EVは理想のエコカーか?

  
 「未来の自動車」 という話になると、現在はEV (電気自動車) が一躍その主役に踊り出た感じだ。
 ハイブリッド車に力を入れているトヨタなども、 「ハイブリッドならばEVに移行するのも簡単」 という理屈を打ち出し、次世代カーがEVに集約されていくという “未来図” を否定していない。
 
 しかし、作家の楡周平さんは、 「究極のエコカーは植物由来のエタノールで走るハイブリッド車である」 といってはばからない (週刊朝日2010年1月22日号) 。
 
楡周平「ゼフィラム」
 
 楡さんは、 『ゼフィラム』 というエコカー開発競争をテーマにした小説を上梓したばかりだが、その小説を書くために取材したデータを総合すると、 「EVが究極のエコカーだ」 という判断には疑問符がつくという。
 なぜなら、 「EVはドライバーにとってはCO を出さないクルマのように思えるが、それを駆動するための電力供給を考えると、全体としては膨大な発電量を必要とし、決してCO を減らすことにはならない」 …からだという。
 全世界のCO 排出量のうち、発電によるものは46%を占める。
 それは、水力発電や原子力発電などよりも、圧倒的に火力発電の割合が大きいからだ。
 このような状況を放置している限り、EVが最終的なエコカーだとは断言できないと、楡さんはいう。
 
 では、何がベストかというと、それが 「サトウキビを原料としたエタノールで走るハイブリッド車」 なのだそうだ。
 エタノールは、4年ほど前にガソリンの代替燃料として脚光を浴びて以来、ブラジルで実用化に踏み切られたほか、アメリカでもエタノールを含む混合燃料を使えるクルマが販売されるなど、一時は “脱石油” 時代の救世主のように扱われたことがある。
 
 しかし、基本的に農作物に頼る燃料であるがゆえに、食糧供給とバッティングするおそれもあり、地球人口が増えるにしたがって、エタノールの量産は食糧危機につながるのではないかと警戒する声も出てきた。
 
 そのため、ガソリンの代替エネルギーとしては、一歩引いた感じではあったが、楡さんはそれでもエタノールを推奨する根拠を、次のように述べる。
 まず、サトウキビからエタノールを産出する方法がなぜいいかというと、サトウキビが成長するときに生じる光合成によって、CO を吸収して酸素に戻す効果が期待できるからだという。
 
 「いまはCO の排出削減ばかりに目がいっていますが、一方でCO を酸素に変える植物が急激に減っているという現実があります。
 排出削減だけでなく、同時にCO を酸素に戻す循環サイクルを立て直さないと、ザルで水をすくうようなものになってしまう」
 と、楡さんは語る。
 
 現在、世界のCO の大きな吸収源となっている南米アマゾンの熱帯雨林は、毎年四国の1.5倍という恐ろしい勢いで消失しつつあるという。
 それは、現地の人たちが、焼き畑農業などで生計を立てるしかないという状況があるからで、こうした現実を放置しておけば、地球からCO を酸素に変える機能がなくなってしまう、と楡さんは恐れる。
 
楡周平氏
 
 だから、そのアマゾンの “焼かれていく土地” をサトウキビ畑に変え、そこにエタノール工場をつくるというのが、楡さんの構想なのだ。
 これらの農場と工場を整備することによって、現地の人たちの雇用を創出し、焼き畑をしなくてもいいような生活環境を整える。
 そのことによって、酸素の発生量を確保し、同時にエタノール・ハイブリッド車の力でCO を削減する。
 それが、エコカーの 「最終回答」 だと、楡さんはいう。
 
 エタノールをつくる際に必要となる熱や電力は、副産物であるサトウキビの搾りカスを燃やしてつくる。
 だから、無駄も出ない。
 
 また、EVを普及させるためのインフラ整備には、巨額の予算が必要となるが、エタノールならば、既存のガソリンスタンドを多少改良するだけで使えるので、インフラ整備のコストもかからない。
 
 そのような話を聞くと、何から何まで “良いことづくめ” のように思えるエタノールだが、はて、そのようなシナリオがスムースに進展していくものなのかどうか。
 
 次世代のクルマが 「エコカー」 になっていく未来図だけははっきりしているが、それがどのような形のものになっていくかは、まだ予断を許さないといった状況のようだ。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

EVは理想のエコカーか? への12件のコメント

  1. aki より:

    僕も電気自動車がエコカーと呼ばれることに違和感を覚えています。特に原子力発電由来の比率が高い深夜電力を利用する(プラグインハイブリッドも含む)電気自動車の利用には抵抗があります。
    ただしバイオエタノール車にはさらに難しい問題があると思います。
    町田さんの書かれている通り食糧供給とバッティング。その日食べるトウモロコシすら買えない人と1リッター¥1000のバイオ燃料を焚いて遊びに行ける人とが同時に存在する限り、バイオ燃料の原料としての需要によってトウモロコシの価格が上がることは避けられないと思うので。
    あと、熱帯雨林の森で前時代的なモノカルチャーを行うことで起きるであろう環境変化、トウモロコシの相場次第で食べるものすらなくなる現地の人々...結局はお金の問題になる国や地域単位ではなく、家庭の中でのカーボンオフセットを励行する他ないのかなぁと思っています。もちろん出来る範囲で。

  2. そら より:

    まったく、上のコメントの人のいうとおりだと思います。
    現在、自動車の生き延びる道をいい気になって語る
    ことがどんなに罪深く愚かなことか、それをちゃんと自覚しないことには、自動車が生き延びるための新しいアイデアも生まれてこないし、より深い思考に分け入って行くこともできない。
    この世のもっとも貧しい人々が生きてゆけるなら、自動車なんかなくなってもいいのです。そういう前提を持たないで、自動車の生き延びる道を考えることが何か当然の正義のように思っていやがる。
    自動車なんか滅びたっていいのです。その前提に立って、はじめて自動車の生き延びる道が見えてくる。
    おまえらより、車に乗りたがらない今どきの若者たちのほうがずっと建設的だ。
    すべてのものが滅びてしまってもいいのです。それが、21世紀の思考です。
    生き延びる道を探ることじゃない。
    今回のトヨタの「リコール」問題にしても、いまや世界中の人々が自動車なんかなくなってもかまわないという前提を持ち始めていることのあらわれであり、トヨタもその流れに抗することができなかった、ということだろうと思います。
    エタノール燃料がどうとかなんて、おまえの趣味で人間の将来を語ってくれるな。そんなことが語りたいのなら、自分なんか滅びてしまってもかまわないという前提で語れ、といいたくなってしまいます。
    まったく、いい気なものだ。

  3. 町田 より:

    >aki さん、ようこそ。
    aki さんのご指摘のとおりです。現在のエタノール燃料の最代の懸念材料となるのは、水と土地と食料用の原料との奪い合いをどう解決するのかということにかかってくるように思います。そして、さらにコスト高の問題を解決しきれない。
    これは1990年代の試算ですが、当時アメリカでトウモロコシからエタノールを製造するときのコスト計算をした場合、それによって一定のエネルギーを得るためには、そのエネルギーの1.4倍のエネルギーを投入し、サツマイモから作る場合は、2.0倍とのことでした。
    サトウキビの場合は少し異なるのかもしれませんし、また現在は、効率化が少しは進んでいるのかもしれません。
    しかし、いずれにせよ、有限の大地で収穫する食物を原料とする限り、その供給が、石油資源にとって代わるようには思えません。
    そうなれば、akiさんのおっしゃるように、貧しい人々の食糧を奪う形で、先進国の交通社会が成り立つという、今より過酷な環境が生まれてしまう可能性は大いにありますね。
    結局は、個々人が、個々の家庭の中で、自分の問題として考えていく…そんなところからスタートするしかないのかもしれませんね。
    私も、ストーブをガンガン焚くよりも、ズボン下を2枚重ね着するようになりました。若い頃はカッコ悪いと思っていたんですけどね。
     

  4. 町田 より:

    そらさん、ようこそ。
    >「自動車なんて滅びたっていい…という前提に立って、はじめて自動車の生き延びる道が見えてくる」 というのは、けだし、そのとおりかもしれませんね。また、そうしなければ 「新しいアイデアも見えてこない」 という説にも説得力を感じます。
    私も長年、自動車の周辺で生きてきたので、そらさんの理屈も非常によく分かるのです。
    ただ、世の中は原則論だけでは動いていかないのも事実です。EVも、エタノールも、発案者の “趣味”などというものではなく、もっとシビアな、関連する企業が生き延びるための競争や、かけひきや、利権が絡んだ問題ばかりがうごめいていると思います。
    それを、そらさんが 「罪深い愚かなこと」 だとおっしゃるのは分かるのですけれど、そう断じていれば、それですべてがすむという問題でもないように思います。
    「貧しい人々が生きていく」 ために、自動車が果たしている役割もあるわけですから、極論を言い切ればいいという問題ではないのかもしれません。
    そらさんのおっしゃるとおり、 「自動車」 に象徴されるような現代文明が終焉を迎えつつあるのは事実です。
    そして、現代の若者が、そのことに敏感に気づいているというのも、おっしゃるとおりだと思います。
    ただし、そらさんが考えていられるのは、 「今までの自動車文明」 です。これから先は変るかもしれない。そのきっかけがエタノール・ハイブリッド車になるのか、EVになるのかは分からない。
    もしかしたら、そんなものもまったくダメで、まったく別の原理で動く自動車になっているかもしれない。あるいは、そういうものを、もう 「自動車」 とも呼んでいないかもしれない。
    あるいは、もう 「燃料」 の問題などではまったくなくて、そらさんがご指摘されたように、「交通社会」 そのものが変っていくのかもしれない。
    いずれにせよ、そらさんが、現代がちょうどパラダイムシフトを迎えている時代であると感じておられることには共感します。
    私は個人的には、馬と帆船の時代が復活するのも痛快だな…と思っていますけど。
     

  5. そら より:

    私個人は、べつにそういうことが罪深いことだとは思っていません。私だって、利権とか駆け引きとか、世の中なんてそういうものだろうと思っているだけです。
    ただ、「パラダイム」の問題としてそういっているだけです。そういう前提で考えないと、おまえらのアイデアはいつまでたっても中途半端なんだぞ、といいたいだけです。
    車が一部の貧しい人の役に立っていることなんか、当たり前です。
    すべてのものが滅びてしまっていいというのは、滅びてしまっていいかどうかということではなく、そういう前提で考えたほうがいい、といっているだけです。斬新なアイデアを生み出すためには。
    これは、考えることの筋道の問題であって、極論なんかいっているつもりはないですよ。
    いっちゃなんだけど、私自身は、ほかの人よりももっと、世の中なんかなるようになるだけさ、と思っているだけです。
    ただ、おまえら、偉そうに「未来」を語るなら、そういう前提で語れよ、といいたいだけです。
    トヨタのリコールことにしろ、現実的な事務処理はともかく、すべての問題の奥にはそういう「人間とは何か」という根源の問題が横たわっている、といいたいだけです。
    エタノールで行こうと行くまいと、私の知ったこっちゃないですよ。勝手にやってください、と思うばかりです。
    ただ、未来語ることの「おそれ」を持つのは、人間としてのたしなみだろうと思っています。気に食わないのは、そのことです。そういう恐れを持っていないナイーブさが愚かで凶悪だ、といいたいのです。
    私自身は、どんなひどい時代になっても受け入れるしかない、と覚悟しようと思っているだけです。だからこそ、えらそうに未来を語ることの愚劣さと凶悪さを感じてしまうことも避けられない成り行きです。
    人類の未来を背負っているような言い方をされると、めちゃめちゃ不愉快なのです。オバマだろうと小沢さんだろうと、おまえらなんぞに背負われたかないよ、といいたくなってしまう。
    われわれに必要なのは「今ここ」であって「未来」ではない、これは、私の考えることの前提です。世間話として語ることはあっても、いざととなったらつつしむ。
    「未来」は、あってもなくても、どちらでもいいです。正義の味方になんかなろうとは思わない。

  6. 町田 より:

    >そらさん、たびたびのお越し、恐縮です。
    今日は、夕方ずっと家で仕事をしていて、ひゃあー飽きた…という心境になり、日付が変ってから、自転車漕いで、街まで飲みに出かけてしまいました。 (ホントはそんな余裕、まったくないんですけどね…) 。
    で、焼酎を5杯ぐらい飲んで、酔っ払ってさっき帰ってきたところなんですが、寝る前に、そらさんの長文のコメントを拝読し、なんとか酔った頭をふりふり返信したいと思います。
    えっと、…要するに、世の中には 「愚劣で凶悪なこと」 が満ち満ちているというわけですね。
    でも、そらさん自身は、結局 「未来がどうなろうと知ったこっちゃないし、なるようになるだけ…」 と考えていらっしゃるということなんですね。
    ただ、 「人類の未来を背負っているような顔をして、偉そうな物言いをする人たちに腹が立つだけだ」 と……。
    そういう感慨を表明したいというお気持ちはよく分かりました。
    しかし、それなら、もしご自分のブログのようなものを持たれているのだとしたら、そちらで表明されればいいのではないのですか?
    わざわざこのコメント欄を利用して、そらさんは何をされたいのでしょう?
    「誰」 に対して、 「何」 を主張されたいのでしょう?
    そして、そのことによって、そらさんは何を得られるのでしょう?
     

  7. そら より:

    では、最後に正直に言っておきます。
    私は、あなたに、もう一歩思考を進めて欲しかった。
    いつもその思いで、ここにコメントしていました。
    でもあなたは、いつも私を安く見積もってきた。
    そうすればあなたの自尊心は安泰だろうが、それは、あなたの思考停止です。
    あなたに安く見積もられるのはけっこう傷つくことだったが、それでも、あなたにもう一歩思考を進めて欲しかった。
    日本の浮世絵を過大評価したヨーロッパ印象派がさらに新しい展開を獲得していったように、新しいアイデアは、他人を安く見積もるところからは生まれてこない。
    「他者」とはなんなのでしょうね。
    ほめるにせよけなすにせよ、他者を過大に評価してしまうこと、そこから新しいアイデアが生まれてくる。
    人間は、他者を過大に評価してしまう生き物なのではないでしょうか。
    過大にときめき、過大に恐れてしまう。そこから新しいアイデアが生まれてくる。新しいことばが生まれてくる。
    ちょっとときめきちょっと恐れているだけでは、新しいアイデアも新しいことばも生まれてこない。
    新しいアイデアも新しいことばも自分の中にあるのではない。他者の中に、すなわち他者に過大にときめき過大に恐れるところから生まれてくる。
    いつもこんなコメントして、あなたが愉快にさせなかったことはわかっています。私もそう思う、といってほしかったのではない。そんなこといってもらっても、うれしくもなんともない。そこから新しい疑問やアイデアを見つけて欲しかったのです。
    ここにはあなたを挑発するコメントはこないみたいだが、私は、あなたの思考の新しい展開を見たかったのです。べつに、哲学的なことを書いてくれ、とかいうのではなく。
    私のコメントが、あなたを挑発するものになりえないのなら、挑発されたくないのなら、これで退散します。

  8. aki より:

    何だか難しい話になっていますが、とにかくバイオエタノールを燃料とするクルマに乗って楽しい気分で遊びに行けるかどうか?なのかなって思います。ご飯粒を糊に使うことすら抵抗があるのに、食べ物、しかも取り出せる熱量とほぼ同じだけのエネルギーを使って作った燃料を遊びで燃やしてしまうなんてのは我慢ならないです。
    所詮は言い訳づくりなのかもしれませんが、個々人が、個々の家庭の中で、自分の問題として考え、出来ることから始めていく。エアコンの温度を少し下げて(夏は上げて)みる、さらに時間と体力と環境が許せば薪ストーブに替えてみる、クルマの買い替えを1サイクル伸ばして、その予算で太陽光発電を導入してみる。義務ではなく楽しみとして選択できる間にとりあえず何でもやってみる。
    貧困にあえぐ国々の人々から見れば、札束を燃やして暖をとっているように思われるかもしれないけれど、少なくともバイオ燃料という“搾取”を前提にしたエネルギーを使うよりはマシなのかなと思います。
    僕も楡周平さんの記事を読みましたが、原住民を遅れた世界から救うという正義感を御旗に植民地化、大規模なプランテーション農業を推し進めた欧米列強の歴史そのもので、大いに違和感を感じました。
    未来について、出来れば目を塞いでしまいたい状況です。でも本当に軽々しく(イイ思いをして...笑)命を次世代に繋いでしまった以上、次世代からはお節介と思われても、どうしたらいいかを考え、考えてるだけじゃなく行動に移していくしかないんだと思います。

  9. じいや より:

    毎日楽しくブログ拝見させていただいております。自動車の将来について。貧しい人もそれなりに生活水準を上げ、先進国の人々もより「人間らしい生活とは何か」を模索して、その上でより一層「自動車」の価値が上がればみんな幸せになりますよね。貧しい人が、中古車で良いから自分の車を持てれば、幸せになるでしょうし、ストレスだらけの先進国の人々も、キャンピングカーを手軽に利用できるようになれば、ある意味その貧しい人と「等価」の幸せをつかむことが出来るのかもしれませんね。世界経済のアンバランスの是正と同時に、「より幸せになる自動車の使い方」について考えても良いんじゃないでしょうかね。
    町田編集長の文才は凄い!と思っていつも拝見してます。

  10. 町田 より:

    >aki さん、ようこそ。
    今回のコメント、本当に心に沁みます。
    もう本当に、>「エアコンの温度を少し下げてみる」、「クルマの買い替えを1サイクル伸ばして、その予算で太陽光発電を導入してみる」……
    気休めかもしれません。ただの免罪符に過ぎないかもしれません。
    しかし、そこのところからのスタートなんだと思います。
    楡周平さんの構想に 「欧米列強の歴史」 を嗅ぐというのも、おっしゃるとおりですね。
    実は、私はあの記事を読んで、そこまでは思い至らなかったのです。
    ただ、なんだかおかしいな…ご都合主義的なだな…という感触があって、「さて、そのようなシナリオがそんなにスムースに進展していくものなのか」 という疑義を提出できただけでした。
    >「未来について、できれば目を塞いでしまいたい」 というaki さんの言葉と、そこに戸惑いを持ちながらも、それでも次世代に対する責任感を感じていらっしゃるという姿勢には、教えられるものがありました。
    いいコメントを頂いたと思います。
     

  11. 町田 より:

    >そらさん、ようこそ。
    そらさん、…とお呼びするより、ネアンデルタールさんと及びした方がいいのでしょうか。
    思えば、永い付きあいになりましたね。最初にお会いしてから、40年は経っているかもしれません。
    今回いただいたコメントは、少し思うところがありましたので、別の場所で返信させていただきます。
    そこでも書きましたが、決して 「安く見積もった」 などということはありませんので、そこだけはご理解ください。
     

  12. 町田 より:

    >じいやさん、ようこそ。
    はじめまして。
    おっしゃるとおりですね。今こそ本当に 「幸せ」 とは何か? というテーマが急浮上している時代はないように思います。
    「幸せ」 というのは主観的な問題だから、どのような生活レベルでも 「幸せ」 はあるんだ…という見解が今までは通用しましたけれど、ここまで激しい経済格差が全世界的に広がり始めると、もう主観的な問題だけでは片付けられない。
    かといって、物質的に豊かになれば、じゃ、それで 「幸せ」 になれるのか? …ということだけでも片付かないように思います。
    でも、このコメント欄で、そらさんという方が書かれていたのですが、一度 「自動車なんかなくなってもいい」 ぐらいの覚悟で取り組めば、新しい自動車像や、新しいキャンピングカーのライフスタイルが生まれてくるかもしれません。
    じいやさんがご指摘されたとおり、「人間らしい生活とは何か」 を今一度、われわれは考え直す必要があるように思われます。
    コメントありがとうございました。
     

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