是枝裕和「空気人形」

  
 2009年に公開された、是枝裕和監督の『空気人形』。
 テレビの深夜放送で流れていたので、やっと観ることができた。


 
 「空気人形」、すなわちラブドール。

 なにしろ、自分には変態的なところがあって、この「ラブドール(高規格型ダッチワイフ)」というものに、昔からちょっと関心があるのだ。 
 もちろん買ったことはない (高い ! そしてカミさんに誤解される) 。
 カタログを取り寄せたこともない。

 でも、ときどきネットで、そういう商品を開発している会社のHPを無心に眺めたりすることがある。
 
 でも、エロスを求める … ってのと、ちょっと違うんだなぁ。

 “物” と交信することへのアブナイ期待 ?? つぅか…。
 相手はただの無機質な「玩具」なんだけど、話しかけているうちに、自分の脳内に「交信回路」が生まれて、玩具との「会話」が始まるんじゃないかという妄想。
 そういう妄想の誘惑に勝てないことがあるのだ。

 だから『空気人形』という映画には、以前から興味があった。

空気人形003

 で、観ていて、
 「あ、これは俺の思い描いていたとおりの映画だな」
 と思った。
 なにしろ、人形が「心」を獲得して、人間に語りかけてくるのだから。

 言ってしまえば、メルヘン。

 メルヘンというのは、
 「人形が意識を持つことの科学的な根拠が乏しい」
 … なんていう突っこみを無用とするジャンルだから、観客はノーテンキに画面の流れに身を任せていればいいのだけれど、創る方は大変だろうな。
 手を抜くと、「荒唐無稽じゃねぇか」とか突っ込まれるからね。

 突っ込まれないメルヘンに仕立てるには、やっぱり創り手に「美意識」が要求される。
 この映画は、そこでまず成功している。

 あらすじをひと言でいうと、中年独身男の性欲の “はけ口” として買われたダッチワイフ(空気人形)が、あるとき「意識」と「運動能力」を獲得し、持ち主が仕事に出ている昼間に勝手に家を飛び出し、いろいろな人に会うという話。

 そして、出会う人たちの「心」触れるうちに、体の中には空気しか入っていない人形にも、「心」というものが形を取り始める。
 すでに幾多の苦渋を経験している人間たちの 「心」 は幾重にもガードがかけられ、屈折している。
 しかし、生まれたばっかりの人形の「心」は屈折を知らない。
 彼女には、人間たちの「心」の奥深いところに隠された悲嘆も、悔恨も、憎悪も見えない。

 彼女は、出会う人たちに、みな無垢な自分の姿を投影する。
 出会う光景にも、新鮮な驚きを感じる。
 太陽はどこまでも暖かく、優しい。
 道ばたの花は、限りなく美しく、愛らしい。


▲ 空気人形のぎこちなさと愛らしさを見事に演じたぺ・ドゥナ

 そんな真っ白な人形の「心」に、あるときインクのシミが一滴だけこぼれ落ちる。
 ある青年に恋心を抱くことによって、彼女の「心」に、はじめて痛みが走ったのだ。
 
 彼女が好きになった青年には、かつて愛した人間の女性がいるらしい。

 「まだ、その人のことが好きなのだろうか ? 」
 「自分はやっぱり代用品(ダッチワイフ)に過ぎないのだろうか ? 」
 「あの人は、私の正体を知ったら逃げ出すだろうか ? 」

 人形は「痛み」を知ることによって、“痛みを痛みとして受け取る”「心」の存在を知るようになる。

 ま、そこで、その人形が接する人たちのサブドラマが展開されるわけだけど、みんな何かしらの屈折した心情を抱えているんだよね。
 それは、「人生相談」以前の取るに足らない悩みだったり、煩悩だったりするんだけど、その人たちにしてみれば、その “取るに足らない悩み” が、けっこう「やるせない人生」としてのしかかっているわけ。

 純度100%のイノセンスに輝いていた人形の「心」にも、次第に人間というものが抱え込んでしまう「やるせない人生」がひたひたと足元を浸していく。
 そして、人形は、「心」を持つことは「孤独」を知ることだということを理解するようになる。

 「私は、 その『孤独』を理解してくれる伴侶を持つことが出来るのだろうか …… 」
 
 後半は、そういうドラマなんだね。
 で、伴侶であってほしい青年を、彼女はなくしてしまう。
 なんで、なくしたのか … ということは、この映画のカギだから、ここでは書かない。

空気人形005
▲ 空気が抜けてしまうと、ただのビニールの塊り

 薄幸の人形は、最後に、自ら「燃えないゴミ」になることを選ぶ瞬間、まるで『マッチ売りの少女』 ような夢を見る。
 自分に関わったすべての人たちが、「ハッピーバースデー」の歌を唄いながら、人形の最初の誕生日を祝ってくれるのだ。

 人形が「心」を持った人間であることをみんなが認めてくれた、最初で最後のひととき。
 それは、あくまでも一瞬の幻想にすぎないが、彼女にとっては自分の周りにいた人たちに祝福される唯一のシーンなのである。
 
 概要を語るのはこれでとどめるけれど、何が印象的かというと、全編に漂っている「透明な空気感」。

 もうこれだけ!
 それがすべて。

空気人形002湊公園

 舞台として選ばれた東京・隅田川寄りにある湊公園のシュールな空虚感。
 高層ビルと、うらさびれたアパート街が雑居した光景のかもし出す淡い寂寥感。

空気人形001

 それらの生命力が乏しそうな空気感が、逆に中身が「空気」でしかない人形をそっと抱きすくめて守っている。
 まるで 「人間の厚かましい圧力」を除去した静かな街だけが、人形のかぼそい「生命」をかろうじて支えている、という感じで、なんとなく切ない。

 「爽やかで、明るい、さびしさ」
  強いていえば、そんな空気が流れる風景が随所に挿入される。

   街のはずれの背伸びした路地。
   がらんとした防波堤には、緋色の帆を掲げた都市が停泊し、
   摩天楼(まてんろう)の衣ずれが、舗道をひたす。

 はっぴいえんどの『風をあつめて』という曲が、ふと思い出された。
 

  
参考記事 「 『空気感』 の正体」
 
 
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是枝裕和「空気人形」 への6件のコメント

  1. 磯部 より:

    透明感のある話ですね。空気人気人形はメルヘンですけれど、ひょっとしたら、実体として街に生息しているような気もします。
    はかないし、切ないし、それでいて美しい精神性。こうしたことこそ、メルヘンなのかも知れない。
    ハッピーエンドは、たまたま私も最近聴いて、やはり凄いと感じました。この風を集めて、も最初掴み所のない曲と思っていましたが、聴いているうちにジワジワ来ます!
    詞は松本さんかな?
    両者がシンクロしていて、とても爽やかな町田流です。パチパチ

  2. 町田 より:

    >磯部さん、ようこそ。
    最近の日本の若手監督が撮る映画というのは、「透明感」 とか 「空気感」 というような感覚で 「切なさ」 とか 「はかなさ」 みたいなものを表現することが上手ですよね。なんだろう…? 成熟してきたのかな…という言葉しか思い浮かばないんですけど。
    そして、磯部さんが指摘されたように、今の日本には、この 『空気人形』 の主人公のように “世界” を捉えている若者たちが、実際に生まれているようにも思えます。
    はっぴえんどは、デビュー当時よりも、今の方が評価の高くなっているバンドですよね。彼らは、すでに70年代に、21世紀の都市風景みたいなものをつかんでいましたね。
    だから、摩天楼 (高層ビル) が、水辺に “はかなげ” にたたずむ 『空気人形』 の映像を見ているうちに、自然に 「風をあつめて」 の歌詞を連想してしまいました。
    作詞はもちろん松本隆さんです。彼はその後、松田聖子のほとんどのヒット曲を手掛けるような売れっ子作詞家として成長していくわけですが、「売れること」 をあまり意識せずに自由に詞をつくっていたはっぴえんど時代の方が、アートっぽかったな…とも思っています。
    なんか、意図どおりに記事を読んで下さったコメントで、うれしいです。

  3. johanssen より:

    「風をあつめて」を使っている映画ならソフィアコッポラの『ロストイントランスレーション』も良いですよ。

  4. 町田 より:

    > johanssen さん、ようこそ。
    ソフィア・コッポラ監督の 『ロスト・イン・トランスレーション』 は残念ながら知りませんでした。しかし、wiki で見てみると、面白そうな映画ですね。
    東京を舞台にした映画のようですが、そこで 「風をあつめて」 が使われているんですか?
    なんか、すごく興味を感じました。
    いい情報をありがとうございました。
     

  5. kamado より:

    私もこの映画を公開時に観られなかったのですが、正月にDVDを借りてきて観ました。
    登場人物がみな孤独なんですね。
    特に印象に残ったのが、中年男が「元の人形のほうが良い」「会話なんて面倒だ」の台詞です。
    誰かと心を通わせたい、分かり合いたいのではなく、なまじ心や意思や感情を持った他者なんて面倒なだけで、自分の言いなりになる当に人形が良いのです。
    一方、町田さんの
    >相手はただの無機質な「玩具」なんだけど、話しかけているうちに、自分の脳内に「交信回路」が生まれて、玩具との「会話」が始まるんじゃないかという妄想。
    この感覚は面白いです。
    同じ対象に対して同じような妄想を抱くこと。自分の脳内での問いかけに対して相手の返答、反応も自分の脳内から出てくるのですが、決定的な違いは「孤独」ですね。
    町田さんのおっしゃるように、最後の『マッチ売りの少女』のような夢も秀逸でした。
    ついつい空気人形に感情移入してしまい、美しくも哀しい大人のメルヘンでした。

  6. 町田 より:

    >kamado さん、ようこそ。
    “心” を持ってしまった人形に向かって中年男が語ったセリフ 「元の人形に戻ってくれないか」 。
    あれは確かにショッキングな発言でした。
    でも逆に、あの中年男の抱えている “辛さ” みたいなものも浮かびあがってきましたね。「会話なんて面倒だ」 という心情も、現代人が抱えてしまった哀しさであるように思います。
    昔から、要らなくなった事務用品なんかバンバン捨てちゃうんですけど、なぜかおもちゃだけは捨てられなくて、いまだに小学生ぐらいの時に遊んだ電池で動く虎の人形なんか飾っています。じっと観ていると、そういうのがしゃべって来るような気がしちゃうんですね。昔から無機物との 「脳内対話」 は好きでした。
    で、あの人形が最後に見る “夢のシーン” 、あれ、悲しいけど良い場面でしたね。
    同じような感覚で同じ映画を観ている方とおしゃべりできて、何だかとてもうれしいです。
     

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