好奇心の力

 今の時代、人間が必要としているのは、 「人間に対する好奇心」 なのかもしれない。

 好奇心は、余裕を持った心からしか生まれない。
 好奇心は、先入観にとらわれていると、生まれない。
 好奇心は、謙虚な気持ちにならないと生まれない。
 だからこそ、好奇心を軸とした 「人と人とのつながり」 は、どこか温かく、安らかで、スリリングだ。

 つまり、相手に対して自分から心を開き、そして相手の心も開かせる最も有効な方法は、すなわち 「相手に対して好奇心を抱くこと」 なのだ。

 好奇心は、なまじっかの 「思いやり」 とか、観念的な 「愛」 などより、はるかに相手に伝わりやすい。
 人は、自分に対して 「尊敬」 の念をもって近づいてくる人間よりも、 「好奇心」 を持って近づいてくる人間の方に、心を開くものである。

 なぜなら……

 「好奇心」 を寄せられるということは、相手からボールを送られたようなものだから、それをキャッチし、どういうボールを送り返すかという、 “試される” ことの 「ときめき」 が生まれるからだ。

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 ▲ 「クンクン……これは何だろう?」
   犬にも好奇心はある

 古来より、人はみな、見ず知らずの他者と知り合うことに 「ときめき」 を感じて生きてきた。

 この人はどういう人なのだろう?
 この人は何を考えている人なのだろう?
 この人と話してみたい……

 それが、人と人の心を結びつける大きな力になってきた。
 ところが現代社会は、人間から 「他者に対する好奇心」 を奪い去った。
 「好奇心」 を持つ余裕が保てないような社会が訪れたからだ。

 有史以来、人間の生理と歩調を合わせていた 「文明」 は、徐々にスピードを上げ、20世紀には 「人間の生理」 に追いつき、21世紀になると、ついに 「人間の生理」 のリズムを超えた。

 その理由は、20世紀後半から、各分野におけるテクノロジーが幾何級数的に進化を遂げたためである。
 最も顕著な例が、情報工学の世界。
 情報の流通が、ネットの速度を基準とするようになったため、個人が情報を整理する余裕がなくなったのだ。

 そのため、人々は物事を判断するときも、瞬時に 「○」 か 「×」 か、 「Yes」 か 「No」 という2進法 (デジタル) で答えざるを得ず、どちらでもないような 「ニュアンス」 や 「情緒」 といったアナログ的なものは 「ノイズ」 として捨象するようになった。

 そのような 「あわただしい世界」 に、もう人間はついていけない。
 だから、大人も子供も、頭の中に常に去来する思いは、次の三つ。

 忙しい
 気ぜわしい
 面倒くさい

 未知の 「他者」 に関わらなければならなくなったとき、多くの人は、それを 「忙しいし、気ぜわしいし、面倒くさい!」 と感じ、できれば避けたいと思うようになった。

 だから、現代社会では、家族や友人・知人、仕事関係者以外の人間は、すべて 「邪魔モノ」 になってしまった。

 それも、 「邪魔者」 ではなく 「邪魔物」 に…。

 「あわただしさ」 は、 「好奇心」 の大敵である。
 あわただしいと、人は、人に対して 「好奇心」 を抱くような余裕が生まれないため、相手が自分に対していかなる価値を持っているかだけを “効率的” に測ろうとする。

 ニュースを読み解く力はあるか?
 インターネットリテラシーは高いか?
 オリジナル性のある企画を打ち出せるか?
 それをプレゼンできるノウハウがあるか?

 たとえば、そんな感じで、自分 (あるいは企業) が求める価値基準だけで、相手を値踏みする。

 でも、そこから得られる結論は、
 「たいしたヤツじゃないな」
 か、
 「お、利用できそう」
 …の二つだけ。

 好奇心というのは、その二つの答の “すき間” に隠されているものに対して視線を向けようとする 「心」 をいう。

 この 「好奇心」 に近いけど、決定的に違うもう一つのものが、 「ヤジウマ根性」 。
 これは、自分の立場を安定させたまま、 「人の不幸を覗き見してやろう」 という心理を指し、自分の価値観 (先入観) をいったん捨てて相手に臨もうとする 「好奇心」 とは似て非なるものだ。

 自分に被害が及ばない高みで、世の悲惨を見物しようとする 「ヤジウマ根性」 は、まさに今のテレビ文化を象徴するようなもの。
 それが、 「好奇心」 の代用品になっているとしたら、ちょっと悲しい。
  
     

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好奇心の力 への6件のコメント

  1. 磯部 より:

    僕は、こうゆう好奇心を失ってしまった、かもしれないと思いました。もう少し客観的に人を観察してしまう。いつからこうなってしまったんだろう? ああ、きっといろんな人に傷つけられてからだろうな。
    そこに忙しさも加わるともういけません。
    年も変わることだし、もう少し人に近づこう、そしてもう少しゆっくり歩いてみようと思います。
    町田さん、良い気づきをありがとう!

  2. solocaravan より:

    鋭いご指摘だと思います。
    そのような人間本来の好奇心の喪失、ひたすらなる慌ただしさ、落ち着きのなさは近代全般の陥穽だと思いますが、とりわけ我が国の、それも戦後の60年間は良くも悪くも近代主義一色に染め上げられているといって過言ではないでしょう。
    アメリカナイゼーションに代表される合理主義、個人主義、競争主義に適応するあまり、経験的なものの価値、共同体的なものの有難味、他者との連帯の重みといった側面は切り捨てられるいっぽうですね。昔はそうではなかったとすれば、これからは脱米帰日を真剣に考えなければならないのでしょうか。

  3. 町田 より:

    >磯部さん、ようこそ。
    実は、私もまた、最近こういう 「好奇心」 を失ってしまったと気づいたのです。
    昔は、もっと知らない人に優しかった…と自分でも思い出したのです。
    ところが、ここ14~15年、ちょうど今の仕事を始めるようになってから、とにかくあわただしく時間が過ぎていくだけで、仕事に関係のない人と “無駄な時間” を費やすのが 「もったいない」 という気持ちになっていました。きっと傲慢になっていたのでしょう。
    だから、この記事は、自分で自分を反省している記事なんです。
    昔は、どんな人としゃべるのも楽しかったんです。職業や生い立ちなどと関係なく、どんな人からでも何か学んでいたように思います。
    当時も忙しかったけれど、どこか 「心」 に余裕があったんでしょうね。
    だから、自分の中にぽっかり空いた 「空白」 を満たしてくれる他者を、容易に発見できたのだと思います。
    忙しいと、その 「心の空白」 すら自覚できない。
    だから、自分は 「中身がいっぱい詰まっている」 と錯覚してしまう。
    「好奇心」 は、「心の空白」 の自覚から生まれるように思います。
     

  4. 町田 より:

    >solocarvan さん、ようこそ。
    ご明察のとおりだと思います。
    私たちが日々追い立てられるように暮らし、豊かなのに、絶えず 「欲求不満」 のような精神状態に置かれるのは、solocarvan さんがご指摘されるように 「近代の罠」 ですよね。それこそ、人間を絶えず 「欲求不満状態」 にさらしておいて、商品の流通を促進しなければ回転しない近代資本主義の構造そのものに起因するように思います。
    特に、アメリカで台頭している“ティーパーティー” を標榜する人たちの中には(一部ですけど)、「経済弱者」は、自分で救済する努力を怠ったのだから、政府が彼らを救済するのはアメリカの伝統に反する」 と考える人たちがいて、結果的に 「勝ち組」 を称揚する動きに加担していると聞きます。
    アメリカ人は伝統的に 「自助努力」 と 「自己責任」 を重視する精神風土の中で生きていますから、見習うべきところもあるのでしょうけれど、それが地球上のすべての人たちに当てはまるとは思えない。solocarvan さんのおっしゃる 「脱米帰日」 というのも、意味のあるひとつの考え方だと思いました。
     

  5. kamado より:

    そう言えば昔、「知的好奇心」なる言葉が流行っていました。最近は死語になったようですね。
    町田さんのおっしゃる通り、
    >この人はどういう人なのだろう?
     この人は何を考えている人なのだろう?
     この人と話してみたい……
    と言う思いは全く同じですが、私は「人間に対する好奇心」と言うより「人間に対する関心」がしっくりとします。
    まったく違った世界、背景を持った人と話したり関わったりするのは、とてもスリリングで楽しい事です。世界が広がると感じられます。
    そして、人を幸せにしない強欲資本主義がグローバルスタンダードであるという世界は、限界に来ていると、方向転換しなければと思う人が増えてくることを切望しています。
    私の40年来の友人の面白い話ですが、彼は自宅でよく社会の問題等この手の話を奥さんに熱っぽく話すようです。すると奥さんに「それで貴方は何か行動したの?デモや、せめて投書でも具体的に何かしたの?」とピシャリとやられるそうです。
    その話を彼から聞いて、お互い顔を見合わせ苦笑いをしたことがあります。
    この町田さんのブログで、このような話題を取り上げていただく事も意味のあることだと思っております。

  6. 町田 より:

    >kamado さん、ようこそ。
    明けましておめでとうございます。
    おっしゃるとおり、「好奇心」 というちょっと下品な響きのある言葉より、「関心」 という言葉の方が誠実な響きを持っているかもしれませんね。
    まぁ、インパクト狙いで、あえて 「好奇心」 を使ってみました。気持ちとしてはまさに 「関心」 のつもりです。
    要するに、自分と違う世界を生きている人に対してワクワク感を持つ…というのか、心を踊らせるというか、そういうことが大事だなぁ…と最近つくづく思います。自分の価値観で相手を染め上げてしまって、その価値観からズレた人には関心を失ったり、逆に、自分の価値観と合った人をむやみに珍重したり…そういうことが多くなっていたのですが、それは自分の幅を狭めているな、と思ったわけです。
    kamado さんには、いろいろなことを教えていただきました。
    これからもよろしくお願い申し上げます。

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