高校時代

 高校時代の同窓会を開くという通知をもらった。
 元来、 「学校」 に対する帰属意識というものが薄い人間だったので、今までも同窓会への誘いをもらっていたのかもしれないが、返事を出したという記憶がない。
 当然、出席もしなかった。
 だから、 (クラス会というのには参加したことがあるが) 同窓会というのは、今回はじめての出席となる。
 
 「出席する」 と返事を出すと、けっこう楽しみでもある。
 同窓会に冷淡であったというのは、ひとつには、あまり同期の友だちというものがいなかったせいもあるかもしれない。
 新聞部というものに入っていたので、どちらかというと、先輩たちとの付き合いの方が多かった。
 最初は、バスケットボール部に入っていたけれど、ついにレギュラーになれず、こっちは2年生になって辞めた。
 レギュラーになれない理由を自分の背の低さにして納得していたが、なんのことはない。
 ただ、ヘタだっただけだ。 

 新聞部の方は面白かった。
 その部室が、なぜか同じ学園の大学構内にあったので、放課後などは、高校の校舎から離れた大学のキャンパスに出入りしていた。
 
大学のキャンパスへ向かう小道
▲ 大学のキャンパスへ向かう小道
 
 部の先輩たちは、さらにその先輩である大学生たちの付き合いもあったので、部室には大学生たちも出入りする。
 
 彼らは、部室で煙草も吸い、時には酒も飲んだ。
 高校生であったわれわれも、一緒になって、そのような “悪習 (?) ” に付き合った。
 高校の校舎から離れていたので、 “治外法権” だったのである。
 「夜は水炊きをやろうぜ」
 と、大学生の先輩たちがいうと、高校生のわれわれは食材の買出しをやらされ、ストーブにマキをくべてから、鍋の中に鳥やらネギを入れて、先輩たちに振舞わねばならなかった。
 
 代わりに、酒を飲まされ、哲学とか、文学の話に付き合わされた。
 そこには、ある意味の、旧制高校風の “バンカラ” の精神風土が残っていたように思う。
 どんな話でも周りに合わせる軽い性格だったので、先輩たちの語る哲学とか文学の話に、分からないまでも歩調を合わせていたら、大学生の先輩から、 「オマエはずいぶん都会的な軽薄さを持ったヤツだな」 とあきれられた。
 
 都会的な軽薄さ。
 自分のキャラクターというのが、そういうものであったことを、そのときはじめて知った。
 深みも何もないくせに、つじつま合わせだけは上手。
 たぶん、その先輩のいわんとしたことは、そういうことだったと思うのだけれど、その目が優しく笑っていたから、可愛がられたものと勝手に解釈していた。
 諸事、自分に都合よく解釈するという “調子のいい” 性癖は、いまだに変っていない。

 新聞部の部室の隣りに、演劇部の部室もあった。
 自然と、演劇をやっていた先輩たちとも付き合うようになった。
 不条理劇とか、アンチテアトルとかいう演劇の全盛期で、彼らはイヨネスコとかベケットを語っていた。
 よくは分からないまま聞いていると、 「おまえ、役者をやれ」 と突然言われて、寺山修二の書いた脚本を渡された。
 
 ええ? … と一瞬尻込みしながらも引き受けたのは、台本にキスシーンがあったからだ。
 しかも、そのときのキスする相手役が、密かに憧れていた1年年上の女性の先輩だった。
 ほとんど、それだけを目的に出演を承諾したが、さすがに高校生演劇でキスシーンはまずかろうという演出を務める先輩の配慮で、キスシーンは削られた。 
 
 学園祭で舞台に立つことになったが、その演劇の出来栄えがどんなものであったのか、自分ではよく分からない。
 誉めてくれた人たちもいたが、しょせん、演劇的な訓練も受けたことのないド素人の演技。
 たいした舞台を務めたようにはとても思えない。

 新聞部の部活は、先輩たちが抜けていくと、その紙面づくりを自分でやらねばならなくなった。
 時代が音を立てて変っていくような時代だった。
 大学では、学園紛争の兆しが見えてきた。
 紙面づくりにも、そういう時代に 「高校生は何を発言しなければならないか」 という問題意識が要求されるようになった。
 「都会的な軽薄さ」 では乗り切れない時代になっていた。
 
 政治意識の高さや思想的な先鋭さを打ち出すような後輩なども入ってきて、編集会議が、政治や思想を議論する場になった。
 「主体的な意見」 というものを持たない自分は、やりこめられるだけで、彼らを統率するなどということもできなかった。
 しかし、議論そのものは自分にとっては新鮮で、 「世界」 に対する見方が一気に広がったような気分になった。
 
 一方、大学構内にあった部室から高校の校舎の方に戻ると、別世界が待っていた。
 こっちは、学園紛争的な気分とはまったく無縁の洗練された都会のお坊ちゃんたちが、文字通り “青春を謳歌”  していた。
 新聞部の部室で交わす泥臭い議論の雰囲気も好きだったが、彼らのスマートな暮し方にも憧れた。
 
 学園祭で、学らん着たままリズム&ブルースを演じるバンドがいて、その演奏のレベルの高さにびっくりした。
 聞くと、セミプロとして、盛り場のディスコで人気を誇るバンドのひとつだとのこと。
 高校生で、そういう場を持っている連中がいたということに対して、素直に驚いた。
 それを見て、新聞部や演劇もいいけれど、バンドもやりたくなった。
 聞く音楽と同時に、やる (演奏する) 音楽というのもあるということが射程に入ってきたのだ。
 
 ちょうど、音楽も新しい時代に入ろうとしていた。
 バスケット部は辞めていたけれど、ある日、久しぶりに部室に遊びに行ったら、ひとつ年上の先輩が歌を口ずさみながら、ボールを磨いていた。
 「グッタイ、バッタイ…」 
 モソモソッとした歌が、汗臭い午後の部室に漂っていた。
 「先輩、何の歌ですか?」
 と尋ねると、
 「ああ…、アメリカで聞いたんだ」
 そっけない返事だった。
 1年アメリカに留学していた人だった。
 
 あとから分かったことだが、彼が歌っていたのは、レッド・ツェッペリンの 「 Good Times Bad Times 」 だった。
  
 ツェッペリンの存在が日本で知られるようになったのは、その1年後ぐらいだったから、アメリカ帰りはすげぇな … と、後になって、素直に感心した。
 クリームとか、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズなどというグループの曲がラジオから流れ出したのも、その頃からだった。
 
 そういう音を聞きながら、家にいるときは、机を割り箸で叩いて、ドラムスの練習を始めた。
 しかし、さすがに、うまいバンドの存在を知ってしまったので、ついに高校時代は、自分でバンドを組むことはなかった。
 
 いくつかの淡い恋もしたけれど、すべて “片思い未満” で、ひとつも実らなかった。
 モテない男同士と付き合っていた方が気楽だったので、放課後は、そんな連中とツルんで、地下室のある喫茶店にもぐりこんで、煙草を吸いながら、ラジオの深夜放送の話などをよくした。
 
 週末はナンパするために、仲間と盛り場のディスコに繰り出していたけれど、みな声をかけてもその場かぎりで、結局、帰りにみんなでラーメンを食ってお開きになった。
 
 今から思うと、高校時代というのは、自分でも何をやりたかったのか、皆目見当もつかない状態だった。
 すべて中途半端なまま、コロコロ気が変わって、何をやっても、あまり楽しくなかったような気もする。
 そんな高校時代の同窓会にはじめて出席する。
 はて、どんな話題になるのやら。
 
 

カテゴリー: ヨタ話   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">