風に吹かれて

トラッドロック夜話 7

 
 
 風に吹かれて
 
 男の名は、ジョージといった。
 れっきとした日本人で、本名である。
 漢字で書くと 「丈二」 。
 数少ない私の小学生時代の友人だった。
 
 あれは、いつのことだったか。
 ジョージの呼びかけで、マージャンをやろうという話になった。
 学生時代によくつるんでマージャンをやっていた仲間を呼び出せ、とジョージはいう。
 しかし、独身のジョージを除くと、みなすでに社会人になっていて、家庭持ちの身となっていた。
 「家庭持ちの身」 ということは、お互いに独立した生活圏の中にこもっているということでもある。学生時代と違い、マージャンを軸に、朝から晩まで群れ集うという野放図な生活からは足を洗っている。私自身も、彼らと久しく連絡を取り合ったこともなければ、お互いの近況も知らない。
 

 
 「ジョージがマージャンをやりたがっているって? しばらくやってないから、点棒の計算も忘れたな … 」
 「いまはコンピューターゲームの方がおもしろいから、娘とそればっかりやっているよ」
 「マージャンって煙草吸うだろう。いま禁煙しているんだ」
 
 メンツ集めのために、10年ぶりぐらいにかつてのマージャン仲間に電話をかけまくった私は、予想通り、冷淡な反応にあった。
 現に誘っている私も、すでに数年牌を握ったことがない。
 
 それでも 「いいよ」 と承諾してくれた人間が数人現れて、なんとか四つの席を埋める人数を確保できた。
 みなマージャンそのものが目的というよりも、それを機に久しぶりに会うか … という気分だった。
 だから集まった瞬間に、ジョージとの温度差ができた。
 
 「今日ははっきり言って、稼がせてもらうからな」
 ゲーム前からそう宣言するジョージに、みな最初は軽い冗談のつもりで応じた。
 
 しかしジョージは本気だったのだ。
 その差は、如実にゲームに反映された。
 「ツモォ! 二千、四千」
 「一発ツモォ! 四千オール」
 
 オーバースローのピッチャーが速球を繰り出すような派手なモーションのジョージのツモ攻勢に、誰も太刀打ちできない。
 半荘2回とも彼の大勝となった。
 
 終わって、
 「久しぶりに会ったのだから酒でも … 」 と、居酒屋に繰り出したとき、メンバーの意識は、すでに仕事に関する情報交換や家庭での育児、進学の話題に向かっていた。
 
 ジョージ一人が、そうではなかった。
 「分かっただろう。結局マージャンはオレが一番強い!」
 ビールが回るや早々、ジョージが気持ちよさそうにしゃべり始める。
 
 「そうだな、お前の腕はすごいよ。やっぱり年季の違いを感じたね」
 誰かが取りなすように口を添えた。
 
 「いや、そういう問題じゃない!」
 妙にむきになっている。
 「結局はハングリーかどうかだ。オレは今ハングリーだ。現に今日勝たなければ明日のメシ代がなかったんだ。お前たちは余裕がある。その差が勝負の差になったんだ」
 突然飛び出た 「ハングリー」 というベタな言葉に、みんな鼻白んだ。
 
 「お前たちは “学歴” が災いしている。だから見えるもの見えなくなっているんだ。オレは中卒だ。社会の底辺を知っている。お前たちは何も知らない」
 
 ジョージはそう言う。
 確かにそうかもしれない。
 しかし、学歴がどうであれ、今は同じ社会人ではないか。
 … そういう言葉を、他のメンバーはそれぞれ思い描いただろうが、誰も口に出さなかった。
 ジョージが仕事にあぶれていることをみな知っていたからだ。
 だから、なおのこと、誰もがその話題に触れたがらなかった。
 
 そのシラッとした空気から、ジョージは 「自分が異質な者として見られている」 というを匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。
 彼の口舌が、さらに熱っぽくなった。
 
 「いいかよく聞け」
 ジョージの視線がメンバーの顔をジロリと一巡する。
 「お前たちの中で、今日オレに勝てると思っていたヤツはいるか?」
 
 殺気ばしった光がその目に宿っている。
 「よく聞けよ。お前たちは小利口だ。オレは大バカ者だ。小利口なお前たちがいくら集まっても、大バカ者のこのオレに勝てるわけがないんだ。マージャンは大バカ者のゲームだ。その恐ろしさがお前たちには分かっていない」
 
 何を言っているのかよく分からない。深遠な哲学が込められているような、ただの酔っぱらいのタワゴトのような … 。彼の言葉をどう受け取ればいいのか途方に暮れる気分が次第に広がっていく。
 
 「オレは強い。お前たちはあと10年経っても百年経っても、オレに勝てっこない」
 まるで歌のリフレインみたいに、同じ抑揚でその言葉があくことなく繰り返される。
 
 「ま、マージャンの話もいいけれど、たまにはこうやってみんなで会うのもいいよな」
 たまりかねて、誰かが話題を変えようとした。
 
 「バカ! そうやって逃げようとするのは、お前が小心者だからだ。失うものが一つもなくなったオレには、逃げる場所すらないんだ」
 
 完全に酔っぱらいの “からみ” である。私はだんだん不快になってきた。
 
 「ジョージもう止めろ。そういう話はもういいよ」
 私は言った。
 
 ジョージがにらみ返した。
 「お前なぁ!」
 ピストルのような人差し指が、私の胸に向けられた。
 
 「お前、ジャズというのはお利口さんの音楽で、ジャズを聴くのはお利口さんだと言ったことがあるだろう。そのとき、オレはなんてバカなヤツだとお前のことを思ったんだ」
 
 出てきた話題が実に唐突だ。そんな話題をいつどこで交わしたのか、私自身が忘れてしまっている。
 
 「ジャズというのはなぁ、黒人の心の叫びなんだ。楽譜も読めない黒人が必死になって自分の叫びを楽器に込めているんだ。どうしてそれが分からないんだ」
 
 暗闇でいきなり殴られた感じがした。マージャンから脈絡なくジャズに飛んでしまう彼の話題の飛び具合に、私はついていけなかった。
 
 「音楽というのはな、お利口さんだから分かる … バカには分からないというものではないだろう。あれは “心” で聞くものだもの」
 
 そして、いきなり立ち上がった。
 次の瞬間、
 「ハウメニーローズマスターマンウォークダウン、ビフォーユーコールヒムアマン … 」
 
 店中に響きわたるような大声で、彼は歌い始めたのである。
 英語をカタカナに変えて発生するような、たどたどしい声ながら、何の曲かすぐに分かった。
 私たちの若い頃に流行ったボブ・ディランの 『風に吹かれて』 だった。
 
  
 
 周りの客は宴会の余興でも始まったと思っただろう。しかしその表情を注意深く見つめた人間には、そこに酔っぱらいの自己陶酔とは無縁の、狂人の怒りにも似た必死さを見たはずだ。
 
 歌い終わって、
 「これで、オレが英語の歌だって正確に歌えることが分かっただろう」
 溜飲を下げたようにジョージがいう。
 
 なんだか辛かった。
 こんなにストレートに自分の感情を露呈するジョージを見たのははじめてだった。鎧を脱ぎ捨てた時のジョージの “生な” 心が、こんなにもナイーブで、切ないものであったということも、はじめて知った。
 
 しかしジョージの独演は止まる気配がない。
 「お前は本を読んでいるというけれど、いったいそこから何を得たんだ?」
 
 またしても私が攻撃の的になる。今度は本だ。
 「ドフトエフスキーを本当に読んだのか? 埴輪雄高を最後まで読んだのか? もし読んだとしたら、ここで喋ってみろ!」
 
 文学議論をしたいというのでもなさそうだ。
 難解で敬遠したくなるような作家の名前を出して、私たちの口を封じようとしたかったのだろう。あるいは、そういう固有名を知っている自分の知識を誇示したかったのかもしれない。
 
 「オレは文学でも音楽でも、お前たちよりよっぽど知っているんだ」
 勝ち誇ったような雄叫びが店内に響きわたる。
 
 “親のスネをかじって大学で遊んでいるヤツら”
 “現実も知らずに、本の知識だけで世の中を分かったふりするヤツら”
 “生まれた時から金の苦労を知らずに育ったヤツら”
 
 私たちと交じってマージャンにふけっていたときからずっと溜まり続けてきた反発心が、会わなくなった10年後に爆発したのかもしれない。
 
 しかし、私が驚いのは、彼が 「学生たちより、オレの方がマージャンに強い」 という自分の黄金時代を 「真空パック」 に保存したまま、時代の流れと無縁な孤島で生きていたということだった。
 
 「ジョージ分かったよ、もう分かった」
 私はたまりかねて悲鳴を上げた。
 
 「分かったって、いったい何が分かったんだ?」
 彼は手綱をゆるめようとはしない。
 
 「お前の気持ちだよ」
 「いや分かっていない!」
 
 駄々っ子の口調だった。
 「お前にはオレのことなんか何も分かってやしない」
 
 そう言われると返す言葉もない。
 「分かってほしいんならもっと冷静になれよ」
 あとは売り言葉に買い言葉になる。
 
 「分かってなんかほしくない。俺なんか、お前らと違って、自分が一番嫌いだもの。お前らのように、人に分かってほしいなんていうほど、自分が可愛くないからな」
 
 …… 本当の自分は、弱くてだらしなくて駄目な人間だ。だから他人の前では精いっぱいツッパッている。そんな本当のオレを見せてたまるか。
 あたかもそう言わんばかりである。
 
 「自分が嫌いだなんて言うのは、自分が可愛いということの裏返しだよ、ジョージ。それは結局は人に甘えている発言だ」
 
 自分でも意味のないことを言っていると思った。
 不意にとてつもない疲労がこみ上げてきた。
 ジョージの方も疲れたのか、後はただ 「お前は何も分かっていない」 と呪文のように繰り返すのみだった。
 
 
 なんとも後味の悪い夜だった。店を出てちりぢりに別れた後、私は夜道を歩きながら、暗澹とした気持ちになった。
 多量に飲んだような気もするが、一向に酔った気配がない。にもかかわらず、足取りが重い。
 
 周りは暗い木立に囲まれた道である。車道と歩道を挟んで両側に公園が広がっている。若い頃、私とジョージが並んで、街に遊びに出るときに歩いた道だ。
 
 「お前はオレのことを何も分かっていない」
 
 そう叫び続けたジョージの声がまだ耳に残っている。その声が、瀕死の獣のうなり声のように夜の闇をふるわせている。
 
 それが突然、本物の獣たちの叫びに変わった。
 公園の中に動物園があり、夜になると、夜行性の動物たちがあげる様々な鳴き声が近隣に響きわたるのだ。昼間は眠ったようにおとなしいキツネやアライグマや、南国の極彩色の鳥たちが、深夜いっせいに空に向かって鳴き始める。
 
 昼間には絶対聞くことのない 「野生の声」 。
 夜中にこの道を通って初めてそれを聞いたとき、不気味に思いながらも新鮮な感動を覚えたものだった。
 
 その鳴き声が、ジョージの叫びとバイブレーションを起こしている。
 「お前はオレのことなんか何も分かっていない」
 その言語が、呪詛のように頭の中をグルグルと回り始める。
 
 そして、いつしか、その韻律は、ボブ・ディランの 『風に吹かれて』 に変わった。
 
 私は、ようやく、その歌の意味を理解した。
 歌詞として、言葉として … ではなく、その歌が立ち上がってきた “場” が見えたような気がした。
 
 それは、 「誰も理解してくれない」 という、極北の荒野にたたずむ者の、魂の叫びだったのだ。
 
 足が自然に止まり、私は無意識のうちに深夜の獣の叫びに耳を傾けていた自分に気がついた。
 耳の奥で、ジョージという手負いの獣の歌が鳴っていた。
 
 彼が、自殺か事故か分からぬ謎の死を遂げてから、もう20年経つ。
 

  
 
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参考記事「荒野のディラン」

トラッドロック夜話 8 「忘れられたもう一つのイーグルス」(バーニー・リードン&マイケル・ジョージアデス)

トラッドロック夜話 6 「荒野の狼」 (ステッペンウルフ)
 
  

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