自然が子を育てる(中村達さんの話)

  
 「自然が子供を育てる」というテーマで、アウトドアジャーナリストの中村達(なかむら・とおる)さんに取材することができた。

中村達氏002

 中村さんは、日本アウトドアジャーナリスト協会の代表理事も務められ、東京アウトドアズフェスティバルなど、数々のアウトドア事業の総合プロデュースを手がけられる方で、『アウトドアマーケティングの歩き方』など、数々の著書をお持ちである。

 その中村さんが、取材中に、
 「日本のアウトドア文化は、いま壊滅的な状況ですよ」
 と、ポロっとこぼされた。

 どういうことかというと、日本の子供たちの “アウトドア離れ” というのが、いま相当深刻らしい。
「子供のアウトドア離れ」というと、すぐコンピューターゲームをする子供が増えた…など、バーチャルな文化が “災い” しているように語られがちだが、中村さんが言うのは、もっと実務的なことで、いま教育の現場から子供たちに「自然を学ばせる」カリキュラムそのものが減少しているというのだ。

 たとえば、昔は盛んだった「臨海学校」や「林間学校」、「キャンプ大会」。これが、いま学校教育からどんどん削られる傾向にあるという。

 なぜか?
 ひとつは、そういうイベントで事故など起こってしまったら、学校が責任を取りきれないという社会状況が生まれてしまったこと。

 また、もうひとつは、そういうイベントを指導できる先生がいないこと。
 生徒を指導する若い先生が、自然体験をしていないために、虫が出ただけで、「キャーッ」と叫び声を上げるような状況では、学校側にアウトドア教育をお願いすること自体が難しい…と中村さんは語る。

 では、学校に代わって、親が子供たちに自然学習をさせればいいのだが、今度は、親にも自然との遊び方を知らない世代が台頭してきている。
 今の小学生ぐらいの子供を持つ親は、アウトドアウェアを買っても、それをファッションとして都会で着ているような人たちだから、ウェアのサバイバル機能そのものすら知らない。

 「こういう事態がそのまま進めば、日本の子供たちは、現実に適応するための能力や感性をどんどん失っていくだろう」
 と中村さんは危惧する。

 どういうことか?
 「自然こそが、人間の感性を磨くいちばんの宝庫だ」というのが、中村氏の持論だからだ。 

 氏は語る。
 「自然というのは、 “不思議発見” の世界なんです。つまり自然は、変幻きわまりない “変数” で構成されているわけですね。
 自然というのは、その “変数” を人間に読み解くことを迫るわけで、そのおかげで、人間は自然の不思議さに気づくようになるんです」
 つまり、雲の形だって波の形だって、同じ形など絶対にありえない。
 気候も景色も、場所が変わらなければ同じものが繰り返されているように見えながら、厳密にいえば、同じものを二度と繰り返していない。
 魚や昆虫だってそう。
 同じ種と出合っても、同じ個体と出合うことはまずない。

波001

 そのような、無限に広がる大自然のバリエーションに接することが、人間の好奇心の原点なのだと、中村さんはいう。
 そしてそれこそが、アメリカの海洋生物学者レイチェル・カーソンのいう『センス・オブ・ワンダー』なのだと。
 「センス・オブ・ワンダー」というのは、レイチェル・カーソンのベストセラー書籍の名前だが、題の意味するところは、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」。
 そのような感性が “自然体験” から生まれてくることを、レイチェルは、姪の息子である4歳のロジャー少年を森や海辺で遊ぶばせる過程から理解したという。

 日本では、分子生物学者の福岡伸一氏の人気がすさまじいが、彼が生物の神秘に魅了されるようになったきっかけは、鮮やかなブルーの色を持ったルリボシカミキリを捕まえたいという一念から生まれた。
 福岡さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)は、65万部を超える大ベストセラーとなったが、福岡さんが “生物と無生物の境界” というものすごくイマジネーティブな領域に関心を持つセンスを養ったのも、やはり自然体験によって培われてきたものなのだろう。

 「感性をきちっと自分の中に育てられるのは二十歳までです」
 と、中村達さんは言い切る。

 「30歳以降になると、雑念がいっぱい頭に中に浮かび、理屈で整理するクセがついてしまうから感性が磨かれない」
 「若ければ若いほど、自然の匂いとか香りなどに敏感になる。そしてそれが、理屈ではなく、身体を通してその人の心に刻まれる」
 と、中村氏は力説する。

 2008年に、日本人学者が4人同時にノーベル物理学賞、ノーベル化学賞などを受賞したことがあったが、賞を取るための秘密を尋ねられたとき、彼らが口を揃えて答えたキーワードは、いずれも「自然」だったという。

 では、どのようにすれば、日本の子供たちがもっと自然に接する機会を持てるようになるのか。
 中村さんは、やはり社会教育として進めていくしかないと答える。

 フランスでは、「アニマトゥール」という制度があり、親がロングバケーションを楽しむ季節になると、子供たちをサマーキャンプに連れ出す公的な野外教育機関が整っている。
 アメリカでは、アウトドアズが国是となっているため、教育機関においても、保護者間においても、子供たちを自然になじませようというカリキュラムがしっかり浸透している。

 だから、アメリカでは、両親が子供を連れて長期間バックパッキングなどをしている間は、子供を学校にやらなくても、親が教育を代行してもいいという慣習ができている。

 日本においても、そのような社会システムが構築されることが望ましいのだが、それがしっかりしたものとして整備されるまでは、やはりキャンピングカー旅行による親子の触れ合いが大切だと、中村さんは語る。
 「キャンピングカー旅行を、上手に自然の中のウォーキングなどと組み合わせていけば、子供にとってはとても刺激的な自然体験ができるようになる」
 中村さんは、そう確信する。

 そのためには、キャンピングカーを受け入れてもらうためのインフラ整備や、キャンピングカー先進国の欧米観光客をもっと誘致して、彼らにキャンピングカー旅行を楽しんでもらえるようなシステム構築も必要になるだろうとのこと。
 とにかく、キャンピングカー先進国の人たちが、日本で当たり前のようにレンタルキャンピングカーなどを使いこなす状況が定着していけば、日本のキャンピングカー文化は劇的な変化を遂げる、と中村さんは観る。

欧米人のキャンプ風景
▲ 欧米人のキャンプ

 彼らが、キャンピングカーを通じて、いかに自然を楽しんでいるのか。
 それを学ぶことで、日本のユーザーも、今まで思いもつかなかったようなヒントをたくさん得ることができるはず。
 
 そう語る中村達さんの表情は、「日本のアウトドア文化は壊滅的だ」と話し始めたときとは逆に、明るい希望の光に満たされていた。
   

  
  
※ 参考記事 「アウトドア・ジャーナリスト 中村達さんの視点」
 
※ 参考記事 「日本のアウトドアの考察」
 
※ 参考記事 「幕張のフォーラム」
 
  
  

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

自然が子を育てる(中村達さんの話) への10件のコメント

  1. aki より:

    センスオブワンダー...親になってから去年までずっと、子供たちとともにアウトドアを楽しんできました。特に何か目的を持っていたわけではなく、自分が楽しいから、子供たちが楽しそうだからって理由だけで、カヌーで川を下り、カヤックで海を渡り、山を縦走し、雪原に穴を掘って(苦笑)遊んできました。
    家では社会では子ども扱いされる彼らも、フィールドでは親子ではなく同志あるいは仲間の扱い。高山病に苦悶しながら自分の足で歩き、不釣合いに大きなカナディアンカヌーを自分の判断で漕ぐ姿を見るたび、心のどこかに「この経験は何かの役に立つかもしれない。」という欲もあって...それがまさにセンスオブワンダーを呼び起こすということだったんだなぁって、今、解りました。
    キャンピングカーはそんな僕ら家族にとってフィールドを楽しむために欠くことの出来ない道具でした。
    >「キャンピングカー旅行を、上手に自然の中のウォーキングなどと組み合わせていけば、子供にとってはとても刺激的な自然体験ができるようになる」
    まさに仰る通りだと思います。2006.2007年に僕らが経験した旅は、まさにそんな自然体験でした。お時間のある時にでも町田さんや中村さんに読んでいただけると嬉しいです。
    http://www.papapaddler.com/text/papapaddlers060803.html
    http://www.papapaddler.com/text/papapaddlers070806.html

  2. ミペット1号試作品 より:

     コメントありがとうございます。。アウトドアの危機ですか・・・。私もそう思うけど、もう一つ危機的な物があると思うのです。ある建設会社のラジオCMに、こんなキャッチコピーがあって。「たった一本の木に、惜しみないテクノロジー」って言うコピー。あれっておもったのが、「自然」という物と「テクノロジー」という物は、対等な関係を通り越してしまったのか。テクノロジーは、自然よりも尊われる存在になってしまったのかと、思ったわけです。
     そのコピーに自然を加工し、コントロールしようとするという人間の傲慢さを感じてしまいました。人間が自然に対して傲慢になればなるほど、自然は美しくなくなる。環境を変えたのは人間で、土地から土と水を奪うことが、そこに棲む生き物の命全てを奪うことに繋がる。それを身をもって体験するのが、キャンプの本質だと思うし、遊びの中で、命に対する畏敬の念を学ぶことが、子供達には必要じゃないかと思うわけで。
     だから、その場しのぎみたいに原っぱに適当な木を植えてみても、「庭園」しても、「風景」しても面白くも何ともない。キャンプに行って、夕立が降れば、道が潰れる。それは自然のことだと思うけど、それを合理的にコントロールして、夕立が降っても林道は閉鎖にならいようにする。山の中に道のないところに入ったり、変なところで野宿すれば、皮膚の中に草の種が入る。それは凄く当たり前のことだけど、そういう危険のリスクがあることが、当たり前であり、「自然」で、身をもって体験するのがキャンプだと思う。逆に、そのリスクを回避し、利益だけを徴収することは、本来であれば不自然なはず。不自然な自然との接し方。それもある意味、アウトドアスポーツの危機だと思うのですが。

  3. 町田 より:

    >akiさん、ようこそ。
    せっかくの貴重なコメントをいただきながら、バタバタしていたため、お返事が遅くなりまして、本当に申し訳ございませんでした。
    akiさんがまとめられたご家族の東北の旅。面白く拝読しました。
    ご家族がそれぞれの役割分担を持ちつつ、息をぴったりと合わせて、行く先々の自然や文化を吸収していく様子がよく伝わってきて感動的でした。
    抽象的な教育論など何一つ展開されていないのに、旅行記自体がセンス・オブ・ワンダーを体現する“自然体験”のドラマになっていて、見事な親子の心の交流レポートになっていたように思います。
    きっと中村達さんも読んでくださったことと思います。
    下記は中村さんが連載されている自然体験レポートですので、ご一読ください。
    中村達の「アウトドアあれこれ」
    ※ 「自然体験com」で検索(http://www.shizen-taiken.com/)
     

  4. 町田 より:

    >ミペット1号さん、ようこそ。
    とても示唆的なコメントをいただき、ありがとうございました。
    ご指摘のとおり、「テクノロジー」と「自然」のバランスを考えることは、現代人がいちばん真剣に考えなければならないものなのかもしれません。
    >「人間が自然に対して傲慢になればなるほど、自然は美しくなる」という皮肉な逆説。その一言には本当に考えさせられました。
    ミペットさんがおっしゃるように、天候や、気温や、森の深さ、山の高さなどの法則を熟知していないと危険に巻き込まれるかもしれないのが本当の「自然」であって、人の見た目に、心地よく、美しくコントロールされたものは、もう自然ではなく、「リゾート」なんですね。
    そして、本当の「自然」に接することによって、命に対する畏敬の念もはじめて生まれる。それを子供たちに学んでもらうことが大切だ。
    ミペットさんの考えをちょっと意訳すると、そのようなものになるような気がします。
    まったく同感です。
    ただ、森林のようなものが、林業とか観光という形で人間の文化に接してしまったような現代社会においては、森林を保護するにも人為的な操作が必要になってしまったというのも、ある程度の事実のようです。
    野生動物が里に下りてくるようになったのも、いま日本の森が放ったらかしにされて、荒廃しているからだという話もあります。
    「森の科学」と「森の哲学」のようなものが必要になってきた時代なのかもしれませんね。
     

  5. kamado より:

    地球に発生した人類は自然の一部分であるのは当然ですが、残念と言って良いのか、人類は己の生存の為に自然(環境)を変えてしまう宿命があります。
    人口が今の百分の一程度でしたら、それ程環境に負荷が掛からないのでしょうが、いかんせん多すぎますね。
    昔読んだリチャード・ドーキンスのベストセラー「利己的遺伝子」の後書きが示唆的でした。
    人口に関してですが、『人類は福祉という反自然を発明した。よって人口増に対しても産児制限という反自然を行う』
    発明なんていう言葉は使っていなかったかもしれませんが、凡そそのように言っていました。
    自然を主語にすれば人類は癌細胞みたいな鬼っ子ですが、発生してしまったのですから「なるべく自然と調和して」で良いのではないかと思います。
    ミペット1号さん、始めまして。建設会社のコピー、本音が出てしまったのですね。
    ただ、林道をコンクリートで固めるのは問題外ですが、夕立ぐらいで閉鎖されるようでは土砂が流出するわけですから、逆に環境負荷が大きすぎるのではないでしょうか。もっとも獣道のようなところであれば、おっしゃるように人間にとっては一雨で難儀な道で、それが自然でしょうね。
    町田さんのコメントの野生動物と里山の関係は、昔からの日本人の知恵の放棄からですが、尾瀬の鹿の食害なんて話は逆に日本狼を絶滅させた人の罪ですし、一時の利便性で自然を蹂躙すればしっぺ返しがあるのは散々経験してきたことです。
    自然を力ずくでねじ伏せるなんてことではなく(出来るわけもありませんが)、遠慮しながら一部利用させていただく程度が人類の知恵でしょうね。
    町田さん、お蔭様でどうにか桜の魔力から逃れて命からがら戻ってまいりました。
    これからも宜しくお願い致します。

  6. aki より:

    自然を大切に思う気持ち...もっと言えば自分も自然の一部だから自然を思うことは自分を思うことだという感覚…今の僕らに必要なことはそういうことなのだと思います。
    エコロジーとか自然を守れ!とか声高に叫んでみても、守るべき&大切にすべき対象の素晴らしさが理解出来ないままではモチベーションを高めようがなくて、ついつい安楽な方、快適な方へ走ってしまいますよね。
    自分と自然を別人格で捉えるのではなく、自分=自然だと認識するだけで、自ずと僕らが採るべき行動指針が見えてくるのかなぁって思ってます。
    そしてそんな僕らが未来を担う子供たちに出来ることは、大切にすべき&守るべきものの素晴らしさを伝えること。上から目線で「守れ」と強要するのではなく、素晴らしさに気付く助けになることで自発的に「守りたい」と思ってくれるように仕向ける(笑)こと...要するに“親父の背中”ってやつでしょうか(苦笑)
    日本中の川を泳ぎ、匂いや臭いを嗅いで、たまには誤って水を飲んで、川を知る。
    森に入り森の恵みを頂戴すること、または木を伐採して薪に換えることで、森を知る。
    海を漕いで島に渡り、海に潜って様々な生き物に手で触れることで、海を知る。
    もしこの世界を神が造ったのだとしたら?神という言葉に抵抗があるとすれば、全てが必然だとすれば、僕ら人類が存在すること自体、何か意味があるに違いないと思っています(楽観主義ですが...笑)。
    癌を悪だと捉えることが一般的ですけど、癌とか病気にも存在理由があるはずで、地球環境を破壊し続けている僕ら人間にも、何らかの使命があるのではないか?...最近そんなことばかり考えています。
    たぶん一朝一夕にはその答えは出ないんでしょうけど、僕はその疑問を次世代、そのまた次の世代に引き継いでいきたいと思っています。
    おっと、難しい話になってしまいました。御託を並べる前に、自然の中に身を置くことはとても自然なことで楽しいことだってのを伝えていきたいですね。キャンピングカーという素敵な道具の助けを借りて。

  7. TJ より:

    街ではグリーン運動だなんだと言いながら自然そのものを感じさせることが子供には大事でしょうね。
    デジタル見る自然では5感が鈍るだけですから。体で臭い色、味、空気を体感して体で覚えないと!!
    子供の頃に体で覚えた感覚は大人になっても残るので懐かしい臭いや味をを思い出したりもできますしね♂
    それに花見のおバカさん達は桜の根の上にシートを敷いて上に乗るのも木にダメージ与えているのを考えた方がいいですね。TJは去年手に入れた桜の種の発芽に成功しましたが・・・桜の木の下で発芽した芽は全て花見客に踏み潰されていました。。

  8. 町田 より:

    >kamado さん、ようこそ。
    >「桜の魔境」 からのご帰還、おめでとうございます。やっぱり “命からがら” だったんですか。
    それほど、魅せられたということでもありますから、ある意味、豊穣な体験ともいえるものかもしれませんね。
    自然から発生した人類が、自然を滅ぼそうということは、確かにゆゆしきことのように思えます。
    確かに、今は危機的状況で、地球が死滅するか否かという瀬戸際まで来ているように思います。
    しかし、一方では、こう思うこともあります。
    地球の自然の治癒力は、案外頼もしいものがあって、地球上から人類が死滅しても、「自然」 としては生き残っていくのかもしれないと。
    人類の後に新しい生命が生まれ、育ち、それが次の地球を守っていくのなら、人類は単にバトンタッチをする役目だったのかもしれません。
    ひょっとしたら、「自然を保護する」 なんていう発想も、人類の思い上がりなのかも。ミペットさんの指摘した建設会社のコピーというのは、そのことを指しているようにも思えます。
    結局は謙虚さが大事なんでしょうね。kamado さんがおっしゃるように 「遠慮しながら一部利用させていただく程度」 が人類が持たなければならない知恵なのかもしれませんね。
     

  9. 町田 より:

    >aki さん、ようこそ。
    おっしゃるとおりだと思います。
    >「自分もまた自然の一部」 であるということ。
    今回ちょっと体調を崩しまして、そのとき思ったことは、自分の 「個体」 は自分がコントロールしているんだから、ちょっと無理しても、どこかで調整できるはずだ…という思い上がりがあったということですね。
    寒暖の変化、気候の変化、そのような周りの環境に合わせて、素直にそれに歩調を合わせる…そんな当たり前のことを、空調に頼る都市生活を繰り返していると忘れてしまうんだな…ということでした。
    暑いからエアコン、寒いからヒーター。
    キャンピングカーの空調もめざましく発達してきましたけれど、何のために網戸が付いてんだ? 何のために断熱ボディなんだ? ってなことにも少しは気を回すべきかもしれません。
    >「日本中の川を泳ぎ、匂いや臭いをかぐ。森の中に分け入り、木を切ってマキに変えて、その匂いを確かめる」 。
    キャンピングカーという素敵な道具を使うときにも、そのような五感を養う感性が大事なんだというご意見、まさにそのとおりだと思います。
     

  10. 町田 より:

    >TJさん、ようこそ。
    やはり五感ですね。匂い、臭い、味、触覚……。
    デジタルで感じる 「自然」 は、確かに、おっしゃるように圧倒的な視覚優位の世界です。
    テレビ、DVDも同様ですね。
    いかに、深海の珍しい生物の遊泳を眺めようが、大空を舞うワシの飛行を堪能しようが、映像文化から得られるのは視覚情報だけですものね。
    子供の頃に覚えた嗅覚、味覚、聴覚は一生を支配するように思います。
    そこから「生命観」のようなものも育つわけで、花見だけにうつつを抜かす酔い人たちは、それを忘れているのかもしれませんね。
     

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