バニングとは何か (井上章英さんインタビュー)

 
 「キャンピングカーの歴史」 を詳しく述べる資料というものがわが国には少ないのだが、もっと少ないのは 「バニングの歴史」 を語る資料だ。
 キャンピングカーは、今や日本でも一大産業として成長を遂げつつあるが、バニングの方は専門業者の数も少なくなり、どちらかというと、 “過去の遺物” のように見られがちである。
 しかし、日本のキャンピングカーがここまで成長してこれたのは、バニングのおかげといえなくもないのだ。
 なぜなら、国産キャンピングカーは、途中までバニングと同じ進化の系をたどってきたのであり、現在の国産ビルダーの中には、バニングメーカーとしてスタートを切った業者も少なくないからだ。
 
 初期のバニングを愛した人たちとは、いったいどのような人たちだったのか。
 また、キャンピングカーに比べ、バニングはなぜ途中で成長を止めてしまったのか。
 そのようなバニングの生きた歴史を語れる貴重な人間の一人に、井上章英 (いのうえ・あきひで) さんがいる。

 
▲ 井上章英さん
知る人ぞ知る 『 キャンプカーマガジン (Camp car MAGAZIN) 』 の編集長さんである。

 
キャンプカーマガジン
▲ 「キャンプカーマガジン」 2009年最新号
 
 井上さんは、実は現在のお仕事に就かれる前に、あの有名なバニング雑誌である 『カスタムCAR』 の編集長を勤めていた時期がある。
 この夏 (2009年)のことであったが、バニングに関して、井上さんから当時の貴重な思い出話を聞く機会があった。
 ここで、その一部をご紹介する。
 
「カスタムCAR」 の創刊と発展
 
【町田】 井上さんが 『カスタムCAR』 を手掛けられていた時期は、いつ頃だったのですか?
【井上】 『カスタムCAR』 の編集部に入ったのは1988年でしたね。36歳でした。それから2000年の3月まで。12年間その仕事を続けました。
 雑誌自体は、1978年 (昭和53) に創刊されていました。最初は 『ピットイン』 の増刊という形で出したのですが、けっこう評判がよくて、すぐに定期刊行になりましたね。
 
カスタムカー表紙
▲ 「カスタムカー」 最新号
 
【町田】 カスタムカーの編集部に入られたときは、どんなお気持ちだったのですか?
【井上】 当時僕は、 『ピットイン』 のような普通の乗用車雑誌の編集を担当していたんですよ。
 だから、 『カスタムCAR』 に入ったときは、ちょっとカルチャーショックでしたね。
【町田】 どういう意味で?
【井上】 普通の自動車雑誌というのは、自動車メーカーなどが発信する情報を、僕らがまとめて、それを読者に提供するわけですから、編集部と読者との距離が離れているわけです。極端な話、情報はこちらからの一方通行で、読者の顔が見えにくい状況なんですね。
 ところが、 『カスタムCAR』 という雑誌が伝える情報は、ある意味、読者が発信する情報なんです。
 ということは読者 = 取材対象者ということで、編集部と読者の間には双方向の情報の流れが出来ていたんですね。
 つまり、バニングは原則的にワンオフ製作ですから、 “造り手 (メーカー) ” は “お客さん” そのものであり、同時にそれが雑誌の読者でもあるわけです。

【町田】 となると、誌面構成にも読者の意向がかなり反映されてくるわけですね?
【井上】 そうです。 『カスタムCAR』 というのは、いわゆる 「読者が作る雑誌」 の典型だったんですよね。読者と編集部の連絡がものすごく密な雑誌だったんですよ。
 「あの企画が面白かった」 、 「次はこれを取り上げたら?」 というような読者からの感想やら提案がダイレクトに編集部に伝えられてくるんですね。
 土日になると、必ずどこかでバニングクラブのイベントやツーリングがありましたから、その取材のために、前日から会場に入り、酒など飲みながら交流を持つわけです。
 そこで次の号の企画が決まるとかね。
 そんなふうにユーザーが熱心に支持してくれたおかげで、編集部とユーザーのつながりの強い雑誌に成長していったわけです。
 その代わり、編集にタッチした12年間は、ほとんど休みがなしでしたけどね。

【町田】 でも、そういう体験は貴重ですね。読者の注目度の高い雑誌をつくれるなんて幸せですね。
【井上】 ええ。みんな雑誌の隅から隅まで、しっかり目を通してくれるわけですよ。
 たとえば、イベントなどの記事で、写真で紹介しているクルマとはまったく関係ない、その背景に小さく写った別のクルマのアルミホイールのメーカーがどこなのか? そんな問い合わせまでよくもらいました。

バニングカー外装001

バニングユーザーの実像

【町田】 バニングに情熱を傾けていた人たちというのは、どういう人たちだったんですか?
【井上】 基本的には求人雑誌の 『ガテン』 で求人しているような職業の人たちがメインでしたね。よく “ガテン系” なんていっていましたけれど、バブルの建設ラッシュで、金回りのよくなった若い職人さんが多かったですね。年齢的には20代の前半ぐらいでしょうか。
【町田】 ベース車でいうと、どういう車種に乗っている人が多かったんですか?
【井上】 僕がやっていた頃は、6割方ぐらいがハイエース、キャラバンといったワンボックスカーでした。
 
【町田】 ベース車は、持ち込み架装だったんですか?
【井上】 持ち込み架装もあったけれど、基本は中古車のバンがベース。
 80年代の後半まではハイエース・スーパーロングの72系か、60系のロング。キャラバンのE23、E24もけっこう流行っていました。
 しかし、その後100系のハイエースが出て、流れがガラッと100系ハイエース中心になりましたね。
 僕が辞めてからは、そういうワンボックス系のバニングが4割ぐらいに減って、アメリカのトラッキンやホットロッド、ローライダーのような車種を掲載する比率が増えたように思います。
 面白いもんでね、同じ 『カスタムCAR』 の読者といっても、バニングに乗っている読者はアメリカン・カスタムとかホットロッド、トラッキンなどの記事を読むけれど、アメリカン・カスタムやホットロッドに興味のある人たちは、バニングの記事をあまり読まないんですね。
 アメリカン・カスタムが好きな人たちは、バニングが持つ独特な、日本的なテイストが嫌いだったんでしょうね。逆に言いえば、バニングのユーザーたちは、クルマをカスタムするということに、とても貪欲だったのではないでしょうか。

バニングカー内装001

バニングカーの特徴

【町田】 国産ワンボックス系のバニングの場合、どういう架装例が多かったんですか?
【井上】 まず最初は、基本的なエアロパーツを組み込んで、ホイールを替え、車高を下げる。
 次に、座席を取り外して、シャギー絨毯やチンチラの壁紙で内部を貼りめぐらし、シャンデリアとかソファベッドを組み込むわけですね。
 外装では、車体にエアブラシ・ペイントを施すのが流行りました。
 ペイントのテーマは、ディズニーやドラゴンボールなどのアニメ・キャラか、あとはラッセンの描くイルカが飛び跳ねているようなイラストですね。
 人物だと矢沢永吉、工藤静香、中森明菜……。

【町田】 どのようなビルダーのクルマに人気がありましたか?
【井上】 関西では、やっぱり 「オートボディショップたなか」 さん。…今のアネックスさんですね。
 田中さんのところは、エアブラシも含めていろいろなアイデアが豊富だったんです。FRP製のハート型の窓をリヤゲートのところに付けたりね。
【町田】 エアブラシの絵は、それぞれの架装メーカーさんが描くわけでしょ? それだけ業界には絵心のある人が多かったわけですか?

【井上】 まぁ、絵心のある人を集めたのでしょうけれど、でもやっぱりその中でもうまい人は限られてくるわけで、田中さんのところは上手でしたね。
 ラッセンの、夜の海にイルカが飛び跳ねているような絵柄がアメリカで流行っていた時期に、それを一番最初に日本に持ってきたのは 「ブルーオート」 の青木さんですね。
 「ビークル」 さんとか 「АtoZ」 さんなども、今ではキャンピングカーの大御所ですけれど、昔はきれいなバニングをいっぱい造っていましたね。
 そのほか、秋田の 「ファーストカスタム」 さんとか、川崎の 「荒木自動車」 さん、埼玉の 「プロット」 さんも有名でした。
 後半になってからは、 「ナッツ」 さんのバニングも人気を集めていましたね。

【町田】 井上さんが12年間バニングを見てこられて、最初の方と後半とでは、内装の変化があったのですか?
【井上】 内装素材でいえば、モケットは一貫して人気がありましたけれど、80年代の後半になると、チンチラとか金華山は影を潜めて、代わりに平織りのような、今のキャンピングカーでも使われている素材が出てくるようになりました。
 チンチラとか金華山はデコトラの方にいったようです。
 レイアウトでいうと、ニの字とかコの字ソファが圧倒的に多かったのですが、後半になると、キャンピングカーのような対面対座も出てくるようになりましたね。
 床もシャギージュウタンではなくて、市松模様のクッションフロアとか…。今のキャンピングカーと変わらないようなデザインのものも見るようになりました。

その後のバニング

【町田】 バニングがいちばん盛んだったのは、いつ頃なんですか?
【井上】 1990年代初めから急激に伸び出して、93、94年ごろがピークかな。90年代終盤からだんだん下火になっていったわけです。
【町田】 下火になった理由は何ですか?

【井上】 いくつかあるんでしょうけれど、架装に高額なお金をかける人たちが出てくるようになったんですね。
 最後の方になると、架装費だけで1千万とか1千5百万円などというクルマも出てくるようになったんです。
 そうなると、それについてこれなくなった若者が、次第に距離を置くようになったんです。
 それと、ほんの一部ですけど、暴走族系の連中がときどき幅を利かせるようになったんですね。
 数からいえばほんの一握りなんですけど、やはりそういう連中は目立つわけですよ。
 そのために、ただクルマが好きで、仲間とキャンプしたり、海に行くことだけを楽しんでいた若者たちが引いちゃったんですね。
 だから可哀想でしたよ。
 取材しているとよく分かるんですが、本来のバニング愛好者って、一見やんちゃ風に見えるけれど、みんな良い人間なんですよ。礼儀正しいし、話すと面白い。
 だから、世間の一部で誤解されてしまうことは残念でしたね。

【町田】 バニングユーザー同士のクラブキャンプというのは、どういうものだったんですか?
【井上】 基本的には、みんなで集まって、 「お前のいいね」 「俺のはこういうんだよ」 というようなミニ品評会とか情報交換の場でした。
 仲のよいメンバーが集まると、みんなで和気あいあいと海に行ったり、キャンプをしたりね。
 そのうち結婚して、子供ができたりすると、今のキャンピングカーユーザーの例会と変わらないミーティングになったんじゃないかな。
 ただ、室内で調理をするというようなことはなかったですね。それにトイレを付けているクルマも少なかったと思います。

【町田】 それにしても、バニングの初期の頃からその最盛期まで、その流れをメディアの目を通して眺めて来られた証言は貴重なものだと思います。
 そういうお仕事、楽しかったでしょ?
【井上】 もちろん。編集者としても、自分でいちばん脂が乗っていた時期でしたから、 『カスタムCAR』 という雑誌は、想い出もやりがいも一番あったし、取材などで深くかかわったバニングという世界には思い入れが強いですね。
 
  
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