載のコミカル歌謡でもなく、シリアスな反戦フォークでもなく、平凡な童謡だった。
 
 「シャボン玉とんだ、屋根までとんだ……」 で、おなじみの、あの 『シャボン玉』 。
 
 高石は、それを無邪気な子供が歌うように、明るく、爽やかに歌いあげてから、トークに入った。
 
 「さて、この歌には、皆さんが知らないような、もうひとつの意味があるんですね。どんな意味だと思います?」
 
 彼はギターのカポタスの位置を変えながら、観客に向かって、問いかけた。
 とはいっても、客席からの反応を期待している様子もないようで、答えが返ってくるのを待たず、こんな話を始めた。
 
 「シャボン玉って、ほら、なんか人間の “魂” みたいな形をしていると思いません?」
 
 急に、妙なことを言い出すな … と思った。
 
 彼は、この歌の 2番の歌詞に注目するように呼びかける。
 
  シャボン玉消えた
  飛ばずに消えた
  生まれてすぐに
  こわれて消えた
  風、風、吹くな
  シャボン玉飛ばそ
 
 彼に言わせると、この 「シャボン玉」 というのは、幼くして死んでいった子供たちのことを指すのだという。
 
 ここまで書くと、多くの人は、 「この歌は、夭折した子供たちの魂に手向けた鎮魂歌である」 という説を思い浮かべるかもしれない。
 
 この歌は、最初は、子供が無邪気にシャボン玉で遊んでいる情景を、牧歌的に、叙情的に歌いあげた曲だと思われていた。
 しかし、その歌詞の裏には、作詞をした野口雨情が、自分の早世した子供を偲ぶ想いが託されているという。
 それが近年の通説となっているが、もちろん、この当時、まだそのような解釈はあまり流布していなかった。
 
 ただ、高石の解釈は、それともまた少し違っていた。
 彼によると、この 「シャボン玉」 というのは、日本がまだ貧しかった時代に、口減らしのために 「間引きされた子供たち」 のことだという。
 
 昭和の初期まで、日本では大飢饉などに襲われたときは、産んだ子供に十分な食糧を与えることができなかった家庭では、泣く泣く、親たちが産まれたばかりの子供をぼろ布などに包んで圧死させる風習があった。
 そうしないと、一家全員が、食べていけないこともあり得たともいう。
 
 「シャボン玉」 は、そのような一家の犠牲にならざるを得なかった嬰児たちを弔う歌であると、彼はいうのだ。
 
 もちろん、歌の作り手たちには、そこまでの意図はなかったかもしれない。
 しかし、この歌の 「シャボン玉」 のはかなさに、自分たちの悲しい記憶を重ね合わせた人々も多かったのではないか?
 
 そう語る高石ともやのトークは、少なからず私に衝撃をもたらした。
 たぶん、漫然と歌を聞いていた聴衆の大半が、急に背筋を正したと思う。
 
 場の空気が変わったことを見届けた彼は、ギターを持ち直し、もう一度、同じ歌を歌い始めた。
 
 同じ、抑揚で、同じリズムで。
 ただ、少しだけ、声のトーンを抑えて。
 
 不思議なことが起こった。
 まったく違う歌になっていたのだ。
 のどかな幸福感に満ちた歌が、なんとも哀しい憂いを秘めた、聞いたこともないような歌に変わっていた。
 
 それが、私がステージパフォーマンスの “凄さ” というものを知った、最初の体験となった。
 
 後で知ったことだが、この 『シャボン玉』 の歌は、高石ともやのコンサートでは必ず歌われる重要なレパートリーだったという。
 いわば、練りに練られた芸だったのだ。
 
 見事に、それにやられた。
 私は、彼の二度目の 『シャボン玉』 を聞いた時、不覚にも、目頭が熱くなるような感覚を覚えた。
 
 この時代の社会派ソングのような音楽を、私はあんまり好きではなかった。
 今も、同じだ。
 ただ、 『シャボン玉』 だけには、やられた … という思いが強い。
 もちろん、この歌は、その時代の反戦フォーク歌手たちが作った社会派フォークではなかったが、高石ともやは、あきらかにその文脈で歌っていた。

 その後、この歌詞の意味をとくとくと話す人々に出会い、同じ話をされるたびに、だんだん、このエピソード自体が嫌になった。
 しかし、高石ともやの芸だけは見事だったと、いまだに思う。
 

 

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シャボン玉とんだ への2件のコメント

  1. 旅の人 より:

    シャボン玉、そんな背景があったのですか。物知らずでした。赤とんぼもそうだけど童謡って結構切なく哀しい内容が多い。絶対現代の方が良いに決まっているんだけど、なんかこの時代に、この時代の人々や、暮らしに郷愁を感じてしまう。
    キャンピングカーにはロックのCDとDVDばかりですが、これから童謡のCD置いておくかな。

    • 町田 より:

      >旅の人さん、ようこそ。
      ああ、分かりますねぇ! 童謡って、どんなに愉快そうな曲調のものでも、その底に、どこか哀しい響きが漂っているように感じることがあります。
      実際に、「切ない内容」 のものも多いようです。
      そうでなくても、子供の頃に聞いた時の、なんともいえない …… 大人には 「取るに足らないもの」 だけど、子供にとっては、 「切なく感じるようなもの」 を思い出すのかもしれませんね。
      で、大人になると、その 「切ない事件」 の内容は忘れてしまうけど、童謡のメロディに乗って、ふと、その切なさの 「名残り」 みたいなものが、記憶の底から浮上してくる。
      なんか、そんな構造になっているのかもしれませんね。
       

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