女の時代に、男ができること

 
 アスリートの世界では、日本のスポーツ界はいつのまにか女性の時代を迎えているようだ。
 40歳にしてウィンブルドンのセンターコートに立って熱戦を繰り広げたクルム伊達公子。
 アジア陸上で大活躍した日本女子アスリートたち。
 その総仕上げが、今回のなでしこジャパンであったような気がする。
 
 女性が強くなったのは、何もスポーツ界だけとは限らない。
 文学の世界でも、桐野夏生の 『OUT』 以来、世間をあっと驚かせるような新風は、女性作家からしか生まれてこなくなった。
 正統派の歴史読み物の世界においても、司馬遼太郎なき後は、もう塩野七生の独壇場だ。
 
 「女が強くなり、男を追い越した」
 
 一見、そういう時代になったようにも思えるが、実はこれが本来の姿なのかもしれない。
 もともと、女より男が強かったというのは、人類の歴史過程のなかで、ほんの一瞬の時代であったのかもしれないのだ。
 
 それは、共同体が戦争を覚えるようになった時代のことで、女よりただ筋力のみが上回っていた人類のオスが、たまたま戦争の担い手になっただけのこと。
 戦争する腕力を頼りに、男はしばらくの間女性の上に立っていたけれど、戦争がなくなれば、男は、種族を残す生物のオスとしての価値以上の何ものも持っていない。
 
 だから、草食系男子が日本男子の正統的後継者であり、女にガツガツしている肉食系というのは、異端の種族であるのかもしれないのだ。
 
 それなのに、古い世界に棲む男たちは、いまだに政治や経済を動かしているのは自分たちだと思い込んでいる。
 
 その思い込みが、完全に打ち砕かれたのが、今回の震災ではなかったか。
 
 原発事故がどのような経緯で生じ、それがどのような問題を引き出し、そしてどういう解決方向を模索すればいいのか。
 世の中の主婦たちが、政府の対応やマスコミの報道に見切りをつけて、自分たちで放射能測定器を手に入れ、放射能検出に気を配り始めても、男たちは、政治家も官僚も、科学者たちも誰一人、原発問題の解決策をはっきり口に出せる能力も勇気も持ち合わせていない。
 
 今や、総合的な判断力、行動力、勇気、凛々しさ … すべてにおいて、男は女にかなわない。
 そのことに逆らって、威張り散らしているオヤジがいたとしても、もう風前のともしびだ。
 
 では、男の存在意義はどこにあるのか。
 
 オタクになるしかないように思う。
 世のオヤジたちが馬鹿にする、あの “オタク” だ。
 それも、うんと馬鹿馬鹿しいことにこだわるオタク。
 ここだけは、そう簡単に女に入ってこれない領域だ。
 
 今の政治や経済に背を向け、自分だけの趣味のタコツボを極めるオタク。
 たぶん、日本を変えるような斬新な視点は、そこからしか生まれてこない。
 
 政治や経済に対して一家言を持ち、リーダーとしての自覚を訴えるオヤジたちは多いけれど、そういうオヤジたちに、震災後の日本を復興させる力はあるのか?
 そのオヤジたちの化けの皮が剥がれたのが、今回の震災ではなかったか。
 
 若者に向かって、世の中をリードしていかなければならないと説くオヤジたちは、自分たちの言っていることの、あまりの凡庸さにみな気づいていない。
 
 しかし、 「普遍」 に至る道は、狭いタコツボをどれだけ深く掘ったかで決まる。
 極端に一般性を欠いた “いびつな” 世界を極めていくと、突然ドッカーンと、今まで見たこともないような広い世界が開けてくるものなのだ。
 そういう、役に立たないものへの熱意が、最後には人間の真実に突き当たる。
 
 男たちよ、世の中をリードする役目はもう女に任せろ。
 そして、自分だけにしかできないような、オタクの坑道を掘り進め。
  
  

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