歌謡ブルースの謎

   
 「ブルース(Blues)」というものが、黒人音楽のジャンルを意味する言葉だとは知らなかった時代が、自分にあった。 歌謡曲のタイトルにつく、なんかの記号。
 例えば、「フォルテシモ(ごく強く)」とか、「アレグロ(陽気に)」とか「アダージョ(ゆるやかに)」みたいなものだと無邪気に思い込んでいた。
 そんな時代に聴いていたブルースには、次のようなものがある。
 

▲ 西田佐知子
 
 西田佐知子 『東京ブルース
 美川憲一   『柳ヶ瀬ブルース
 藤圭子     『女のブルース』 ……
 
 つまりブルースとは、
 「この楽章を歌い込むときは、フラれた気持ちで … 」
 … ってな感じで、作家が演奏家に指示を出すときの言葉であって、それがいつしか歌謡曲用語に転化したものだと思ったのだ。
 
 恋人とか、愛人とかにフラれた歌だから、メロディは哀しい。
 去っていた人を、遠いところでしのぶわけだから、歌い方は、ちょっと物憂い。
 ブランデーグラスを置いたカウンターに座り、お客が来るまでの時間をつぶしているドレス姿のママさんが、頬杖をついてつぶやく鼻歌。
 それが自分の原初の「ブルース」像だった。
 
 だから、高石ともやの『受験生ブルース』(1968年)を聞いたとき、ギャグだと思った。
 全然、 “酒場っぽくねぇ” と感じ、しかも “夜っぽく” もねぇし、これは、作者が確信犯的に「ブルース」の用法をわざと間違えた例だと解釈した。
 

▲ 受験生ブルース
 
 しかし、そのうち岡林信康が『山谷ブルース』を歌うわ、ジャガーズが『マドモアゼル・ブルース』 を歌うわ、ゴールデン・カップスが『本牧ブルース』を歌うわで、訳がわからなくなった。
 

▲ ジャガーズ「マドモアゼル・ブルース」
 
 ところで、本来の「ブルース」とは、どんなものであるのか?
 あえて、詳しくは説明しないけど、一言でいうと、
 「一定の音楽形式を持ったアメリカ黒人音楽の一種で、ロックンロール、R&B 、ジャズなどの母体となった音楽スタイル」
 とでもいっておけばいいのだろうか。
 B・B キング、アルバート・キング、オーティス・ラッシュなどのメジャープレイヤーは、世界的な人気を誇っているし、日本人でも大木トオル、ウエストロード・ブルース・バンド、憂歌団といった黒人ブルースを根幹において活躍するミュージシャンがいっぱいいる。
 

 ▲B.Bキング
 
 ロックの分野では、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトンなども、初期の頃はこぞってブルースの演奏スタイルを採り入れていた。
 そういった意味で、世界のポピュラーミュージックの原点には、「ブルース」があるともいえる。
 
 しかし、日本の歌謡ブルースは、黒人ブルースとはリズムもテンポも違う。
 歌われる歌詞の内容も違う。
 日本の歌謡ブルースは「ロマン的」「詠嘆的」「未練たらたら的」だが、黒人ブルース…特にシカゴなどのアーバンブルースは、「現実的」「能動的」「脅迫的」である。
 「俺の可愛いベイビーちゃん、ベッドでたっぷり楽しませてくれれば、いつかはキャデラックを買ってやるからよ」
 ってな歌詞を、ンチャチャ ンチャチャ … と いうギターの小気味いいカッティングに乗せて軽快に歌っていく。
 

 
 黒人ブルースというと、「人種差別で虐げられた黒人たちの嘆き節」という解釈が浸透しているけれど、もちろんそういう歌も多いけれど、けっこうヤケクソ的に明るい歌も目立つ。
 男が、ちょっとマッチョに自分の性的魅力を誇示するなんて歌も多いのだ。
 
 そうなると、同じ “ブルース” でも、ブルース・リーとか、ブルース・ウィルスの世界に近くなる。
 
 いつの時代でも、開き直ったビンボー人は明るい。 
 黒人ブルースには、差別社会や格差社会の底辺を生き抜く人間たちの苦渋がベースにはあるけれど、「そんなことで、くよくよしてもしょうがねぇじゃねぇか」という開き直りのたくましさと優しさも備わっている。
 
 そういうことが分かってきて本場モノのブルースを聞き出すと、もうあっさり、そっち一辺倒になったけど、ふと『港町ブルース』(森進一)って何だろう? と思い始めると、これもなかなか興味深いテーマに思えてくる。
 
 「ブルース」という名前で、日本人の頭の中に刷り込まれた歌謡曲は、実にたくさんある。
 
 美川憲一 『柳ヶ瀬ブルース』(1966年)
 青江三奈 『恍惚のブルース』(1966年)
 青江三奈 『伊勢崎町ブルース』(1968年)
 森進一   『港町ブルース』(1969年)
 平和勝次とダークホース 『宗右衛門町ブルース』(1972年)
 クールファイブ 『中の島ブルース』(1973年)
 
 これらの曲は「ブルース」という言葉で飾られてはいるけれど、黒人ブルースの楽曲スタイルや歌詞の指向性とはまったく交わらない。日本人独特の感性と情緒感に彩られた、純度100%のドメスティック歌謡曲だ。
 
 では、なんでそういう純和風の歌謡曲に、「ブルース」と名づけられる歌が登場するようになったのか。
 これに関して、自分はまったく素人なので、突っ込んだところまでは何も分からないが、Wiki どを読むと、
 「日本の歌謡曲のスタイルとして『ブルース』と呼ばれるものもあるが、それは『憂鬱=Blue な気持ちを歌った曲』という意味合いが強いため、音楽形式としてのブルースとは関係ない」
 という説明がなされている。
 
 これだけでは、まだよく分からない。
 詳しそうな解説がなされているいくつかのサイトを覗いてみると、多くの人が挙げているのが、淡谷のり子(1907年~1992年)。
 

  
 彼女はもともとはシャンソン歌手で、クラシック音楽の素養もあり、「10年に一度のソプラノ」などと評された実力派シンガーだった。
 彼女に「ブルース」を歌わせたのは、服部良一という稀代の作曲家。
 服部の念頭にあったのは、アメリカの『セントルイス・ブルース』だったという。
 
 その曲をヒントに、「ブルースの小節の数や長さをきちんと勘定して」作られたのが、『本牧ブルース』(後のゴールデンカップスの曲とは別物)だった。
 ところが、これを淡谷のり子に歌わせようとしたところ、ソプラノの音域で歌っていた淡谷のり子には難しく、アルトの音域にまで下げるため、彼女はそれまで吸ったことがなかったタバコを一晩中吸い、声を荒らしたままレコーディングに臨んだとか。(Wiki より)
 
 この『本牧ブルース』が、タイトルを変えて『別れのブルース』(1936年=昭和12年)になり、大ヒットする。 
 淡谷のり子は、その後『雨のブルース』(1938年)、『思い出のブルース』(1938年)、『嘆きのブルース』(1948年)など、立て続けのヒットを飛ばし、「ブルースの女王」という異名をとる。
 これが、いろいろなサイトから集めた情報による「歌謡ブルース」の誕生である。
 
 もちろん、淡谷のり子以前にも「ブルース」を名乗る歌謡曲がけっこうあったらしいが、日本人の脳裏に「ブルース」という呼び名がしっかり刻み込まれたのは淡谷のり子から、というのが定説のようだ。
 
 ただ、これらの曲を聞くと、やはり黒人ブルースの影響を受けたという感じはしない。
 それよりも、社交ダンスの「ブルース」がヒントになっているのではないか、という人もいる。
 社交ダンスの世界には「ブルース」というステップがあり、それは「フォックストロット」のテンポを遅くしたものだという。(ブルースもフォックストロットも、社交ダンスを知らないので、どんなものかよく分からない)。
 

 
 『別れのブルース』を吹き込むとき、淡谷のり子は、ディレクターから「ブルースらしく歌わないでフォックストロットみたいに歌うように」と指示されていたという記述をどこかで読んだことがあるから、「歌謡ブルース」が、ダンス経由のブルースだったという説は正しいのかもしれない。
 ダンスにおける「ブルース」は、チークを踊るためのステップだったから、スローテンポで、情感たっぷりのマイナーコードの曲が演奏されることが多かったという。
 たぶん、ここらあたりで、その後の「歌謡ブルース」の方向性が定まったようだ。
 
 1960年代に入ると、いよいよその「歌謡ブルース」が全面開花する。
 この時代、個人的に好きだったのは西田佐知子。
 彼女は、『メリケン・ブルース』(1964年)、『博多ブルース』(1964年)、『一対一のブルース』(1969年)など、「ブルース」を語尾に持つ曲をけっこう歌っているが、最大のヒット曲は『東京ブルース』(1963年)だった。


 
 この曲にみるようなビブラートを押さえたクールな歌い方は、なかなかお洒落で、ちょっとしたアンニュイも漂っていて、歌謡ブルースが “都会の歌” であることを印象づけるには十分だった。
 
 その後、「新ブルースの女王」となったのは、青江三奈。
 なにしろデビュー曲が『恍惚のブルース』(1966年)
 「あとはおぼろ、あとはおぼろ …」と、恋におぼれた女性の官能の極致を描いた歌だった。
 

   
 彼女の歌で有名なのは、『伊勢崎町ブルース』(1968年)。
 青江三奈は、これでその年の日本レコード大賞歌唱賞を獲得する。
 
 その後も、彼女の歌謡ブルースは快進撃を続けた。
 『札幌ブルース』 (1968年)
 『長崎ブルース』 (1968年)
 『昭和女ブルース』(1970年)
 『盛岡ブルース』 (1979年)
 最後は、清水アキラとのデュエットで、『ラーメンブルース』(1991年)なる歌までうたっている。(残念ながら聞いたことがない)
 
 歌謡ブルースが、歌謡曲シーンの中で決定的な存在感を持ったのは、美川憲一の『柳ヶ瀬ブルース』(1966年)だったかもしれない。120万枚を記録する大ヒットだった。
 
 「雨、夜、ひとりで泣く女、酒場のネオン」
 歌謡ブルースの定番となるシチュエーションは、すべてここに出尽くしている。
 

 
 美川憲一はその1年前に、『新潟ブルース』を発表している。
 この頃から、歌謡ブルースは『伊勢崎町ブルース』(青江三奈)、『宗右衛門町ブルース』(平和勝次とダークホース)などのヒット曲に恵まれ、ご当地ソングの代名詞のようになっていく。
 
 鳥羽一郎 『稚内ブルース
 ロス・プリモス 『旭川ブルース
 小野由紀子 『函館ブルース
 森雄二とサザンクロス 『前橋ブルース
 扇ひろ子 『新宿ブルース
 北島三郎 『湯元ブルース
 ロス・プリモス 『城ヶ崎ブルース
 小松おさむとダークフェローズ 『庄内ブルース』 ……
 
 まだまだ地元の観光業とタイアップしたようなローカルブルースがいっぱいあると思うが、以上挙げた曲は、しっかりレコード化・CD化されているようだ。
 
 演歌歌手の森進一をいちやくスターダムに伸し上げたのも、ブルースだった。
 『港町ブルース』(1969年)。
 演歌ではあるが、クールファイブにも共通するような、奇妙な “洋楽性” があって、非常にしゃれた、あか抜けしたメロディーラインを持つ曲だった。
 

 
 森進一は、その後もブルースをタイトルにつけた歌をいくつか歌っている。
 『波止場女のブルース』(1970年)
 『流れのブルース』(1971年)
 
 内山田洋とクールファイブといえば、 『中の島ブルース』(1975年)が有名。
 これは、秋庭豊とアローナイツが自主制作した同名曲(1973年)と競作になったが、前川清のなじみやすい 唱法がウケて、クールファイブ版の方がヒットした。


 
 なんといっても、歌謡ブルース最大のヒットは、平和勝次とダークホースが歌った『宗右衛門町ブルース』(1972年)ではなかろうか。
 200万枚という大ヒットを記録し、いまでも中高年が巣くうカラオケスナックでは、必ずこれを歌いたがるオヤジがいる。(私もそのひとり)


 
 マイナー(短調)を条件とした歌謡ブルースが、メジャー(長調)の曲調でもぴったり合うことを実証したのが、この曲だった。
 
 覚えやすいメロディ。
 たわいない歌詞。
 歌う人間に解放感をもたらすノーテンキ性。
 
 まさに鼻歌として楽しむ歌謡曲の極北に位置する歌ではないか!
 事実、「日本フロオケ大賞」(風呂場で歌う鼻歌の1位)を受賞した曲らしい。
 
 フォーク系から出た歌謡ブルースのヒット曲としては、岡林信康の『山谷ブルース』(1968年) がある。
 楽曲形式は黒人ブルースとはほど遠いが、初期のデルタブルースのような素朴さと切実感があり、労働者目線に徹したところが歌謡ブルースとは一線を画したリアリティを獲得していた。
 

▲ 岡林信康 「山谷ブルース」
 
 グループサウンズ(GS)も、歌謡ブルースに乗り遅れまいと、いろいろトライしたようだ。
 ジャガーズの『マドモアゼル・ブルース』(1968年)。ゴールデンカップスの『本牧ブルース』(1969年)などがその代表曲。
 

 
 カップスといえば、横浜・本牧で黒人兵たちも唸らせた実力派バンドだったから、ブルースのなんたるかも当然分かっていただろうが、この曲は、完全に日本マーケットを意識した作りになっている。
 デイブ平尾が、もう少しこぶしを利かせれば、演歌の方にも近づいたかもしれない。
 
 最後に、あまり有名ではないかもしれないけれど、個人的に好きなブルースを挙げれば、次の二つ。
 荒木一郎 『君に捧げるほろ苦いブルース』(1975年)
 高山厳  『握りこぶしのブルース』(1993年)
 

 ▲ 荒木一郎「君に捧げるほろ苦いブルース」
 
 荒木一郎の歌には、「都会の片隅に住む人間の喪失感」のようなものがあって、夜明けの酒場のカウンターで、半分眠りながら聞いたりしていると、けっこうジーンと来るものがある。
 特に、『君に捧げるほろ苦いブルース』は、女が去っていった後の部屋で、コーヒー豆をひきながら聞いたりしていると、ジワジワっと心がうずく。詩人が作った歌だなと思う。
 
 高山厳の『握りこぶしのブルース』を知っている人は少ないだろう。
 しかし、大ヒット曲の『心凍らせて』のカップリング曲だから、CDを買った人は、この曲も聞いているかもしれない。
 

 ▲ 高山厳
 
 もうほんと、元祖 “負け犬”の歌。
 うだつの上がらない独身サラリーマンの日常生活が克明に描かれていて、身につまされるときがある。
 
 このように、探してみたら日本の歌謡曲には、『〇〇ブルース』という歌が、けっこう多いことに驚く。
 しかし、その大半は1960年代の中頃から後期に集中し、70年代になると下火になり、75年以降はほとんど消え去っている。
 
 何が起こったのか。
 
 歌謡ブルースが消えていった時代は、「ニューミュージック」の台頭期と重なる。
 たぶん日本人の多くが、この頃から、黒人ブルースでもないのに「ブルース」を名乗る歌謡曲に、ちょっと違和感を感じ始めたのではないかと思う。
 タイトルに「ブルース」をつけることによって “都会性” やら “おしゃれ感” を盛り込もうとした曲作りが、荒井由実(松任谷由実)のような本格的な都会志向を持つ歌の前で、急激に古びたものなってしまったのだ。
 
 「ニューミュージック」ムーブメントは、日本の都市や郊外が、あっという間に乾いた抽象的な空間になっていった時代に呼応している。
 そのような新しい都市空間では、新しい美意識を求める人たちが育ち、変貌を遂げていく現代都市を埋める新しい音楽が求められるようになっていた。
 どこの都市も、おしゃれで清潔な意匠に装われるようになり、いかがわしい面白さを秘めた「裏町」とか「場末」といわれるような空間がどんどん消えていった。
 

 
 そういう変貌の時代に、歌謡ブルースは、もうそのタイトルだけで、古くて泥臭い音楽のレッテルを貼られることになり、商業的な音楽シーンから脱落していかざるを得なかった。
 
 そういった意味で、歌謡ブルースは、「昭和の頂点」を示す音楽だったのかもしれない。
 昭和の高度成長が終わり、昭和の停滞が見えてきたときに、歌謡ブルースは眠りについた。
 
  
参考記事 「ブルースの正体」

参考記事 「ヘビメタとオペラ」  
 
参考記事 「実は演歌が好き」
 
  

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歌謡ブルースの謎 への6件のコメント

  1. ムーンライト より:

    興味深く拝見しました。
    30年ほど前に
    『ブラック・ミュージックの伝統』なんてレコードを買ったこともあるし、
    ブルースのレコードを集めたこともあるし、
    昨年、『黒人霊歌は生きている』という本も購入したのですが、
    結局、ろくに聴きも読みもせず・・・。
    好きで聴いていたとも言えず・・・。
    辛いから聴いていたような、辛いから聴かなくなったような。
    それでも聴きたかったし・・・。
    ブルース。
    よく分かりません。私には。

  2. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    私もまた、昔、リロイ・ジョーンズの 『都市の黒人ブルース』 とか、相倉久人さんの 『モダンジャズ鑑賞』 などという本を読み漁ったことがありまして、そのときは何か分かったような気になりましたが、結局それらの本が何を訴えようとしていたのか、残念ながらもう思い出すこともできません。
    なのに、40年以上も前、はじめて行ったブルース専門喫茶で、そのときレコードとしてかかっていたスリーピー・ジョン・エスティスが、ボロンとかき鳴らしたギターの音は、今でもよく覚えています。
    それまで、白人ロックミュージシャンのカバーブルースしか聞いていませんでしたから、本物のシンプルさと奥深さにドキリとしました。
    結局ブルースというのは、(…ま、音楽はみなそうかもしれませんけれど) 書籍とか理屈の世界ではないということなんでしょうね。
    ムーンライトさんも、はじめてラジオで聞かれた大木トオルさんの “声” に圧倒されたとか。
    やはり、最初に耳にしたときに、“気になる”、“惹かれる”、“圧倒される” という体験が、その人とその音楽の出会いを決めるもののような気がします。

  3. ミペット1号試作品 より:

     ご無沙汰してます。
     そーいえば、フォークソングに自虐的な愚痴っぽい歌詞をつけた物が、「ブルース」で、フォークソングを歌謡曲として発展させたのが、ニューミュージックだと思ってました。
     もしかすると、アメリカ本場のブルースの情報がなかったとき、フォークソングにシャンソンの要素と、ジャズの旋律を取り入れて、日本ではブルースの旋律を作ったんじゃ。

  4. 町田 より:

    >ミペット1号試作品さん、ようこそ。
    うまいですねぇ! 
    >「フォークソングに自虐的な愚痴っぽい歌詞をつけたのがブルース。フォークソングを歌謡曲として発展させたのが、ニューミュージック」
    実際の成り立ちがそうなのかどうか、よくは分からないのですが、感覚的には、ものすごくよく分かる説明であるように思います。
    日本の歌謡ブルースって、確かに自虐的なものが多いですものね。
    また、「シャンソンの要素」と「ジャズの旋律」というのは当たっていますね。
    ブルースと名づけられた歌謡曲が、どこか演歌よりも洋楽っぽく感じられるのは、作曲家たちが、当時の外来音楽の代表だったシャンソンとジャズを意識していたからかもしれませんね。
     

  5. frictionreck より:

     宇崎さんがDTBWB時代に昭和51年~52年「ああブルース」とゆうコンセプトアルバムを作りました。黒人ブルースには敬意を示し、あえて日本人の扱うブルースをカバーしたアルバムでした。日本的な捉えたブルースがおぼろげにわかったような… 納得できたわけではないのですが。

     言葉とイメージするもの、わかっているようでわかっていないことがおおいかもしれません。

     実は、自分はジャンルとしての「ジャズ」がわかっていないのです(笑)。 ナベサダがやれば、ジャズ、阿木泰子が歌えば、ジャズとゆう認識しかない(ロカビリーでも使う ウッドベースを使うとジャズですか?)。 近藤等則氏もジャズ(フリージャズ)になるのでしょうか , ぜひジャズについての定義を取り上げてください。

     パンク、ハードロック、ヘビメタ、ハードコア、プログレロック、ポジパン、ゴスロリはなんとなくわかるのですが…。

     

    • 町田 より:

      >frictionreck さん、ようこそ
      このコメントからも、frictionreck さんがかなり真摯に 「音楽」 というものに対峙している様子が伝わってきて、少し襟を正しました。
      >> 「ジャズというジャンルがよく分からない」 という正直な発言に、むしろ真剣にJAZZに向きあおうという姿勢が伝わってきます。

      で、こちらも正直にいいますが、私にもこのジャンルはよく分かっていないのです。
      音楽言論的なことならば、それなりの専門書をひもとけば、「定義」 はすぐに見つかるように思います。
      しかし、現代音楽のなかで、そのJAZZが他の音楽ジャンルに対して、どのように 「対峙」 もしくは 「融合」 したのかというと、私も漠然としたものでしか、つかみきれていないのです。

      ただ、経験的に推測すると、60年代の終わりになって欧米で急速な発展を遂げた黎明期のROCKに対し、インプロビゼーションという演奏の意義を伝えたのは何よりもJAZZであったように思います。
      つまり、演奏者が演奏を続けるなかで、次々と刺激的なフレーズをその場で模索していくというスタイルは、JAZZが先行していなければ生まれ得なかったように思うのです。

      ただし、それは演奏者にとっては、ある意味、辛いことだったように感じます。
      その場で、「音」 を創造していくわけですから、自分に、何かが憑依していなければ続けることができない。観客から 「名演奏」 といわれるようなフレーズを創りだしていくということは、神がかりの状態が続かない限り可能とならない。
      Be-Bopの時代のジャズマンは、そういうプレッシャーを受け続けてきたのではないでしょうか。

      昔、チャーリー・パーカーの生涯を映画にした 『バード』 という映画を観たことがあるのですが、パーカーは、自分の即興演奏に身を震わせる観客たちのために、身を削って応えようとして、最後はドラッグに頼らざるを得なくなっていくわけですね。
      クスリで 「ハイ」 の状態を維持しないかぎり、演奏の場におけるベスト・コンディションを保てないわけで、それが結局身を滅ぼすことにつながっていくわけです。
      あの静謐でリリカルな音を出す (大学教授みたいな顔をした) ビル・エバンスもそう。

      同じようなことが、60年代末期のROCKアーチストを襲いました。ジミ・ヘンドリックスも、ジム・モリソンも、ブライアン・ジョーンズも、みなそれでおかしくなった。
      結局、自分の命を削って、音を創っていくしかなったから、ドラッグの力に拮抗できる精神と体力が消耗した段階で、みなホトケさんになったわけですね。

      基本的に、JAZZはライブこそが 「命」 であり、その影響を受けた60年代後期のROCKミュージシャたちも、それに殉じて生きようとしたわけで、そういった意味で、BOP時代のJAZZと、初期ROCKは同じ精神を共有したように感じます。

      要は、ライブ会場において、観客と一体となって、観客とともに作り出す音楽。
      レコードやCDのような 「再生装置」 に頼らずに作り出す音楽。
      そういうものを目指したとき、一部のJAZZミュージシャンやロッカーは、テンションを維持するために、ドラッグのようなリスクのあるものに手を出してしまった、ということなのでしょう。

      パンクロックというのは、(ドラッグに頼るかどうかは別として)、「観客と一体となって作り出す音楽」 というJAZZがいちばん燃えていた時代の精神を受け継いだものなのかもしれません。

      素人の誤った見方かもしれませんが、今のところJAZZに関して言えることはそんなことでしかありませんので、自分でも情けないのですが、どうかお許しください。別の機会にもう少し考えてみます。
       

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