甚助の餃子

 舌が感じる「味」というのは、人間の記憶にどの程度残るものなのだろうか。
 目で見たものの記憶や、耳で聴いたものの記憶に比べ、味の記憶というのは、その再現が難しいように思う。
 
 私の場合は、ある料理の味を思い出そうとすると、漠然と「おいしかった」「まずかった」という印象が浮かんでくるだけで、その料理を舌の上で転がしたときの微妙なニュアンスが蘇らない。
 
 一流の料理人とかグルメ評論家というのは、そのへんの才能に恵まれていて、過去に味わった料理を映像的に思い出すだけで、その味まで克明に思い出せる人のことをいうのだろう。
 「だから料理人は偉大だ」 … などという話に持っていく気持ちは全くなくて、今回はきわめて私的な思い出話。
 
 もう20年ぐらい前になるのだろうか。
 東京・武蔵野市の吉祥寺に、「甚助 (じんすけ) 」という食堂があった。
 今の東急デパートがある筋で、その八幡神社寄りだったと思う。 
 
 10人ぐらい座れるカウンターと、4畳半ほどの座敷がある小さな店だった。
 中年女性が2人で店を切り盛りしていて、忙しい時間帯には3人になることもあった。
 しかし、厨房内に男性の姿を見ることは一度もなかった。
 
 ここのメインメニューは「沖縄そば」。
 その後、沖縄ブームが起こり、「沖縄そば」という存在は、東京や大阪のような都会でもかなりポピュラーになったが、この当時、沖縄を知らない人間には「なんじゃらほい?」だった。
 
餃子01
 
 メインメニューに据えるくらいだから、この店の「沖縄そば」は確かにおいしかったが、それ以上に私が気に入っていたのは餃子(ぎょうざ)。
 店のカウンターに座ると、ほとんど反射的に「餃子の大盛りとライス」をオーダーしていた。
 
 餃子の大盛りというのは、通常1皿6個の餃子が9個に増えることをいうのだが、そういうメニューが堂々と用意されていたというのは、「6個では足りない」と思う人が多かったということなのだろう。
 
 ここで冒頭の「味の記憶」の話に戻るのだけれど、実は、この店の餃子だけが、唯一「味覚の記憶」として、私の脳にしっかり保存されている味なのだ。
 
 その幻の餃子は…というと、形はどこの店でも出てきそうな、きわめてオーソドックスなスタイル。
 しかし、味と焼き方が絶品だった。
 皮は薄いながらも、よく伸びる餅のようにしっかり餡(あん)を包んで、箸でつついても決して崩れることがなかった。
 
 焦げ目の部分は上品なキツネ色。
 ここが焦げすぎて真っ黒になると、見た目も味も悪くなるのだが、この店ではどんなに忙しくても、焦げ過ぎたり、逆に火の通りが悪かったりする餃子が出てきたためしはなかった。
 
 醤油、酢、ラー油で整えた小皿に、その餃子をすっと浸す。
 しっかり餡を包んだ皮が、口の中でプリっと弾け、キャベツ、ニラなどをほどよく擦り合わせた肉汁が舌の隅々にまでふわーっと広がっていく。
 ニンニクに頼った調法ではまったくないのに、餡に味わい深いコクがあって、白いご飯と絶妙のマッチングを見せた。
 
 この店がなくなって、その餃子が食べられなくなったのは、本当に残念だった。
 なんとか代わりの店を探さないと…。
 それ以降、中華食堂で餃子を注文するたびに、味とか焼き具合をチェックして、「甚助」の餃子と比較するクセがついた。
 
 それなりに「おいしい」と思った店はあったけれど、あの「甚助」と同じ味の餃子は、いまだに現れない。
 家で冷凍餃子などを焼くときも、水の量、火の強さなどを研究して、少しでも好みの味に近づけるよう努力してみたが、やはり「甚助」の味には遠く及ばない。
 
 このように、自分にとっては絶対的な基準である「甚助」の味なのだが、実は最近その味をうまく思い出せなくなってきたのだ。
 うまくいくときは、ごく自然にあの味がふわっと「舌の上」に湧いてくる。
 しかし、うまくいかないときは、目をつぶって雑念を振り払い、気合いを入れて精神統一しても、その味を舌の上に蘇らせることができなくなった。
 ここ数年は、思い出せない確率の方が高い。
 
 もし、どこかで「甚助」が再興されていれば、どんなに高い交通料を払っても、あの餃子をもう一度食べに行きたい。
 当時店で働いていた女性たちは、まだそんなに老け込む歳ではないはずだ。
 あれだけの評判を取った店だ。
 どこかでひっそりと、店を再開していてもおかしくはない。
 
 しかし、そう思う気持ちが働く一方で、「味が思い出せなくなった」というのはチャンスかもしれないと思うこともある。
 「甚助」の呪縛力からようやく解き放たれて、新しい餃子の味を探す時期が来たのかもしれない。
 
  

カテゴリー: ヨタ話   パーマリンク

甚助の餃子 への12件のコメント

  1. ジュゴン7 より:

    自分にも「甚助」は幻のままです。井の頭公園のすぐ近くでうまれ育った関係で、吉祥寺は子供達だけで探検できる街でした。記憶が間違っていなければ、40年前「甚助」はすでに存在していました。木造の暖簾が印象的な店でした。
    高校生になって、彼女と初めて暖簾をくぐり食べた餃子は、想像をはるかに超えた奇跡でした。こんな美味しい餃子食べた事ありませんでした。たっぷり入った餡とパリパリの皮、それから何度通った事でしょうか。店舗もビルに変わり、隣に大きなホテルも建ちましたが、自分はいつも「餃子」の大盛りと「沖縄ソバ」でした。姉妹を中心に営業を続けていたので、突然の閉店は信じられませんでした。やはりバブルという妖怪のせいでしょうか?
    でも、閉店前日も奇跡的に「餃子」の大盛りと「沖縄ソバ」を食べました。明日が閉店の雰囲気などは、まったくありませんでした。そして、2日後、閉ざされた店の横に馴染みの食器が寂しそうに置き去りにされていた事を思い出します。
    本当にもう一度あの餃子を食べてみたい。同じ味なら地方へでも行きます。姉妹のお子さんで女の子がいたのですが、営業してないかな。最近同じく吉祥寺の「高雄」も閉店し本当に寂しい限りです。
     

  2. 町田 より:

    >ジュゴン7さん、ようこそ。
    うれしいコメントです。ありがとうございました。
    この記事はきわめてローカルな、しかも全く私的な話題なので、ご理解いただける方のコメントが入るなど思ってもおりませんでした。
    しかし、「甚助」 のあの餃子の味に感動された方がいらっしゃったということは、なんともうれしい限りです。
    やっぱりあそこで働かれていた人たちは姉妹だったのですか。寡黙だったけれど、いい人たちでしたね。
    しかも、何の前触れなしの 「閉店」 だったのですか…。
    >「なじみの食器が寂しそうに…」
    なるほど。情景が目に浮かんできます。
    う~ん、ますます “幻の店” っぽくなってきましたね。
    どこかで復活してほしい店ですね。
    コメントありがとうございます。
     

  3. 月のうさぎsamie より:

    甚助のオーナーは焼肉屋李朝園のマスターでした。最初甚助は公園通りに面して名店会館との道を隔てたところ、隣は御茶屋長田屋さん。公演通りの向こう角は火事で全焼した名曲喫茶古城で裏手は墓地。古城の一部も墓地を潰して建造した筈。古城務めの若者、閉店後3階で仮眠している脇に、着物を着た若い女が立っていて髪の毛で顔は見えなかった、と。彼が翌日殆ど泣きそうな顔で兄に話していたのを覚えています。
    初期の甚助さん、年配の女性はマスターのお姉さん、マスターの奥さん、若い女性は従業員のエッちゃん。後に甚助が数件移動した後エッちゃんが看板を買い取って営業続行。そこもホテルに買収され、最終的にはエッちゃんも店を畳んで引っ越して行かれました。
    沖縄そば、太麵の焼そば、餃子と泡盛。小学生の私は泡盛以外、全部が未だに世界で一番美味しい食べ物のうちの一つです。

    • 町田 より:

      >月のうさぎ samie さん、ようこそ。
      甚助のオーナーが李朝園のマスターであるということははじめて知りました。
      貴重な情報、ありがとうございます。
       
      それにしても 「名店会館」 、「古城」 ……なつかしい名前がいっぱい出てきて、感無量です。
       
      最初に甚助に行ったときは、後の店よりもっと古風なつくりで、確か、床が土間だったような記憶があるんですが、違いますかねぇ。
       
      「エっちゃん」 という名前、思い出しました。店の人がそう呼んでいたような気もします。
       
      >「世界で一番美味しい食べ物の一つ」
      本当に、そうですよね、あの味に出会ったことは、幸せでした。
       

      • 月のうさぎ samie より:

        ウゥ~ン、、、 土間?はどうかなぁ、、。
        多分ないと思いますよ。
        李朝園の現オーナーは、変わっていなければヨー子ちゃん?
        一代目オーナーご夫妻の一人娘さんです。
        私よりは若いはずなので初期の甚助を覚えているかどうか?
        でも、エッちゃんの消息は分かる筈です。
        歴史探訪のために、今週あたり李朝園で焼肉で一杯なんていが?
        かなうなら私が飛んで行きたいところですが、’74に米国移住。
        以来、タマ~!の帰国で吉祥寺に寄る程度。
        すべて忘却のかなたです。
        しかし甚助の品々、忘れようもない究極の味ですよね。
        又。

        • 町田 より:

          >月のうさぎ samie さん、ようこそ。
          そうですね、さすがに “土間” はないですよね。
          でも、昔、吉祥寺には 『檸檬』 という喫茶店があって、確かにそこが土間だったような印象があったし、なんか、古風な雰囲気を残した店は、意図的に土間を残していたような気がしていたのですが、そうだよね、“土間” は 「甚助」 さんには失礼でした。
           
          月のうさぎさん、今度帰国されるときは、李朝園の焼肉で一杯いいですよ!
          お声をかけてください。
           
          >「忘れようもない究極の味」 ……。
          本当に同感です。あんな店、ほかにはなかったな。
           

          • 月のウサギSamie より:

            受けた!! 
            こう云う一杯やろーか友達のつくり方も好いですね。ビバ・PC! ビバ・ブログです。
            つぎに吉祥寺に行く楽しみが出来ました!
            高田渉君、渉ちゃんと呼んでましたが玉突きの決着が付いていないのに、フリー・ドリンクの天国に行ってしまい、もうささのやにも伊勢屋にも行く名目がなくなりました。
            ファンキーの野口伊織さん、”ねぇ、サミーちゃん、うちに遊びに来たら一曲でいいから歌ってよ” と、
            懇願されていましたが彼も先急ぎされてしまい、、。
            貴君と一献、甚助に祝杯できるまで、
            YouTubeにアップ・ロードした拙曲、時間のある時にでもサイト・ビューなさってみて下さい。
            Sayonara bye bye Sammie the moon.
            ”サミー、石川晶” ”サミー、稲垣次郎” ”サミー、フリーダムユニティー” ”サミー&チャイルド”
            ”サミーザムーン” どれででも検索可です。
            35年ぶりに歌ってみたデモ・ソングです。
            又。

  4. 町田 より:

    >月のうさぎ samie さん、ようこそ。
    びっくりしました!
    月のうさぎ samie さんって、石川晶とカウントバッファローズとか、稲垣次郎さんとかと一緒にヴォーカル歌っていた方なんですか !?
    これは、何も知らずにタメ口でコメント返信してしまいまして、大変失礼いたしました。
    いやぁ、そんな方から、わざわざアメリカからのコメントいただき、感激至極です。
     
    またまた、懐かしの固有名詞満載のコメントありがとうございます。
     
    私もまた野口伊織さんのお父さんの時代から、初代 「FUNKY」 に通っておりました。
    詰襟の高校生の時代でしたが…。
    あの店は、コーヒーカップも灰皿もカッコよかった。
    その前に「スカラ座」 という映画館があって、その上にある 「スカラ」 という雀荘では毎晩マージャン打ちまくってました。
     
    伊織さんが南口に開いた 「bebop」 には、ほぼ毎日のように通いつめておりました。
    「バップ」 に通いつめているうちに、伊織さんにも顔を覚えていただき、街で会っても挨拶をいただけるようになりました。
     
    高田わたるさんも出ていたという 「ぐゎらん堂」 にも行ってました。
    吉祥寺の子だったのです。
     
    Samie さんの歌、拝聴いたしました。
    スピリチュアルなお声ですね。すごいです!
    ぜひ、訪日されるときは、ご連絡ください。
     

  5. 月のうさぎ samie より:

    こちらこそ失礼を申しました。
    貴君ではなく、貴兄なんですよね、多分。
    来月には私の年が公表されるはずですが。

    そして私は無名歌手です。
    宝くじに当たる確立がないように、貴兄がご存じないのが当たり前です。
    私を知っている人はほんの一握りのソウル音楽オタクだけでして。
    知っていてくれる人は宝くじに当たる確率ほどもない。

    私が書く曲は、日本でヒットしてきた歌謡ソウルではありません。
    ”Sayonara” のように音律が日本歌謡でない曲を書きます。
    日本語歌詞をつけてもなお、歌謡調抜きのソウルでして。
    結果、ますますリスナーのお呼びがない訳です。HAHA、、、。

    美味しい甚助の餃子のように、幸せなコメントを頂きました。
    嬉しい限りです!
    “吉祥寺の子“ にお会いしたいですねぇ。
    何か吉祥寺などへのチャットがあればGメールにご連絡を。

    では、又。
    貴兄の更なる御活躍を楽しみにしています。

    • 町田 より:

      >月のうさぎ samie さん、ようこそ。
      ご厚情あふれる返信、ありがとうございます。
      >「来月、年が公表される」 というのは、どういう機会を通じてのことでしょう? 作品を発表されるのでしょうか。楽しみです。
       
      人間40歳を超えると、実年齢はあまり関係ないように感じることがあります。私より年下の方でも、こちらが学ぶべきものを持っていらっしゃる人は、みな 「先輩」 。いっしょに楽しい時間をモテる人は、みな 「同輩」 であるように思っています。
       
      「Sayonara」 は心に沁みる曲ですね。
      ピアノバーのような、少人数で楽しめるライブ小屋などで聞いていると、涙が出そうに思えます。
       
      ご壮健にお過ごしください。
      「甚助の餃子」 の思い出を、ともに語り合える日が来るまで。
       
      異国の地でのご活躍をお祈り申し上げます。
       

  6. ギー藤田 より:

    sammyさんを調べておりましたら、このブログにたどり着き、そこには「甚助」が、、、。私、ギー藤田もうすぐ67になります。趣味で素人映画つくっております。
    「甚助」と言う題名の映画をつくりたいな!!!ブログ読んでいるうちにそう思いました。今は四国松山ですが、1969年から40年余り東京にいました。

    • 町田 より:

      >ギー藤田さん、ようこそ
      趣味として映画を作っていらっしゃるとか。
      とても興味を持ちました。
      拝見する機会があれば、いちど観てみたいものです。

      40年東京にいらっしゃったということは、日本でsammyさんのステージを見る機会もあったのでしょうか。

      コメントありがとうございます。
      また、このブログにもお立ち寄りください。
       

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">