月はどっちに出ている

 
 もう2週間ぐらい前のことになるのかしら。
 BSテレビで、催洋一監督の『月はどっちに出ている』が放映されていた。
 
 また、観てしまった。
 15年ぶりになるかもしれない。
 
月はどっちに出ている
 
 在日コリアンのタクシー運転手(岸谷五朗)を主人公に、その周辺で巻き起こる「事件ともいえないような “事件”」を淡々と描く、シリアスドラマともコメディともいえない映画。
 根っこには、在日コリアンが味わってきた「差別」、「生活苦」、「怨念」、「諦念」…などというドロドロしたテーマが横たわっているはずなのだが、映像としては、それがきれいさっぱり濾過(ろか)されて、乾いた叙情を湛えた不思議な映画になっている。
 
 目を見張るようなアクションが描かれることもない。
 度肝を抜くストーリー展開があるわけでもない。
 東京下町の枯れた風景の中で、貧乏タクシー会社に務める社員たちの、投げやりで、卑猥で、ふてぶてしくて、どこか哀しい生活が描かれるだけだ。
 
 だけど、どこか、おかしい。
 そこには常に「乾いた笑い」がある。
 
 しかし、その笑いは、脚本家が計算ずくで考え出した「笑い」ではなく、人間存在そのものの「おかしさ」から滲み出てくる「笑い」のようにも思える。
 
 セリフだけ取り出すと、かなり騒々しい映画なのだが、画面から漂ってくるのは、シーンと静まり返った静謐感。
 非番のタクシー運転手たちが、駐車場のささくれだったコンクリートの上で、ときにケンカし、ときにヤクザをからない、ときに将棋を指し、ときにただ曇天を眺め…。
 誰もが生活苦を抱えているはずなのに、その切迫感は見事に抽象化され、ただ奇妙に達観した人間たちの不思議な静けさが大地を覆っていく。
  
 それをひとことで表現すると、「空気感」。
 『月はどっちに出ている』は、都会の片隅をひっそりと流れていく「空気の流れ」を見事に映像化した映画なのだ。
 あらためて、「こういうのを “映画” というんだろうな」と思った。
 
 「テーマはなんだ?」などと、観る人に考えさせない力( = 言葉を超えたものを感じさせる力)
 それが「映画の力」だとしたら、この映画には、その力がある。
 
 この映画には思い出がある。
 親父と最後に一緒に観た映画なのだ。
 
 厳密にいうと、その言い方は正しくない。
 正確には、「親父と同じ部屋にいて最後に観た映画」というべきなのだろう。
 その顛末は、このブログ (↓) で書いたので、ここでは繰り返さない。
 
 町田の独り言 『Woo Child』
 
 映画のエンディングに流れる憂歌団の『Woo Child』という曲が、この映画にとてもよく合っていたことだけは生々しい記憶として残っている。
 
 

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月はどっちに出ている への4件のコメント

  1. セラニート より:

     私も見ました。
     何というか、乾いているけどわざと乾いていないというか、哀しさとも虚しさとも違う、生命観を持った情感に満たされた映画でしたね。
     在日コリアンのタクシー運転手を中心にした、一般人にとっては非日常であるが、彼らにとっては日常の出来事の展開が、見ていて私は心を動かされました。
     昔、私が幼い頃、私の父(今は亡くなりましたが)が店を借りていたところが、賃貸のトラブルでやくざが入ってきて、学校の休みにその店を手伝っていたときのことを思い出します。
     やくざは、怖かったですね。
     結局、そのやくざは、家族全員がしまいにはみんな殺されて、消滅しました。
     私の幼かった頃(1950年代)は、あのような映画の情景が、ある意味では日常的なものだったように思います。
     そういう意味で、私にとっての懐かしさも、あの映画に釘付けになった一因ではないかと思ってます。
     

  2. 町田 より:

    >セラニートさん、ようこそ。
    コメントありがとうございました。
    この 『月はどっちに出ている』 という映画は、なんとも感想を書くのが難しい映画でした。
    何か激しく伝わってくるものがあるのだけれど、それを言葉でどう表現したらいいのか分からない。
    そんな暗中模索で書いた記事に、実に的確な見方を提示していただいたように感じられ、ありがたく思っています。
    セラニートさんの原体験を書き添えてくださったおかげで、ようやくこの映画に流れていた 「空気」 のようなものを理解することができました。
    私が幼少期に住んでいたところは、平凡な勤め人が多い普通の町で、この映画に出てくるような情景とは縁遠い世界でしたが、セラニートさんにご指摘いただいて、 「腑に落ちた」 ことがあります。
    「懐かしさ」
    それだったんだな…ということが分かりました。
    今の日本の一般人にとってはもはや 「非日常」 としかか感じられないあの映画の 「空気」 が、あの映画の世界に登場する人たちには 「日常」 であるという感覚。
    それに近い空気は、(住んでいた町の雰囲気が違うとはいえ)、かつて自分も「吸ったことのある空気」であったような気もします。
    「乾いているけれど、乾いていない」
    「哀しさとも虚しさとも違う」
    その微妙なニュアンスがあの映画の最大の特徴ですね。
    おっしゃるように、どこか 「釘付け」 になるような映画ですね。
     

  3. ムーンライト より:

    番組表でこの映画の放映は知っていましたが、私は見ませんでした。
    なにか、辛くて・・・。
    この映画について、町田さんとコメントでお話した覚えがあります。
    この映画。内容は勿論ですが、
    『月はどっちに出ている』というタイトルがなんともいいですね。
    町田さんに9月4日にメールをお送りしたのですが、メールサーバーの不調で届いていなかったのですね。
    このレッスン(↓)をご一緒に如何?というメールだったのです。
    http://toru-oki.net/link1.html
    参加者全員で大木さんと「STAND BY ME」を大きく口を開けて歌いました。
    踵でリズムをとり、手をたたき、大木さんと目を合わせて。^^
    小さい会場の方が伝わるものは大きい感じがしました。
    大木さんが手を一つたたいた瞬間、それだけで別の世界がひらけました。
    10月2日のライブも行きたいのですが、毎月上京するわけにはいかず、12月15日の「大木トオル・ディナーショー」を楽しみにしています。
    会場から勝手に一緒に歌おうかしら・・・。^^

  4. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    確かに、この映画はタイトルがいいですね。
    これは、タクシー会社の方向オンチの社員が、クルマを運転中にいつも道に迷って、「自分は今どこにいるんでありましょうか」 と会社に電話をしてくるときに、主人公が、 「周りをよく見ろ、月はどっちに出ている?」 と尋ねるときのセリフ…だったように思います。
    メールの件、本当に失礼しました。
    「スタンド・バイ・ミー」 を一緒に歌えたなんて、最高ですね!
    黒人音楽では、よく「コール&レスポンス」ということが大事にされますけど、 >「目を合わせながら、リズムを取り合う」 なんてのは、まさにそれですね。
    うらやましいようなお話です。
    12月のディナーショーがまた楽しみですね。
     

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