シャバンヌ 「貧しき漁師」

貧しき漁師001
 
 昔、シャバンヌの『貧しき漁師』という絵を見て、とてつもなく感銘を受けたことがあった。
 見たのはもちろん実物ではなく、美術書に掲載されたカラーグラビアでもなく、市販の日記帳の片隅に印刷された小さなモノクロ写真にすぎなかった。
 なのに、この絵に漂っているいい知れぬ寂寥(せきりょう)感が、じわりと私の心をつかんだ。
 
 中学生時代 …… たぶん14~15歳ぐらいの頃だったと思う。
 その頃から備忘録として付け始めた日記帳の片隅に、いつも詩人や評論家の書いた短いエッセイや、ポエムや、美術解説などが寄せられていた。 
 ある日、日記を書こうと思って開いたページに、このシャバンヌの絵が載っていたのだ。
 その絵から溢れてくる「暗く沈んださびしさ」と「物憂い静けさ」に、なぜか私は目をそらすことができなかった。
 結局、しばらくの間日記を書くのも忘れ、その小さなモノクロの絵を眺めていたと思う。
 
 この絵の何が思春期の自分を惹きつけたのか分からない。
 「日記を書く」という自分の内面と向き合う作業を強いられる行為の中で、ちょっとだけ、内向きのテンションが高まったせいかもしれない。
 
 そのときまでの自分は、「さびしさ」とか「静けさ」を、実生活以外に体験することがなかった。
 しかし、『貧しき漁師』の絵から溢れ出てくる「さびしさ」は、実生活で感じる「さびしさ」よりも、さらに遠い世界から来るものような気がした。
 その「遠い世界」を知らない自分は、そこから吹いてくる「さびしさ」には強く感応したけれど、それが何であるかを語る言葉も持たなかった。
 
 簡単にいえば、私の表現力が未熟であったということでしかない。
 しかし、だからこそ、 「見えた世界」があったのだ。
 今このシャバンヌの『貧しき漁師』をネット情報から拾って、画面に拡大して眺めてみても、もう当時の私を襲った感動はよみがえらない。
 
貧しき漁師001
 
 いい加減に齢(よわい)を重ね、 「ものを書く」ための言葉も少しは習得した私は、この絵を分析的に解説する言葉に困ることはないが、中学生時代に感じた「言葉に表現できない感銘」をもう取り返せない。
 
 なぜだろう。
 
 それは、
 「思春期のみずみずしい感性が、大人になると枯れる」
 というような説明だけでは収拾がつかないもののように思える。
 
 たぶん、「言葉にできない感動」というものは、「言葉にする技術」を持ったときに失われてしまうのだ。
 
 今の私なら、この絵をテーマに何かモノを書こうと思ったときは、小舟に乗る手前の夫よりも、背後の岸辺で花を摘む母子の方に注目することだろう。
 そして、一見、明るく無邪気に振る舞う母子と、憂いと哀しみに満たされた父である漁師の対比において、この絵のドラマツルギー(作劇法)を論じるだろう。
 そこに家族の「心理ドラマ」を読み込むかもしれないし、そのような家族の絆を超えた「人間の絶対的な孤独」という “哲学” を語るかもしれない。
 
 しかし、そのような分析をいかに重ねようが、中学生の私が感じたあの「暗いさびしさ」と「物憂い静けさ」の正体に迫ることはないだろう。
 
 それは言葉になる前にしか生まれない「感情」だからだ。
 「言葉」として成立してしまえば、他者へ伝達することは可能となるが、その人間が固有に感じていた「感情」はもう保存することができない。
 
 言葉をたくさん覚えるに従って、抽象的な思惟は緻密になるが、固有性を強くとどめた感情の質は鈍化していく。
 「感受性がみずみずしさを失う」とは、そういうことなのだ。
 
 

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シャバンヌ 「貧しき漁師」 への2件のコメント

  1. 晋太郎 より:

     考える技術書く技術は言葉に依るところですよね。 湧き上がる感情を顧みるのも本人が持ち得る言葉で行う作業ですから、なるほど『あのいいしれぬ気持ちを失った』のは語彙をえたからまたは、背景を読みとる経験と技術が増したからかもしれません。
     そのいいしれぬ感情が記憶にあることは素晴らしい財産でもあると思いますが、私も何十年ぶりにふれてみた小説映画音楽に当時の思い入れを無くしていた自分に多少の驚きを覚えたことを、町田さんの記事で思い出した次第であります。
     申し遅れましたが、私晋太郎と申しまして、自分のWebページを持たぬ風来坊です。 まだリーゼントだった時代のビートルズが、炎のような模様のついたブーツを履いている画像を探していて、たまたま町田さんの記事に巡りあい、面白く拝見させて戴きました。 今後とも宜しくお願い致します。

  2. 町田 より:

    >晋太郎さん、初めまして。ようこそお出でくださいました。
    ビートルズの記事からお越しいただいたとのこと。私もまたビートルズが好きなものですから、今後、彼らの共通の話題をめぐっても、コメントのやりとりなどさせていただければ幸いです。
    おっしゃるように、昔読んだ本や観た映画、聴いた音楽などに「いいしれぬ感情」を持った記憶というのは財産ですね。
    ただ、その当時感激したものに、今再び接しても、当時の感動が蘇らないということは往々にしてあることです。
    それは、「モノを書く技術」の習得が関係しているのかもしれませんし、時代によって感覚がズレてしまうというようなことも関係しているのかもしれません。
    ただ、言えることは、若かった頃に感動したものを、年取ってから獲得した 「言語」 でもう一度たどってみるということは有効なのかもしれません。
    返信が遅くなりましたが、今後ともよろしくお願いもうしあげます。
    ※ なお、サーバーの容量のせいなのか、記事やコメントがアップされるまで、すごく時間がかかるようになっています。その間に「投稿する」ボタンを何度か押すと、それが二重投稿になってしまうようです。
    ご迷惑をおかけして、こちらこそ申し訳ございませんでした。
     

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