桐野夏生 対論集 「発火点」

 

 作家の桐野夏生さんから、新刊書を送っていただいた。
 『対論集 発火点』 (文藝春秋社) だ。
 帯に付いている副題は、 「女性はいま、どこにいるのか」 。
 1999年から2009年までの、さまざまな機会を通して行なわれた作家、学者、映画監督らとの対談が収録されている。

 これにより、読者は、この間の彼女の創作活動の舞台裏を知ることができる。
 登場する人たちは、松浦理英子、皆川博子、林真理子、斎藤環、重松清、小池真理子、柳美里、星野智幸、佐藤優、坂東眞砂子、原武史、西川美和といった、それぞれの分野で、みな特異なフィールドを切り開いてきた人ばかり。

 その方々が、自分たちの専門分野を絡めて語る桐野作品の感想から、読者は、彼女の作品を貫く奥行きの深さを再認識することができる。

 一読した印象としては、男性との対談より、女性同士の対談の方が面白い。
 男たちはどこか身構えている感じがする。
 つまり、桐野夏生という作家の作品世界に対し、自分はこういう 「感想」 を言わなければならない … という答を用意してきている感じがするし、語られるテーマに関しても、言葉一つひとつを取っても、自分が昔から温めているイメージの殻から出ようとしない。
 さすがに佐藤優ぐらいのスケールの大きな人物になってくると、情報量が豊富なために、語る世界も豊穣で面白いけれど、結局は、彼も己 (おのれ) の世界のみを語っていることには代わりがない。

 そのような観念世界があっても、今の男たちはもう女に太刀打ちできないようだ。

桐野夏生氏1

 結局、物書きというのは、常に 「言葉では表せない世界」 を追求しようとする人たちなんだな…ということが、この対論集を読んでいると、よく分かる。
 たとえば、作家、柳美里さんに対して語った桐野さんの次のような言葉は、作家としての圧倒的な覚悟を語っている。

【桐野】 最近思うのは、よく現実が小説を乗り越えたって言うでしょ。そんなの当たり前で、昔からそうなんですよね。たまたま私たちが悲惨な現実を知らなかっただけで、もう昔からとっくに、小説よりひどい現実はたくさんあるわけじゃないですか。
 また、言葉で表せないものはないって言われるけれど、それは傲慢だと思うんです。
 結局、私たちの言葉も、教育などで得た経緯からして、コストのかかった特権階級のものなんですよね。
 だからアフリカやインドといったところの、ものすごく貧しい地域の、言葉にもならない苦しみというものは小説家は書けない。
 だから小説を書くということは、冷たい風がビュービュー吹いているようなところでやっている仕事だと思う」

 この柳美里さんとの会話は、次のようにつながっていく。

【柳】 (作家として) どんな光も届かない完全な闇。自分の姿さえ見えない闇に降りていきたいと思っていらっしゃるんですね? 作家の欲望としては、言葉にできない物や事があるならば、どんな危険が伴おうと、そこに行ってみたいですよね。
【桐野】 闇にまで行き着けば、言葉にならないところまで見据えることができれば、それは作者にとって勝利に近いんじゃないかなと思います。

 このような桐野夏生さんの思いは、小説としての “決まり事” の拒否という形に突き進む。
 彼女が直木賞を受賞した 『柔らかな頬』 は、推理小説の定型パターンを打ち破った新しいサスペンス小説だったが、それが完成するまでには紆余曲折があった。
 彼女は、 『柔らかい頬』 の第一稿を書き上げても、自分で納得できないものを感じていた。
 それは、昔からの読者にはおなじみの女性探偵ミロが活躍するもので、ミロが犯人を確定し、事件を解決するという筋書きで進んでいたのである。

 だが、それは、エンターティメントの “約束の世界” をある程度忠実に守ったもので、彼女が書きたい 「生っぽくて荒々しいもの」 にはたどり着かなかった。

 桐野さんは、そこで思い切って一度中断し、『OUT』 の執筆に切り替える。
 先に手を染められた 『柔らかい頬』 は、 『OUT』 の完成を経て、新しい小説に生まれ変わったのだ。

 「私が書きたいことは事件の解決ではない。謎が解決することは、小説が終わることとは違う」

 彼女は当時のことを思い出して、そう語る。
 だから、彼女は、サスペンス小説でよく使われる 「トラウマ」 とか、ホラー小説によく登場する 「サイコパス」 を描かない。

 「 (トラウマのように) 最初から因果を決めてしまう自己完結のドラマは、それ以上話が広がらないからつまらない。人間というものは、どんなふうに転がっていくかは、事後的にしか分からない。サイコパスも完結性を持ってしまうので、つまらない」

 このような彼女の視線に共感を示すのは、主に同じ女性の作家たちだ。
 物書きは、たえず 「目を磨く」 ことに生命を費やすけれど、その磨き方が、女性と男性では違う。
 男は 「観念」 から目を磨こうとする。
 女は 「質感」 を頼りに、自らの目を磨く。

 作家、小池真理子氏との対談の一節。

【桐野】 (俳優の) ハーベイ・カイテルみたいな人も好き。いい男だよね。
【小池】 私も好き。あの人はすごく色っぽいですよ。いわゆる美男というのとは違うけど、セクシーですよね。
【桐野】 あの体は、肉がしっかりと詰まっている感じがする。決して中がプヨプヨしていない。自分の上に乗ったときの重さみたいなものも感じられる。
【小池】 抱擁したときの質感も。……しかし、こんな話、ふだんあまりしないよね (笑) 。
【桐野】 しませんよ (笑) 。
【小池】 男と女って、お互いの精神性なんて分からないまま関係を始めるわけでしょう? だったら質感の話をしてもいいはず (笑) 。
【桐野】 そうそう。だって、ヨン様に限らず韓流スターがあれだけウケたのも、おばさんたちがまず、無意識だけどいい質感を見つけたからでしょう? 
【小池】 そうそう。言葉にはされていないけどね。だからおばまさたちだって絶対、ヨン様に上に乗られた重みをイメージしている。それは女性にとってとてもノーマルなことだと思う。
【桐野】 確かに。私も時々は男の重みを感じたい (笑) 。
【小池】 私も! (笑)
【桐野】 アハハハハ。

 下世話な話のようでいて、 「質感」 に対するリアルな視線の存在が浮かび上がってくる。
 この小池真理子さんとの対談は、特に面白い。
 気心を通じ合った仲間同士が、馴染みの酒場で意気投合しているといったリラックス感が伝わってくる。

【桐野】 私、情けない男の方が好きだな。余裕がないっていうことも男の魅力の中では大きいね。
【小池】 わかるなー。余裕をなくしている男は、本当に色っぽい。
 逆にいうと自意識が見えちゃうとダメなんだということよね。最悪なのはカッコつけていることが見破られているのに、それに気づかない男……
【桐野】 最悪だね。
【小池】 本当に最悪。 『LEON』 (※ 当時のちょい悪オヤジ雑誌) なんか読んで、意味もなくカッコつけているのは本当にカッコ悪い。
【桐野】 レオナーって、モテないと思うよ。あれってギャグじゃなかったの (笑) 。まさか本気でやっている人がいるなんて思いもしなかった。
 私は、満員電車の中で夕刊を読んでるような疲れたサラリーマンも好きだな。何だか色っぽいなあって思う。…どこか荒んだ感じが。
【小池】 分かる気がするな。じゃ、読んでいるのは日経新聞や朝日新聞じゃなくて……
【桐野】 夕刊フジとか日刊ゲンダイがいいの。
【小池】 なるほど。東スポや内外タイムスだとちょっと違うんでしょ。
【桐野】 違う (笑) 。ちょっとアホ過ぎ。

 一見、作家的な感性を持った人たちの、ちょっと屈折した趣向が語られているように思えるが、この感じは、世の女性たちが意識するか無意識にとどめるかは別として、ある程度は理解できるものだと思う。
 彼女たちは 「作家」 として、たまたまそれを語る言葉を持っていただけに過ぎない。

桐野夏生氏2

 この対談集では、桐野夏生さんがインタビュアーとなるような展開が多い。
 彼女は 「○ ○ の制作で一番苦労されたのは何ですか?」 などというベタな質問も恐れない。
 「観念」 を構築してから物事を理解しようとする男性たちに比べ、この無垢な好奇心をむき出しにしたまま、相手ににじり寄っていく彼女の姿勢が、新しいフィールドを切り開いていくブルドーザーのような役目を果たしたといえる。
 その結果、 『OUT』 のような前人未踏の荒野を突き進むような作品が生まれてくる。

 女流映画監督の西川美和さんは、こう語る。

 「桐野さんが小説で描いている女性像は、私としては馴染み深いけれど、これを映画で表現するとなると難しい。なぜかというと、映画の歴史において、サンプルのない女性像なんです」

 桐野夏生の作品に、普通の女流作家たちが持たない構造性があることを指摘したのは、斎藤環さんだが、その 「構造」 というのは、いまだ見えてこない 「世界」 を、しっかり自分の目で見つめようとする 「意志」 から生まれてくるものだ。
 だから、それは、いわゆる説話的な物語が抱える類型的な 「構造」 とは違う。

 桐野さんはいう。

 「私は理屈っぽいんです。お料理でも、炒め物の前はフライパンをよく熱して、といいますが、それだけでは納得できない。
 よく熱することで、油のところに皮膜ができて、炒めるものがくっつかなくなると言われて、初めて体が動くタイプなんです」

 これは、調理に向かう姿勢を語っているのではない。
 「世界」 を見る視線の構築を語っているのだ。
 この 「世界」 を構造的に見る “力” が、桐野夏生作品の揺るぎない存在感を浮かび上がらせる秘密となっている。
 
 
参考記事 「ファイアーボールブルース」
 
参考記事 「桐野夏生 『ダーク』 」
 
参考記事 「我等、同じ船に乗り」
 
参考記事 「桐野夏生 『ローズガーデン』」
 
  

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