原子力は文明か、自然か

 
 ゴジラが来たりて、夜、炎を吹く
   

    
 今回、東日本を襲った大地震と大津波は、まだまだ人間の力では制御できない自然というものが残っていたことを、我々に教えることになった。
 
 だが、 「制御できない自然」 は、地震と津波だけではなかったのかもしれない。
 実は、フクシマの原発事故もまた、 「自然の脅威」 であったとはいえないだろうか。
 
 3・11で起きた地震や津波は、多くの人が 「天災」 と感じた。
 しかし、その津波によって引き起こされた原発事故には、 「人災」 という意識を持つ人が多い。安全管理の行き届かない不完全なシステムをつくってしまった人為的なミスという印象で語られがちである。
 
 しかし、ひょっとしたら、 「核」 は、大津波や大地震と同じように、結局は、人間がコントロールできるようなシロモノではなかったという意味で、時に凶暴な表情をむき出しにする “第二の自然” だったのかもしれない。
 
 「自然」 という言葉はもともと日本語であるが、現在は、日本の古語の概念を離れ、英語の 「ネイチャー」 の訳語になっている。
 すなわち、 「文明」 という言葉の対概念として、 「人の手が加わる前の、手つかずの地球の姿」 というような意味で使われる。
 
 ところが、この英語の 「ネイチャー」 は、日本人には理解するのが難しい言葉であるという。 「神が創ったそのままのモノ」 というニュアンスがあるからだそうだ (橋爪大三郎/大澤真幸・著 『ふしぎなキリスト教』 ) 。
 
 山や川や海は、神の創ったものである。
 動物や植物も同じ。
 では、人間は?
 もちろん、これも神が創ったものだから、 「ネイチャー」 のうちに入る。
 
 しかし、その神の創った (はずの) 人間が、どんどん世界中に出しゃばってきて、神以上の力で人工物をいろいろ作り始めたから、色々とややこしい問題が起こるようになった。
 どこまでが神の創った 「手つかずの自然」 で、どこから先が 「人間の加工した自然」 なのか、その境界が不分明になってしまったのだ。
 つまり、現代社会においては、2000年前のキリスト教発祥時には明確であった 「自然」 と「文明」 を厳密に分ける基準など、もうありはしないのだ。
 
 「手つかずの自然」 といえども、それを人間が管理下におけるものは、もう 「文明」 の範疇に入り、人間がコントロールできないものが 「自然」 である。
 その中で、人間の開発した最先端テクノロジーである原子力こそが、いま一番人間にコントロールできないものになりつつある。
 
 それでも、 「原子力は人間の文明が作り出したものだ」 ということにこだわる人はいるだろう。
 確かに、作り出したのは人間であるかもしれない。
 しかし、それを廃棄するのは、もう人間の力の及ばない領域にまで広がっている。
 
 原子力発電所、および核燃料製造施設、さらには核兵器関連施設などから排出されてくる放射性廃棄物。
 これを現在の技術レベルで処理する方法としては、地層深く埋める方法しかないといわれている。
 だが、 「高レベル放射性廃棄物」 が、自然界の天然ウラン鉱石の放射能レベルまで低下するのには、数万年かかる。
 したがって、最低でも10万年程度の期間、放射性廃棄物は地下環境下で強固な施設を造って管理するしか方法がないのである。
 
 10万年。
 それは、人間の 「文明の歴史」 などをはるかに超えた 「自然のいとなみ」 の単位と変わらない。10万年も続いた 「文明」 など、ありはしないのだ。
 人間は、「平和利用」 という美名に惑わされて、 「核」 という最も “凶暴な自然” を、自分たちの文明の中で、じっくりと育ててしまったのだ。
 
 この恐るべき真実を、60年ほど前に予見した映画がある。
 昭和29年 (1954年) に東宝がつくった 『ゴジラ』 である。
 
 ゴジラは、太平洋の深海でひっそり生き延びてきた古代の恐竜である。
 そういった意味で、自然の中に隠れ、自然に守られて暮らしてきた “自然児” だった。
 その自然児を、人間の文明がつくった水爆が見舞う。
 ゴジラは、放射能を自己強化のエキスとして巨大化した魔物に生まれ変わる。
 
 現代文明の最先端テクノロジーであった核が、人間に制御できない悪魔の自然を誕生させるという逆説。
 現代人がもう一度この60年ほど前につくられた 『ゴジラ』 を観たら、それがあまりにもフクシマの悲劇に酷似していることに驚くかもしれない。
 
 地球の隅々にまで文明が浸透した現代社会における自然は、もはや神がつくった無垢で調和的な “自然” ではない。 「文明」 による化学変化の影響を受けて、いつなんどき、ゴジラのような変貌を遂げるか分からない。
 
 「原子力エネルギーに頼らざるをえないか」
 それとも、
 「自然エネルギーの開発が急務なのか」
 
 皮肉にも、われわれは、「核」 という最強の “自然エネルギー” をすでに持っているのかもしれない。
 
 
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原子力は文明か、自然か への2件のコメント

  1. 旅人 より:

    昔のゴジラは怖かった。
    天馬博士が創った最初の鉄腕アトムも悪かった。
    良いアトムにしたのはお茶の水博士、ウランちゃんも好かれた。
    日本の、日本人の科学技術を信じたい。
    それにしても手塚治虫の洞察力はすごい。

    • 町田 より:

      >旅人さん、ようこそ。
      世代的に、同じ “鉄腕アトム” 世代なんですね。
      手塚治虫は好きでした。
      あの当時、あんな洒落た線を描ける漫画家って、ほかに見当たりませんでしたものね。
      自分は子供ながら、アトムの線にエロチックな色っぽさを感じていたように思います。
       
      そして、昔のゴジラは怖かった。
      優しく可愛いアトムと、怖いゴジラ。あの当時、ヒーローと怪物との振幅がものすごく大きかったように思います。
      だから、漫画にも映画にもワクワクできたのかなぁ…。

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