東電を怒る父さん

 たまにだけど顔を出す、地元のお寿司屋さんがある。
 店にお客がいれば、深夜の2時頃まで営業しているので、この季節、終電ぎりぎりに帰る私には、他の店が閉じてからでも夕食が取れるありがたい店なのだ。
 
寿司画像
 
 いつもは午前を回ってから顔を出すのだが、この日は珍しく、9時過ぎぐらいにノレンをくぐった。
 
 6人掛けのカウンターのうち、5席が埋まっていた。
 そのうちの4席は、中学生ぐらいの兄妹を伴った家族によって占められていた。
 真ん中に座った大柄のお父さんが、生ビールのジョッキを傾けながら、握り寿司をバクバク食っている。
 食い、かつ大声でよくしゃべる。
 
 「トーデンのバカヤロめ! もううちは電気料なんか払わねぇぞ」
 
 と、店中に響きわたる大声で、お父さんは怒っている。
  
 トーデン。
 
 もちろん、今回の巨大地震による津波で、原子力発電所の事故を起こした、あの 「東電」 だ。
 
 で、このお父さん。
 放射能危機を招いた東電の危機管理能力を怒っているのかと思ったら、ちょっと違うようだ。
 その東電の原発事故によって、ヨーロッパに行く飛行機が飛ばなくなったことを怒っているらしい。
 
 なんでも家族4人で、楽しみにしていたヨーロッパ旅行に行くまぎわだったという。
 それが、今日 (…計画停電のせいなのかよく分からないけれど) 飛行機が飛ばなくなって、旅行をキャンセルせざるを得なくなった。
 
 で、 「腹が立つ!」 と、お父さん、生ビールをうまそうにゴクリ!
 そして、左右に座らせた子供たちに、
 「お前たち、ホラもっと食わんのか? 今のうちだぞ」
 とせき立てる。
 
 今のうち……!?
 
 確かに、東北の漁港が壊滅状態になったので、魚市場でも鮮魚の量が少なくなってきたとは聞いている。
 だから、ネタの新鮮な寿司は、これからしばらく食えなくなるかもしれない。
 そういう意味で、 「今のうち」 と言ったんだろう。
  
 現に、店主が 「今日はあまり仕入れられなかった」 と告白するガラスケースのネタも、食い盛りの子供たちを抱えたその家族がバクバク食うために、どんどん少なくなっていく。
 
 しかし、文句はいえない。
 店主が、その4人家族の注文をこなすのに必死になって握っている様子が、カウンター越しに見えるからだ。
 
 こっちは後から来た身だから、順番は守るつもりでいる。
 狙っていたネタが、ガラスケースから消えていくのを見ても、じっと我慢するしかない。
 
 で、このお父さん、時事放談も好きらしい。
 
 「だいたい政府の危機能力がゼロだよ。文化系のバカどもが原発のことも分からずに、トーデンの言いなりになっているから、こういうことになるんだ」
 
 さらに、こうも。
 「これで、もう米軍に “帰れ”なんていっている社会党の連中も分かったことだろうな。
 結局、日本は米軍にずっと助けられてきたのよ。
 今回も災害の復興に力を尽くしているのは、米軍と自衛隊だけだからな」
 
 う~ん……。
 まず、今の日本に “社会党” ってあったっけ?
 復興に力を尽くしているのは “米軍と自衛隊” だけだっけ?
 このお父さんの社会認識はどうなっているのかな?
 
 突っ込みを入れるほどの気力もないし、相手もこの店の常連らしいから、黙ってうなずいて聞くふりをする。
 
 ま、こういうお父さんは、けっこう世にいっぱいいるのかもしれない。
 生ビールをごくごく飲んで、寿司をバクバク食って、
 「東電のバカヤロ! 政府は無策だ!」
 とののしる人々が。
 
 別に、このお父さんの意見が間違っているとも思わない。
 ある意味、常識的な意見なのかもしれない。
  
 でも、今回の災害について、自分にはまったく被害の及ばない安全な場所に身を置いて (しかも、美味いもの食いながら) 、正義の代弁者を気取って、誰かを批判するって、ちょっと恥ずかしくねぇ? 
 ことの当否よりも、そのことがちょっと鼻についた。 
 
 それでも、そんな親子が席を立つとき、
 「じゃお気をつけて」
 と笑顔で挨拶を送る自分が、哀しい。
 ま、俺も同類かもしれないけどね。
  
 

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東電を怒る父さん への6件のコメント

  1. ゆんた より:

    言葉に出して誰かに代弁してもらうことで救われることもあるけれど、
    無言のままでも手を差し出してくれることが一番の時もありますよね。
    私はテレビで「歌で励ます」とか「笑いで励ます」とか言っているのを見ると、
    「励ます相手はテレビなんて見ることができないのに?」
    と思ったりします。
    あと、「がんばれ」とか「顔晴れ」という言葉も
    自分達が安全な場所にいるから言っていられるんじゃないかしらと思うと、
    空々しく感じてしまいます。
    もう少し後になってからならまだしも。
    今はその言葉をかけるべき時ではないだろ・・と。
    地震でなくても。
    たとえば鬱の人に「がんばれ」は禁句だというのは
    よく知られていることですが、
    がんばっている相手にこれ以上「がんばれ」というのは・・・という。
    その立場に立たないとわからないつらさ。
    でも、そんな自分も今安全な場所にいて、
    着々と日常の暮らしに戻っていて。
    自分が「それはどうなの」と眉をひそめる人たちと
    なんら変わりはないことにがっかりしたり。
    結局「がんばれ」と同じ意味のことを言っているのと変わらないし、
    それしか言える言葉もない時もあるとも思います。
    でも、ちょっとだけ、口に出す前に一呼吸おいてみるべきなのではとも思いますし、
    大きなことを言うよりも、
    小さなことからでも、まず行動しなくちゃとも思います。
    ちょっと話がそれますが、お笑い芸人さんのことで。
    テレビで「笑いで励ます」は違うだろ・・と書きましたが、
    芸人さんのなかでも、差し出す手をきちんとわかっている人たちもいて。
    仙台出身のサンドウィッチマンはロケ中に被災して、インタビューの電話で
    「被災地の人の顔をもっと映してください。安否を知らせたくても手段がないんです。」
    と強くうったえかけていました。
    それまでの放送は、確かに、津波の瞬間、
    壊滅状態の町を繰り返し映してばかりだったのに、
    それ以来被災された方々の名前と顔がはっきり映される機会が増えたように思えます。
    彼らの訴えの影響かどうかはわかりませんが、
    私は「そういうことなんだよな」と思いました。
    長くなりました。すみません。
    まとめますと、「私も同じように考えていました。」です。

  2. 町田 より:

    >ゆんたさん、ようこそ。
    コメントにお書きになられたこと、本当にその通りだな、と感じます。
    東日本全体がこういう事態に巻き込まれたとき、被災された方以外の人がそれをどう思うかということで、その人の人間性というものが何となく出てしまうことに今回気づきました。こういうときは、ボランティアに励んでいる人であろうが、お笑い芸人であろうが、そういう立場に関係なく、日頃のその人の素の部分が現われてしまうように思います。
    しかし、報道を見ていると、被災された方以外の多くの人が 「自分に何ができるだろう?」 と考えている様子が伝わってきます。
    これを機に、日本人が変わっていくのかもしれません。
    自分でも、何かが変わったと感じます。
    テレビを見ていても、肉親・知人を亡くされた方々の辛い状況が映し出されると、思わず目をつぶってしまいます。自分は今安全な場所にいますが、それでも辛くて悲しくて、目をそむけたくなります。
    しかし、一方、復活し始めたバラエティとかお笑い番組などは、もう今までのように見る気分にならない。
    それは、「こんな時期にお笑いは不謹慎だろう!」 というような道徳的な (?) 憤慨ではなく、単に色あせて見えるだけなのです。
    これまで、 「当たり前」 と感じ、何も思わなかった “日常” の方が、どこかおかしかったのではないか? なんだか、そういうようにも感じます。
    うまくまとまりませんけれど、ゆんたさんのコメントを拝読し、いろいろなことを考えました。
    ありがとうございました。
      

  3. ムーンライト より:

    この「東電を怒る父さん」。
    この父さんを怒る気持ちと、この父さんを批判する資格が私にあるのかという思いがあります。
    地震発生の2時間前、私はスーパーで生の昆布を買いました。
    夕食の支度をしようとその「生昆布」をみたら気仙沼産と表示されていました。
    私は電話が数日不通だっただけの安全な所にいて、その昆布を煮て食べました。
    美味しかったですよ。
    だけど、この昆布の育った海は・・・。
    この昆布を採った人は・・・。
    何か私にできることは、と思っていました。
    いろいろなところで寄付を受け付けているけれど、どこに寄付しようと考えていました。
    そんな時、国際セラピードック協会HPのトップに「地震で被災された方の心身のケアにセラピードックと取り組む」という記載を見つけ、この活動に寄付をいたしました。
    http://www.therapydog-a.org/
    幸いに命をつなぐことができた方にも、辛い日々が続くことでしょう。
    「生きているだけで幸せ」と言っていた方が「生きているのが辛い」とならないよう、心から願っています。
    「一期一会」みたいなことを言っていても、内心また会えると思っている。
    だけど、私たちは一瞬を生きているだけなんですね。

  4. デルタリンク宮城 より:

    今日、店からはじめての外出をしました。仙台の北部の仙台市泉区まで国道4号線で向かいました。両側にガソリンスタンドが多数ありますが、給油しているところはありませんでした。何件かのGSはかなりの数の車両が並んでいます。先頭車が様子を身に並ぶとそれにつられて次々に並び何百台もの行列になります。その車両で片側1車線がふさがれ渋滞になります。また、GSで給油待ち中に燃料切れで放置されている車両も多数あります。燃料不足は深刻です。
    中央のTV局が通常の番組編成になり始めました。津波の1次被害のネタが無くなり、2時被害の、食料買占め、燃料不足、原発等のネタもなくなったからでしょう。地方局はその番組帯で安否情報等を放送しています。
    番組の中身も、被害だけの暗い話題から、出産や、安否が判明し避難所での出会いの場面、など明るい報道が増えています。しかし、現実は地震直後とそれほど好転しておりません。身元不明の遺体が安置されていても確認にいけない多くの人がいて、遺体を見ても確認できない程の状態です。いつまでもこのまま置けないので、穴を掘って土葬するしかないと言う話まで聞こえてきます。復興、復旧に行くまでまだまだ先のことと感じます。
    (頑張れ)(応援します)等の言葉が飛び交いますが、受け入れる余裕も無く頭の上を通り過ぎています。

  5. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    まったく同じ心境です。私もいま食べるものに敏感になっています。
    コンビニでおにぎり一つ買うにせよ、「今、これを食べたくても食べられない人がいる」 という思いで、何か後ろめたいような気分で手を伸ばしています。
    一方で、「不謹慎かもしれないが、これは大きなビジネスチャンスだ」 という人もいます。
    もちろん市場社会の経済活動は、そういうように動いていくのでしょう。
    だけど、それは、今は口に出していうべきではない。
    やはり、そこでも、その人の正体というものが見えてきそうに思えました。
    「投機」 というのは、常に確実に来るであろう “未来” を見据えた行為なんでしょうけれど、ムーンライトさんのおっしゃるように、人間はみな 「この一瞬を生きている」 だけなのかもしれません。そう思うと、「投機」 というビジネスの根幹を支える行為そのものが、怪しく思えてきます。
     

  6. 町田 より:

    >鈴木様、ようこそ。
    テレビを見ていても、被災地のリアルな現実がだんだん伝わりにくくなってきました。民放は恐るべき勢いで、通常の番組構成に戻っていますし、当たり前のように “明るい” CMが復活しています。なんだか狐につままれたような気分です。
    日本人は変わって行くかもしれないという気持ちと、結局日本は何も変わらないという気持ちが交錯して、何かいたたまれないような奇妙な気分に落ち込んでいます。
    今、こうして鈴木様が報告してくれるコメントだけが、唯一災害のリアルな現状を伝えてくれているという思いで読んでいます。
    >「穴を掘って土葬するしかない」 という切羽詰った話、本当に胸が苦しくなります。
    「頑張れ」「応援します」 という言葉が、発する人のただの “免罪符” として飛び交うようになったとき、日本人は前よりも荒廃してしまうかもしれません。
    そうならないと思うし、そうならないことを祈りつつ、鈴木様のコメントを繰り返し読みました。
    また近況をご報告ください。
    書くのも辛いことが多々あると思いますが、このコメント欄を通じて、真実を知ろうとしている方々のために、辛抱してください。
     

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