欲しがらない若者

 
 日本社会の停滞を、 “今どきの若者” のせいにする議論が後を絶たない。
 「今の若者には覇気 (はき) がない」
 「面倒なことを嫌がる」
 「耐える力がない」
 世の中が閉塞な気分に包まれてくると、そのような議論を目にしたり、耳にしたりする機会がどんどん増えてくる。
 
 フランス文学者の鹿島茂氏は、林真理子氏との対談 (週刊朝日) で、次のように言う。
 
 「今の若い人の行動はみな 『面倒くさい』 で説明できる。語学などは面倒くさいとみんな嫌がる。旅行でも、出かけるのはみな近場の温泉で、海外旅行も人気が落ちた。外国映画を見る人もどんどん減っている。学生に聞いたら、字幕を読むのが面倒くさいんだって (笑) 」
 
 そして、彼らは、教習所に通って免許を取るのが面倒くさいから、クルマも買わない。
 セックスに至るまでの手続が面倒くさいから、女の子もいらない。
 練習が面倒くさいから、スポーツもしたくない。
 
 かくして、このような若者が増えたおかげで、 「日本の産業が下降線をたどっている」 という結論が導き出されることになる。
 鹿島茂氏との対談相手を務めた林真理子氏は、別のエッセイ (週刊文春 09年11月12日号) でこう書く。
 
 「今の若者たちの気分を表現するときに、いちばんぴったりくる言葉は、 『まったり』 というやつだ。そんなに無理することはないんだよ、という 『まったり』 気分が日本列島を包んでいる。
 海外旅行をして、外国でしんどい思いをしなくたって、国内で安い温泉がいくらでもあるよ。貧乏だっていいじゃん、ユニクロ着て、コンビニ弁当食べてれば、そこそこ暮らしていけるよ。
 いいの、いいの、外で苦労することないの。日本の中で、みんなゆったり穏やかに暮らそうね」
 
 若者の “まったり” を奨励しているようでいて、この文章から匂ってくるのは 「皮肉」 。
 海外雄飛の夢を捨て、上昇志向も失い、内側にこもるようになった若者たちを憂う心情が、その文章の底に透けて見える。
 
今の若者に上昇志向はあるのか?
 
 「常に目標を掲げ、それに向かって絶えず励む」 という生き方は、やはりある程度日本の成長を担った人々が共通して抱く思いのようだ。
 60歳になっても現役ロッカーとして生きる矢沢永吉氏は、週刊文春の 『俺がロックだ!』 という連載エッセイでこう語っている。
 
 「60歳で、どういうステージができるか。やはり 『色気』 が大事。
 60になる矢沢が、酒飲む仕草でも、ステージ立っているザマ、もっといえば、この生きてるザマ、これ全部が色っぽかったらいいな、と思う。
 オレにはやるべきことがある、オレを待っている人がいる。
 そういうことがあると、人はドキドキするじゃない。
 そういう気持ちを持ってること自体、もう黙っていてもそこに色気があるよね」
 
 だから、人間は上昇志向を失ったらダメだという。
 
 「神様は優しくない。だから 『やったろか』 を持てる人と、持てない人に分けちゃうんだね。
 どんなに物があふれてる時代でも、その時代なりの、上を目指すってことは間違っていない。
 上を目指すこと、それをカッコわるい、クサいって、誰が決めたんだ? 誰が言ったんだ? 
 言ったヤツ、ちょっと来いよ。
 お前、国賊だよ。
 上を目指すっていう言葉は、百年経っても死語にしちゃダメよ。俺は上を目指すことを忘れない」
 
 たぶん、このような発言から “勇気” をもらい、それを生きる糧 (かて) にしている人々はいっぱいいるんだろうな…と思う。
 10人いたら、8人ぐらいがそうじゃないだろうか?
 おそらく、それが今の日本ではメジャーなんだろうな、という気がする。
 そして、私もまさにそう思う人間の一人だ。
 
 しかし、そういう思考の結果、 「今の若者たちはダメだ」 という結論にもっていく議論は、ことごとく、もう次の時代には通用しないということだけははっきり言っておきたい。
 そのような議論は、日本が、世界でも類例のないポスト産業社会的な状況に直面し、文化においても、マーケットにおいても、世界で稀に見る “実験国家” になっているという事実を見逃している。
 
 若者が 「モノを買わなくなったり」 、 「面倒くさいことを要求するサービス財に手を出さなくなったり」 したのは、若者のせいではない。
 そういう気分を蔓延させる消費構造が存在するからである。
 そして、 「今どきの若者」 というのは、そのような消費構造を、ものの見事に象徴しているともいえるのだ。
 
モノを買わない若者の心
 
 「モノが売れない」
 という現象は、何を意味するのだろうか。

 消費者がモノを買う理由は、主に二つに分けられる。
 
 ① 暮らしを維持するための消費。
 ② 他人との違いを確認するための消費。
 
 ① は、言うまでもなく、 「生活必需品」 を購入することである。食料品やらトイレットペーパー、洗剤などといった生活用品を買うための消費はどんな不況下であろうが、この世から消えることはない。
 
 しかし、生活必需品だけを消費するような社会構造では、企業は生き残れない。
 そこで、たとえ生活必需品であろうとも、より便利に、より効率的に、よりお洒落に…と、実用性を超えた新しい 「価値」 が付与されることになり、その 「価値」 を駆動力とした新たな消費が喚起されることになる。
 テレビモニターがブラウン管から液晶になり、クルマのエンジンが OHC からツインカムになり、携帯電話に写真機能が加わり、住宅の屋根にソーラーパネルが取り付けられるようになったりするというのが、そういう例だ。
 
 あらゆる技術革新というのは、そのような商品の付加価値性を高めるために追求されている。
 そして、そのように人々の心に喚起される新たな消費欲が、資本主義経済をドライブ (駆動) していく原動力となっている。

 しかし、このような形で絶えず喚起される 「消費欲」 とは、いったい何なのか。
 それは、技術革新による商品の 「便利」 さが促がしたもの…のように見えるが、実はもうひとつ別の原理が働いている。
 その根底にあるのは、まだ隣近所の人々が持っていない商品を一足先に手に入れる欲望であり、その商品を手に入れることで自己実現をしている自分を確認する喜びなのである。
 
 これが、上記の②でいうところの、 「他人との違いを確認するための消費」 ということになる。
 
 「他人との違いを確認する消費」 においては、 「流行」 は不可欠な要素だ。
 周りが身につけているから、自分も乗り遅れてはならない。
 周りよりも、一足先にそれを身につければ、他人への優越意識を持てる。
 そこでは、商品は、必需品ではあっても、 “差し迫った必要のない必需品” に変化している。
 
 これと並行して、商品の 「ブランド化」 も、 「他人との違い」 を強調する重要な要素となる。
 消費者に 「違いの分かる洗練された人」 という意識を持ってもらえれば、商品単価を引き上げることが可能になり、しかもその価格を維持しやすく、企業収益も安定する。
 
 このような 「流行」 や 「ブランド化」 に支えられた 「他人との違いを確認する消費」 を、かつての流行り言葉でいう 「記号的消費」 と言い換えてもいいかもしれない。
 現代社会の消費構造は、ほとんどがこの 「記号的消費」 に支えられて、今日の隆盛を保ってきたといえよう。
 
 ところが、成熟社会を迎えた日本においては、そろそろ、その記号的消費が機能しないような時代が訪れようとしている。
 それが、 「今どきの若者」 たちが見据えている消費社会の将来の姿なのだ。
 
 つまり、 「モノを買わなくなった若者」 というのは、記号的消費、…すなわち 「他人との違いを確認するための消費」 というものに魅力を感じなくなってきた人たちのことをいう。
 彼らは、モノを入手することで他者との 「差別化」 を図るとか、それによって 「自己実現」 を図るというような発想から抜け出た人たちである。
 
 今まで、各企業が新製品を発表する際に、 「これを買えば、このようなライフスタイルが実現します!」 とか 「この商品が、あなたにこのような魅力を付加します!」 などというキャッチに、 「もういいよ…」 とそっぽを向き始めたのが、今どきの若者なのだ。
 
 彼らは、単に “面倒くさがっている” わけでもなく、単に “まったり” しているわけでもない。
 今の資本主義社会が消費者に与えようとしている “夢” に飽き飽きしており、そのようなセールスプロモーションに耐えがたい “退屈さ” を感じている人たちだといっていい。
 
 彼らがクルマを買わなくなったのは、クルマという 「機能」 を必要としなくなったからではない。
 今までのクルマに付与されてきたモロモロの 「価値 = 記号」 、…すなわち 「速い」 、 「カッコいい」 、 「モテる」 などという 「価値 = 記号」 に魅力を感じなくなったからだ。
 
 海外ブランド品に対する彼らの憧れが急速に消滅しつつあるのも、同じ理由から説明できる。
 それを身につけることで 「他者との差別化が図れる」 などという素朴な信仰を信じている若者は、今やほとんどいない。
 彼らには、もう 「他者と差別化を図って確認できる自己」 などというプロモーションに飽き飽きしているのだ。
 
 同じように、若者の “酒離れ” も説明できるかもしれない。
 酒を飲むことによって交わされる本音トーク。
 彼らは、その本音トークそのものに、酒飲みたちの 「肥大化した自己」 を見る。
 他者の発言を封じてまでも、自分を主張するオヤジ世代の飲み会の会話は、彼らからみれば、野蛮人の風習のようにしか思えないのだろう。 
  
 消費者の 「個」 をひたすら突出させることで消費を促がしてきたような消費構造は、あらゆる局面において、若者たちからそっぽを向かれ始めている。
 
 だから、海外旅行に対しても、 「自分探しの旅」 などという動機づけを行うプロモーションに対しては、彼らはもう魅力を感じない。
 五木寛之の 『青年は荒野をめざす』 や沢木耕太郎の 『深夜特急』 に触発されて海外へ向かった若者たちが大勢いたことなど、今や遠い昔の話に過ぎない。
 
 たぶん、これからは自動車販売も、海外旅行の商品化も、 「自己実現」 などとは違ったプロモーションを考えない限り、若者の気持ちを引き戻すことはできないだろう。
 
モノへの渇望はなぜ失われたか
 
 そもそも、商品 (モノ) と 「自己」 を結びつけるという発想自体が、彼らには生まれたときから、すでにない。
 彼らの極度の 「モノ離れ」 は、何に由来するのだろう。
 
欲しがらない若者たち表紙
 『欲しがらない若者たち』 (日経プレミアシリーズ) という本を書いた山岡拓氏 (故人) は、そのひとつの原因を、彼らの親世代の育った環境に見る。
 
 現在、10代後半から20代ぐらいの若者の親たちは、80年代のバブル期に、ブランド消費に踊った人たちである。
 衣料についていえば、アルマーニのスーツにグッチのビットモカシンの靴といういでたちを好み、見栄やデザイン、さらに生地や仕立ての質などにマニアックなこだわりを見せた世代だ。
 
 住環境においては、空調完備の快適な住居や、ボタンを押すだけで何でもできる各種家電製品、AV機器、クルマ、すべてがあった。
 
 山岡氏はこう書く。
 「その子供である今の20代は、幼少期からファッション誌に鍛えられた親が選んだ服を与えられ、小学生の頃から自分で服や雑貨を選べるだけの審美眼を持った。
 彼らの前には、選択可能な消費財の情報が膨大なカタログとして並べられ、それを用意した親の影響により、彼らの持つ商品知識は10代のころから極めて豊富になった」
 
 しかし、そのような商品情報の氾濫と、商品選びの審美眼の獲得は、逆に子供たちから、モノへの渇望感を奪うことになった。
 彼らは、世界でも類例のないような、商品知識と商品選択のセンスを与えられながら、自分でそれを選び取る必要のない環境の中で育てられたのだ。
 
 したがって、彼らの親の世代がモノを買うことで達成していた 「自己実現」 は、もはや彼らの眼中にはない。
 そのような形で獲得された 「自己」 が、結局みすぼらしい “見せびらかし” に過ぎないことを、彼らは自分たちの親や、周りの人々の生活を見ているうちに、それとなく感づいてしまった。
 
 そして、もの心がついた頃、彼らはバブルの崩壊を体験する。
 さらに、それ続く脱出口の見えない不況の時代を生きていくことになる。
 現在の地球上で、もっとも高度に洗練された商品選択センスを持った人たちが、 「モノが人間の幸せを実現するとは限らない」 という事実に直面することになったわけだ。
 
 だから、彼らがモノを買わないのは、モノの 「価値」 が分からないからではない。
 モノそのものの 「価値転換」 が迫られている時代に、相変わらず昔ながらの 「価値感」 に基づいて開発される商品、宣伝される情報、そういったものに幻滅を感じているに過ぎない。
 
社会や親と和解する若者たち
 
 では、彼らはモノを買う代わりに、何を求めているのか。
 『欲しがらない若者たち』 を書いた山岡拓氏は、今どきの若者たちが示す奇妙な傾向に注目する。
 
 「産地研の調査によると、今の10代後半から20代前半の若者たちは、彼らから10歳上のコギャル世代がよく行っていた地べたにペタンと座るような行動を、わりと冷ややかに見ている。
 また、電車内で大声で話すことや、電車の中でキスをすることに違和感や抵抗を覚える人も9割を超えた。
 電車の中で携帯電話で話すことへの抵抗感も8割を超えた」
 
 また、山岡氏は、次のような調査にも目を通している。
 
 「2007年の 『若者意識調査』 では、休日に 『ほとんど家にいる』 と答えた20代は43パーセント。その過ごし方も、2000年時の調査よりも比率が高くなったのは、 『家で勉強や読書をする』 という回答だった。
 次いで伸びたのは 『掃除や洗濯など家事をする』 という声だった」
 
 さらに山岡氏は、若者たちの多くが親や兄弟といった家族間で頻繁にギフトを交わしあっていることに注目し、親からプレゼントされたものを大事にする若者が昔より多くなったと指摘する。
 そして、彼らが、報酬などを意識することなく、ボランティア活動に貢献することに生きがいを見出しているということにも注目している。
 
 なんと、 “良い子” たちが増えてきたことか。
 このようなデータを見るかぎり、およそ従来の若者像とは違った人種が台頭しているような印象を受ける。
 彼らの、社会や親とフレンドリーな関係を構築しようという意志は、どこから生まれたものなのか。
 
 彼らは、自分たちの先輩である 「若者」 たちがかつて目指した “反逆する青春” 像に、何の価値も見出さなくなったともいえるのだ。
 あえて世間の反感をかったり、親や学校が強制する生き方に反発したりすることで、 「自分の存在を確認する」 という思考法が、彼らにはバカバカしいのである。
 よくいえば、社会に対して従順。
 あるいは、生活形態の保守化。
 しかし、言葉を変えれば、もはや彼らは、社会や親と対峙することで確認できる 「自己」 などというものに意義を見出していないともいえる。
 
 そういうことには、なるべく無用なエネルギーを使わず、むしろ社会や親と協調路線を取ることによって、自分にとって居心地の良い環境を整備していく。
 彼らの親世代に対するフレンドリーな生活スタイルは、徹底してクールな現状認識に裏打ちされたスマートな処世術なのかもしれない。
 
メールよりは対話
 
 モノを買わず、社会規範を守り、親兄弟との関係も上手に調整するという彼らは、この先どういう社会を目指そうとしているのか。
 山岡氏は、こういうデータも拾っている。
  
 「今の若者たちは、電子メールのやりとりを活発に行っているように思われているが、2008年の 『若者意識調査』 によれば、20代男女の友人とのコミュニケーション手段で最も多い方法のトップは、直接会って話す (45%) で、携帯電話のメールを10ポイント近く上回った」
 
 山岡氏は、そのことについて、次のような解説を加える。
 
 「今の若者はとてもナイーブで、話す相手の気持ちの動きを気にする傾向が強い。
 相手の気持ちの変化を読んで 『シンクロ率』 を高めようとするのが今どきの若年層の大きな特徴だ。
 だから、表情や音声などの情報量を増やすため、彼らはメール交換よりも、対面コミュニケーションを求める」
 
 われわれは、 「若者」 というと、すべてのコミュニケーションをメールで済まそうとするようなイメージを抱きがちだが、それは、ここで話題にする若者たちよりは、ひとつ上の世代らしい。
 
 さらに面白いデータがある。
 それは、 「子供や次世代に残したいと思うのは何か?」 という調査だ。
 これも2008年の 「若者意識調査」 で浮かび上がってきたことらしいが、20代の若者が、次世代に伝えたいと思っていることの1位は、 「日本の伝統文化や季節感」 で、その回答率は4割を超えたという。
 
 山岡氏はいう。
 「今の若者たちは、便利な環境で育ったからこそ、その後に知った伝統文化の中に、近代都市社会が見過ごしてきた季節の微妙な変化や、自然と関わることの豊かさを発見したのかもしれない」 
 
 このような “今どきの若者” の意識調査から、およそ次のような人物像が浮かび上がって来ないだろうか。
 
 「自己を主張するよりも他者との共振を大事にし、さらに自然や季節感に敏感なセンシティブな人々」
 
 このような人間像は、消費者の周囲に広がっていた 「自然」 や 「季節感」 をつぶして、ひたすら消費者の 「自己実現」 だけを求めてきた今までの消費構造とは相容れない人間像であることは明白だ。
 
 「モノを欲しがらない若者たち」 というのは、これからの日本の産業社会における商品開発や商品情報に対して、新しいコンテンツを要求している人たちなのである。
 そのことを見抜けないと、それこそホントに、日本の産業は立ち行かなくなってしまう。
 キーワードは、 「家族」 、 「コミュニケーション」 、 「自然」 、 「季節感」 である。
 
 私は、どういう商品が彼らの期待に応えられるかということに対し、すでに答を持っているけれど、それはここでは書かない。
 また、いつか…。
  
 
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欲しがらない若者 への13件のコメント

  1. Jun-1 より:

    あくまで個人的な意見ですが、 最近の若者て諦めが早いので、このような結果になってしまってるのではないでしょうか。
    ゆとり教育のしっぺ返しかな?なんて思います。丁度1998年ぐらいからゆとり教育が始まっているので、二十歳そこそこの子が丁度当てはまるのでは。
    僕の仕事は1/100 1/1000の精度が要求されるんです。 そんな中 ゆとり教育の子達は円周率は“3”ですよ。 “3”と3.14じゃもう僕らの仕事は成り立たないです。
    で 意外にこの世代のこと接触が多く、話を聴いてあげると 上昇志向が無いわけでもなく、モノを買わないでもないみたいです。  車は高いから諦める… なかなか頑張っても仕事で活躍できない…  
    すぐ諦めちゃうんですね。て言うかやる前に諦めちゃう… 
    自己を主張するよりも他者との共振を大事にし、さらに自然や季節感に敏感なセンシティブな人々… 
    そうしないと情報の波に飲まれたり、目まぐるしい社会の中で生きていけないんです。
    なんせゆとりが大切と教えられた世代ですから(笑)
    諦めが早い世代とボクは思うのですがどうでしょうか。

  2. 通行人 より:

    僭越ですが!
    矢沢栄吉 → 矢沢永吉が正解

  3. より:

    モノに依存しないこと、それは自分らしく(モノを持たない、弱さを持った人間であることを自覚する)生きようとする基本のように思います。
    家で家族・親と会話することで安心でき、それが快感につながれば、モノを欲しがらなくなる。
    我が家の21歳の子にはそうなって欲しいと思っています。

  4. ムーンライト より:

    難しくて良く分からないのですが・・・(笑)
    「モノを欲しがらない若者たち」。
    私はかなり長い間そういった人間でした。
    若いと言えない年代になっても。
    ここで町田さんが仰っている「モノを欲しがらない」と意味が違うとは思いますが。
    自分のようなツマラナイ人間が何かを欲しいとか、何処かに行きたいなどという贅沢を言ってはいけないような気がしていたのです。
    我慢することが当たり前になっていて、我慢とも思わなくなっていました。
    けれど、大木さんのショーの案内状が初めて届いた時、
    強烈に「行きたい!」と思いました。
    大木さんをきっかけに知り合った方と話がしたいと思いました。
    町田さんとお会いできて本当に嬉しく思いました。
    お店に入ってこられた時「この方だったらいいな」と思っていたのです。
    とっても楽しかったです。
    もっともっと話がしたい。
    できれば、大木さんのステージを一緒に見たい。
    そう思いました。
    ご馳走様でした。
    お忙しい中、ご都合をつけてくださりありがとうございました。

  5. ミペット1号試作品 より:

     こんにちは、お久しぶりです。
     昨日は、猫市、のぞいてきました。とても気さくな編集部員の方とお話が出来て、とても楽しかったわけで。
     で、私はこのことについて、別のことを考えるわけで・・・
     あくせく働く→会社が成長する→株価が上がる→設備投資をするが、非正規雇用者には報酬還元がない
     あくせく働く→上司が喜ぶが、非正規雇用者には見返りがない。
     正社員であくせく働く→努力しても、手取り20万以上は無理だが、会社には毎月100万円単位で労働実績を上げてる→ボーナスを貰えるのは、一部の特権階級だけ
     正社員であくせく働く→崖っぷちの先輩社員からにらまれる→嫌がらせやいじめを受ける→やってもいないミスを押しつけられたりして会社をくびになる。
     だから、あくせく働くのが面倒くさい。
     新製品がでた→その製品の価格の7割が開発費→値段のわりに、満足度が低い→買って半年で購入した物の価値が2割以下に落ちる
     だから、広告に踊らされて、買いに行くのが面倒くさい。
     面倒くさいまでのプロセスを無視すれば、非常に問題にも思えるかも知れないけど、実は、今の若者達はバカな大人の無駄遣いをよく観察していて、非常に頭が良く、騙されないようになってきているだけだと思うわけで。
     それに、私も経験したけど、某家電量販店の店員の間では、いじめ、嫌がらせ、骨肉の争いが横行していて。私も超有名腕時計ブランドの販売員の面接を受けたときに、「この業界は特にそういうのが多いから、人間関係でやめる人がとても多いけど、君はやっていけるか?」ってまず言われた。
     販売員を経験した人なら、誰だって内輪の骨肉の争いをまじまじ見てれば、購入意欲なんて物もなくしちゃうと思う。
     それに、品格を落とすよりも、何でもかんでも「面倒くさい」で片づけた方が、やっぱかっこいいじゃない。
     それに、作り方から売り方まで、かっこよくコーディネートすれば、今の若者だって購入意欲をそそられると思う。
     売り方、作り方、会社の経営面のモラル低下が若者の「面倒くさい」を作り出しているのだから、そこだけを棚に上げて、若者を悪く言うのは、これは社会悪だとは思いませんでしょうか。

  6. うちも、この関係でちょっと考えてみました・・

  7. 町田 より:

    >Jun-1さん、ようこそ。
    コメントを頂いていたのは確認しながら、昨晩は少々疲れてしまって、そのまま寝てしまいました。お返事遅くなり、申し訳ありません。
    えっと、“ゆとり教育” によって、最近の若者は諦めが早いというわけですね。
    私はゆとり教育の内実というのをよく知らないので、なるほどな、そうなのかな…というぐらいの感慨しか生まれませんが、それも含めて、全般的に、やはり “豊かな世界” の子供たちだから…という感じがします。
    若者の雇用情勢がどんどん厳しくなっているわけですが、それでも彼らが小さい頃から親に保証された生活は、戦前・戦後の一時期とは比べようもないくらい豊かなはずです。
    その豊かさを知っているから、モノを手に入れることにあまり “気合が入らない” …ということはあるのでしょうね。
    それが 「諦めが早い」 ということにつながるのかもしれません。
    さて、今年も残すところあと2日となりました。
    いろいろコメントをいただき、励みになりました。
    Jun-1さんにとっても、来年が良い年でありますように。
     

  8. 町田 より:

    >通行人さん、ありがとうございました。
    さっそく、訂正しました。
    人の名前を間違えるというのは、個人的なブログであっても、とても失礼なことだと思います。お恥ずかしいかぎりです。
    ご指摘、ありがとうございました。

  9. 町田 より:

    >南さん、ようこそ。
    同じモノでも、大量生産によって、作り手の “心” も感じられないほど安易に流通しているものもあれば、職人が精魂傾けて作った “心” の感じられるモノまで、様々なモノがありますよね。
    また、大量生産品であっても、それが親・兄弟から “心”のこもったプレゼントとして贈られたものなら、いとおしいはずです。
    要は、モノに “心” を感じられるかどうかは、結局 “人”なんだということなんでしょうね。
    コメントいただきながら、疲れてしまってお返事遅くなりました。お許しください。
    南さんにとっても、来年が良い年でありますように。
     

  10. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    コメントを頂いていたのは昨晩から知っておりましたが、疲れてしまい、そのまま寝てしまいました。お返事が遅くなり、お許しください。
    いやぁ、ホントにお会いできて良かった。
    短い時間でしたが、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
    トンカツもおいしく頂きました。
    なによりもうれしかったのは、扉の外からでしたが、大木トオルさんのナマのリハーサルの音を聞けたことです。厚みのある音でしたね。あれだけゴージャスな厚みを持ったコンサートというのも、なかなかないような気がします。
    それに、野太い、けど温かい大木さんのボーカルにも感激です。
    今年はムーンライトさんから数々のコメントをいただき、それがブログをチェックするときの大きな楽しみとなりました。本当にありがとうございました。
    新年を間近に控え、寒さも一段と厳しくなりました。
    どうかお風邪など召しませぬよう、健康にはくれぐれも注意し、良い年をお迎えください。
     

  11. 町田 より:

    >ミペット1号試作品さん、ようこそ。
    お返事が遅くなり、申し訳ございませんでした。
    とても重要なご指摘だと思いました。
    しかも、おっしゃるとおりだと思います。
    結局日本も、トップの経営陣だけが巨万の富を得て、多くの労働者たちにまで利益が還元されないというアメリカ型の雇用形態になってきたということですよね。
    分配される富みが不公平ならば、少ない分配分を奪い合う人たちの間で、いじめや嫌がらせが横行するのは当たり前のことです。
    今の若者たちは、そういう現在の非情な市場原理主義的な資本主義経済の本質をよく見極めているから、それに対して、シレっとそっぽを向き始めたのだと思います。
    だから、彼らの 「面倒くさい」 というのは、かつての労働者たちがやっていた 「サボタージュ」 のゆるやかなものなのかもしれません。
    ミペットさんの的確なコメントには、いつも励まされました。
    この1年ありがとうございました。
    きたるべき新年が、ミペットさんにとっても、良い年でありますように。
     

  12. ムーンライト より:

    あれから私、また3階に戻ったんです。
    花輪(?)が増えていて、BEN.E.KINGさんからのもありました。
    今回のバックミュージシャンは10名、女性コーラスは3名でした。
    ショーの終盤。大変な盛り上がりで観客は総立ちとなり、
    アンコールが終わっても拍車が鳴り止まず・・・。
    「終わるつもりだったのですが」と大木さんがもう一度登場しました。
    そして、リハーサルには無かった「STAND BY ME」を熱唱しました。
    そして、その前に「たった一人のアメリカでの親友」だとBEN.E.KINGさんの話をしました。
    彼は大木さんにこう言ったそうです。
    「お前はたった一人でアメリカへ来た。
    しかもブルースという難しい分野で。ハードだ。
    そして今、捨て犬を救う活動をしている。ハード過ぎる。
    これからは幸せになれ」。
    大木さん。昨日、渡米なさったそうです。
    ハード過ぎるって思います。
    それがあの人物のあの人物たる所以なのでしょうけれど。
    町田家に幸いあらんことを。
    どうぞ良い年をお迎えくださいませ。

  13. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    なんと素晴らしいステージだったんでしょう。ショーの雰囲気が目に浮かぶようです。
    ベン・E・キングの言ったことも、胸に迫る話ですね。
    彼は、リズム&ブルースの神様ですよ。
    彼が60年代にヒットさせた 「スタンド・バイ・ミー」 は、私がカラオケで歌うときの、歌詞のテロップを見ずに歌える数少ない曲のひとつです。
    大木さんの 「スタンド・バイ・ミー」 も聞きたかった。
    それにしても、われわれ日本人は、同じ民族の中になんと素敵なブルースシンガーを持ったことでしょう。
    そのことに昔から気づいていたムーンライトさんの慧眼には脱帽の思いです。
    今年1年ありがとうございました。
     

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