最も新しい言葉が、真っ先に死んでいく

 
 ある批評家および思想家が、その時代を、どれだけ的確に鋭く解析しているかどうかは、その時代の渦中にいるときは分からない。
 その人が書いたものが、同時代を生きた読者にいかに感銘を与えようが、時間が流れてしまうと、案外マト外れであったり、あっという間に古色蒼然としたものになっていたということは、よくあることだ。
 批評家・思想家の時代の捉え方が正しかったかどうかは、20~30年ぐらい経って読み返してみたときにはっきり見える。
 
 確実にいえることは、その時代を的確に表現しているような「言葉」から、まず真っ先に古びていくということだ。
 中沢新一の『雪片曲線論』(1985年刊)という書籍を、久しぶりにひも解いてみて、そう思った。
 
雪片曲線論表紙
 
 この本は、彼の衝撃的なデビューを飾った『チベットのモーツァルト』の続編として書かれたものである。
 20年ほど前、この本を読んで、そのめくるめくような言葉使いに、まず私は幻惑された。
 たとえば、空海の密教思想を、(当時の)現代思想用語で解き明かしていくその鮮やかな叙述。
 空海が手掛けた土木工事を、流体力学の言葉で語り、マンダラをフラクタル幾何学の用語で解説する手口。
 意味を十分に把握したわけでもないのに、次から次へと意表を突く用語法に、私は圧倒され、シャワーを浴びるような快感を味わった。
 
 彼のこの著作を20年ぶりに書棚から取り出したのは、初代ゴジラの DVD を観た感想(10月7日「ゴジラの降臨」)を書こうと思ったときの “あんちょこ” として使うつもりでいたからだ。
 『雪片曲線論』の中でも、特に印象に残ったのが、ゴジラ論である『ゴジラの来迎 (らいごう)』であり、私がブログタイトルとして使った『ゴジラの降臨(こうりん)』という言葉も、実は、中沢新一の『ゴジラの来迎』の盗用でしかない。
 
ゴジラ001
 
 彼は、『雪片曲線論』の中で、ゴジラを「天使」あるいは「聖獣」という比喩で飾り、ゴジラが東京を襲撃するときの表現は、「襲来」ではなく、神や仏が地に訪れる「来迎」であると書いていた。
 その印象が強く残っていたために、初代ゴジラの DVD を観た私の感想も、実はそこからインスパイアされたものであったことは、正直に告白しておく。
 
 だから、ゴジラ映画の感想文を書こうと思ったとき、どうしても昔印象に残った『ゴジラの来迎』をしっかりと思い出すために、読みかえさざるを得なかったのだ。
 
 しかし、あまり得るものがなかった。
 テーマそのものは、ゴジラという存在を、あらゆるものを破壊しつつ再建していく資本主義のメタファー(比喩)と捉えるユニークなものであったが、その言葉使いが、もう古色蒼然としたものであった。
 
 …… 「 (ゴジラが大衆の大脳の古皮質をいたく刺激したのは)巨大爬虫類が、怪物や畸形やアノマリーを求めて遊走していこうと身がまえている人間の『スキゾ的想像力』に科学によるリアリティを与えた点にある」 ……
 とか、
 …… 「ゴジラは、けっして社会とか文化とか秩序とかいうものにたどりつくことのない、たえざる逃走の運動線をしめしている。そのため、ゴジラによる東京の大破壊はニューヨークにおけるキング・コングのひと暴れとはまったく異なる黙示録的な荘厳さ、暗さを備えている。
 キング・コングの物語には、攪乱分子を取り込みながら、たえず『ツリー状』の都市の想像的秩序を更新していこうとする、古典的都市論が反映されている」 ……
 
 このような叙述スタイルは、80年代当時には先端を行く表現であった。
 しかし、今読むと、「スキゾ的想像力」とか、「ツリー状」、「逃走の運動線」などという言葉の古めかしさが、読む者に気恥ずかしさを呼び起す。
 仮に、テーマそのものが今でも十分に有効なものであったにせよ、それを支える文体が古いということは、テーマの価値すら死滅させてしまう。 
 
 そのことを強く感じたのは、これもまたちょっと前に偶然に読み返した柄谷行人の『意味という病』に収録されていた諸作品が、30年以上経っているというのに、少しも古びた感じを抱かせなかったからだ。
 のみならず、そこで展開されているテーマの切り口が、現在流布しているあらゆる思想的言説よりも鮮烈であった。
 このあまりにも違う二人の思想家のスタンスに、いささか呆然となった。
 
 その時代を表現する最も新しい言葉が、真っ先に、死んでいく。
 それは、すべての書き物の究極の真理であるようだ。
 
 書物の新しさとは、新しい言葉を使うところから生まれるのではない。
 誰もが使い古して、見向きもしなくなったような言葉に、新しい意味を発見するところから生まれる。
 古典と呼ばれる文学が生き残っている秘密は、そこにあるのかもしれない。
 
 
 参考記事 「ゴジラの降臨」
 

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最も新しい言葉が、真っ先に死んでいく への2件のコメント

  1. Yama より:

    「その時代を表現する最も新しい言葉が、真っ先に、死んでいく。」
    拍手。町田さん名言ですね。すばらしい視点だと思います。
    時代の流行的な言葉をちりばめて、表層的にあげつらう物言いは、いずれすたれるということなんでしょうね。
    今なら、IT用語を多用する言い方、やたらにエコや、環境を御旗にかざした論説でしょうか。
    渦中にいると、幻惑され、だまされてしまいますね。それを、防ぐためにもいい警告だと思います。
    既存のマスコミからは、こういう警告は出てこない。彼ら自身が流行の言辞をあやつって、メシを食っているから。
    いやあ、ありがとうございました。

  2. 町田 より:

    >Yama さん、ようこそ。
    ご賛同いただき、ありがとうございます。
    “流行り言葉” というのは、それだけで話題性がありますし、なにより情報伝達力が強い。
    だから、それを使えば、メディアの方々は、相当数の概念定義を “はしょる” ことが可能になり、情報量のスリム化を図ることができます。
    私も、“流行り言葉” のローコスト性というものには気づいているつもりです。
    ただ、Yamaさんが明察されたように、イメージ喚起力が強いだけに、結果的に人を 「幻惑したり、騙したり」 することも十分起こりえます。批評対象に対する簡単な 「レッテル張り」 が可能になるわけですから。
    私も 「時代を表現する新しい言葉」 を多用しがちなんですけど、それはその言葉の賞味期限が切れたら、もう情報全体の価値もなくなるという覚悟がないと使えないことに気づきました。
    やはり、自分が一生かけてもかまわないと思えるテーマを意識したときは、やはりその時代の先端の表現は使えないということなんでしょうね。そんなふうに感じています。
     

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