車はなぜ売れない

自動車はなぜ売れなくなったのか

 『自動車はなぜ売れなくなったのか』 (小宮和行・著 PHP研究所) という本を読んでいると、この問題には、世界的な視野に立った場合と、国内固有の問題に分けて考える必要があることが分かる。

 世界的な視野で考えれば、象徴的なのは、米国ビックスリーの崩壊。
 アメリカの自動車販売のピークは2000年で、この年の年間販売台数は、1,781万台。これは、過去最高の記録なのだという。 
 
 それが2008年には、1,324万台。
 2000年のピーク時から400万台も落ち込んでしまった。

 販売が失速してきた理由のひとつは、08年の7月に、1バレル147.27ドルに達した原油の高騰だった。
 これはその後急激に値が下がり、今やそのような “高騰時代” があったことなど夢の世界の出来事のように思えるが、アメリカの消費者に、根強い 「アメ車不信」 を生むことになった。
 特に、フルサイズバンや大型ピックアップトラックの燃費の悪さには、昔からアメリカ国民も気づいていたが、ガソリンが安い国柄でもあったため、深刻な問題には至らなかった。

 それが08年夏のガソリン高騰で、ようやくアメリカ国民も、自国の自動車の燃費の悪さに深刻な不満を抱くようになる。

 しかし、米国でクルマが売れなくなった最大の要因は、サブプライムローンの破綻であると、筆者の小宮氏は説く。
 サブプライムローンが何であるかを今さら解説する必要もないと思うが、かいつまんでいうと、 「信用力の低い人」 向けの高金利住宅ローンのことで、低所得者のために、最初の数年間は金利を低く設定して借りやすくし、その後徐々に金利を高めて、最終的には10パーセント超となる仕組みのことをいう。

 このローンが、2006年ごろから返済の遅延が目立つようになってきた。
 やがて、ローン返済の延滞者が続出。貸し出した住宅融資専門会社の経営も次第に悪化するようになる。
 ついには、ローン支払いの焦げ付きが至るところで発生するようになり、 「住宅バブル」 が崩壊した。

 それが何で米国の自動車販売の不振に直結するかというと、そこに独特の金融社会を築きあげてきたアメリカの特色が見えてくる。

 「住宅バブル」 の崩壊は、アメリカでは、金融機関の破綻をも意味した。
 というのは、サブプライムローンが小口証券化されていて、ほかの金融機関や投資家に転売されていたからだ。

 サブプライムローンの崩壊で、最初に犠牲になった金融機関は、ベアー・スターンズ社。
 そして、次が 「リーマンショック」 なる言葉を生んだリーマン・ブラザーズである。
 リーマンの負債額は、当時の日本円で約64兆5,000億円にのぼるものだったといわれ、いかにその破綻が大規模な損失を生んだかということが分かる。

 それにしても、いったいなぜ金融機関でもない自動車産業が経営不振に陥ったのか?

 小宮氏は、その事情を次のように説明する。
 「米国は、日用品から食品購入まですべてカードで行い、ローンを多用するローン社会である。
 新車購入でも約7割がローンを利用している。
 ところが、住宅ローンの焦げつきが増加して、自動車購入ローンの審査基準が厳格になり、それが、自動車の買い替え需要を大幅に減退させることになった。
 とりわけサブプライム層は、自動車を 『買いたくても買えない』 という事態に陥った。
 その層で、ローンの審査基準をクリアできた人たちは、前年の67パーセントより大幅に落ちて、23パーセントしかなかったという」

 このようなアメリカにおける自動車の販売不振は、ビックスリーだけを襲ったわけではなかった。
 アメリカで新工場を建設、もしくは計画していた日本のトヨタ、ホンダなども直撃する。

 日本メーカーにとって辛かったのは、米国における自動車市場の縮小だけでなく、 「円高ドル安」 という為替相場の逆風も浴びたことだった。
 世界に冠たるトヨタ自動車が、 「赤字経営」 になるまで状況が厳しくなったのは、このようなアメリカマーケットの突然の縮小が大きく影響したことが挙げられる。

 以上が、アメリカを中心とした世界市場における 「車が売れなくなった」 理由であるが、国内市場だけをとってみると、さらに深刻な事情が浮かび上がってくる。

 そのひとつが、 「若者の車離れ」 に象徴される国内マーケットの縮小である。

 小宮氏はいう。
 「今の日本の若者の自動車に対する意識は、クルマ離れどころではなく、最初から興味ゼロ=無関心といった若者も多い。
 現代の若者にとって、クルマはステータスでも何でもない。
 彼らにとって、クルマは、必ずしも生活必需的な価値ではなく、必要な場合は親のクルマを使ったり、友人のクルマを借りたりしてまかなっている」

 もちろん、若者のクルマ離れの背景には、クルマを購入したくても買えないという、今の日本の若者たちが抱えている経済格差の問題がが大きく横たわっている。

 しかし、氏は同時に、若者たちの心理的な側面にもスポットライトを当てる。
 すなわち、若者たちの 「価値観」 に大きな変化が生じているというのだ。
 「クルマが好き、カッコいい、いつかは手に入れたい」 というマインドを持つ若者が急激に減少している、と氏は見る。

 クルマには、購入費のほかに、ガソリン代、駐車場代、税金、車検代などという維持費がかかる。
 昔の “若者” は、その維持費がかかることを覚悟の上で、クルマを取得したいという情熱に突き動かされて、購入に踏み切った。
 しかし、もはやそのような情熱を持つ若者は少ない。

 それは、いったい何を意味しているのだろうか。

 氏はいう。
 「今の若者の人生観は、ひょっとして日本の価値観を大きく変えるかもしれない。
 クルマ文明に対するパラダイム変化が訪れようとしているのかもしれない。
 そしてこのパラダイム変化は、産業論ではなく、生態論、文明論として語れるだろう。
 自動車産業に対して、新世代人間たちから需要喚起に向け、鋭い切っ先が突きつけられているのかもしれない」

 いかにしたら、彼らにクルマの魅力を再発見してもらう手立てが生まれるのか。
 その明確な答は、本書においても明確に追求されているわけではない。

 自動車産業に関わる人たちにとっては、深刻な時代が始まろうとしているように見える。
 ただ、 「今」 という時代が、大きなパラダイムシフトを迎えようとしているのだとしたら、 「自動車」 を、文明論として語る視点はこれから絶対に必要になってくるはずだ。

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車はなぜ売れない への8件のコメント

  1. TOMY より:

    こんにちは、町田さん
    自動車会社は今確かに一大転換期に来ていると思います。
    レースからの撤退、開発機種の絞込み、内燃機関からの脱却等等。
    最初の二つは費用の削減が目的であって、必要経費の削減には一定の効果はあると思います。ただその業務に直接関与してきた当事者達のモチベーションを考えた場合には、その人たちの次の業務次第ではないでしょうか。
    昔は消費者が単にほしい車を創っていれば良かったのですが、昔と大きく違うところは、これら色々な施策を行ったうえで、売れる車を創らなくてはなりません。
    さらに難しいのは、消費者ニーズの多様化と車離れがあり、その売れる車がなかなか創れないのです。
    費用の削減と集中をしてもヒットが出なくては、投資を回収出来ません。
    最近は若者の車離れについて色々なところで論じられています。金の掛かリ過ぎる車よりも、安全で便利なIT機器(携帯・ゲーム)の方が魅力的なのでしょう。さらに女性が男に車を求めていないような気がします。
    30年以上前は、男は車さえ持っていればどうにかなったような気がします。
    そこで、所有者たる男に焦点を当てるのではなく、女性が車を持っている男にしか興味を持たなくなれば、男は必然的に車を欲するようになるのではないでしょうか。
    全国の女性に告ぐ、「車を持たない男は男ではない!」と、思いなさい。
    そうすれば男達は車を買い、自動車産業が栄え、国の景気も良くなります。(多分??)
    蛇足ですが、
    今スキー人口が急激に下がっています。
    これも車の販売減と大きな関係があると思います。
    スキー・スノボに行くには、荷物が沢山ありますので、車は必需品です。
    電車での移動が大変なので、車を持たない人は必然的にスキー・スノボはやらないし、出来ない。
    客の減少によりスキー場の破綻が出てきております。
    若者の車離れでこんな影響もあります。
    自動車のもたらす影響って、ほんの少し考えただけでもどんどん出てきますね。

  2. Yama より:

    私自身はあまり現下のクルマの販売減には関心がないのですが、町田さんがクルマの盛衰にパラダイムシフトの兆しを見てとるかまえですので(笑)ちょっと遅ればせながら考えてみました。
    クルマを買う動機には、①自由に遠くに行くという機能を得る②希少な財を所有して自尊心を得る、というのが確かに基本だと思います。
    行動的かつ早く背伸びをしたい若者には①と②は必需品だった。女も同じ価値観を持っていましたので、そのツールを持っている男に寄ってくるのも当然。
    ただ日本の場合、駐車場の問題もあるし、交通機関が張り巡らされているので、都心の魅力スポットへアクセスするのはクルマは面倒なだけ。
    更にクルマは本当に耐久消費財になってしまって希少価値は無くなっている。機能を超えて高価なジャガーとかリンカーンは売れなくて、高級車ブランド自体転々と売却の対象になっており崇めるシンボルとして高級車が効用を持つには無理が出てきている。ということで①と②の動機付けは弱くなっている。
    更に若者を惹きつけた、隠れたクルマの魅力として、③密室空間の確保というのがあったと思います。これはデートの際には最大効用を発揮した。
    しかし、昨今ではお互いの居室に直行するに何の空間的・心情的障壁がない。何もクルマのあんな狭苦しいところで・・、となりませんか?
    ということで、若者がクルマに異常な魅力を感じなくなってもおかしくないと思いますが。騒ぐほうがおかしい(笑)かも。
    若者が変わったのではなく、クルマの効用が変わっただけ。
    また一般論として、(従来の)モノへの渇望はなぜ失われたか、と言われても、相対的に有り余っているからでしょう。
    モノによるし、一時的だと思います。人間は利己的、他者より差別化して生きたいもの。たいていの人はモノによるみせびらかし自己確認にこれからも訴えてくる。現下の若者が、シンクロ率を高めているように見えるのも、現下の経済情勢、成功への道筋が見えなくなってきた現状での、緊急避難的な自己防衛行動だと思います。
    いかがでしょうか。パラダイムシフトですかね?マーケティングの手法はもちろん変えないと売れませんが。

  3. 町田 より:

    >TOMYさん、ようこそ。
    お互いに同じクラスにいた頃、二人とも将来自動車に関わるような仕事に就くとは思ってもみませんでしたね。
    不思議な縁を感じます。
    自動車産業の未来に関してですが、個人的にはEVにすごく魅力を感じています。たぶんそれが市場に普及してくる頃になれば、自動車に対する新しいニーズが生まれていると確信しています。
    そういった意味では、昨年の東京モーターショーはかなり勉強になりました。
    要するに、人々が 「自動車」 という商品の価値に魅力を感じなくなったのではなくて、従来の 「自動車」 にまつわるモロモロの 「物語」 が古びてきたということなのだという気がしています。
    考えてみれば、自動車が誕生して100年以上が経ち、今までの自動車にまつわる 「物語」 も、そろそろ耐用年数がつきかけてきたという感じがします。
    だから、「自動車が売れなくなってきた」 というのは、あくまでも 「今の自動車」 のことであって、「将来の自動車」 まで意味しているのではないように思えます。
    メーカーも自動車ジャーナリストも含め、自動車に関わる人たちは、今までのノスタルジーをそろそろ捨てる時期が来たのではないかと感じているのですが、どんなものでしょう。
    私の仕事との関わりでいえば、その方向性をキャンピングカーが示すことができたら素敵だな…と思っているのですが、まだまだ力をつける必要が自分にもあるように感じています。
     

  4. 町田 より:

    >Yamaさん、ようこそ。
    少し前のブログにも書いたのですが、「ジャーナリスト」 というのは、軽薄なあわて者なんです。火事か焚き火か分からないうちから、煙を見たら 「大変だぁ!」 と騒ぎ立てる習性があります。
    だから 「パラダイムシフト」 などという言葉を使ったのも、「大変だぁ!」 のたぐいなんですね。
    クルマを買う動機づけの分析ですが、Yamaさんの分析で、ほぼ言い尽くされていると思います。
    ただ、人の関心を引くためには、もう少しセンセーショナルな語り口が必要だという自覚はあります。そこで、「これはものすごい意味があるんだよ」 とあえて言っているわけですね。
    自分の構想としては、クルマの販売不振の問題を、金融資本主義の文脈で捉え、それを 「宗教」 との関係で語ること。
    その場合、今の資本主義文明が、きわめてユダヤ・キリスト教的な発想で展開していること。
    それに対して、日本の若者はそのようなユダヤ・キリスト教的な文明に対する(無意識の)批判性を持っていて、それがパラダイムシフトへの転機となる…というようなシナリオを考えています。
    確かに、Yamaさんのおっしゃるように、「人はモノの見せびらかしによる自己確認」 を喜びとして生きています。
    しかし、その動機付けには “起源” があるはずです。それは人間の本性というよりは、そこに至るまでの “強いられた力” の存在が前提になっているはずです。
    クルマが、新しい “謎” にならなければ、クルマの魅力を取り戻すことはできません。その姿勢が、今の自動車ジャーナリズムに欠けているような気がしてなりません。
    新年早々、刺激的で素敵なコメントありがとうございます。
     

  5. Yama より:

    町田さんの「独り言」は軽薄、あわてものというには深くて、多岐にわたっていて、新しい刺激が多いです。あまり刺激が多いので、私もあまのじゃく風に、ポンプ的なことを言ってみたいだけです。
    クルマの現代的価値について、ちょっとネガティブに言いましたが、①の自由に遠くへどこまでも行ける、という機能価値はいつまでも求められると思います。
    きままにどこまでも、疲れたらそこで眠る、という幌付クルマ、それがキャンピングカーという名前で呼ばれていて、それが私の”Drive Your Dreams. TOYOTA(Camroad)”です。
    クルマの売り手さんは、この“dreams”の現在の具体的内容をもっと現実にそって吟味しなくてはならないでしょう。
    森山にかこまれた真っ直ぐな直線道を疾走する国産クルマのイメージCM。これは嘘っぱちdreamです。みんな欧州・異国での撮影だ、っーの。
    週末、八ケ岳を見て帰りの中央高速、必ず延々の渋滞。「遠くへ行って、アウトドアを楽しんで、疾走して帰る」という私のdreamは、彼女の「まだぁ~?」の言葉で潰(つい)えるのが現実だから。
    結論を言ってしまえば、長距離用幌付クルマと短距離自転車代わりクルマしか残らないと思います。それ以外は公共交通機関がとってかわります。日本は「狭いニッポンどこへ行く」の空間的制限もありますから。
    業界OBの町田さん、すみません。身もフタもなくて。

  6. 町田 より:

    Yamaさん、ようこそ。
    いやぁ、まったくその通りですね!
    最後は、 「長距離用の幌付きクルマ」 と 「短距離用の自転車代わりクルマ」 しか残らないというのは、ある意味、見えてきた結論のような気もします。
    それと、後は、骨董品的なマニアの趣味カーですね。これは数は少なくても、ずっと残っていくでしょうね。
    そのような骨董品的な趣味カーは、将来的には、永遠の憧れのアイテムになっていくような気もします。
    交通手段としての馬が自動車に代わられても、競馬の人気が衰えないのと同じことです。
    そしてそれ以外の実用に共するクルマのパワーユニットは、徐々にハイブリットないしはEVになっていき、ステータスとかブランド化とは異なる価値付与がなされ、人々の生活を助けていくことになるでしょう。
    そしてその頃になると、EVベースの “幌付きクルマ” も実用の段階に入っているかもしれません。
    現状では、とても小型乗用車以上の車体を駆動するほどのバッテリーが開発されていませんが、バッテリーのさらなる小型化・軽量化が進めばバッテリー搭載数も増えますから、航続距離も伸びるでしょう。
    そうなれば、徐々に市場に浸透していくでしょうから、コストも下がり、我々でも買えるEV・RVが誕生しているかもしれません。
    EV・RVは、キャンプ場などの電源が使えますから、インフラ的にはメリットが大きいと感じます。
    静かで、排ガスもなく、環境負荷も少ないので、 “自然の中で憩う” というRVの思想にもピッタリ!
    そういう時代が来れば、今のキャンピングカービルダーさんは「華の職業」になっているはずです。
     

  7. ミペット1号試作品 より:

     もしも、60年代の学生に、現代の若者の価値観が浸透していたなら、学生運動は大成功を納めていたかも知れないですよね。

  8. 町田 より:

    >ミペット1号試作品さん、ようこそ。
    なるほど。そう来ましたか!
    よく分かります。
    ただ、60年代の若者…つまり、われわれの世代ですけど、やっぱ感性がガサツでしたね。今の若者の価値感を理解できるようなセンシティブな心情があったかどうか…。
    でも、おっしゃるようなことが可能だったら、確かにもっと気持ちの良い時代が広がっていたかもしれませんね。
     

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