伝える力

 
 “解りやすく語る解説者” ということで、池上彰さんが大ブレークである。
 政治のみならず、経済、宗教、歴史など、どんな分野においても、池上さんが時事解説を行うと、
 「あ、そういうことだったのかぁ…」
 と、誰もが腑に落ちてしまう。
 今や、カリスマ時事解説者ともいえる池上さんが、その解説の極意を伝授してくれるのが、この 『伝える力』 (PHP ビジネス新書) だ。

池上彰氏「伝える力」表紙

 初刷りは3年ぐらい前だが、2010年の10月には68刷りという驚異のロングセラーを続けている本だ。

 では、どんなことが書かれているのか。

 ちょっと拍子抜けするほどオーソドックスな … というか、 「正攻法」 というべきか、プロの表現者が、読者・視聴者にモノを伝えるときの基本中の基本が書かれているにすぎなかった。
 そういった意味では、新鮮な発見は何もなかった。

 しかし、よく考えてみると、人にモノを伝えるスキルを身につける方法に、 「裏ワザ」 も 「新発見」 もありはしないのだ。
 「伝える力」 を身につけるためには、結局、地道な 「日々の勉強」 、 「日々の努力」 、 「日々の研鑽」 …それを積み重ねるしかない。この本は、そういうきわめて当たり前のことを伝えようとしている。

 一例をあげてみよう。
 たとえば、 「良き文章を書くコツ」。

 「私は NHK の記者時代、ニュース原稿を数え切れないほど書きました。しかし、経験がなかったため、何をどう書いたらよいのか、さっぱりわかりませんでした。そこで、私がとった行動は、先輩記者が書いた原稿を書き写すことでした」
 … と、池上さんはいう。

 仕事が終わった深夜、会社に残った書いたりしたらしい。しかも、パソコン、ワープロがない時代だったので、いちいち原稿用紙に手書きで…。

 好きな作家の文章を一字一句書き写すというのは、昔から作家志望の若者たちがやっていたことだが、ニュース解説者までそれをやっていたとは…。

 文章というのは、書き写すと、やはり読んだときには気づかなかった部分が “見えてくる” という。
 多くの人の文章を書き写していると、そのうち自然に 「説得力の有無、論理展開の優劣、文章のリズムの良し悪し」 などが分かってくるというのだ。

 なるほど!
 …… と、うなづくしかない話ではあるが、そう言われたからといって、他人の書いた文章を一字一句書き写そうとする人は、よほどの文章マニアでない限り、実際にはなかなかいない。

 しかし、 “この著者は実際にそれをやってきた人である” という重みが、論旨に独特の説得力を与えている。

 池上さんがこの本でしきりに強調しているのは、
 「深く理解していないと、分かりやすく説明できない」
 ということ。

 「そのことに関して、まったく知識のない人に理解してもらうためには、自分でも正確に理解していないと、とても無理。うろ覚えや、不正確な知識、浅い理解では、相手が分かるはずもない」
 と池上さんは語る。

 彼がそのようなことを肌で感じるようになったのは、NHK の 『週刊こどもニュース』 のキャスターを11年務めてからだった。

 この番組は、大人向けのニュースを子供に対して分かりやすく解説するというものだったが、池上さんがそこから学んだものは大きかったという。

 まず、大人には通じる “常識” が、知識や社会経験に乏しい子供には通じない。
 だから、政治や経済のことを解説するときも、 「大人が日常的に使う言葉は、子供には使えない」 というところからスタートしなければならなかった。

 そのことが、逆に、池上さんに言葉の意味を正確に把握するという訓練を施し、物事を正確に把握する習慣を身につけさせたらしい。

 難しい言葉を使って人に語ったり、文章を書いたりすれば、 「何か立派なことを説明した」 と人間は錯覚しがちだが、これは池上さんに言わせると “愚の骨頂” 。
 難しいことを、簡単に分かりやすく説明することこそ、実は難しいのであって、それこそ高度な能力が必要とされる、というわけだ。

 知ってた?
 知っているよね!
 こういう話は、たいてい一度や二度は、誰かから聞いたことのある話だ。

 しかし、池上さんの本には、その “誰もが知っている” はずのことが、実際にやってみると、 “けっこう難しい” … という例が、豊富な体験を通じて克明にレポートされている。

 この豊富な具体例が、この本の真骨頂かもしれない。
 「学問に王道なし」 とはいうが、 「伝える力を身につけることにも王道なし」 なのだ。
 そのことを、この本は愚直に訴える。
 
 著者は、 “オリジナリティあふれる知性” を振り回して得々としている (いわゆる) 「文化人」 ではない。
 「伝える力」 だけをコツコツと磨いてきた職人である。
 決して、大向こうを唸らせるような知的パフォーマンスを持った人ではないが、代わりに、職人の “凄み” を持っている。
 装丁やキャッチは、安直なノウハウを満載した 「ハウツー本」 というイメージが漂うが、中身はコミュニケーションの本質論に迫る生真面目な本である。
 
 

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