ロックって何よ?

  
 「ロック (ROCK) 」 という音楽ジャンルが、どういうものを指すのか。
 それをはじめての人に説明するのは、案外むずかしい。
 
 てっとり早いのは、
 「ほらクィーンとかさ、ヴァン・ヘイレンとかさ、ツェッペリンとかいるじゃない?」
 っていうふうに、固有名を語ることかもしれないけれど、そのへんの固有名が通じない場合…たとえば世代の違いがある場合など、そこでまず理解してもらえない。
 
 ただでさえ、洋楽離れが進行しているような日本の音楽シーンで、だいたい往年の洋楽スターの名を出すこと自体が、おかしいのかもしれない。
 J ポップで育った若い人の中には、「ROCK」 を日本の音楽だと思っている人すらいそうな気がするのだ。
 
 じゃ、B’zや、サザンや、矢沢永吉はロックか?
 というと、わたくし的には、そうともいえるし、そうでもないような気もする。

 だったら、
 「基本的にバンド編成で、エイトビート主体で、リズムが激しくて…」
 みたいな説明で通じるかというと、それじゃ漠然としすぎてしまう。
 
 世代や趣味嗜好が異なれば、各人各様の 「ROCK」 が存在するわけで、まぁ、それでいいような気もするし、それを定義することの空しさ…意味のなさも十分承知している。
 
 しかし、この前バンドを始めたばかり…という若い人を交えて、音楽好きの友達たちと酒飲んだとき、 「ROCKって何?」 というテーマになって、いろいろ盛り上がって、否応なしに考えさせられたことがあった。
 
 で、 「町田さんが考えているロックって何?」 と尋ねられたとき、そのとき、何にも考えていなかったクセして、とっさに答えたことは、 「スタート地点だけは分っているけれど、演奏している人ですら、着地点が分からない音楽」 と答えたのだ。
 
 とっさにひらめいたのは、60年代後半に登場したギターのインプロビゼーションを中心としたバンドの音楽だった。
 具体的にいうと、ジミ・ヘンドリックス、クリームといったインストゥルメンタルを楽曲の中心に置くようなバンドの音だ。
 
 60年代の後半、ラジオから突然こういう音が流れたきたとき、私ははっきりと、それまでの音楽と今流れている音楽との 「切断」 を感じた。
 それらの音を、当時 「ロック」 という言葉で表現していたかどうか、今はあまりはっきりと記憶していない。
 
 ただ、ノリのいい音楽の呼称として通用していた 「ロックンロール」 とは違った音楽で、ロックンロールっぽいけれど、ポップスではないという印象から、何気なく 「ロック」 という呼び方が定着していったような気がする。
 
 以下は、もう 「ロック」 対するまったく私的な感想で、一般音楽史とは別物であり、しかも、妥当性も正当性もないものだけれど、自分なりの 「ロック観」 を書く。
 
 60年代の後半、ポピュラーミュージックの分野で、まったく新しい 「音」 が台頭していた。
 ギター奏法にエフェクターの一種であるファズやワウワウなどを取り入れることによって、アンプから出る音に 「ひずみ」 や 「ゆがみ」 を導入し、聞き手に、あたかもドラッグによる錯乱状態を体験させるような音が生まれてきたのだ。
 
 このような音を出す音楽として、最初に聞いたのは、ヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライ、ジェファーソン・エアプレインといったグループだった。
 
 特に、アイアン・バタフライの 「インナ・ガダ・ダ・ビダ」 という曲は、その奇妙なタイトルもさることながら、なんとも玄妙なサウンドで、はじめて聞いたときは、ちょっとしたカルチャー・ショックを受けた。
 どっしりとした重量感のある音が、まるでヒラヒラと宙を飛ぶように、変幻自在の変化を見せていたのだ。
 
アイアン・バタフライジャケ01
 
 それは、まさに 「アイアン・バタフライ」 = 「鉄の蝶」 というグループ名そのものの音だった。
 こいつは、とんでもない音楽が出てきたぞと、ぶっ飛んだ記憶がある。
 
 音楽史というのは、クラシックでもそうだろうけれど、時代のテクノロジーが新しいムーブメントをつくると相場が決まっている。
 チェンバロからピアノへの移行はクラシック音楽を変えたし、アコギからエレキへの移行はポピュラーミュージックを変えた。
 それが、60年代後半のロックの世界でも起こった。
 
 今から思えば、ずいぶん稚拙なテクノロジーではあったが、ギター奏法におけるエフェクター類の発展や大音量を流せるアンプの進化は、たぶん当時のミュージシャンたちに、まったく新しい 「音」 が生まれたという新鮮な感覚を与えたことだろう。
 
 そのことと、60年代後半の若者たちの、世界的な政治闘争の敗北は無縁ではなかったはずだ。
 
 あの時代、世界的に若者の政治闘争が沈静化に向かう過程の中で、政治体制の変革など 「単なる夢想でしかなかった」 ということを自覚させられた若者たちは、 「政治」 を 「文学」 のように処理することによって、ごく私的な、きわめて個人的な 「変革」 の中に逃げていった。
 
 70年代から80年代にかけて一世を風靡したフランス哲学が、 「パリ5月革命」 の敗北から生まれたように、日本では吉本隆明のただの 「文学」 が、あたかも 「政治思想」 と同一視されたように、政治の世界におけるおのれの無力さを意識した若者たちは、その補填を 「文学」 に求めたというのが、あの60年代後半という時代だったように思う。
 
 そのとき、実は 「政治」 が 「文学」 になっただけでなく、 「政治」 は 「音楽」 にもなっていたのだ。
 
 1度沸騰した、 「世界をおのれの手で変革する」 という若者たちの欲望は、政治活動などにはまったく無縁の若者たちをも巻き込んで、 「音楽」 を変革することで 「世界を変える」 欲望へと変化した。
 
 そのとき、エフェクター類による新しいギターサウンドが、その欲望を増進する推進力になったように思う。
 だから、あの当時、ギターがバンド編成の要になるような時代が、一気に訪れたと思っている。
 そして、そういう 「音楽」 を、いつのまにかリスナーは 「ロック」 と呼ぶようになった。
 
 だから、ロックは、それを奉ずる者たちにとっては 「新しいスタート」 であり、当然その 「ゴール」 は、政治闘争のような敗北が予想されるものではいけなかったのだ。
 むしろ、自分たちの音楽が、何を達成するのか、どういうユートピアを生み出すのか、そんなことを考えてもいけないし、また考えないがゆえに、 “輝かしい未来” が永遠に担保されるという、言ってしまえば無責任な夢想が、この時代のロックを支える基本理念だったように思う。 
 それは、ある意味でアナーキーな混乱であったが、ある意味では、豊穣な成果を生み出す冒険だった。
 
 私は 「ロック」 という言葉から、以上のようなイメージを受けるのだけれど、その言葉がぴったりとハマるミュージシャンとなると、はなはだ心もとない。
 
 少なくても、 (大好きな) ビートルズは、私にとってはロックではない。
 彼らのサウンドはものすごく刺激的であり、斬新であり、また歌詞においても、後期になれば 「革命」 「変革」 などを標榜することもあったけれど、でも、私がイメージするロックではない。
 
 「ロック」 という言葉から 「反体制」 とか 「抵抗」 とか 「不良性」 みたいなものを感じる人は、じゃザ・ローリング・ストーンズなんかはロックだろう? と思うかもしれないけれど、あれも、わたくし的には、ロックじゃないんだな。
 ローリング・ストーンズは、不良っぽいファッションで身を飾り、ドラッグなどに溺れるポーズを演じつつ、実は、コンサートが終わると、人目を避けるように、みんなでジョギングなどして、健康な汗をかいていたという雰囲気がある。けっこう真面目な優等生の集まりだと思う。
 
 ビートルズもストーンズも、 「新しいスタート台」 に一度は立った人たちだけれど、しかし彼らは 「ゴール = 着地点」 のイメージもしっかり把握できる人たちだったから、ちょっと自分の感じているロックとは違う。まぁ、だから彼らは、商業的にもあれほどの成功を収めることができたといえるかもしれない。
 
 じゃ、 「着地点」 が見えない音楽って何さ?
 …ってことになるけれど、結局、着地点のない音楽というのは、音楽としては永遠に未完成なわけで、そういった意味で、私の感じるロックというのは、未完成さを保留にした音楽ということになる。
 そのような音楽をやっていたのが、私の知る限り、クリームであったり、ジミ・ヘンドリックスであったり、あるいはドアーズであったりする。
 
ジミヘン01
▲ ジミヘン
 
 たとえば、クリームの 『素晴らしき世界』 (2枚組み) の2枚目に収められた 「クロスロード」 などは、もうそのレコードのA面を使い果たすかのように、延々とギターとベースのインプロビゼーションが続く。
 それを、当時のリスナーはみな 「実験的だ」 「前衛的だ」 と評価して、演奏そのものをフルコピーするアマチュアバンドも後を絶たなかったけれど、正直にいうと、その “果てしなさ” は、退屈でもあった。
 
クリームジャケ01
 
 今思うに、彼らの “果てしなさ” は、彼らが 「終わり方」 を思いつかなかったからだという気がするのだ。
 「着地点」 を拒否するような “冒険の旅” に出てしまったがゆえに、 「着地点」 そのものが分らなくなってしまったのだ。
 それは (わたくし的には) 無残に思えたが、ロックの精神としては、きわめて当然の帰結でもあったろう。
 そこではその無残さが、同時に、高貴さをも体現していたからだ。
 
 ジム・モリソン率いるドアーズは、サウンドそのものとしては、それほど冒険的ではなかったと思うけれど、彼は訳の分らぬ … というか、それだけ超越性を秘めた詩を書くことによって、自分たちの到達地点を無限に延ばそうとしたし、事実、ジム・モリソンは自らの死によって、その音楽を永遠に未完成のうちにとどめた。
 
 ジミ・ヘンドリックスは、サウンドとしても、人生としても、輝かしい可能性だけを開示して、未完のうちに果てた。
 
 クリームは、無限に引き伸ばしていった着地点に向かう途中で力が尽きて、空中分解を起こし、疲れたクラプトンはブルースに回帰した。
 
 一般的には、ロックは、彼らの力の果てたところから、大成功への道をひた走るようになる。
 しかし、そのとき、実は 「ロック」 は終わっていたと、私は思う。
 
 着地点の見えない音楽は、リスナーにとってはやっぱり消化不良を引き起こすし、商業的には成功しない。
 そこで、はじめてロックに 「着地点」 が求められるようになる。
 つまり、商業的な音楽として成功させるには、1曲ごとの 「完成度」 とか、アルバム単位の 「整合性」 が必要になるということが分ってきたのだ。
 
 こうして、ロックはリスナーのそれぞれの嗜好にフィットする形で、
 「フォークロック」
 「ラテンロック」
 「カントリーロック」
 「グラムロック」
 「プログレッシプ・ロック」
 「サザンロック」
 などと、様々な方向に枝分かれしていった。
 
 そのことによって、産業としてのロックは、それ以降一大マーケットを確立し、ポピュラーミュージックの王座に登りつめていく。
 このような細分化は、ロックの多様性と豊饒性を約束するものであったけれど、しかし、それらはみな基本的には着地点を想定した  “予定調和の音楽” だったというべきだろう。
  
 すなわち本当の 「ロック」 というのは、 「○ ○ ロック」 という呼ばれ方が誕生するまでの、ごく短い期間だけ存在していたに過ぎない。
 
 レッド・ツェッペリンの1枚目は、ブルース基調ではあったが、あれはまぎれもないロックの名盤であり、同時にツェッペリンのロックの最期のアルバムだった。
 「ハードロック」 という呼称が生まれ、そのジャンルに位置づけられるようになったツェッペリンの2枚目、3枚目からは、ツェッペリンのロックも終わっていたというべきかもしれない。
 
ツェッペリン
 
 ビートルズやツェッペリンの商業的成功に反旗を翻したパンクロックは、70年代に 「ロックの死」 を高らかに宣言したが、その前にロックはすでに終わっていた … というのが、ごくごく私的な自分のロック観である。
   
 
 参考記事 「山口冨士夫の精神」
 
 参考記事 「本物の天才とは」
 
 参考記事 「ヘビーメタルとオペラ」
  

カテゴリー: 音楽   パーマリンク

ロックって何よ? への11件のコメント

  1. 凪子友だちK より:

    町田さん、こんにちは。金曜日は、とても楽しい時間をありがとうございました。「ROCKとは何か」。熟読しました(熟聴はこれからです、とっても楽しみです)。『力果てたところから、大成功への道をひた走るようになる。そのときにロックは終わっていた』。だから終わりがないのですね。完全を意識した時にすでに終わっているのですね。すごく奥深い。本当に恥ずかしながらですが、ロックという言葉の意味、世界の空気を初めて吸ったような気がします。なんだろう、この雰囲気。すっと、気持ちのいい風が通り抜けるカンジ。知らないことを知りかけているのが、すごくうれしいです。

    昨日、凪子さんと「夏なんです」を練習しました。私のベースはとんちんかんですが、凪子さんの歌とギターはvery niceでした。
    暑さはまだまだ続きますが、お体にお気をつけてがんばってください。また、ぜひ町田さんにお会いしたいです!

    追伸 これからマルちゃんの焼きそばをつくってみようかと思います。

  2. 凪子 より:

    町田さん、こんばんわ。先日のお話のつづき、ありがとうございました。 
    古き良き時代のロック、音楽をリアルタイムで経験なさっている町田さんの音楽論は私たちにとってとても貴重なものであります。 
    ロックって何?、言われてみると今まで真面目に考えたことなかったテーマでありますね。能天気な私は特にです。 
    何度か酒の席などで周りの若いミュージシャンなどにロックとは~?などと訊かれたときはギュィ~ンてやるんだよ、立って弾くんだよとか答えていたぐらいですから。アドバイス、説明にはなっていませんね。情けない。
    町田さんのロックに対する思い、ロック論、あのS谷Y一氏らの言葉以上に鋭く伝わってきます。
    しばらく町田さんは良きリスナーでとのことなので、私がドラムとギターの掛け持ちをしたりすることになり昨日、ベースのKちゃんと練習をしてきました。ギター、ドラムとも専門外の楽器なもので苦労しています。 
    今後もいろいろご指導お願いいたします。
    もう少しまとまったらスタジオで演奏、聴いてみてくださいね。 

    本日のお話、ロックを創ったといわれるミュージシャンたちは自分たちがロックをやっているということは考えていなかったのでしょうね。自分たちの出せるサウンドでしかないと。
    音楽そのものがやりたっかたのでしょう。
    私たちもそういう意識で音楽に取り組んでいきたいと思っています。

  3. ボールチェアー より:

    ボクのロック論は、ロックは一つのライフスタイルだ と。
    曲だの乗り物だの色んな物に反映するんじゃないかなぁと思っています。

  4. 町田 より:

    >凪子友だちKさん、ようこそ。
    いやぁ、とても楽しいひと時を過ごさせていただき、こちらこそ感謝しております。またカラオケ行きましょうね。
    >「そのときロックは終わっていた。だから終わりがないのだ。そして “完全” を意識したとき、終わっていた」 というご指摘は、おっとその通りだ! と、うかつにも言われて気づきました。
    そうそう。そういうことを書きたかったんですね。自分としては。
    「ROCKって何?」 というテーマなんて、Kさんに尋ねられるまで、実は考えたこともなかったんです。あまりにも自明すぎて。
    しかし、自明すぎると思っているところに落とし穴があるんでしょうね。
    今回は面白いテーマをいただき、ありがとうございます。
    たぶん、こういう自問は、また形を変えて繰り返していくように思います。そして(たぶん)次の機会には別のことを考えているような気もします。
     スタジオでKさんの出す音、聞いてみたくなりました。
     

  5. 町田 より:

    >凪子さん、ようこそ。
    「ROCKって何?」 という問いに対して、「立ってギュイ~ンと弾くんだよ」 という答は、案外それが正しいのだという気もします。
    昔、「ベックのギターは、ジャーンと1回ダウンストロークさせるだけで、普通の人の音とはもう違っている」 と凪子さんに教えてもらい、その単純な 「ジャーン」 という言葉の響きにすべてがこもっていたことを思い出しました。
    >「ロックを創ったといわれるミュージシャンたちは、自分たちがロックをやっているとは考えていなかった」 というご指摘は、まさにその通りだと思います。
    たぶん、その人たちは、自分たちが (歌詞も含めてなのかもしれないけれど) どれだけの音が創造できるのか、それだけに夢中になっていたのでしょうね。
    結局 「ロック」 って、その 「我を忘れる」 くらいのひたむきな夢中さが、おのれの 「我」 を超えて、他者の 「我」 に伝わっていく音楽ということになるのでしょうか。
    また、いろいろ教えてください。
     

  6. 町田 より:

    >ボールチェアさん、ようこそ。
    >「ロックはライフスタイル」という視点には、ホント共感いたします。
    そして、「乗り物だとか、色んなものに反映していく」 という意見は、まさにボールチェアさんらしい感じ方だと納得しました。
    ボールチェアさんの愛していらっしゃるいろいろなアイテムすべてに、ボールチェアさんの 「ロック」 が生きていることがよく分りますもの。
     

  7. frictionreck より:

     (日本人の)ミュージシャンが答えるロックの答えがすきでたまらないです。
     どこかで線引きはしたいみたいです、自分は、矢沢はロック、桑名もロック、甲斐バンドは70年代も作品はフォークだ、とか浜田省吾に対峙できるミュジシャンをぎょうさんしっているよとか
    長渕は灰野敬二と共演したらロックと認めてやるなどリスナーとしては偏屈ですよ。
     
     私見はおいていて、長く洋楽からロックを聞いてきたらこんなに的確にまとめられるのかと感心する次第です。

     またじっくり読んで考えてみます。 ありがとうございます。

    • 町田 より:

      >frictionreck さん、ようこそ
      「ロック」 を語るというのは、難しいけれど、面白いものですね。
      「ロック」 という音楽に対して、自分は 「完成形というものがない」 という妙に偏屈な先入観があるため、逆にいえば、どんな形でも存在しうる、という気もしています。

      そして、それぞれのリスナーが、「自分にとって何がロックか?」 と語るときに、その人の音楽観やら、大げさにいえば人生観のようなものまで伝わってくるように思います。
      frictionreck さんの考えていらっしゃる 「ロック」 も大いに興味深いです。
      いずれまたお聞かせください。
      今後ともよろしく。
       

  8. キャロル より:

    what is this

  9. キャロル より:

    コメントを送信したら消滅してしまいました。
    試しに What is this で送信クリックしたら確かに送信されてしまいました。
    お気にされませぬ様にお願いします。
    キャロル

    • 町田 より:

      >キャロルさん、ようこそ
      返信の都合がつかなかったコメントにまで、わざわざご連絡いただくなど恐縮です。
      こちらこそ、どうか気になさらずに。

      またのお立ち寄りを楽しみにしております。
       

キャロル への返信 コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">