明かりの果ての闇

 連休の合間、久しぶりに家に帰った。
 終電前だった。

 会社から駅に向かう道路が暗い。
 節電のために、街路灯も最小限の明かりに絞っているからだ。
 クルマの交通量も少なく、歩いている人の姿もまばらだ。

 駅構内に入っても、相変わらず明かりが乏しい。
 なぜか、それが心地良かった。
 今までそういうことに気づかなかった。
 「東京の夜」 は、いかに無意味な明かりが多かったか、ということが分かる。

街路灯1002

 昔、 『全国キャンプ場ガイド』 の編集に携わっていたとき、自分のキャンピングカーで、いろいろなキャンプ場を訪ねた。
 途中、夜がふけてから地方都市を横切ることもある。
 田舎に行けば行くほど、街の明かりは乏しくなる。
 「日本はなんて暗い国だったのか…」
 そのときはそう思った。
 しかし、しばらく走り回っていて、突然、気づいた。
 
 「これが普通なんだ」
 恥ずかしいことに、自分の住んでいる東京の夜が “異常だ” ということを知らなかった。

東京の夜景0003

 明かりこそ、都市文明の指標だ。
 いつのまにか、そんな誤解が自分の中に助長していたように思う。

 隅々までくまなく照らす明かりは、 「影」 の部分をつくらない。
 しかし、 「影」 を排除することによって、私たちは何かを失った。

 実は、 「影」 の部分があってこそ、現れる世界というものがある。
 平安京の昔。
 当時、日本最大の街であった京の都ですら、日のかげった建物の影には、鬼や妖怪が跳梁跋扈 (ちょうりょうばっこ) した。
 それは、 “近代科学” が生まれていなかったためとは限らない。
 むしろ、 「闇への敬意」 が生んだ文化だといっていい。

 昭和の世になってからも、それは残った。
 蛍光灯が普及するまで、裸電球の貧しい明かりをともした街の店先の奥には、通行人には知りえぬ家主の生活があり、そこでは、様々な悲喜劇が繰り広げられていることを想像させた。

 「影」 は、この世には “視界の中に入らない世界” があるということを教える。
 その世界を観るには、肉体の眼のほかに、心の眼が必要だということを教える。
 しかし、隅々までくまなく照らす明かりに慣れた眼には、もう、肉眼で見えたモノ以外の姿を捉えることができない。

ホッパー1001

 「闇の向こうに、知らない何かがたたずんでいる」 という感覚。
 それを失ったときに、世の中はすべて平板で奥行きを失ったものとなり、おのれの目に見えるものしか信じられないという錯覚を生む。
 そして、それは、人間の傲慢さの温床となる。

 

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明かりの果ての闇 への5件のコメント

  1. ムーンライト より:

    数日前、市内の大型スーパーに行ったら、なんだか暗い。
    見ると、「節電しています」の張り紙が。
    いつもより暗いけど、これで充分なんじゃないかと思いました。
    北海道から本州へ送れる電力には限りがあるそうで、この地で節電したからといって、より沢山の電力を送れるわけではないそうですが、地震以来「早寝早起き」を家族に号令し、だらだらテレビを見ないようにしています。
    そして、「もとから、こうしていれば良かったんじゃないのか」と思うのです。
    みんな、それで良かったんじゃないのか。と。
    夜は暗いし、夏は暑い。
    そういうものだったんだなぁ、と。

  2. ムーンライト より:

    追記です。
    先ほどの大型スーパーには飲食店がいくつも入っているのですが、
    全国展開のファミリーレストラン1店が「食材が入らない」を理由に臨時休業でした。
    こういうお店は大量に食材を集め、工場で加工して各地の店舗に
    分配するやり方で安価なメニューを提供してきたのでしょう。
    でも、物流が分断された場合、そういう方法はもろいものだなぁと思いました。
    それは、日本と海外との物流にも言えることですよね。
    災害の時って、キャンプの知恵が役立つのではありませんか?
    何とか生き延びるための知恵をキャンプの達人方はお持ちなのではありませんか?

  3. s-_-s より:

    人間は電気によって闇を征服した為に却って安らぎを奪われてしまったように感じます。煌々たる蛍光灯のせいで夜遅くまで働かされた挙句、帰宅してもTVやパソコン等、光に囲まれながら休息したつもりにさせられて朝を迎えます。陰と陽の片方が欠落して健全でいられるのは至難です。おそらく焚火の効用の一つも闇を感じることにあるのでしょう。電力不足をネガティブに捉えず折角だから過労死の対策に活用したらどうかと考えるのは、まだ時期的に不謹慎でしょうか…

  4. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    おっしゃるように、キャンプはいろんなことを教えてくれるように思います。
    私はキャンプの達人ではまったくありませんが、一応キャンプ場などにも遊びに行くことが多いので、日頃から道具を家やクルマの中に保管してあります。
    ガスや電気が途絶えても、バーナーもあるし、ランプもあるし、多少の燃料もある。今回、多くの人たちが懐中電灯や乾電池探しに奔走しましたが、幸いうちの場合は、キャンピングカーの中からそれらを取り出してくるだけですみました。
    ただ、それはせいぜい1週間程度の “延命” というだけですね。それ以上になってくると、やはりサバイバルのノウハウを持った本当のキャンプの達人でないと、難しいかもしれません。
    無意味な電気を使わないという生活習慣を身につけることはいいことだと思います。もちろん地球環境のためにもいいのでしょうけれど、個人の生活を見直すためにも、いいことのように思います。
     

  5. 町田 より:

    >s-_-s さん、ようこそ。
    今度の災害が、被災地でない場所で暮らす人に対しても一つの教訓を与えるとしたら、まさに s-_-s さんのおっしゃるような、“光に囲まれた生活” への反省ということもあるかもしれませんね。
    もちろん、そういうことを言うことは、必要な光さえ失っている被災地の方々には、無神経な表現だとは思いますが、東京に住んでいる限り、不必要な明かりに囲まれていたことを実感しました。
    ご指摘のとおり、焚き火の効用のひとつは、「闇を感じる」 ことにあるのでしょうね。
    「光」 が文明をもたらしたのではなく、人間の文明は、光と闇のダイナミズムから生まれてきたように思います。
     

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