小説・深夜の夕焼け

夕焼け画像
 
《 怪談特集② 深夜の夕焼け 》
 
 その夜から、何かが変った。 
 最初の異変は、コピライターの木崎が部屋を出て行ったあとに起こった。
 
 「ボディコピーは一応書きましたけど、ヘッドが思い浮かびませんわ。あとは家で考えてきてもいいですか?」
 
 そういう木崎の背中に向かって、
 「ああ、風呂にでも浸かってゆっくり考えてくれ」
 と、私は声をかけてから、椅子の背もたれに身体 (からだ) を預け、大きく深呼吸した。
 
 「お疲れさま。お先です」
 木崎の声がドアの向こうに消えると、部屋はしんと静まり返った。
 
 再び書類に目を通す。
 
 コンペに提出する企画案をA4用紙に印字した文字が見づらい。
 最近は老眼が進んで、細かい文字が、意味不明の象形文字の羅列のように見えることが多い。
 眼精疲労が蓄積したのか、今日は特にその文字が、アリの行列のように一方向に動いているような気がする。
 
 疲れた……。
 そろそろ俺も帰るか。
 
 そう思って、椅子から立ち上がり、暖房のスイッチを消すつもりで、ドアに向かって1、2歩歩きかけたとき、ドアの向こうで人の話し声が聞こえた。
 
 木崎が廊下に出て、誰かと話しているのだろうか。
 しかし、社内には誰も残っていないはずだ。
 聞くとはなしに、ドアの外の声に耳を傾ける。
 
 「いよいよ修羅場だな」
 「いいさ。例の手がある」

 話しているのはどちらも中年男のようだったが、聞いたことがない声だった。 
 2人は、私が聞き耳を立てているのを察知したのか、黙り込んだ。
 
 思い切ってドアを開けると、冷え冷えとした廊下には、誰もいなかった。
 
 空耳というやつか?
 私はデスクに戻り、書類を引き出しの中にしまうと、コートを羽織って、部屋を後にした。
 
 エレベーターを待つ。
 隣りの広報企画部も、向いの第二広告部も、すでに明かりが消えている。
 エレベーターのワイヤが作動する鈍い音が、無人の廊下に響き渡る。
 
 守衛室の前を通ると、守衛は見回りに出たのか、白々と蛍光灯がともる部屋に人影はなかった。
 
 吹きすさぶ寒風を覚悟して身を引き締めながら外に出たが、不思議と風が生温かい。
 見上げると、深夜が近いというのに、空が赤々と燃えているように見える。
 月がギラギラとした輝きを放ち、まるで太陽のようだ。
 それに呼応して、星も毒々しくギラついている。
 空全体が、学園祭の演劇に使われるへたくそな背景のように、作り物じみた色合いに染められている。
 
 何か、悪いことが始まりそうな気がする。
 あるいは、すでに始まっているのかもしれない。
 どことなく、昨日と違う。
 いつもこの時間、駅にまで続く盛り場は、酔って軽口を叩きながら歩く人たちの喧騒に包まれているというのに、今日はなぜか深閑としている。
 人がいないわけではないが、みなドラマのエキストラのように、わざとらしく歩いている。
 よく見ると、彼らは一方向に進んでいるのではなく、一定の区間を歩いてはまた引き返している。誰もが、何者かに命じられて、自分の意志とは関係なく動かされているように見える。
 
 駅のホームも、奇妙な静けさに満たされていた。
 人の姿は見えるが、みな薄っぺらな影絵のようにたたずんでいるだけで、人間としての立体感を失っている。
 
 線路を挟んで、古代エジプトのファラオの立像を切り抜いた展覧会の特大ポスターが貼られているのが見えた。
 「エジプト4000年展」 というロゴが金色のエッジを立てて、異様な迫力で光っている。
 
ファラオ石像001
 
 ポスターに描かれたファラオの目には、瞳がないのに、じっとこちらを見つめている。
 唇が真っ赤な口紅で塗られている。
 
 その唇が突然動き出し、
 「いよいよ修羅場だな」
 とささやいた。
 
 何もかもが変だった。
 自分がいつのまにか違った世界に迷い込んでいるような気がして、とてつもない息苦しさを感じた。
 
 ……とにかく、ここを抜け出さなければならない。
 出口はどこなのだろう。
 こういうときに限って駅員の姿も見えず、明かりをともした売店には、売り子がいない。
  
 そのとき、ホームに電車が滑り込んできて、ようやく私は我に返った。
 「そうだ。自分はいま家に帰ろうとしていたんだ」
 電車を見るまで、私は自分の行動の目的を失っていたことに気がついた。
 
 車内に人影はなかった。
 無人の電車に乗ったのかと思ったが、私と同じホームに立っていた女が開いた扉からすべり込み、私の前に座った。
 彼女は無表情を装いながらも、食い入るように私を見つめてくる。
 目の下にも黒々としたアイラインを入れた女で、クレオパトラの化粧を思わせる。
 その女が、先ほどのファラオの手先であることは明瞭だった。
 
 私は、彼女が私とコンタクトを取りたがっていることを悟った。
 しかし、私はそれが煩わしかったので、カバンの中から文庫本を取り出して、読む振りをした。
 彼女はそれにもめげず、今度はテレパシーを通じて、私の脳にじかに話し掛けようとした。
 
 「いよいよ修羅場ね」
 私には、彼女がそう語りかけてくるのが分った。
 なぜなら、私が目を通している文庫本の文字が、すっかり彼女の言葉にすりかえられていたからだ。
 私は恐ろしくなって、本を閉じ、目をつぶって彼女の顔も見ないようにした。
 
 目を開けると、いつのまにか女の姿は消え去り、代わりに黒い蝙蝠 (こうもり) 傘が通路に捨てられていた。
 
 人の気配が途絶えた電車は、私の降りる駅に近づいていた。
 窓の外は明るさを増し、時間が逆行して夕焼けが空に浮かんでいた。
 
ホッパー夕焼け
 
 ……いったい、何時なのだろう。
 腕時計を見ると、文字盤に針がなかった。
 夜の夕焼けは、どことなく人工的で、空に向かってエアブラシで吹きつけた 「絵」 のように見えた。
 
 車内のアナウンスが、私の降りる駅の名を伝えた。
 
 電車を降りると、見たこともない駅の風景が広がっていた。
 頭上高くドーム状の屋根が覆い被さり、イスラム寺院の礼拝堂のような雰囲気だった。
 
 その礼拝堂の中を、舌を抜かれた奴隷たちのように、沈黙を守った人々が改札口に向かっている。
 改札口の向こうでは、ミッキーマウスやらドナルドダックの着ぐるみを来た一団が、にぎやかに人々を迎えていた。
 どうやらディズニーランドに来たらしかった。
 しかし、このディズニーランドは普通のディズニーランドとは違うらしく、ミッキーもドナルドも、身体の上に、首が二つずつ付いていた。
 
 二つの首を持ったミッキーやドナルドたちはみな手にローソクを掲げ、賛美歌を歌っていた。
 私は、今日がクリスマスであることを思い出した。
 
 ミッキーとドナルドの群れを押しのけるように前に進むと、屋台の焼き鳥屋が現れ、 「備長炭炭火焼き」 という看板の下で、グーフィーが串に刺した鳥を器用にひっくり返していた。
 
 「大将、焼き鳥を食べようよ。不老不死になる焼き鳥だよ」
 グーフィーがそう言って、一串の焼き鳥を私に手渡す。
 
 口に含むと、死肉のような臭みと苦さが舌の上に広がった。
 
 「食べたのかい? そうか食べたのか」
 グーフィーの金属をすり合わせたような声が、耳をつんざくばかりに周囲にこだました。
 
 「もうこれで不老不死だ。それは始祖鳥の肉なのだ。お前は永遠の生を手に入れた。これで一巻の終わりだ」
 
 グーフィーの勝ち誇ったような声におどかされて、私は何か取り返しのつかないことをしてしまったような気持ちになった。
 うろたえる私を見て、白雪姫や、クマのプーさんや、ミッキーマウスが、二つの首をゆすって愉快そうに笑う。
 
 夏でもないのに、クマゼミたちの鳴き声が地鳴りのようにとどろきわたり、彼らの笑い声と絡まり合う。
 カーニバルは最高潮に達したのか、いたるところで花火が炸裂する音がこだまする。
 
 家に帰らねばならない。家に…。
 しかし、私にはもう返るべき家がないことが分っていた。
  
 
 小説・眼鏡の少女 

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