テレビは終わった

 残業夜食用に買ってきた弁当を食いながら、テレビのスイッチを入れた。
 唖然とした。
 
 夜8時台の番組で、NHK以外、この3月11日に起きた震災について触れている番組がひとつもない。
 大半が、作り置きの…というか、あらかじめ録画撮りしていたバラエティ番組ばかりなのだ。
 
 相も変わらず飽食を煽るようなグルメ番組。
 裸のふんどし姿の男性を後ろから撮って、ひな壇の芸人たちが笑い転げる番組。
 
 テレビ局としては、スポンサーのCMを消化しないかぎり、営業がジリ貧になるという思惑があるのかもしれないが、たぶん、テレビは自分で自分の首を絞めたと思う。
 
 これを機に、 「テレビ」 というメディアから離れていく人々が絶対いる。
 「テレビは、もう私たちの必要とする情報を流してはくれない」
 きっと、そう思い込んだ人が少なからずいるだろう。
 
 いま被災地で、どのようなことが起こっているのか。
 どのような風景が広がっているのか。
 どんな苦しみを抱えた人たちがいるのか。
 それについて答えてくれるテレビ報道は、ほとんどない。
 
 一方で、流通が滞り、部品調達もままならず、工場や事業所を閉鎖する企業もうなぎ登りになっている。
 資金繰りがうまくいかず、経営難に陥る中小企業も多数に及ぶだろう。
 被災地ではなくとも、計画停電が長引くようになると、産業そのものもズタズタになるだろう。
 日本人全体の生活や、日本人の全体の意識が変わるかもしれないというせっぱ詰まった状況のなかで、しかしそのことに思いを巡らしているようなテレビ局はほとんどない。
 
 1995年。
 下り坂を歩みながらも、まだバブルの余韻が甘く気怠く残っていた日本を、完全に打ちのめしたのが、あの阪神淡路大震災だった。
 
 あれ以降、日本は完全に変わった。
 日本人が誇る高機能なメガ都市と、それを支える最新技術が、もろくも崩れさった現場を見て、日本人は否が応でも、自分たちの信じてきた都市文明やそれに依拠してきた社会的諸集団の危うさを実感した。
 それは、その後の景気低迷の重苦しさが垂れ込める時代のプロローグとなった。
 
ムンク「叫び」0001
 
 おそらく、今回の震災も、日本人の精神構造を大きく変える出来事となるだろう。
 ただ、それが、さらなる暗い混迷の時代に日本を引きずり込んでいくのか、それとも、案外これを契機に、被災地の復興と、閉鎖感に窒息しそうなっていた日本人の心の復興が重なっていくのか、それは今は分からない。
 
 だから、被災地の真実を知りたい。
 そこに生きる人々が、何を苦しみ、何に希望を見出そうとしているのかを知りたい。
 
 テレビは、それを伝えてくれない。
 レポーターを派遣して、被災地のルポを試みたテレビ局はたくさんあった。
 しかし、 “報道のプロ” を派遣した局は、 (私が見ているかぎりは) ひとつもない。
 
 報道のプロとは、局のおかかえレポーターやアナウンサーのことをいうのではない。
 「現場では、医療品も燃料も乏しく、悲惨な状況が続いています」
 などとカメラに向かってしゃべる人が、報道のプロとは限らない。
 
 “悲惨な状況” とは何なのか?
 それを、先入観抜きに冷徹に観察し、自分の脳髄でその意味を咀嚼し、自分の言葉で語れる人。
 それをひとまず 「報道のプロ」 と言おう。
 
 たぶん、そのような人は、今のテレビ関係者にはいないだろう。
 当たり前である。
 これまでの思考の枠組みを超えたものに、われわれは遭遇してしまったからだ。
 それを語るのは、平和な世の中で有名人のスキャンダルを暴いていたワイドショーのコメンテーターたちの手には余る仕事だ。
 
 ならば、人間の悲劇を専門に扱うような小説家や、常に生死の境をさまよっている戦場カメラマンや、死と生を真剣に考え続ける哲学者をレポーターとして派遣してもいいのではないか。
 
 要は、被災者の気持ちを、自分の心の苦しみとして語れる言葉を持った人たち。
 そういう “鍛えられた言葉” を持っている人たちが、この間、どこのテレビにも登場しなかった。
 出てきたのは、相変わらずの、とりあえずのレトリックだけは豊富に持っている “しゃべりのプロ” だけ。
 多くの日本人が、 “鍛えられた言葉” を語れる人間の声に耳を傾けようとしているときに、さっさとそれを放棄したテレビには、もう明日はないかもしれない。
 テレビは終わった。
 
 

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テレビは終わった への4件のコメント

  1. おおきに! より:

    町田編集長さん こんにちは
    私も同じように感じました。出ているものが醜悪すぎて、テレビのスイッチを切りました。
    ラジオでも、TBSキラキラが上杉さんを切るそうですね。報道に携わる人間の矜持なんてものは、日本にはないんでしょうか? そして、東京ドームのナイターについて、節電についての意見は1番だけど、さらに余震が続いているのに、人を集める危険、人名の危険についてどう思ってるんだろう? 今は、救急救命関係の人材をすべて被災地に投入すべき時期なのに、やらないでいい危険をすこしでも減らすという想像力がないんだろうか?

  2. 町田 より:

    >おおきに! さん、ようこそ。
    そうですね。おっしゃる通りですね。
    ま、テレビばかり責めるわけにもいかないのでしょうけれど、たまたま見たその日のゴールデンタイムの番組が、あまりにも今の状況とかけ離れていたので、ついつい憤って筆が滑りすぎたようにも思います。
    きっと、テレビ局に務める人の中には、「こんな番組編成でいいのか?」 と悲嘆にくれたり、憤慨している人もいるのではないでしょうか。
    だから、こういう時期に何を報道すればいいのかということを決定する経営陣の体質を問題にしなければならないのかもしれません。
    お笑い番組は、人の心をなごませる効用もあるので、一概に総てを否定するつもりはありませんけど、この時期には、それよりも優先されるべき報道もあるのではないかと思います。
    相変わらず、東北、関東、中越地方には余震が続いています。熊本にも地震があったようです。日本全体が、騒然とした空気に包まれてきたように感じます。きっと不安で仕事が手につかない人たちも多くいらっしゃるでしょう。
    おっしゃるように、野球のナイターに限らず、イベントの主催者たちは、人の集まる場所への危険対策などもしっかり考えておかないといけなように思います。
     

  3. より:

    今回の震災では、各局が調整を取り、局ごとに被災地向け、首都圏向け、原子力関係、癒しエンタメ、障害者・外国人向けなど、役割分担して展開するくらいのことをやるべき状況だと思います。役割がはっきりしていればお笑いをやってもOKです。まずは「どんなときでもテレビは必要なメディアだ」というインフラとしての意義付けを期待したいです。

  4. 町田 より:

    >雷さん、ようこそ。
    そうですね。こんなときこそ、超法規的に各局がテレビ番組を調整してもいいのかもしれませんね。
    今までだって、各局の個性の出し方というものをもっと考えておいても良かったのかもしれません。
    それが “視聴率至上主義” になっていたから、みなどこの局も視聴率を取れる番組構成が横並びになってしまう。
    だから、同じ時間帯になると、どの局にチャンネルを合わせても、同じような番組ばかりが出てくることになる。
    これを機に、各テレビ局が自局の番組編成姿勢を考え直してくれたらいいと思います。
     

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