旅で聞く音楽 (コブクロとスガシカオ)

 
 旅をしていると、今まで気づかなかった世界が見えてくる。
 今回、九州まで、延々と高速道路を走る旅を続けるなかで、そう感じた。
 
 別にたいしたことを言うつもりではない。
 ただの音楽の話だ。
 
高速道路風景001
 
 ドライブをしているときは、いつも音楽を聞いているけれど、聞いているのは、だいたいその音楽のメロディとかサウンドでしかない。
 そういうお気に入りのメロディとかサウンドだけを集めたドライブミュージックの専用ソースみたいなものを用意して、昼とか夜とか、高原とか海とかのシチュエーションによって、使い分けて聞いている。
 
 今回は長旅だったので、様々な洋楽と同時に、Jポップばかり集めた音楽ソースも聞いてみた。
 Jポップの歌詞には、今までそれほど注目していなかったのだけれど、注意して聞いて見ると、いやぁ、いろいろな世界が見えてきた。
 
 自分には、コブクロのような音楽はやっぱりダメだ。
 サウンド的に面白いと思って収録したものもあるけれど、歌詞の世界についていけない。
 
コブクロ01
 
 たとえば、彼らのデビューヒットともなった 「桜」 。
 ベタすぎるんだよね、使われている言葉が…
 「強く清らかな悲しみは…」
 とかいう歌詞が出てきたときに、もうダメだと思った。
 
 これは詩の鉄則だけど、 「悲しみ」 などというベタな言葉を使わずに 「悲しみ」 を表現するのが、表現者の意地だと思うのだ。
 
 前段にはこういう歌詞もある。
 「冬の寒さに打ちひしがれないように…」
 
 「冬の寒さ」 を、なんのためらいもなく 「打ちひしがれる」 と等記号で結んでしまう安易さ。
 「冬の寒さ」 に、むしろ春の 「物憂さ」 とか、夏の 「けだるさ」 を見出してこそ 「歌詞」 なのに、コブクロのファンには申し訳ないけれど、あまりにも芸がなさすぎると思う。
 
 『start Line』 という曲がある。
 いいメロディラインを持っていたので、今までは歌詞に耳を傾けることなく聞き流していたけれど、歌の内容をじっくり聞いたら、この曲にも引っかかった。
 
 「誰もがいつか本当の自分にだとり着くための、向こう側にある光を見つめて…」
 という歌詞が出てくる。
 
 “本当の自分” というものがあるという発想が安易だ。
 それは自意識の魔法にすぎず、それを探し始めたら、ラッキョウの皮をむくように、最後は何もなくなってしまう。 
 
 “本当の自分” があるというのは、半端な哲学が陥るときのワナなのだ。
 もちろん、それがなかなか見えないという “自分探し” の歌になっているんだけど、きれいな言葉が続くだけで、自分というものを真剣に考えたとき襲ってくる目がクラクラするような 「畏れ (おそれ) 」 がここにはない。
 
 コブクロには申し訳ないような批判めいた言葉が続いたけれど、そういうことを考えたきっかけは、同じ音楽ソースにスガシカオの曲が入っていたからだ。
 
 スガシカオは、歌詞を作ることをもっと大事に考えている。
▼ スガシカオ 『夏祭り』 (YOU TUBE)  

http://www.youtube.com/watch?v=SB-7Bub51cc

 
 たとえば 『夏祭り』 という歌。
 それはこういう歌詞だ。
 
 「夕方まで寝てしまって、だるい体を起こした。
 すぐ近くまで忍び寄っている、浅い夜の匂い。
 遠くの方でにぎやかなざわめきが聞こえてくる。
 部屋の明かりは付けずに、窓の外を覗いてみた。
 今日ぼくの町では、お祭りの最終日で、町中が浮かれていたらしい」
 
 コブクロに比べると、なんとも散文的な味気ない感じがする歌詞だ。
 人に、 「勇気」 や 「感動」 を与える言葉もなければ、胸が切なくなるような 「恋愛」 のときめきもない。
 しかし、この歌詞は聞き終わった後でも、妙に印象に残る。
 まず情景がしっかり描きこまれ、しかもその情景に接している “主人公” の心の軌跡が、実にクリアに浮かび上がってくる。
 
 まず、
 「夕方まで寝てしまって、だるい体を起こした」
 というフレーズから、1日を無駄にしてしまった人間のやるせなさが伝わってくるし、無為な日々を送っていそうな主人公の哀しみのようなものが浮かび上がってくる。
 
 ここには 「悲しい」 ことを 「悲しい」 とベタに歌ってしまうコブクロより、はるかに奥行きの深い表現が試みられている。
 
 「今日ぼくの町では、お祭りの最終日で…」
 という歌詞も、何気ないようでいて、凄い。
 
 「お祭り」 という言葉と 「最終日」 という言葉が組み合わされることによって、見事に “宴のあとの寂しさ” が伝わってくる。
 ここには、 「華やかなものが終わる」 という喪失感と、そこからに置き去りにされた人間の孤独感が、素っ気ない言葉の中に集約されている。
 
スガシカオ01
 
 二番の歌詞には、こういう情景が語られる。
 
 「境内に続く道に、夜店の灯りが見える。
 昔、父さんの手をひっぱって、あの道を歩いた」
 
 これだけで、もう現在の主人公が 「過去の幸せ」 から遠いところにいることが見えてくる。
 そして、そういう 「幸せ」 の中にいた過去の自分と、現在の自分を隔てる “距離感” のようなものが伝わってくる。
 
 コブクロは、寂しい、悲しいという 「観念」 を歌っているが、スガシカオは、そういう事態に直面した 「人間」 を歌っている。
 コブクロよりも、スガシカオの方が 「えらい」 などと言っているのではない。
 スガシカオは、Jポップにおける 「詞」 の意味というものを自覚しており、それを意識的に追求している、ということを言っているにすぎない。
 
 しかし、そのために、同じようなJポップのスターでありながら、すでにその作った歌詞から伝わる深みには雲泥の差がついている。
 そんなことに気づくのが、旅の面白さだと思う。
 
 家の中で聞く音楽は、家の持つ 「日常性」 に絡めとられてしまうので、とても、そこまで気づく余裕がない。
 しかし、旅の途中に聞く音楽は、その 「日常性」 から解放されるために、普段と違った 「世界」 が顔を覗かせることがある。
 そんなことを漠然と考えながら音楽を聞いていると、たとえ同じ景色が延々と続く高速道路の旅でも、豊かな旅になりそうな気がする。
 
 
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