エジプトでは何が?

 エジプトでは、いま何が起こっているのか?
 そのことに関心を抱くことは、アメリカの中東戦略に触れることであり、パレスチナ問題を語ることであり、長期政権が続いた国の民主主義を考えることであり、経済格差と失業を語ることであり、ネット社会による情報流通と革命の関係を考えることである。
 
エジプトの政変
 
 つまり日本人を含めたさまざまな民族が、これから考えなければならない問題を読み解く契機が、そこにいっぱいあるように思うのだ。
 しかし、今日の出勤前のテレビを見ていたら、日本のメディアの最大の関心事は、相撲界の八百長問題だった。
 「日本社会もグローバル化しなければいけない」
 というかけ声は、相変わらずいろいろな所から響いてくるが、どうやらグローバル化したのはビジネス社会だけであって、メディアの方は、ますます “鎖国化” を深めているような感じがする。
 
 エジプト情勢の変化は、世界に何をもたらせるのか?
 それに関しては、あの時事解説の達人といわれる池上彰さんだって、次のように語るのみ。
 
 「エジプトのような大国が反米国家になったら、世界の力関係は大きく変わる。アメリカの中東への影響力は低下するだろう。 パレスチナの和平のゆくえが一段と混迷するのは明らかである」 (週刊文春)
 
 う~ん……。
 そうなんだけどさ、私の知りたいことはそういうことじゃない。
 
 たとえば 「パレスチナの和平」 という一言に対してだって、いろいろな疑問がわく。
 
 「そもそもパレスチナ問題って何だ?」
 「アメリカはなんで、イスラエルを支持するんだ?」
 「宗教とか民族とかいう区分けと、国境とは、どういう関係にあるんだ?」
 「ユダヤ教とイスラム教って、どこが違って、何が同じなの?」
 「ネット社会の普及と、一神教の教えって、影響し合うの? 関係ないの?」
 
 少しじっくり考えてみれば、ひとつの疑問から新たな疑問が発生していくということが必ず起こる。
 《 知の運動 》 って、そういうもんだと思う。
 
 ところが、今の日本のメディアには、そのような “運動” が生じる気配がない。
 疑問に対する 「とりあえずの解説」 をうまくこなす人はいても、疑問が次の疑問を促すように語れる人はいない。
 
 大事なのは、疑問が次の疑問を促していくという、 《 知のダイナミズム 》 を継続させることだと思う。
 だから、メディアの解説を受け取る視聴者の方も、 「とりあえずの解説」 で満足することなく、その “解説” の中に新しい疑問を見つける目を養い、その疑問からもう一つの “質問” をつくり出す力が必要になる。
 
 しかし、ブログ、ツィッターなどのネット利用者の発言を見ていると、 「疑問」 を提出することよりも 「結論」 を言い張る人の方がエライみたいな風潮が感じられる。
 特に、文字数が限られたツィッターの方が、みんな 「結論」 を急いでいる。
 「八百長を蔓延させた相撲界は国民の信頼を裏切った。相撲界はいますぐ解散すべき」 みたいな…。
 
 私は威勢よく豪語される 「結論」 よりも、頼りなくくりかえされる 「疑問」 の方が大事だと思う。
 そもそも、 「疑問」 と 「結論」 はまったく逆の方向に人を導く。
 
 「結論」 は “身内” の結束を固め、仲間同士の求心力を強めようとするが、 「疑問」 は遠心力を発揮して、個人を 《外》 の世界に向かわせる。
 「疑問」 を追い払って 「結論」 のみを尊重する社会は、鎖国化の一途をたどるように思う。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

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