被災地の姿を見る

 テレビのニュースや雑誌の写真でさんざん見続けてきた東日本大震災の被災地の映像。
 しかし、その実際の姿をこの目で見てしまうと、やはり “語る言葉” を失う。
 たぶん、現地に出向いた多くの人が、そのことを実感するはずだ。
 
 会社から休暇をもらい、自分のキャンピングカーで北関東から東北を回った。
 義援金を送った以外、被災された人々に何も支援することができない自分を恥じて、せめて現地で稼動している観光物産店や食堂などで、ささやかながらもお金を使う。
 そんなつもりで出た旅だったが、一番被害を受けた場所というのは、当然のことながら、物産店や食堂どころか、建物や地面すら失われていた。
 
 このブログで、被災された直後の現地のレポートをコメント欄を通じて送ってくださったデルタリンク宮城 (宮城県亘理町) の鈴木さんのショップをお訪ねした。
 
 デルタリンク宮城の店舗は、幸いなことに地震による投壊や津波の被害からまぬがれたが、店の裏の海岸に近い場所は壊滅的な被害を受けたという。
 
 「一夜にして、すべてが無くなっているという光景が、自分でも信じられなかった」 と鈴木さんは語る。
 「悲しいとか、虚しいという気持ちが込み上げてくる前の段階。つまり、自分の見ている光景がこの世のものとは思えず、自分の気持ちがどんなものであるか、それを表現する言葉を探すだけで精一杯 …」
 と、鈴木さんは話した。
 
 店を後にして、自分のクルマで回った。
 
 海岸が近づいてくるにしたがい、空と地面だけの単調な大地が広がっていった。
 そのひび割れた地面のところどころに、葉や枝を失った流木が、まるで砂漠に置き去りにされた獣の骨のように転がっている。
 かろうじて津波に押し流されずに残った家だけが、絶海の孤島のようにはかなげに浮かんでいる。
 
 「この世の果ての光景」
 
 それ以上の言葉がもう浮かんでこない。
 
 テレビのニュース報道で、何度となくそのような光景に接してきたが、180度の広がりを持つ肉眼で眺めると、その空漠たる虚無の大地は、絶望的な負のパノラマを現出させる。
 
 いつでも写真が撮れるように、助手席にカメラを転がしたまま走ったが、ついぞ、クルマを止めて、写真を撮る気が起きなかった。
 たとえ報道のためであろうとも、このような景色を撮るのは、失われたものたちへの冒涜であるような気分になってしまったのだ。
 
 このすべてが失われた大地は、それを失った人たちのためだけに残されている。
 たとえ物見遊山でなくても、何も失っていない人間がそれを画像として残すとき、千万分の一であろうとも、「興味本位」 という雑念が残ることを否定できるだろうか。
 
 「画像を残すのは、プロのカメラマンや、汗水垂らして復興に励む人たちまかそう。それよりも、自分はこの目で見た光景を、しっかりと自分だけの脳裏に刻んでおこう」
 ふと、そう思った。
 
 そんな身勝手な判断で、このブログには画像がない。
 
 しかし、代わりに、復興支援としてキャンピングカーを 「仮設小屋」 として提供したレクビィの増田浩一社長が撮った動画を紹介したい。
 

  
 
 
 
 

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