堺雅人の笑い

 
 堺雅人という役者の 「笑い」 が気になっている (…いい意味でね) 。
 誰もがそう思うらしい。
 堺雅人の人気は、彼がどんな役をこなそうが、常に不思議な微笑み (ほほえみ) を漂わせているところから来ている。
 そういう感想を持つ人はけっこう多い。
 
堺雅人01
 
 彼が俳優として大ブレイクしたのは、NHK の大河ドラマ 『新選組』 (2004年) で山南敬助役を演じてからだ。
 武闘派ばかりが集まる新選組隊士のなかで、彼が演じる山南は、諸事に明るいインテリの役だった。
 自分が窮地に追いつめられても、山南の頬には、常に天から降りてきたような謎の微笑みが絶えることがなかった。
 その笑いは、他者への慈愛から来るようにも思えたし、愚か者への侮蔑のようにも取れたし、自分に対する自嘲のようにも見えた。
 
堺雅人=山南敬助01
 
 ある人に言わせると、彼の笑いは、 「古拙期のギリシャ彫刻の微笑」 、 「モナリザの微笑」 と並ぶ 「世界の 3大不思議微笑」 の一つなんだそうだ。
 しかし、どうやら彼は、その 「笑い」 を、ひとつの表現領域にまで高めることに、かなり自覚的であるようなのだ。
 
 Wiki を読むと、ドラマ 『新選組』 の中で浮かべた山南の笑いは、最初は近藤勇や土方歳三らを見下す笑顔であったのだが、次第に見守るような笑顔に変わっていった … と本人が述べているという。
 この話からも、彼が 「笑い方」 をひとつの表現方法として確立することに真面目に取り組んでいる様子が伝わってくる。
 このような意識は、彼が 「言葉」 で表現する演劇に、どこか “あやふやさ” を感じる性格の俳優だったからかもしれない。
 
文・堺雅人
 
 彼が最近書いた 『文・堺雅人』 という本を読むと、面白いことが分かる。
 彼は、宮崎県の進学校から早稲田大学に入った。
 入学してから 「演劇研究会」 に入ったため、宮崎県の学生が集まる寮で暮らしていても、ほとんどの寮生と口を利かなかったという。
 それは、 「役者」 として標準アクセントを学びたかったからで、宮崎の寮生ばかりに囲まれていると、宮崎アクセントが抜けないと判断したかららしい。
 
 しかし、そのことによって、彼は、
 「なまったコトバから解放されるサッパリ感を持つようになったが、そのためにフワフワ感も抱くようになった」
 という。
 
 このフワフワ感というのは、たぶん、彼が演劇を志すことと一緒に訪れたものに違いない。
 彼は親の意向を無視して、演劇で身を立てる決心をするのだが、そのことは同時に自分の足元の不安定さを自覚することにもつながる。
 
 「東京のどこかに自分の居場所をみつけたとしても、そこは故郷のかわりにならないし、かといって宮崎にはもう僕の居場所はない。
 僕のなかには東京コトバでうまくいいあらわせない何かがあるのだが、僕のさびついた宮崎のコトバではもうそれは表現できない」
 
 彼は自著の中でそう語る。
 この述懐は、彼があのちょっと寂しげな 「笑い」 のスタイルを生み出したことをそのまま説明しているように思う。
 彼は、標準語でも、方言でも語れないような、 「心」 の存在というものに気がついたのだ。
 つまり、それは、人間の心には、言葉に表現できない領域があるということの発見でもあった。
 そして、彼は、その領域を浮かび上がらせるために、あの 「微笑」 を創造した。
 
 彼の 「笑い」 は、よく謎めいているいわれるが、彼は別に何かを 「隠そう」 としたわけではない。人間が言葉にしようと思っても言葉にならない 「感情」 を表そうとしたに過ぎない。
 
 昔、深夜テレビで、長澤雅彦監督の 『ココニイルコト』 (2001年) という映画を観たことがある。
 (※ テーマ曲にスガシカオの同名の歌が使われていた)
 
堺雅人ココニイルコト
 
 広告代理店に勤務する男女が、 「友情以上・恋愛未満」 という微妙な関係を続けるという話だった。
 女性社員として真中瞳、男性社員として堺雅人が出演していた。
 
真中瞳01
 
 真中瞳は、過去の傷が癒しきれないために、周りの人間に心を閉ざしている女として登場し、その凍りついた心を、堺雅人が天然ボケ的な明るさによって解凍させていくというストーリーであった。
 それだけなら凡庸な恋愛ドラマの構造に収拾されてしまう話だが、この映画には、最後まで 「説明できない哀しみ」 のようなものが漂っていた。
 
 おそらくどんな観客も、この 「哀しみ」 の正体が分からなかったに違いない。
 それは、その哀しみが、常に心地よい 「脱力感」 とセットになって現れていたからだ。
 堺雅人は、真中瞳のしゃべることに対し、ことごとく、
 「それでエエんとちゃいますか」
 と、無責任な相槌 (あいづち) を打つ。
 
 このヘナヘナと腰が抜けそうな相槌が、あの頼りなさそうな笑い顔といっしょにくり出されてくると、観客はどうしようもない脱力感に襲われながらも、同時に清々しい解放感に包まれてしまう。
 そして、その堺雅人の笑いに、透明な湖の底に沈んでいるような哀しみを見出す。 (彼の悲しみのゆえんは最後に明かされる)
 
堺雅人02
 
 結局、この映画に登場した堺雅人の笑いが妙に忘れられず、それを何度も反芻したくなって、 (全然関係ない) スガシカオの 『ココニイルコト』 という曲の入った CD を買って聞くようになった。
 『ココニイルコト』 は、曲もよかったけれど、もちろん映画もよかった。
 堺雅人が、あの頃から 「微笑」 によって表現できる世界をずっと探していた役者であったことが分かる映画だった。
 
 ▼ スガシカオ 『ココニイルコト』 (この記事の付録です、楽しんでね) 

 

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堺雅人の笑い への4件のコメント

  1. 右京パパ より:

    >町田編集長
    いつも楽しく読ませていただいてます。
    最近では「ジェネラルルージュの凱旋」「官僚たちの夏」でもいい味出してましたよ!!

  2. 町田 より:

    >右京パパさん、ようこそ。
    堺雅人、いい味出していますよね。
    『官僚たちの夏』 は、佐藤浩市にちょっと “昭和の官僚” っぽい暑苦しさを感じましたけれど、堺雅人の現代風の洒脱さが、ドラマ全体に味わいを与えていましたね。
    ユニークな役者さんだと思います。
     

  3. 右京パパ より:

    私はどちらかといえばジェネラルルージュの凱旋を見てから気になりました。あの映画では竹内結子や阿部寛が主役のはずだったのに見てる観客席のみんなが堺雅人ワールドにはまってしまいました。実は年甲斐もなく娘の年に近い貫地谷しほりちゃんの演技が好きで見に行ったのですが、、、、

  4. 町田 より:

    >右京パパさん、またのお越しありがとうございます。
    ごめんなさい…なんですが、実は 『ジェネラルルージュの凱旋』を未見です。しかし、 >「主役の竹内結子や阿部寛を喰ってしまった」 というのは、確かにすごいことですね。竹内さんも阿部さんも今 “ノッている” 「時の役者」 さんたちですものね。
    貫地谷しほりさんと同じ年の娘さんがいらっしゃるということは、右京パパさんは、ほぼ私と同世代ぐらいということでしょうか。
    今後ともよろしくお願い申し上げます。
     

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