小説を書く難しさ

 
 小説というのは、書くのが難しい。
 エンターティメントとして楽しむ書籍には、「小説」のほかに「エッセイ」とか「コラム集」、「評論集」などといったものもあるが、「小説」だけが特権的な顔をして “のさばって” いられるのは、やはり書くのが難しいからだと思う。
 
 これは、技術的なことを言っているのではなく、作家にとって、書いたものの自己評価が難しいという意味である。

 エッセイや評論というのは、書いた人間の自己評価と世間の評価の開きが少ない。
 まがりなりにもエッセイとか評論は、どんなに私的な世界を書こうとも、一応「社会分析」や「自己分析」という客観的視点が必要となるため、書き手が荒唐無稽な妄想だけで突っ走るわけにはいかない。
 そのため、作家と読者の間に “共通理解事項” が成立しやすく、作品の出来不出来に関しても、作家と読者の評価がそんなに大きく開くことがない。

 しかし、小説というのは、書いた人間の自己評価と世間の評価の間に、ものすごく開きが出てしまうジャンルだ。
 なにしろ、小説というのは、神がかり的な心理状態の中で書かざるを得ない場合があって、神がかりになっているときは、どんな人間にも「自分は天才だぁ!」と思える瞬間が訪れるからだ。
 そういう発狂に近い瞬間がなければ、読者を引きづり込むような魔力も生まれないところに小説の「やっかいさ」があり、そこが、他の読み物とは大きく異なるところだ。

小説家に訪れる狂気

 作者を襲うデーモニッシュな瞬間は、天才的な作家にも、凡人にも等しく訪れる。
 凡人でも、ノッて書いている時は古今東西の天才作家と肩を並べた心境になれるというところに、作家志望の人が後を絶たない理由があるかもしれない。

 それゆえ、小説というのは、自己評価と世間の評価の間におそろしい開きが生じる。
 で、たいていの場合、書いた人間の自己評価の方が、世間の評価よりはるかに高い。
 この落差が少ない人たちだけが、かろうじて職業作家として食べていけるような仕組みになっている。

 …てな、ことを書く以上、「お前はどうなんだ?」って言われそうなので、正直に書くけれど、もうかなり昔、実は小説を書いて雑誌の新人賞に応募したことがある。
 書いているとき、
 すごいぞ、俺って!
 よくこんなストーリーを思いついたな。しかも、うまく展開しているじゃないか。ひょっとして、俺って天才?
 …なんて有頂天だった。

 で、「俺がこれで新人賞でも取ったら、世間の見方が変わるかしら? 俺の本がそのうち本屋に並ぶようになって、見知らぬ人からサインなどねだられるようになるのかしら?」
 書いているうちから、そういう妄想が頭の中を回り出す。

 当然のことながら、そのような名誉欲とか現世的な人気などといった浅ましいことを意識しているかぎり、作品そのものに人を惹きつける力など宿るわけもなく、結果は900人くらいの応募者のうち、その上位100人内に入るのが精いっぱいだった。(確か70何番目かなんかで、一応「2次予選通過者」という枠内に入っていたと思う)

 全応募者の1割の中に食い込んだのだからいいじゃないか。
 …と思う反面、自分の妄想においては新人賞獲得が “当然” だったので、結果を見て落ち込んだ。
 やっぱ俺にはこっちの方の才能はないらしい。
 …と見切りをつけ、それ以降、小説からはあっさりと撤退した。
 
 そのとき、自分の10番ぐらい先に、後に直木賞作家として知られる高名な作家のペンネームがあったことを思い出す。
 今でこそ、日本の誇る直木賞作家の一人だが、その人にも、このような新人賞募集に小説を投稿していたという修業時代があったかと思うと、感慨深い。

 自分の場合、それから小説を書こうという気持ちはなくなった。
 やっぱり、あれは「神に才能をめでられた」人たちの作品を読んで楽しむもので、自分で書くものではない。
 ただ、自分で少しだけ書いてみた結果、世間一般の小説に対して「面白いか面白くないか」を判別する自分なりの基準ができた…という気はする。 
  
  

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小説を書く難しさ への6件のコメント

  1. ミペット1号@試作品 より:

     何か憧れちゃいます・・「小説家」と言う名の魔族に。
     その狂気に気づいて、冷静に物事を考える自分は仮の姿だと思って、苦しみ、もだえながら脱皮して狂気をコントロールできる魔力を手に入れた瞬間に、社会的評価とは無縁の一文学者が誕生するような。
     それが、人間でありながら、人間の魂を喰らって生きる魔族の誕生っていうのでしょうか・・
     魔境を魔族として生きるんだから、そりゃあ、人間らしい生き方は出来ないけど、魔族になる快感を知ってしまったら、ちょっと抜けるのは厳しいかも・・

  2. Take より:

    もともとそういう才能をたぶんにお持ちだったんですね。このBlogをいつも感心しながら楽しみにしています。
    自死する作家さんが多いのも、そうしたギリギリのところで命を削りながら書いているからなのかもしれません。
    僕も書くことは嫌いではありませんが、それよりものんびり生きる方が好きです(笑)

  3. 町田 より:

    >ミペット1号@さん、ようこそ。
    小説家というのが 「魔族」 であるという省察は、さすがですねぇ。
    とても興味深いコメントでした。
    もしかして、ミペットさんも試みられたことがあるのではないですか。
    「魔族になる快感」 というのよくご存知の方の省察だと思いましたので。
    「人間でありながら、人間の魂を喰らって生きる」 というのは、その通りですね。昔から、一つの小説が世に評価されたとき、その影で泣いている身内の者がいっぱい出たとかいう話もあります。
    それは、昔の文学の話でしょうけれど、身内や、時には自分の身を切るぐらいの魔性がなければ、人の気持ちに食い込む小説は生まれないのかもしれません。

  4. 町田 より:

    >Takeさん、ようこそ。
    昔の小説家の方は、よく自死しましたね。特に自分の身を削って何かを書いているような人たちは、そういう傾向があったように思います。
    自死でなくても、生き急ぐあまりに、自死に近い事故死を遂げたような人たちもいましたね。
    今は、小説家の人たちが、生き急ぐばかりに若死にするという話はあまり聞かなくなりましたが、代わりに音楽をやっている人たちがそれを受け継いでいますね。
    古くはジミヘン、ジャニス、ジム・モリソン。
    最近では尾崎豊とか。
    昔の小説を書いた人たちの問題意識を、今はロックをやるような人たちが受け継いだということなんでしょうか。
    コメントありがとうございます。
    私もまた、のんびり生きるつもりです。

  5. TOMY より:

    これだけ人を魅了させる文章力があるようでも、受賞できないのですね。上には上がいるという事ですね。
    軽々しく小説を書くことを薦めた自分は、作家の世界を理解出来ていない土素人でした。
    でも町田さんのブログは私にとってとても興味深く魅力的です。
    これからも沢山の話題を町田流に提供して下さい。

    めずらしく多忙でこのコメントをやっと入れられました。

  6. 町田 より:

    >TOMYさん、ようこそ。
    ご多忙中にもかかわらず、コメントありがとうございました。
    好意あふれる文面にも感謝です。
    「小説」というのは、発表する、しないにかかわらず、個人の趣味ということであるならば、お金もかからないし、文章訓練にもなるし、とてもいい趣味だと思うのです。
    ただ、自分の場合は、小説を書く以上に、今はこういうブログに、そのとき思ったこと感じたことを自由な形式で書くほうが楽しいように感じています。
    ブログというのは、コメント欄と一体となって、書き手と読者が二人三脚で築いていく “読み物” ですから、場合によっては小説より深いものを作れるような気もしています。
     

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