ハンマースホイの 「扉」

 
 「扉」というのは「境界」なんだな、と思う。
 そこを開けると違った空間が開けるという意味で、「扉」は日常生活の中で最もポピュラーな「異界」への入口なんだと思う。
 
 こんなに鮮やかな異界へ渡る「装置」が、われわれの生活の中にあるというのに、われわれは日頃そのことに気づかない。
 「扉」の向こう側が、ある日突然 “異なる世界” へ通じてしまったかもしれないのに、われわれは、そんなことを思いもせずに、扉を開ける。
 毎度、見慣れた景色が広がる。
 でも、そこは、昨日とは違った世界なのかもしれない。
 
ハンマースホイ「白い扉」
▲ ハンマースホイ 「白い扉」
 
 そんなことを、ヴィルヘルム・ハンマースホイという画家の絵を見て思った。
 
 恥かしい話だけど、この画家のことをまったく知らなかった。
 『美の巨人たち』という番組を観ていて、はじめて知った。
 
ハンマースホイ写真
 
 ハンマースホイは、19世紀にデンマークで生まれた画家だという。
 人と交わることの嫌いな、寡黙な人だったと伝えられている。
 自分のアパートに閉じこもり、ほとんどその室内だけを描いた。
 たまに登場する人物は彼の妻だが、それも、ほとんどが後ろ姿だ。
 
▼ 「背を向けた若い女性のいる室内」
ハンマースホイ「絵のある部屋」
 
 そのことだけを取り上げみても、「人間味の薄い人」いう印象が伝わってくる。 
 しかし、絵を通じて、どこか “この世ならぬ世界” 存在を伝える画家は、みなこのような絵を描く。
 フェルメールの影響を色濃く受けた人だというが、フェルメールとの共通性は、その画面に漂う “静謐感” だけで、フェルメールの持っている「人間の存在感」は希薄だ。
 むしろエドワード・ホッパーに近い画家だという印象を受ける。

▼ ホッパー 「空っぽの部屋の太陽」
エドワードホッパー絵画005
 
 ホッパーとの共通性は、「光」。
 淋しいのか、暖かいのか分からないような、独特の太陽光。
 
▼ ハンマースホイ 「居間に射す陽光」
ハンマースホイ室内画像006
 
 われわれの住む地球を照らす太陽は一つしかないはずなのに、彼らの描く陽光は、われわれの知らない、もう一つの太陽から射してくる光を思わせる。
 
 『美の巨人たち』取りあげた “今日の1枚” は、この「陽光習作」。

▼ 「陽光習作」
ハンマースホイ「陽光習作」
 
 小林薫さんのナレーションが、次のような解説を加える。
 
 「描かれているのは、窓とドアのある部屋です。
 人はおらず、家具も調度品もありません。
 生活の匂いも、温もりもありません。
 あるものは、窓の外の曖昧な景色。
 そして、窓から差し込む光が作りだす心細い陽だまりだけです。
 この絵には、見るべき物が何もありません。
 しかし、なぜか目が離せず、惹き込まれてしまうのです」
 
 見るべき物がないのに、なぜ惹きこまれてしまうのか。
 それは、この絵が、鑑賞者の意識の整合性を、微妙に狂わせているからだ。
 
 番組では、そこに「騙し絵」の効果が盛り込まれているという。
 
 まず、右側の扉。
 ドアノブがないのだ。
 よく見ると、外に出ることのできない扉であることが分かる。
 
「陽光習作」 部分
「陽光習作」部分
  
 さらに、左側の窓を通して差し込む陽の角度。
 これが、床に落ちた影の角度と微妙にズレている。
 本来ならば、床の影はもう少し右側に描かれていなければおかしい。
 画家の故意なのか。
 それとも画家の無意識なのか。
 
 いずれにせよ、相当注意して見なければ分からない作画上のズレが、この “な~んにもない” 部屋に、奇妙な非現実感を与えている。
 それは現実でもなく、かといって、全くの非現実でもない。
 その両者の間に広がった、淡い “透き間” 。
 そこから「虚無の深淵」が顔を覗かせる。
  
 怖い絵でもある。
 しかし、デジャブ体験をしたときのような、ノスタルジックな懐かしさが、絵の奥からそおっと忍び寄ってくる。

 すでに、記憶の古層に沈殿して、思い出すこともない昔。
 場所はどこか分からないが、遠い昔、このような部屋にいて、誰かを待っていたことがある。

 そのような、幼児期に感じた淋しさと懐かしさが、陽だまりの匂いとなって、ふわっと鼻腔をかすめる。
 
 幼児期の記憶は自分のものであって、すでに自分のものではない。
 それは「扉」の向こう側にある「異界」でしかない。
 その異界が、ドアの向こう側でじっと待っている。
 「陽光習作」 とは、そんな絵だ。
 
 ハンマースホイの名を知って、少しネットで調べてみた。
 いろいろな人が、この画家についてさまざまな発言をしていた。
 それらの記事のレベルの高さにびっくりした。
 どこかのブログのコメントで、 「きちんと調律されていないピアノの音が流れているような…」という表現があった。
 言いえて妙だと思った。
 
 ネットを見ていると、この画家の絵に触れると、つい何かを語りたくなってしまう人がたくさんいることを知ったが、そのほとんどが、「何かが象徴されているらしいのだが、それが何なのかは、決して明らかにならない」という論調でまとめられていた。
 
ハンマースホイ「白い扉」
 
 絵画というのは、描かれたもの中に、「描かれないもの」を描くことだと思う。
 ハンマースホイの絵は、そのことを端的に教えてくれる。
 
 

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ハンマースホイの 「扉」 への4件のコメント

  1. 日記 より:

    しらない扉の向こうって、どきどきしますよね^^

  2. kamado より:

     非常に残念です。
     ハンマースホイ、全く知りませんでした。
     私もネットで調べてみました。2008年に展覧会があったのですね。行きたかった。
     この時の図録がネットオークションで出ていましたが、一万円前後で落札されています。コンスタントに出品されていて、値崩れしません。その意味では稀有な画家というか、一般に知名度はないけれどとても心を引き付ける画家ですね。
     この前のアンリ・ルソーとかホッパーとか、町田さんの取り上げる絵はどこか「静謐」「記憶」「夢の中」を感じます。どれも時間が止まっているようです。
     そういえば、「ハンマースホイ画集」をオークションで検索していたら「類似オークション」に「天野可淡人形作品集」というのがありました。
     昔、人形展に少し関わったことがありまして、若くして亡くなった彼女の作品は凄みがありました。情念かもしれません。
     その創作人形展で北山修にいただいた展覧会紹介のコメントに、「人形は此岸と彼岸を繋ぐ橋」だったかというのがありました。「おいで、おいでと呼んでいる」ともあったような(朧な記憶ですから・・・・)気がします。
     今回の町田さんの文章の初めに扉に関する考察があり、ふと読んでいてこの創作人形のコメントを思い出したものですから、「天野可淡」の名前を久しぶりに見て、偶然とはいえ不思議なものを感じました。
     ハンマースホイ ご紹介いただきまして有難うございました(でも展覧会行きたかった)。
     私にはついて行けないジャンルが殆どですが、博覧強記の町田さんの次の記事も楽しみにしております。  

  3. 町田 より:

    >日記さん、ようこそ。
    「扉」 って、英語でいう 「gate」 ですけど、ゲートという言葉には、「門、出入り口」 という意味のほかに、コンピューター用語として 「回路」 という使われ方をするみたいですね。
    比喩的に、“あっちの世界” と “こっちの世界” を行き来するための回路と考えてもいいのかもしれません。
    「ドキドキしちゃう」 わけですね。
     

  4. 町田 より:

    >kamado さん、ようこそ。
    天野可淡という方の人形は、押井守監督のアニメ 『イノセンス』 のことをネットで調べているうちに、見つけたことがあります。まさに 「此岸」 と 「彼岸」 を繋ぐ橋 という言葉がぴったりの造形で、強く印象に残った記憶があります。
    kamado さんにご指摘されて気づいたのですが、どうやら「 “あっち” と  “こっち” を繋ぐ回路」 というテーマが、自分のお気に入りであるのかもしれません。
    絵画だけでなく、元ちとせの 『千の夜と千の昼』 という歌にも、そんな世界を感じてブログの記事にしたこともありました。
    campingcar.blog.hobidas.com/archives/day/20081021.html
    ハンマースホイという画家のことを知らない人はまだ多いと思いますが、『美の巨人たち』 などに採り上げられて、これから少しずつファンが増えていくような気もします。
    そうなると、画集のようなものも刊行されるかもしれませんね。
    楽しみです。

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