進化論は正しいか

 
 何の本で読んだか、忘れた。
 しかし、面白いエピソードだったので、今でも覚えている。
 それは、第二次世界大戦の頃、敵の暗号をめぐって、日米が秘術を尽くして、その解読に励んでいたときの話だ。
 
 なにしろ、作戦計画にもとづく戦略の伝達は、敵にもっとも知られてはならない重要機密である。
 だから、敵の作戦を知ることは、自軍に勝利をもたらす一番の近道となる。
 そのため、日本もアメリカも、敵側が暗号化した重要機密を傍受して、必死になってその解読に努めた。
 
 どちらの暗号も巧妙に作られていたために、最初の頃は、双方とも解読作業はなかなか進まなかった。
 しかし、先に解読に成功したのは、アメリカだったという。
 
 なぜ、そうなったのか?
 
 彼らには 「信念」 があったからだと、その話を紹介した人は語る。
 つまり、
 「この世を創ったのは神である。神は、この世を完璧に合理的に創ったが、神のしもべである人間が、神をも超えるものを作れるはずがない。人間の作ったものには、どこかでボロが出る。つまり、人間の作った暗号が解けないなどということはないのだ」
 
 彼らは、そういう強い信念にもとづき、粘り強く、日本軍の暗号解読を進めた。
 その粘り強さにおいて、どうも日本軍は負けたらしい。
 日本も 「神国」 であったのかもしれないが、“日本の神々” は欧米人の信じる一神教的な絶対性を持たない。
 
 暗号は、一度解かれてしまうと、後はどのように改編しようが、もう駄目なのだとか。
 つまり、暗号には法則性というものがあって、どのような “目くらまし” を混ぜようと、一定の法則性から逃れることはできない。
 そんなわけで、日本軍同士で交し合っていた暗号は、途中からみなその意味が筒抜けになった。
 このあたりも、「神の合理性」 を信じるアメリカ人の “合理的な思考方法” に、日本は負けたようだ。
 
 このエピソードは、いろいろなことを考えさせてくれる。
 まず一般的にいって、「神様」 というのは、どこか超越的な存在であり、人間には不可知なものであるから、合理的な判断では把握できないものである … という印象を伴う。
 
 ところが、アメリカ人は、「神様」 を信じることこそ、合理にかなうことだという。
 神の英知に近づけば近づくほど、世界はクリアに見えてきて、自然の神秘も、人間の真実も手に取るように分かってくる。
 
 この 「感覚」 が、無宗教の風土に生きる私なんかには、今ひとつピンと来ない。
 どちらかというと、「宗教」 と 「科学」 というものを対置したときには、「科学」 の方が合理的なんでねぇの? … という感覚を持つ。 
 
 しかし、アメリカという国に住む国民は、自然科学的な合理性よりも、ますます 「神の合理性」 を信じる傾向を強めているという。
 「インテリジェント・デザイン」 という、今アメリカで急速に普及している思想が、それに当たるらしい。
 これは、はっきりと 「キリスト教の神」 という言葉を使わずに、われわれの住む 「世界」 を、何か超越的な存在がデザインしたとする世界観だ。
 
 この思想は、次のような根拠から生まれてくる。
 つまり、人間存在や自然界の成り立ちを、自然科学的な方法で緻密に分析していけばいくほど、世界は 「舌を巻くほど」 合理的にデザインされていることが分かってくる。
 このような完璧な合理性を持つ世界が、偶然に成立したとは考えにくい。
 絶対に、誰かが計画的にデザインしているはずだ。
 すなわち、世界は、高度に知的な何者かによって、巧妙に設計されている。
 
 ……というのが、「インテリジェント・デザイン」 の思想だ。
 この 「高度に知的な存在」 を、「神」 という言葉に置き換えてもいいし、「自然の摂理」 といってもいいし、「宇宙の意志」 といってもいいのだけれど、要は、「世界の造物主」 を “実体” として認めるという発想だ。
 
 やっぱりアメリカ人は、世界中の人々と比べても、どこか特殊だなぁ … と思う。
 9・11以降、あのイラク戦争を (一時は) 熱狂的に支持して、瞬間的にブッシュ政権を応援したアメリカ人たちが、はたして合理的な人々だったのか、今でも疑問に思うのだが、彼らが、当時のイラク政権のことを 「合理的な地球の秩序を破壊する非合理な国家だ」 と判断したとしたのなら、なんとなく納得がいく。
 
 そもそもアメリカという国は、カトリック的な宗教観から抜け出して、プロテスタント的な新しい宗教国家を実現しようとする人々によって 「開拓」 された国だ。
 宗教の実験国家ともいえる。
 
 だから、彼らは、伝統的に宗教的な世界観に対する親和性が高い。
 アメリカ人の6割は、ダーウィンの進化論を信じていないという話もある。
 要するに、「人間はサルのような存在から進化して、適者生存の法則に則って、今日の人間になった」 というのは嘘っぱちだ、と思う人が国民の半数以上いるというのだ。
 実際に、ダーウィン的な進化論を教えない学校もたくさんあると聞く。
 
チンパンジー01
▲ 君たちが人間と分かれた頃の話を教えてよ

 では、彼らは何を信じているのか。
 人間をはじめ、この世の生物は、聖書に説かれているとおり、すべて最初から神が 「今ある形」 のまま創ったと信じているらしい。
 日本の常識とはうんとかけ離れていると思うのだけれど、夭逝した哲学者の池田晶子さんは、生前、こんなことを書いていた。
 
池田晶子女史02
 
 「アメリカ人の中に、進化論など信じないという人たちがいるというのは、実感として案外外れてはいないのかもしれない。
 現代人は、科学として述べられている言説を、頭から信じてしまう。
 見慣れないサルの化石が見つかっただけで、過去のサルの化石と現在の人間をすぐ結び付けようとする説が横行するが、しかし、人間がサルから進化した瞬間など見た人はいないのだ。
  進化論というのは、人間が考えた 『思想』 でしかない。科学的にいうならば 『仮説』 だ。
 『仮説』 といえば聞こえはいいが、早い話、それは 『物語』 である。
 それも、進化論では説明できない進化を 『突然変異』 と呼ぶような、非論理的な物語だ。
 説明しようとして説明できずにひねり出された概念が 『突然変異』 というのだったら、それを 『神のワザ』 と呼んでどこが違うのだろう」 
 
 池田さんは、「インテリジェント・デザイン」 も物語ならば、「進化論」 も物語だという。
 無学な私は、そう言われてしまえば、もうそこで思考がストップしてしまう。
 でも、池田さんの鮮やかな裁断には、心がスカッとするような気持ちよさを感じる。
  
 
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進化論は正しいか への5件のコメント

  1. ミペット1号試作品 より:

     おひさしぶりです。久々に、うちもブログ更新しました。
     今日、久々に皇居の周りを走ってきたのですが・・
     そこで思うことが、進化の過程で、旧い物と性能を比べたときに、新しい物の方が劣る。
     と、言うこともあるんだなあ・・・と思うことがありまして。と、言うのも、73年式の内装ギアの加速性能に、ロードバイクが追いつかなかった・・不思議なぐらい。
     進化の過程で、ロードバイクの、性能としての競争力の成熟化が、過渡期にはいると同時に、進化のスイッチは、高い生殖能力を持つかどうかに切り替わる。
     当然、うちのバイクに使ってるパーツは、性能としての進化の過渡期にもいたらず、退化した。しかし、ここで一つの矛盾があると思うわけで。
     それは、ロードバイクとしての性能の進化に、過渡期が訪れて、生殖能力の面での進化にスイッチした状態であるなら、生殖能力の高いロードバイクメーカーに、基本性能の低いバイクの産出が多く見られるようになる。それは、性能よりも生殖能力の方が優先されるから。
     と、なると、その優秀ではない種族は淘汰される。
     それを、人間に当てはめたときに、「進化論」で、進化とその過渡期を決めてしまったなら、後は生殖能力のあるなしが優先され、淘汰を待つのみとなる。
     また、「進化論」から、いつ人類の進化に過渡期がおとづれるのか。と、言うことも計算できるわけで、過渡期から計算した場合の、絶滅までの時間。
     でも、こんなものがわかったとしても、人生はつまらないわけで。それを信じたい人は信じればいいだけで。
     しかし、まあ、世の中一番商売になるのは、進化の過渡期を過ぎて、生殖能力のあるほうに種の遺伝子がスイッチした瞬間のわずかな間だとおもうし。進化論がどうの、インテリジェントデザインがどうのよりも、面白いものは、面白いうちに楽しんだほうが得なような。
     それに、宗教や理論は関係ないってことなのかもしれないですね。
     

  2. ゆら より:

    「ミペット1号試作品」さんに質問
    人類700万年の歴史のいつどの段階で正常位でエッチすることを覚えたと思われますか?「スイッチの瞬間」て、そういうことでしょう?

  3. ゆらⅡ より:

    町田さんに質問
    ギリシャの都市国家群はしまいには対立抗争ばかりしてあっけなく滅んでいった。それに対してローマの都市国家軍は連携してどんどん拡大していった。
    これって、「進化論」ですか?そしてそのとき、どのような「デザイン=構造」の違いがあったのでしょうか?

  4. 町田 より:

    >ミペット1号試作品さん、ようこそ。
    技術開発において、進化するはずの技術的性能が退化していたということがあるわけですね。面白い話だと思いました。
    「生殖能力」 、すなわち 「量産技術」 という意味なのでしょうけれど、その量産技術の進化が、必ずしも商品単体の性能の進化を意味しているわけではないということなんですね。
    なるほど…と思うことが多々ありました。ありがとうございます。
    ただ、「進化論」 をそのまま人間に当てはめてしまうと、極端な話になってしまえば、「劣った人間は淘汰されてもかまわない」 という考え方になり、昨今の 「勝ち組・負け組」 の構造を容認する考え方にもつながってしまう恐れがありますね。
    そういった意味で、ミペットさんのおっしゃるように 「商品技術の進化に限って考えて、面白いものは面白いうちに楽しんだ方が得」 という考え方には大いに賛成です。
     

  5. 町田 より:

    >ゆらⅡさん、ようこそ。
    ちょっとお返事が長くなりそうなので、次のブログ記事にて、考えさせてください。

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