小説・湾岸道路でラスト・タンゴを

 忘れられない CM というのがある。
 ブリヂストンのレグノの CM で、林の中を、赤と青の 2 台のフェラーリが走っている CM は、25年という歳月を超えて、今だに忘れられない CM のひとつになっている。
 
林の中のフェラーリ001 林の中のフェラーリ002
 
 あんな走りは、それまで見たことがなかった。
 「踊っている」 のだ。
 ゆっくりとしたスローモーション映像で撮られた 2 台のフェラーリは、林の中の、見物人のいない緑のフロアの上を、手と手をたずさえながら、二人だけのダンスを踊っていた。
 バックに流れる曲が、また極上だった。
 ロバータ・フラックとピーボ・ブライソンの 「愛のセレブレーション (Tonight I Celebrate My Love) 」 。
  
 スーパーカーの “疾走感” とはまったくそぐわないスローバラードなのに、それこそフェラーリのためにつくられたテーマミュージックのようだった。
 その曲に合わせてステップを踏む 2 台のフェラーリ・デイトナは、森の中で無邪気にたわむれる恋人同士そのものだった。
 
 その CM に触発されて、昔書いた小説がある。
 トヨタの PR 誌を編集していた時代のもので、当時、新型クレスタの 「フォトストーリー」 をつくることになって、急遽でっち上げたものだ。
 フェラーリではなく、クレスタが主役になるというところが、ちと悲しい。
 でも、これは雑誌の性格上やむを得ないことで、頭の中では、 “ダンスを踊る” フェラーリの姿を思い浮かべつつ書いた。
 
林の中のフェラーリ003

 出来ばえは、とても、レグノの CM の域には達していない。
 しかし、自分でそれを読み返してみると、いかにあの CM に心を奪われていたか、ということがよく分かる。
 それほど、あの CM は、当時の自分を魅了していたのだ。 
 
 短編小説
 
「湾岸道路でラスト・タンゴを」

 
湾岸道路夜景001
 
 「4 ドアセダンです。トヨタのクレスタ」
 と課長に言ったとき、
 「ほぉー」
 と、予想どおり、意外なものを見たような声と視線が返ってきた。
 
 「ジープ型のでっかいクルマはどうしたの?」
 「売って、今度のクルマを買ったんです」
 「君もいよいよ旦那さんを見つけて、子供でもつくる気になったのかね。あのでっかいジープは、お嬢さんには似合わなかったもんな」
 「そうなんです。いい彼氏が見つかったので」
 
 4 ドア車……結婚……家庭、という図式しか頭に描けない課長の粗雑さにうんざりしながら、私は軽く受け流した。
 
 「僕に紹介するんだよ。君ぐらいのキャリアを積んだ女なら、男を見抜く力もあるとは思うが、念のために、僕が彼氏の品定めをしてあげよう」
 
 とは言っても、私の話を信じている顔ではない。
 さぐりを入れるような、ずるい目つきだ。
 いつか、忘年会の帰り、「今晩あいているかい?」
 と、ささやきかけてきたときの目だ。
 
 その視線から逃れるように、私は柱の時計に目をやる。
 6 時10分過ぎ。
 
 「買ったばかりのクルマをテストしたいので、今日はこれで帰らせてもらいます」
 
 「いいとも。今度は僕をテストしてごらん」
 と、課長の好色そうな小声が返ってきた。
 
 なんというジョーク!
 と、私はこみあげてくる怒りを、そっと押し戻して、
 「いいわ、課長」
 と、ウィンクして席を立った。
 
林の中のフェラーリ003
 
 34歳になっても結婚していない女の立場はつらい。
 上司からは、奔放に遊びまわっている女に見られるし、若い男や女の子からは、不倫の愛人役をやっていると決めつけられる。
 いちいち弁解するのも面倒くさいので、放っておくから、あらぬ憶測だけが一人歩きする。
 だんだんクルマだけが、 “友だち” になっていく。  
 
 夕暮れの街。
 会社の駐車場の前から渋滞が始まっていた。
 昼間の仕事の余韻と、退社後の解放感が、街にあわただしげな活気を呼んでいる。
 以前乗っていたランクル80で、街を流していると、「女だてらに…」 という、好奇心をはらんだ男たちの目にさらされたものだ。
 それがなくなっただけでも、今度のクルマ選びは大正解。
 年をとるということは、人目をうるさく感じるようになることかもしれない。
 
 私は、バッグから、会社では吸わない煙草を取り出して火をつけた。
 煙を深く吸い込むと、まだ馴染まないこのクルマの香りも一緒に鼻腔に広がった。
 行儀よく並んだメーターパネルの上を、吐き出した煙が流れていく。
 
 いい走りだ。
 やはり6 気筒はシルキーだ。
 
 どこに行くというあてもなく、交通の流れに身を任せる。
 街を流していれば、何か面白いことに出遭うという期待はもうないけれど、それでも、走っていれば、誰もいない自分の部屋でうずくまっているときの淋しさをまぎらわすことはできる。
 
夜のビル0026
 
 ラジオがテナーサックスの泣き節を流しているので、チャンネルを変える。
 バースの満塁 5 号を絶叫するアナウンサーの声が耳に飛び込んできた。
 かっ飛ばせ阪神!
 センチな音楽は街に似合わない。
 
 左折車線から遠慮がちに、しかしスマートに割り込んできたクルマに気をとられて、私は試合の得点経過を聞き逃した。
 ええい! バカ…
 と、わざと下品な感じで舌打ちする。
 
 私の前に割り込んだ、ブルーの52年型セリカ LB が、深海の小魚たちを睥睨 (へいげい) するサメのように、宵闇の街に消えていこうとしている。
 
 「まさか!」
 一瞬、私は息を呑んだ。
 
 流れの早い交差点の中を、ブルーの LB のテールランプが右に大きく切れていく。
 私は、アクセルを踏み込み、信号が変りかける前に、急いで交差点に飛び込んだ。
 LB は、すでに、3台先を走っている。
 
 何をあわてているんだ、と私は自分に問いかけた。
 ブルー、52年型セリカ、LB …
 
 単なる偶然の一致かもしれない。
 そう思っても、ステアリングを握る手がふるえている。
 
 私は、空いている右車線を飛ばして、なんとか次の信号で、セリカ LB の隣に並んだ。
 
 ネオンの逆光になって、ドライバーの顔がよく見えない。
 私は、首を必死にひねって、自分の顔を相手に向けた。
 
 気づいたら、合図をよこして。
 …とは思ってみたが、10年の歳月は、相手の記憶から私の顔を消し去っているかもしれなかった。
 
 信号が無残にも青に変り、LB は、何事もなかったかのように、スルスルとスタートしていった。
 私は、またあわててその後を追った。
 
 10年の間、同じクルマを乗りとおすなんて。
 でも、あの男はやっぱりそのクルマが好きだった。
 
 ブルーのセリカは、繁華街を離れた、淋しい倉庫街を走っていく。
 もうすでに、私がずっと尾行していることを知っているはずである。付けやすいように、わざと速度を落としているからだ。
 
夜景0023
 
 ネオンのとぎれた路地裏に入ると、セリカは静かに停まった。
 
 ドアが開き、男がゆっくりと立ち上がった。
 暗がりで、顔がよく見えない。
 こっちに向かって歩いてくる。
 
 私は、後を付けて来たことを後悔し、ステアリングの陰に顔をひそめた。
 コンコンと、ウィンドーガラスを叩く音が聞こえた。
 窓を開けると、昔と変らない、あの男の目が笑っていた。
 
 「久しぶりだな」
 男は短く言った。
 ぶっきらぼうで、さり気なく、しかし、とてつもなく温かい声だった。
 「トシ…」
 と、私は、かつて何度も舌の上で転がした男の名を呼んだ。
 
 「ずいぶん運転がうまくなったな。クルマも素敵だ」
 男は、私のクレスタをまぶしいものを眺めるように見つめた。
 
 私は、何と答えたらいいのか分からなかった。
 10年の歳月は、とっさに対応できるようなどんな言葉も、遠くへ押し流してしまっていた。
 
 「バースが打ったの。逆転したと思ったから、一瞬喜んだのだけれど、そうしたら突然トシが、急に…」
 
 いったい何を言っているんだろう。
 これでは意味が相手に通じるはずもない。
 
 そんな私を見て、男は困ったようにニヤリと笑った。
 ……昔と変らんな。
 そんなふうに見ている目である。
 
 「ちょうどいい店がある。食事がまだなら一緒にしよう」
 と、男は言った。
 「いいわ」
 と、私は目で合図した。
 
レストランのネオン
 
 「今でもときどき、君の夢を見る」
 男は、テーブルにひじをつき、グラスを宙に浮かしたまま、ボソッと言った。
 薬指に、結婚指輪が光っていた。
 
 私は、男が結婚したというウワサを聞いた日の、ひとり荒れた夜を思い出した。
 そのときも、こんなふうに、淡いライトがテーブルクロスを赤く染めるタンゴの流れる店だった。
 私は同僚の女たちをなじり、男たちを嘲笑し、見知らぬ客とチークを踊った。
 20代最後の夜だった。
 
 「どうして私を待っていてくれなかったの」
 言うつもりもなかったのに、ついなじる口調になった。
 
 「待っていれば、俺と一緒になるつもりでいたのか?」
 男は、かすかに皮肉っぽく唇を歪めた。
 
 「そのつもりだったわ。最後はあなたのもとに戻るつもりでいたわ」
 「今さら言っても遅いよ」
 男はぽつりと言って、目を伏せた。
 
ダンス0041
 
 バンドネオンの低い響きに、悩ましげなヴァイオリンの音がからみついて流れていた。
 
 「私が、あのとき浮気をしたから、私を嫌いになったというわけ?」
 「そういうことじゃないんだよ」
 「ではなぜ結婚なんかしちゃったのよ」
 「仕方がなかったんだ」
 「分からないわ、そういうの」
 
 それっきり、男は黙りこくった。
 私は、もう男が、私には分からない別の世界を持っていることを感じた。
 
 会ったことがよかったのか悪かったのか、私には分からなかった。
 
夜のテラス0023
 
 それから、私たちは、沈黙が来ないように、罪のない世間話をして別れた。
 
 別れしなに、男が何を言おうとしたのか、私には分かっていた。
 私は機先を制して、言った。
 
 「またどこかで、偶然会ったら…」
 
 男は、それだけで察したのか、軽くうなづいて、黙って笑った。
 
 「待って」
 私は、クルマに乗り込もうとする男の背中に向かって、叫んだ。
 「ハイウェイでも、思いっきりとばして別れない? 途中でお互いを見失ったら、それで “おやすみなさい”  」
 
湾岸道路夜景001
 
 広大な埋め立て地を、まっすぐに貫く3車線の両側で、路肩のライトポールが、ミラーボールの光のように流れていく。
 装甲の厚そうな外車、カラフルなスポーツカーが洒落のめして滑走していく。
 
 ブルーの52年型セリカ LB が、踊るようなフットワークで、その中を分け入っていく。
 私は、セリカに寄り添うように、クレスタのアクセルを踏む右足に、そっと力を込める。
 
 それに合わせ、隣りの車線に入った男のセリカが、私の手を取るように、すっと後ろに回り込む。
 もし、ほかのクルマが私たちを見たら、きっと呼吸ぴったりのダンスを踊っているように見えるだろう。
 
 開けた窓から、海の匂いを強く含んだ風が流れ込み、私の髪を乱していく。
 
 ▼ レグノのCMに使われた 「愛のセレブレーション」

 
 

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小説・湾岸道路でラスト・タンゴを への4件のコメント

  1. aki より:

    クルマが登場するショートストーリー、若い頃は好んで読んでいました。読んでるだけでは飽き足らず、自分でも書いてみようと思い立ち、されど自分自身は“絵になる”クルマには縁がなく...趣味のカヌーを絡めて短文を書き始めたのが20代半ばの頃でした。特に発表するつもりもなく、でも誰かに読んでもらいたい気持ちもあって、カヌーのディストリビューターが発行するオーナーズクラブの機関紙に送ったものが採用され、連載のようになって...今のホームページを開設するに至りました。
    上手下手はともかく、文章を綴るということ、そして少なからず誰かが読んで下さるってことは本当に楽しいですね。

  2. 町田 より:

    >aki さん、ようこそ。
    クルマの絡むショートストーリーといえば、昔は、五木寛之さんなどがクルマをテーマにした短編集などを出していましたね。
    片岡義男さんなども、その系統の短編が多いと思います。
    でも、私が一番好きなのは、東理夫さんの 『あの車に逢いたい』 でした。
    アメリカの荒野や田舎町を舞台にして、何も起こらない話が淡々と続いていく、あの何ともいえぬ雰囲気が好きでした。
    aki さんのカヌーエッセイも拝読しました。
    素敵なエッセイを書かれているんですね。
    カヌーと家族の関係を、とても分かりやすく、静かで、深い視線で見つめていらっしゃることが分かりました。
    カヌーの世界は不案内でよく分からないのですが、こういう文章に満ちた世界が開けているとしたら、とても素敵な世界であるように思いました。
     

  3. aki より:

    クルマやアウトドアに限らず、自分は知らないけれど様々な世界に素敵な世界が広がっているんでしょうね。
    どうですか?町田さん、キャンピングカー小説ってのは書かれませんか?スタインベックの「チャーリーとの旅」ぐらいしか読んだことないのですが...今日の「奥様からみたRV」ともカブる話ですが、小説の主人公になるようなキャンピングカーがあるといいのになぁって(“男のロマン”的には...笑)

  4. 町田 より:

    >aki さん、ようこそ。
    スタインベックの 『チャーリーとの旅』 はキャンピングカー小説の古典ですね。車外を歩く人の足音を聞きながら、思わず銃を握り締めるなんていう描写は、いかにもアメリカ的でした。
    人との温かい触れ合いもありながら、時にアメリカに絶望していたりして、小説というより、あれはアメリカ素描のようなものなのかもしれませんね。
    あのようなレベルのものまで行ってはじめて 「キャンピングカー小説」 といえるような気がして、ちょっと私には大任という感じもします。
    …が、せっかくのお言葉なので、いつかは、背伸びしながらも、チャレンジしてみたいとは思っています。
    そのときは、いろいろご指導ください。
     

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