マリー・アントワネット (ロココの精神 2)

 
 日本公開からほぼ2年経って、ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』を観た。
 美しい映画だった。
 良い意味で、予想を裏切られたといってもいいかもしれない。
 
マリーアントワネット003
 
 「女性監督が描く、女性好みの映像」という評判を聞いていたから、豪華絢爛なドレスや、食欲をそそるスウィーツの映像がふんだんに出てくるファンシーで、ファンタスティックな映画かと思っていたら、 「華やかであることは哀しいことである」という哲学を貫いた映画だった。
 なにしろ、実際のヴェルサイユ宮殿を思う存分使った映画なのである。
 美しくないわけがない。
 
マリーアントワネット002
 
 あの宮殿を写真などで見た人は分かるだろうが、あれほどゴージャスで、壮麗で、ひとつの “小宇宙” とでもいうべき秩序感を持った宮殿というのは、ほかにはない。
 まさに、それ自体が巨大なアートである。
 そういう建築物を、それ以降、人類は作り出していないように思える。
 特にあの庭園は、人間の「想像力」との戦いの場といっていい。
 
ベルサイユ003
 
 いったい人間というのは、どれだけ「豪華さ」とか「壮麗さ」というものをイメージできるのだろうか。
 あの庭園の造形には、そういった人間の想像力に挑むような設計者と建築家の不敵な挑戦が見え隠れする。
 それは、まさに「神の庭」に近づこうとする意志とでもいうべきものかもしれない。 
 並木に両側を囲まれた池が、はるか地平線の向こうまで続くような視覚的効果。
 積み木細工のように均等に刈り込まれた植栽群が連なる幾何学模様。
 
ベルサイユ006
 
 それは、 「庭園」などというシロモノではなく、長いこと「文明」と対立関係にあった「自然」をついに征服したという無邪気な人間賛歌が漂う「数学的空間」でもある。
 そこには、デカルト的な明晰さというものが、はっきりと映像的に表現されている。
 
 だから、哀しいのだ。
 そのような「明晰な合理的空間」というものは、いわば “神の英知” のみが維持できる空間であり、人間にとっては、やがてはそこから追放される「エデンの園」であるからだ。
 
 マリー・アントワネットとその夫であるルイ16世の悲劇というのは、そのような神の空間に間違ってさまよいこんでしまった人間の悲劇でもある。
 錠前を作ることと狩猟だけが唯一の趣味というルイ16世は、国王でありながら、国を統治するという意志も能力も持ち合わせてはいなかった。
 異国から嫁いできたマリー・アントワネットは、夜毎のパーティにうつつを抜かす以外に、フランス宮廷に溶け込む術 (すべ) を持たなかった。
 
マリーアントワネット001
 
 家柄と美貌だけが、人間の「価値」として認められる貴族のパーティでは、機知と反射神経に優れた者が人気者となる。
 
 当意即妙のユーモア。
 鋭敏な反射神経に支えられた軽妙なしぐさ。
 徹底的に軽薄であることが、とてつもなく洗練されたものになるという逆説。
 
 そこで繰り広げられるパーティの世界は、さながら今の日本のバラエティ番組のようだ。
 誰もが徹底的に表層的であることが望まれ、悩みや憂いは野暮なものとして退けられ、さげすまれる。
 山海の珍味と、奇想を凝らしたスウィーツを皿に盛った食事を食べることも「ゲーム」であるならば、世界の美術品に囲まれた部屋で暮らすことも「ゲーム」。
 恋愛も「ゲーム」。
 オールゲームの中に、人間としての気概も矜持も、砂糖菓子のように溶けていく。
  
マリーアントワネット004
 
 そのような暮らしを続けてきたマリー・アントワネットとルイ16世は、民衆が蜂起してヴェルサイユ宮殿に迫って来ているというのに、それが「危機」であることを察知する感受性すら持たなかった。
 彼らはついに民衆に拉致され、人民裁判の行われるパリに馬車で移送される。
 
ベルサイユ004
 
 ヴェルサイユ宮殿を立ち去る二人の前に、朝日が昇る。
 壮麗な「神の庭」が、朝焼けの中に浮かび上がる。
 それを、馬車の窓から眺めるアントワネット。
 
 「並木を見ているのかい?」
 ルイ16世が、妻に優しく微笑みかける。
 
 「お別れを言っているの」
 とアントワネットは答え、夫に笑みを返す。
 もちろん、その後に、二人の首がギロチンによって切り落とされるという悲劇が待っている。
 しかし、その宿命すら、彼らにそれを想像する力があったかどうか。
 
ベルサイユ001
 
 ヴェルサイユの庭を立ち去る二人が何を意味しているのか、いうまでもないだろう。
 「エデンの園」を追われるアダムとイブなのだ。
 
 彼らは罪を犯したのか?
 そうだとしたら、それは楽園の中で、あまりにも無邪気に生きてしまったという「罪」に過ぎない。
 そう思うと、ここには「人間の悲劇」の原型があるといわねばなるまい。
  
 
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