2001年宇宙の旅

2001年宇宙の旅ポスター
 
 「SF映画の金字塔」といわれ、その出来映えに、今もなお賞賛の嵐が集中している『2001年宇宙の旅』。
 1968年の公開だというから、なんと40年以上前の映画ということになる。
 私もまた、リバイバル公開されたものを高校生のとき一度劇場で見ている。
 そのとき、
 「すごい映像だ!」
 … と感心したことはあったけれど、そこから何かを考えるヒントをもらったというほどのことではなかった。
 
 だから、自分の “好きな映画” のリストから、この映画は外れていた。
 しかし、昨晩、風呂から上がってテレビを付けたら、たまたまこの映画が放映されていて、(途中からだったけれど)久しぶりに、じっくり見させてもらった。
 
 「ああ、こういう映画だったのか … 」
 ようやくである。
 ようやく、この映画の本当のすごさというか、面白さに気づいた。
 
 どういうストーリーかは、Wiki などのネット情報にさんざん出ているし、この映画の評価に対しても、優れたレビューがたくさん掲載されているので、ここでは繰り返さないが、一言だけ説明すると、「(封切り当時の1968年においては近未来である)2001年に実現された “宇宙旅行” の様子を、きわめてリアルに紹介した空想科学(SF)映画」ということになろうか。
   
 特に宇宙船や宇宙服、月面状況などの描写に関しては、1960年代につくられた映画であるにもかかわらず、21世紀の工学的知見にも耐えられるほどの科学実証性を備えていると、科学や映画の専門家たちはいう。
 
 しかし、この映画が今日まで語り継がれてきたのは、その映像の作り込みもさることながら、「なんかすごいテーマが潜んでいそう!」という、その哲学的な語り口が魅力的だったからにほかならない。
 
 「宇宙と人間」
 「文明と人間」
 「神と人間」
 「人工知能と人間の知能」
 
 まさに、“問があっても答がない” スケールの大きな問題が映像の向こうにデンと居座っており、その哲学的な味付けに、多くのファンが魅了されたといってもいい。
 
 とにかく、謎の多い映画なのだ。観客を突き放した … というか。
 まず、画面に3度ほど登場する “謎の石碑” の正体が分からない。
 角に触ると手が切れそうなほど滑らかに磨き上げられた石碑 (モノリスと呼ばれている)は、宇宙をコントロールする知的生命体( 神?)が、人類に「知恵」を授けるために送った “教育装置” などという解釈が流布しているが、映画の中では、特にそのように語られているわけではないので、最後まで意味不明。
 
 木星探索に派遣されるディスカバリー号には、人類の演算能力をはるかに凌駕する「ハル9000」というコンピューターが搭載されているのだが、その「ハル」が乗組員に反乱を起こし、宇宙船から人間を排除しようと画策する。
 しかし、ハルはなぜ反乱を企てたのか、目的は何だったのか、これに関しても解説がない (解釈は無数に存在するが)。
 
 ディスカバリー号が目的地の木星に近づくやいなや、その船長はサイケデリック (死語?)な色が炸裂する光のトンネルをくぐり、最後はロココ風インテリアで統一された部屋に到着する。
 
▼ ロココ風の部屋にも、いつのまにかモノリスが…
2001年宇宙の旅ロココ部屋モノリス
 
 しかし、その “ロココ部屋” が何を意味するのか、そこがどこなのか、こいつも説明なし(マニアの間では解釈は無数に存在する)。
 
 … といった感じで、とにかく観客を混乱させる意地の悪い仕掛けがいっぱいある映画なのだが、そういう意味不明の部分が、逆にファンの探求心を刺激し、その謎を自分なりに解釈することによって、ファンは哲学的な命題に近づいていくような気分に浸れる … という映画なのだ。
 
 しかし、単純に見ると、これは「ホラー」だ。
 
 私が今回見て感じたのは、言い知れぬ寒さを伴った「恐怖」だった。
 若い頃に見たときには、ぜんぜんそんなものを感じなかったのに、今見ると「ホラー」に見えるというのは、一体どういうことなのだろう。
   
▼ 木星に向かうディスカバリー号
2001年宇宙の旅ディスカバリー号
 
 『2001年宇宙の旅』に描かれる宇宙旅行のスタイルは、人類はいまだ実現していないにもかかわらず、ある意味、完璧な日常性の延長にある。
 科学と人間が、美しくも若干退屈なハーモニーを奏でる予定調和に満ちた世界。
 その後のおどろおどろしいSFアクション映画に比べ、『2001年 … 』は、宇宙と美しく調和して生きる人間の姿を描く作品にすら思えてくる。
 そんなことを感じさせる仕掛けのひとつに、宇宙空間を移動していくときのBGMとして使われる「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス)がある。
 
 この映画を最初に見た人は、この音楽の使われ方にハッとするはずだ。
 平和を享受する人々を優しく祝福するような明るいメロディ。
 そのメロディが流れ始めると、星空を進む宇宙船の姿は、シャンデリアの下で舞踏会を楽しむ貴婦人に早変わりする。
 まさに、宇宙旅行が日常的なレジャーとなった時代を表現するにふさわしい選曲だったといえるだろう。
 
 「ホラー」というのは、その揺るぎない日常が、突如揺らぐところから始まる。
 
 それが月の地中から掘り起こされたモノリスの登場だ。
 400万年前に、月の大地に埋められたとされるこの石碑は、誰が、何のために造ったものなのか。
 そして、それが木星に向かって発信している電磁波は何を意味しているのか。
 すべてが明るく調和的に進行するストーリーの中で、突如出現するこの「謎」は、幽霊や妖怪の出現よりも怖い。
 
 月の地中から掘り起こされたモノリスは、400万年の時を超え、「人類の歴史に始まりがあるのなら、その終わりもある」ことを伝えるために出現したようにも感じられる。
 
 コンピューター「ハル9000」という存在も怖い。 
 知能とともに、感情すら持っているのではないか? … と感じさせるこのコンピューターは、はっきりと感情を持つ存在として描かれた『ブレードランナー』のレプリカントよりも正体不明で、なんか怖い。
 
▼ ハルが「人格」を持っていることを表すかのように、
 人間と会話を交わすときには、ハルの “一つ目ライト” が微妙に光りを変える

2001年宇宙の旅ハルの目(?)
 
 人間の演算能力をはるかに凌駕するハルが、もし狂ってしまい、しかも、その狂ったことを人間に悟られないように巧妙にウソをつき始めたとしたら、人間はそのウソをどのようにして見破り、どう対応したらいいのか。
 まさに、そこに、人工知能が現実的な存在となりつつある現代の恐怖がある。
 
 宇宙船の船長は、思い切ってハルの頭脳回路を切断することを決意する。
 船長の決意を知って、ハルは恐怖する。
 
 “脳神経” がひとつひとつ切られていくことを「痛み」として感じるハルは、しきりに自分が正常であることを訴え、船長に忠誠を誓い、「助けてほしい」と哀願する。
 しかし、回線が解除されていくにしたがって、ハルの知能は退行し、やがて幼児期の記憶しか残されない老人のように、自分が誕生した頃に覚えた “子守唄” を歌いながら息絶える。
 
▼ ハルの頭脳回路を切断していく船長
2001宇宙の旅頭脳回路の切断
 
 こわ~!
 と思った。
 このシーンがこんなに恐ろしいシーンだとは、昔は気づかなかった。
 
 「ホラー」とは、この世に存在しないはずのものが、存在することを訴える作品のことをいう。
 幽霊の実在を信じる人にとって、幽霊が出る話は「ホラー」ではない。
 モノリスの怖さというのは、どう見ても人工物としてしか考えられない物質が、400万年前から存在していたという怖さで、これも「存在しないものが存在する」例となろう。
 
 同じように、必死に命乞いをする人口知能というのも、ありえない。
 モノリスやハルは、その存在しないはずのものが、突然現出してきたときの驚きと恐怖を体現している。
 この映画のすごさが本当に理解できるのは、つくられてから40年という時が経過した「今」なのかもしれない。
 
  

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2001年宇宙の旅 への2件のコメント

  1. solocaravan より:

    こんばんは、久しぶりに書き込みさせていただきます。
    この映画、本来ならば一部の通が見るようなマニアックな作品なのではないかと思いますが、それが広く一般にも知られ、SFの代表作にまでなってしまったところがすごいです。それはおっしゃるようにリアルな作り込みのみならず、それをベースにしてというか、それに釣られてというか、何かありそうでなさそうな幻惑感というか、哲学の匂いというか、とにかくただものではなさそうだという強い印象を見るものに与えるからではないでしょうか。
    映像もさることながら、忘れられないのは音楽です。秩序正しさの象徴のような近代音楽のワルツがテクノロジーの粋である宇宙船のシーンで使われるのにたいして、混沌の極みのような現代音楽(リゲッティ?)が不可解なモノリス登場のシーンで出てきて、よりいっそう訳が分からなくなった覚えがあります。
    マニアが深読みしようと思えばいくらでもできるし、難解な哲学映画にしては、一般大衆をも惹きつける娯楽性も備わっている。見る人のレベルに応じていかようにも応えてくれる作品、こういうのを名作というのではないかと思っています。

  2. 町田 より:

    >solocaravan さん、ようこそ。
    まさにおっしゃるように、この映画の魅力は >「何かありそうで、なさそうで…」 という幻惑感にあることは確かですね。
    実際は、原作者のアーサー・C・クラークと監督のキューブリックが台本を共作したとき、それぞれの “謎” には論理的な意味合いがあったそうです。
    しかし、映画でそれをいちいち説明すると冗長になるので、キューブリックが思い切って “説明” の部分を省略してしまったのだとか。
    故意にミステリアスな雰囲気を作って観客を楽しませようという作為がないだけ、かえって観客は 「哲学的瞑想」の世界に遊べるようになったんですね。アーサー・C・クラークの原作の方では、謎解きがされているらしいのですが、そっちはちょっと読んでいないので、なんともいえません。
    音楽も確かにすごいです。モノリスが登場するときに流れる音(リゲッティの曲) は、音楽とも取れるし、不気味な効果音とも取れるし、なんとも絶妙でしたね。
    確かに 「名作」 ですね。
     

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