クリスマスデート

 
 クリスマス・イブを最愛の恋人と過ごすという 「クリスマス・デート」 がここ数年、ずいぶん様変わりしてきたらしい。
 
クリスマス飾り
 
 もう昨年 (2008年)のデータだけど、日経MJから 「若者の意識調査」 というものが公表されたことがある。
 それによると、現在30~44歳の既婚者の中には 「20代独身当時にクリスマスにデートした」 人が84パーセントもいるのに対し、現在の20代では、クリスマス・デート経験者が7割を切り、それも 「高級フランス・イタリア料理店」 などに行くケースは目立って減少し、 「居酒屋」 の比率が高くなっているという。
 クリスマスの夜を過ごす場所も、都市ホテルやラブホテルが減ってきて、代わりに 「自分または相手の部屋」 が増える傾向にあるとか。
 
 プレゼント品も様変わりを遂げつつあるようだ。
 バブル時代の独身男性は、宝飾品、花、バッグなどを相手の女性に贈るのが当たり前で、この傾向が宝飾品販売などをも活気づかせていた。
 しかし、最近のプレゼントでは、安価で手軽な商品が主流となり、 「ぬいぐるみやキャラクター商品」 、 「お菓子」 などが多いんだそうだ。
 
 一方、相手がいるいないにかかわらず、クリスマスの夜は、自宅と家族で過ごすという若者も増えてきているらしく、ホテルが企画する年末・年始プランでも、 「家族と一緒にお節料理などを食べるプラン」 などというのが、好調であるらしい。
 
 若者たちのこのような傾向は、すでに各メディアによっていろいろと報道されているけれど、それでも最近の若者たちの意識構造はあまりにも変化が激しくて、時々ついていけないことがある。
 たとえば、今の20代の若者たちは 「合コン」 を敬遠しているというようなデータが出てきたときは、正直驚いた。
 
 テレビなどのバラエティ番組を見ていると、あいかわらず 「合コン」 ネタで盛り上がっているものが多いので、合コンは今の “若者文化” の主流であるように感じていたけれど、そうでもないらしい。
 「合コンに積極的に出かけるか?」 ということを尋ねたところ、30~44歳既婚者では、 「かつて積極的に出かけた」 と答えた人が16パーセントもいたのに対し、20~24歳の独身者では、7パーセント台に落ちてしまうらしい。
 
 今の若者層は、お酒そのものを飲まなくなっているし、あまり仲の良くない他人に混じって、無理に話題を合わせるなどということが苦手。
 さらに、恋愛そのものに手間ヒマやお金をかける意欲自体が低く、異性に気をつかうよりは、気心の知れた同性と過ごしていることを楽だと感じるという。
 
 そういう20歳代の男たちを、世の中では 「草食系」 などと呼ぶ。
 そのような草食系から見ると、合コンなどでお目当ての女性に対し、必死に自己アピールをしている男たちというのは、 「カワイソーな人」 とか 「イタい存在」 に見えるらしい。
 「あそこまで醜くはなりたくねぇな…」 というのが、草食君たちの美意識なのだ。
 
 彼らには、女を支配するしか念頭にない旧来の 「男文化」 というものに対する蔑視があるようなのだ。
 だから、そのような 「男文化」 を象徴するマッチョなもの、男臭いもの、汗くさいものに対する強烈な違和感、嫌悪感を持っている。
 
 われわれのような老齢世代からみると、30代以下の人々はみな 「若者」 にしか見えないのだけれど、どうやら今の20歳代というのは、過去に登場してきたすべての 「若者世代」 と一線を画しているらしい。
  
 彼らは旅行をしない。酒は飲まない。スポーツにも熱中しない。
 なによりも、大人たちを困らせているのは、クルマに興味がない。
 
 自動車産業は、国を代表する機関産業であるから、産業としての裾野も広く、就業人口も多い。
 その自動車を買ってくれない人たちが増えてしまえば、それは日本経済が立ちゆかなくなることを意味する。
 だから、彼らは、ときどき産業社会を生きる先輩たちからは、 「亡国の徒」 のようにいわれることがある。
 「日本の経済を縮小させる “危険分子” 」 …であるとか。
 
 しかし、産業社会の方が変わっていかなければ、彼らの真意もニーズも読めない。
 たぶん、この若者たちは、今までの 「文化」 も 「マーケット」 もみんな変えていくだろう。
 
 彼らは、ひょっとしたら高度成長期からバブル期に青春を送った60歳代、50歳代、40歳代、30歳代の人々が、自分たちが 「若者」 だったときに見失っていた何かを再発見した人たちかもしれないのだ。
 
 今の日本の文化もマーケットも、彼らの美意識には追いついていないだけなのかもしれない。 
 たまたまだけど、深夜のNHK・BSを見ていたら、 『マンガ夜話』 で志村貴子の 『青い花』 の特集をやっていた。
 ところが、不思議なことが起こった。
 
 あの才気とひらめきに恵まれた夏目房之介、いしかわじゅん、岡田斗司夫というレギュラー陣たちが、 『青い花』 というマンガを前に、ほとんど解説不能に陥ってしまっているのを見てしまったのだ。
 
青い花アニメジャケ
 
 志村貴子の 『青い花』 は、女子高生同士の同性愛をテーマにしたマンガなのだけど、若い女性だけでなく、相当数の若い男性読者を持っているらしい。
 
 そのマンガが、なぜ若い女性たちだけでなく、同年代の男子たちをも魅了しているのか。
 
 レギュラー解説者たちは、みなその理由を考えようにも、誰もが今まで使っていた言葉では表現できない世界にブチ当たってしまい、みな説得力を持った発言ができないまま終わってしまった。
 手塚治虫なら、あれほど雄弁に語り合えた人たちなのに…。 
 夏目房之介も、いしかわじゅんも、みな鋭い感覚を持った論客たちだが、彼らをしても、今の10代~20代の女の子や男の子が愛するマンガを語る言葉を、もう持てないのだ。
 
 それは、夏目氏やいしかわ氏が少年だった頃に見たマンガよりも劣っているからか? 
 
 私ははじめて見た絵だったけれど、繊細で、上品で、とても優美な線で描かれたマンガだった。
 夏目氏たちも、それは認めた。
 
 しかし、そのマンガの持つ現代的な “意味空間” を捉える方法論が、今までのマンガのものとは異なっていることに、彼らが戸惑いを感じているという言い方が正しい。
 
 現役世代として、 『青い花』 を愛読している喜屋武ちあき、村井美樹といったゲストが、 「当たり前のマンガなのに…」 という当たり前さが、団塊世代ぐらいの感性では、捉えきれない。
 
 団塊世代は、 「前衛」 とか 「アバンギャルド」 というものには強いけれど、今の若者世代の意味する 「当たり前」 というものを、どう言語化していいのか分からない。
 そういうことを見ても、もう若者たちの間には、今までとは違う文化とマーケットが生まれていると考えざるを得ない。
 
 クリスマス・イブとは関係ない話になってしまった。
 続きは、またいつか…。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

クリスマスデート への2件のコメント

  1. そら より:

    夏目氏もいしかわ氏も岡田氏も、カルチャーとは「私」とか「自己」とか「自我」というようなものの表出だというスローガンを持ってしまっており、それが彼らの「強み=才能」であり、私なんかからすると「いけ好かない」ところだと思っていました。わかったようなことをいっても、「感性」を語っているように見えても、おまえらだってただの「オヤジ」じゃないか、と思っていました。
    それに対して今の若者は、そういう「私」というバックグラウンドを持つことから逸脱してしまっている。拒否している、と言い換えてもよい。
    彼らは、「私」なんか問うていない。「人間」を問うている。そういうタッチは、「私」ばかり問うて生きてきたあの連中にはわからない。
    これからはもう、「私」を問う時代じゃない、「人間」を問う時代なのだ、ということでしょうか。
    他者や世界に対する「幻滅」と「ときめき」、それがセットになって「人間」という概念になっている。
    自己完結した「私」として異性に恋をしてゆくか。
    自己完結できない存在として、同性とセットになって「人間」という存在になろうとしてゆくのか。
    彼らの「喪失感」は、あの三氏にはわからない。
    「私の失われた半身」というテーマは、人間が人間になったときからのテーマです。四足歩行の生き物が二本の足で立ち上がるとは、そういうことなのです。それを異性に求めるか同性に求めるかは、もうどうでもよい。
    あの三氏は、いい気になって「私」やら「自己」やら「自我」などというものを追いかけてきたが、今の若者は、もうそんなものはどうでもよいと思い始めている。大げさに言えば「無私」というスタンスに立とうとしている。
    「無私」とは、無意識のうちに「人間とは何か」と問うている心の動きのことだと思います。「私とは何か」などという「近代」かぶれしたスケベ根性とはわけが違う。
    彼らの「幻滅」と「ときめき」と「喪失感」は、あいつらにはわからない。
    自分なんか追いかけても何も解決しないということを、彼らは幼くして知ってしまった。
    彼らは、幼くして大人に幻滅してしまった世代です。
    旧態依然として「私」を追いかけている鈍感な若者も、まだまだそりゃあたくさんいるのかもしれないが。

  2. 町田 より:

    >そらさん、ようこそ。
    なかなか示唆的なコメントありがとうございます。
    そらさんのおっしゃる >「これからは 『私』 を問う時代ではなく 『人間』 を問う時代である」 というのは、まさにそのとおりですね。
    ただ、私は、これからは、それは結局同じことになっていくような気もします。いずれにせよ、今までの思考法における 「私を問う」 ことは早晩通用しなくなり、いずれは 「人間を問う」 ことに収斂していきそうに思えるからです。
    そらさんのおっしゃるように、今の20代の若者は、すでに、それを 「問い」 という形で思索するのではなく、すでにその中に 「生きている」 ように思います。
    私は、夏目氏もいしかわ氏も敬愛しています。彼らが別に 「分からなくても」 いいのです。彼らは、彼らのスタイルで答えを出せばいいのだと思っています。
    その答えに共感できるかどうかは、今度は私の問題ですから。
    いずれにせよ、今の20代からさらにその下の世代あたりが呼吸している 「空気」 が日本の空気になっていくのは目に見えています。
    それを呼吸できるのは、そらさんがいみじくも指摘されたとおり、旧来の 「私を問う」 思考法から解放された人々でしょう。そしてそれは、世代の違いだけではないでしょうね。
     

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">